第38話  昇る陽と沈む影Ⅱ

「はぁ……はぁ……っ…。」


 それから始まったサディスとの修行は苛烈を極めていた。容赦なく繰り出される様々な魔法の応酬に、ただひたすら自分で考えて防ぎきると言うもの。一切の加減なく打ち出される一撃は、躊躇う様子もなく自分の命を奪いに来る。炎の波、水の矢の雨、雷の一閃、風の刃、目に見える攻撃はいい。だが足元に仕込まれた魔法や幾重にもなる連撃には対処しきれず、身体に一撃をもらってしまう。だからといって「プロテクト」に頼ろうとすれば「解除」されてしまうし、もたもたしていれば威力の高い祈祷魔法が来る。陣魔法特有のロスタイムが隙になり、発動する前に別の無詠唱魔法で相殺され、たとえ発動できてもかわされ無駄打ちが増える。


(カルマってば、どうやってこんなの倒したのよ!!)


 気に入らないアイツの顔が頼もしいのは知っている。だが実力も経験もそう変わらないはずの彼と自分がどう違うのか、ヘラにはそれが理解できないままでいた。


(せめて……一瞬でも隙が作れたら……。)


 本来そのためにあるはずでないプラズマアメジストに縋り付き、もうどこが痛いのかもよくわからないほどにダメージを負った体を引きずる。ついさっきまで頼もしい存在だった、今ではその肩書である「四楼」らしい姿に見えるサディス。私がここで死ぬなら、本当に殺されてしまうだろう。傷一つない身体で腕を組み余裕を見せつけるその存在は、初めて対峙したあの瞬間を彷彿とさせる。


「……あなたが考えてる事、当ててみせようかしら?」


 サディスは手の甲を見せながら、二本の指を立たせてヘラに見せつける。その表情に遊びは無い。あの時と違い、サディスは本気でヘラと対峙している。


「一つ、隙が生み出せれば攻撃できる。一つ、攻撃さえできればそこから一気に逆転できる。まぁこんなところかしら?」


「……だったら何よ?」


 現状ヘラにはなす術がない。防御魔法も無力化され、回避するだけの身体能力も持ち合わせていないのでは、無防備に相手の攻撃を受けるしかない。それなら一撃でも与えて隙を生み、そこから連撃して畳みかける他に方法はない。最善で、最良の考えだ。


 しかし、サディスはその杞憂を飲みこめず、深く溜め息を吐いた。


「ならやってみなさい。……自分がいかに浅はかか、教えてあげるから。」


 ふわりと両腕を広げ、ウィッチスタイルを解除してボロ衣の姿に戻るサディス。それはつまり、全くの無防備であることを意味していた。


「ッ!……どこまでも……バカにしないでよッ!!」


 腹の奥に煮えたぎるそれを魔力に還元し、集中力を高めて魔方陣を形成する。炎、水、雷、風、組み込まれた術式が順番にサディスの周りを包囲していく。


「【炎水雷風・狂鎖連撃エレメント・ディザスター】ああああッッ!!!】」

 

 ヘラの叫びと共に炸裂する大爆発。直後に加減なく注がれる水流が更に爆発を大きくしていく。モアモアと湧き上る水蒸気の中を駆け巡る紫電、蒸気を逃がすまいと圧縮する暴風。その空間は全ての命を脅かすために生まれた狂気、これに飲まれればひとたまりもない、はずだった。


 すべてが収まり、土煙が落ち着き始めたその時だった。


 ―人影が揺らいでいる。まるで動じることも無く、何事も無かったかのように、凛とその場に存在している。


「そんな……なんで……。」


 あれだけの一撃、死んでいてもおかしくないはず。それなのに、そのど真ん中にいたはずのサディスの体には傷一つついていない。むしろヘラの忠実な下僕だったはずの魔法たちが、サディスの周りをまるで踊っているかの様に取り囲んでいる。


「くっ……【ファイア・」


「遅い。」


 ヘラが発声して魔法を繰り出すよりも早く、サディスの周りを囲んでいた魔法たちがヘラに向かって猛進する。反応して、なんとか回避しようと試みるヘラだったが、突風に体を揺らされ怯み、その隙に紫電に連れられた火の玉が爆発し、共にヘラの全身に襲い掛かる。


「あああああああああああああああああああっっ!!」


 致命傷に至らずとも効果的な一撃。激しい痛みに襲われたヘラは、朦朧とする意識に抗えず、両膝を地面についてへたり込んでしまう。


 なんで……どうして……、必殺の一撃でさえ、弄ばれるかのように殺されてしまった。もうどうしていいのかわからない。自分が他に何ができるのか、どうすればいいのかが見つからない。どれだけ思考が加速しても、その答えに辿り着ける気がしない。


