第39話  まだ見ぬ脅威Ⅰ

 この世界に来て、一つだけ感じていたことがある。数えきれないほど無数の夜を過ごしてきたわけだが、そのどれもが昼夜の区別が難しいほど明るい夜だったことが一度も無い。この六畳ほどの空間に無理やり二人詰め込まれたような場所も、誰かが隣に現れても顔がわからないぐらいに暗い。


 理由は簡単で、この世界は電気も無ければランプのような照明器具さえも存在しない。せいぜい松明にかがり火程度で、宿の中はおろか部屋の中でさえ真っ当に見通せない。雷魔法はあるというに、本当に不便な世界だ。


 それでも大抵の者は、この暗闇にも目が慣れるらしい。しかしどうにも落ち着かない、真夜中には暗がりを過ごすしか能がないというのは、常に背中に刃を向けられているような感覚がして油断できない。壁に背を預け片膝を立てながらベットの上で思案するカルマは、そうして眠れない夜を黄昏ていた。


 元々集合を予定していた宿に全員が戻ってきた時、一番消耗が激しかったのはヘラだった。汗と泥にまみれた体をサディスに担がれたその様は、まさしく生け捕りにされた戦士だった。なるほど、少なくとも戦えるようにはなったか。ならばひとまずは不安にならなくていいだろう。まだあれに死なれては困る。理由はどうあれ「転生者」、世界の救済には、何らかの形で必要になってくるだろう。サムスの言動も引っかかる。なぜ転生した存在の人数を俺に伝えたのか、その意図がまだはっきりと見えてこない。


 そして勇者アルス、現状あいつが一番犬死しやすいだろう。勇は蓋世、しかし実力が伴っているようには見えない。鎧とそれらしい剣を携えて格好つけている気がしないでならない。取り巻きも、タマが瞬殺できてしまう程度だろう。せめて一合打ち合える程度の気力はあって欲しいものだ。あれが「転生者」でなければそうそう気にかける必要も無いのだが、前述の通りサムスが何を考えているのかがわからない今、奴を死なせるわけにはいかない。


 サディス他の魔王側近たちの動向も気になる。何も情報が入ってこないのは当たり前として、外側の軍にまるで動きが無いのは不自然だ。シルエットは簡素ながらも自給自足できる設備がある。兵糧攻めを狙うとしてもかなり長い時間を要するだろう。サディスの実力を見る限り、四人で一気に攻め上がればすぐにでも落とせると思うのだが、それをしない理由は何だ?魔王が攻撃にあまり乗り気でないにしても、そもそも対話すら通じない相手に包囲するだけというのはいささか不自然すぎる。サディスの言を聞く限りではできるだけ対話に持っていきたいようだが、本当は違うのか?


(……情報が少なすぎるな。)


 自身の徒労に眩暈がする。何をするにしても何も知る由が無い。考えれば考える程、この街の空気が不穏に思えてくる。


 先代勇者から託された剣になれる時間も欲しい。それとまともな服も。まだ資金に多少の余裕はあるため、革装備程度なら何とかなりそうだ。剣がタダで手に入ったのは大きい。枕元に立てかけられたひび割れのような模様の鋭剣は、己の初陣を待ちわびるかのようにギラついている。ヘマをすれば、俺自身がこれに寝首をかかれるかもしれんな。死にはしないが。


「さて、……どうかしたのか?鍵なら開いている。」


 扉向こうに声をかけると、ぎぃ、と木扉がゆっくり開いて、角を隠しながらもなぜかウィッチスタイルのサディスが姿を現した。


 薄暗くて表情まで見えんのが、やはり不便だと思う瞬間であった。


「随分と考え事をしていたみたいだけど、何かあったのかしら?」


「何もないのがいささか不気味でな。それよりもその恰好は何だ?口ぶりからして何かあったように聞こえるのだが?」


「あら、鬼畜でも気づかいはできるのね。素敵だと思うわ。」


「軽口はいい。……もう少し近くに来い、顔をみせろ。」


 至っていつも通りのようだが、少し息が切れている感じがする。星の明かりを頼りにサディスの顔を見上げると、やはり普通を装っている様で目元や口元に皺が寄っている。気を張っている証拠だ。


「……ただ事ではないようだな。」


「二つ、よ。急ぎの用事とそうでもない話、どちらが先の方が良いかしら?」


「……どうでもいい方から聞こうか。」


 カルマがそう答えると、サディスは強張っていた口元緩め、すぐに表情を引き締めた。


「ここに来る途中、四楼の一人、アリシュアを見かけたわ。」


 一度開いた目でサディスを見つめると、眉が僅かに上がる困惑した表情が見て取れたので、更に瞳孔が大きく開いた。


「……四楼が?間違いはないのか?」


「ええ、間違いないわ。どうやら私も知らない何かが起きているみたいね。三人が何を企んでいるのかはまるでわからないけど、恐らくいい事じゃないわ。」


 サディスと同程度の力を持つ魔王側近の一人が、サディスと話を共有せずに城内に潜伏している。それがどういう事か、少なくともカルマには、良いように考えを持っていくことはできなかった。


 現在、四楼が指揮を執る魔王軍は、四方の門の前に陣を築きシルエット城を包囲している。そして、四方向から同時に挟撃してその門を破る算段でいるはずだ。その前段階として話し合いによる解決を取り計らうという話にはなっているが、それを見越してもなぜ、そのアリシュアという人物が既に入城しているのかは理解できない。ましてやサディスが城内に入り、話し合いをしようとしていること自体が秘密なのだ。まだサディス他の三人は城の外で攻城中のはず、事前に行われた話し合いとまるで違う。


「……サディス、お前には何か考え着くか?」


「いいえ、何を考えているのかはまったく。でも大方、私と同じ考えではなさそうね。厄介ごとにならなければいいのだけど。」


 カルマは思案する。どう考えても、これはサディスに知られてはならない作戦が裏で取り行われている。でなければサディスが何も知らないなどという事はないはずだ。それに何かあればガブルから何かしらの連絡がくるはず。それすらないということは……。


「……反乱、か。」


「同じ考えの様ね。過激派のヴォルドなら考えそうだけど、あの二人がその案に乗ると言うのが、ちょっと現実的ではないのだけどね。」


「だからこそ考えが読めない、と?」


 サディスの月明かりに照らされる影が、ゆらりと首元を揺らした。


「警戒しておいて損はないと思うわ。それに……私の存在が知れたら、更に厄介なことになるかもしれないことを承知しておいて頂戴。」


「少なくとも、お前と他三人の関係は悪くなるだろうな。面倒な敵が増えそうだ。」


「せいぜい利用させてもらうわ、よろしくね。」


「お互い様だ。どのみち邪魔になるなら倒さねばならなくなるしな。……それで、もう一つは?」


 アリシュアの動向は頭の片隅に留めておくとして、カルマが尋ねると、サディスは顔に手を当てて、その表情を曇らせた。


 それは、アリシュアの動向よりも悩ましい問題だと、カルマに気づいてもらうようなそぶりだった。


「……部屋に、来てもらえるかしら?見て欲しいものがあるのだけど。」 

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