 それでも、現実は非常にも前髪を掴み上げ、腑抜けきった精神を引っぱたく。パァンと高い音が、空っぽの体によく響いた。


「立ちなさい。でなきゃ死ぬわ。それでいいなら楽にしてあげるけど。」


 サディスに掴み上げられた前髪が痛い。だが痛みに抗うだけの力が腕に入らない。上がらない。その手を掴んで引き剥がしたいのに、身体が意志についてこない。


 ヘラにはもう、戦う力が微塵も残っていなかった。


「……酷い顔。鏡があったら見せてやりたいわ。今のあなたならカルマに、「こいつは俺の奴隷だ」と言われて、首輪に繋がれて街中を引き回されてもお似合いだと思うわよ。」


 奴隷、まさしくそれだ。私は奴隷だ。幼い頃から虐げられ、ただ働くために生き、死んだらゴミより煩わしがられて捨てられる。老若男女問わず、その生涯を束縛されて終わる時間。夢も見ず、希望も持たず、ただただそこにあるそのための物としてあり続ける日々。


 私は、はじめからそうやって生きてきた。


「それが、あなたの本当の姿かしら?」


 ―そう、これが私の、本当の姿。


「………がう。」


「……何かしら?」


 湧き上る熱、それは徐々に膨れ上がり、やがて小さな灯になる。


「違う……私は、私は奴隷なんかじゃない!!」


 灯は炎に、それは内に秘めた感情に引火し、爆発する。震えがる体はサディスの腕を掴み、見下すような冷たい視線を真っ赤になって睨み返す。


 脳裏に蘇る日々、少ない食事を半分分けてくれたおじいさん、崩れた岩場から私を庇ってくれたおじさん、辛い毎日も大丈夫と言いながら頭を撫でてくれたおばさん、優しい人たちも、憎たらしい人たちも、みんなみんな殺されたあの暗闇の中で、ずっと噛み殺し続けた憎悪。どれだけ憎んだってみんなは戻ってこない、それならもう、二度とそんなことにならない世界を、みんなが幸せに生きられる世界を。


 そのためだけに、私は今日まで死に物狂いで生きてきた。


「私は……私がみんなを救うんだあああああああああッッ!!」


 水色に輝きだす全身は、ロッドに秘められた紫色の魔力と混ざりあい、螺旋を作り上げながら頭からつま先まで駆け巡っていく。それはやがて服の形を作り出し、煌びやかな装飾を纏いながら、薄くも頼もしい鎧としての存在になっていく。


「……そう、それがあなた本来の力。怯えるわ、今までウィッチスタイルにもなっていないのに、それだけの魔法を使いこなしていたんだもの。その姿になったあなたが、一体どうなってくれるのかしらね?」


 ウィッチスタイル。それは魔法使いの象徴であり、その力量を見せつけるもの。陣魔法を完全に、それもほぼ応用に近い形で習得していたヘラが、いくら経験で勝るとはいえ魔力量で上回るサディスにまるで歯が立たないなんて事はないはずなのだ。


 その違いはつまり、この姿になれるかどうかだろう。ウィッチスタイルは魔法使いの魔力の質を高めるだけでなく、その制御力にも影響する。サディスとヘラに生じていた使える魔法の差は、これでほぼ解決してしまうだろう。


 やがて輝きが全てヘラの体の中に取り込まれ、弾け飛んだ。ボロ衣を纏っていた姿は嘘のように、水色を基調とする肩を大きく露出したレオタードに、漂う波を表すようなウェーブのスカート、全身に振る舞われた金の装飾はそのまま魔力量の高さを見せつけ、右手首に輝く三つのリングがプラズマアメジストと共鳴してシャンシャンとメロディを奏でている。


「……なかなか綺麗じゃない。少し嫉妬しちゃうわね。」


 紫のドレスという、比較的魔力量の高い姿であるはずのサディスも、ちりばめられた装飾品の存在感には恍惚していた。


「……うっ、あああっ、あ”あ”ぁ”……。」


 しかし、気を抜いていい時間は一瞬だった。ウィッチスタイルは大量の魔力を一度に消費する。身体がそれに耐えられなければ、魔力に意識が飲みこまれてしまう。今のヘラは、まさにその一歩手前だった。


「ちっ……仕方ないわね。」


 すぐさまヘラの背後に回り込み、首元に攻撃力増加の魔力を込めたチョップを叩きつけ、その意識を奪う。うあぁ、と獣の鳴き声のような断末魔を生み出したヘラはゆっくりと意識を失い、サディスがヘラを受け止めた時には元のボロ衣一枚に戻っていた。


「まぁ、頑張った方かしら。今日の目的は達成ね。」


 そう声をかけながら微笑んで、サディスはぐったりとしたヘラの体を抱きかかえた。


 少し悪者すぎただろうか、だがこれでいい。これで少なくとも、四楼とも負けず劣らずの戦いができるようになるはずだ。自分の愛杖までくれてやったのだから、それぐらいにはなってもらわなければ困る。


(あなたには頑張ってもらうわ。……私の目的のためにも、ね。)


 肩の上ですぅすぅと子供のような寝息を立てるヘラの寝顔に、思わず口元を抑えたくなるような笑みが堪えきれないでいた。


 街中に戻り、予め打ち合わせしておいた宿に戻る途中で、角を曲がった瞬間だった。


 ひらり、桜の花弁が一枚、宙を舞って道に落ちた。


「……ッ!!?」


 咄嗟に角の陰に隠れて身を隠した。見られてはまずい相手がそこにいたからだ。口の中に広がる猛烈な苦みが、その状況の混沌さを伝えてくる。


「……アリシュア、なぜ城内に?」


 サディスも知らない何かが、桜の中で蠢いている。

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