第36話 勇気と狂気
それは闘いにすらなっていなかった。
経験による蹂躙、技術による圧倒、先代勇者が携えた剣を振る度に開いていく差。繰り出した蛇が二枚に下ろされ、上も下も解らない空間に這いつくばらされた瞬間など、いかに自分が無力なのかを思い知らされる。
「おう、どうした?こんなもんか?」
「……どうやらそうらしい。」
例え不死身の体があっても、例え不屈の精神があってもこの男の前では無力だ。
絶望に立ち向かった勇に、その程度で立ちあえるはずもない。
「……なんだ、意外とあっけないな。もうちっと骨のあるやつだと思ったが。」
「何の話をしている?俺は実力の事を言っているだけだ。」
のしかかられた背骨が軋む痛みを噛み殺すカルマ。それがまだ余裕の笑みだと受け取った先代勇者は、こちらもそうだと笑い返す。
「その性格で性の根が腐らねえとは、いい根性してんじゃねぇかッ!!」
気合と共に振り抜かれた一撃は一直線にカルマの心臓を引き裂いた。胸元から真っ二つになった胴体は転がり、腕がなくなった肩に繋がった頭を無様にも掴み上げられぶら下がる。
「どうしたァ!!ちっとは粋がってもいいんじゃねぇのかぁ!?」
大きく振りかぶった体に投げ飛ばされ、まるで感覚のつかめない無限の世界の壁に激突し、見えない楔に
「そんなんで世界救えんのか!?救世者さんよォ!!」
大剣を肩に担ぎあげる先代勇者。圧倒的な力の差を見せつけながらも、どこか隙だらけなその風貌は、まるで自身を超えて欲しいかのような振舞いだ。
例え意図的な物でも、それを見逃すようなカルマではない。半身を失った胴体がガラ空きの背中目がけて突進し、その背中目がけて矢のような跳び蹴りを繰り出した。だが先代勇者は振り返りもせずに体を揺らし、脇の間に飛んできた足を挟んで叩きつけた。そしてその腰元を大剣の先端を突き立ててぶすりと貫く。
カルマの動体は何回か跳ね、その後ピクリとも動かなくなった。
「どうした?万事休すか?こんなもんかてめぇの覚悟は?」
腕を組んで身構えるその恰好はまさに百戦錬磨の将、その堂々たる姿は並の者なら見るだけで圧倒される。そして立ち向かってきたものでさえも有無を言わず地獄へ叩き送る。それこそが勇者、それこそが最強、傷一つない隆起して膨れ上がった鋼の肉体がそれを見せつけている。
それに立ち向かうには、カルマの存在はあまりに脆弱すぎる。細い腕、痩せ気味の肉体、戦いに望む覚悟や気迫もまるで及ばない。勝てる要素など皆無に等しい。
それでも、カルマはこの男と対峙している。一方的に蹂躙されようとも、例え反撃の兆しが皆無に等しくても、この男に背を向けてはならない。
この男は、かつて世界を救おうとして、夢破れた者である。
それから目を背けるというのは、世界から目を背けるのと同じだ。
それは、嫌でも瞳の色として他者に映り込む。
「……酷く諦めの悪い奴だ。わかっただろ?お前に世界は救えない。「不死身」だろうが、「並外れた魔力」を持ってようが、この世界では意味がない。いらねぇんだよそんなもん。」
胴体にとどめを刺した剣先が、今度はカルマの眉間に向けられた。
「……そうだな。だがそんなことはわかりきっている。魔王を倒そうと、人間が滅ぼうと、この世界は救えない。それはもうお前たちが試したはずだ。そうだろう?先代勇者。」
カルマの軽口を、先代勇者は顎が外れてしまうかという程の強い力でかみ殺し、身体にこもった行き場のない力を腕に送り込んでカルマの眉間を貫いた。
「……おう、そうだ。俺と魔王はお互いの力をぶつけ合い、「無の領域」へと殴りこんだ。だが無様な事に、俺は魂を残して行き場を失い、魔王はそのまま飲みこまれちまった。今の魔王が俺を眠らせてくれるまで、俺はただ戦いに狂うだけの存在になっちまった。俺が魔王を倒したって?バカ言うなよ。俺があんなバケモン倒せるか。」
「……それが、失敗だったか。」
「いや、進歩はした。今の魔王が最悪のシナリオに向かって進んでる。何も知らねぇバカ息子をだまくらかしてな、世界ごと「無の領域」を消滅させるつもりだ。」
「……そうか。」
カルマは短く、その一言だけ呟いた。それこそが救済ではあるのだろう。これ以上誰も苦しまなくて済むように、自分たちがその苦しみを引き受けて朽ちていくというのは、確かに勇敢で支配的だ。
「C-6 シエンダ」。それは神たちが認めた滅びの目安。その値は重く、この世界に降りた者なら誰もが絶望するだろう。その中でもがき、あがき続ける者たちでさえも飲みこんでいく滅びは、やがてあらゆる存在に諦めを生み、僅かに残された時間と空間を謳歌するだけの慈悲を生んだ。そして奇しくも、残された者はそれに抗い、確かな意味を持って消えていく。それすら消え去ってしまうとも知れずに。
命とはあまりに愚直だ。生まれれば死ぬしかない。しかし幸いにも、死に方という価値観を得た。それは確かな存在証明として生き続け、命を全うしても残り続ける。全ての生き物がそれを求め、それを満たし、死んでいく。それをただ、延々と繰り返して時代は成り立って来た。そこに意味を生み出し続けながら。
それが「世界の終わり」という一言で消え去ってしまうのはあまりに理不尽ではないか。「世界の終わり」を肯定するのは、あまりに利口すぎやしないか。
そのたった一つの汚点が、今も希望となって生き続けている。きっと誰かが、いつかそれを止めてくれるだろう、と。
「何故……俺達は諦めきれんのだろうな。」
「あぁ?何言ってやがる、気でも狂ったか?」
先代勇者は、反射的にそう言った。しかしそれが、カルマの奥深くに突き刺さり、耐えきれず腹の奥から笑いが込み上げてくる。その様を、先代勇者は気味悪がって、険しくなった表情の眉剣に皺が寄っていく。
「そうか、そうだな。狂っているな。滅ぶと言われているのだから滅べばいいのだ。ただそれを待てばいい。それだけの話しだ。だが何故だろうな、どうあがこうと変えられないとわかっていて、それを変えたくて仕方のない衝動がある。ただ諦めてしまえばいいだけなのに、それが出来ずに苦しみ続ける。なるほど、確かに狂っている。馬鹿げた話だ。」
くつくつとカルマが笑いを堪える様は、先代勇者には到底理解しがたいものだった。世界を救うと息巻いていながら、そんな自分を狂ってるだの、そこはそんなことはないと否定するのが常套だという概念が、まるで愚かだと嘲笑われているようにも思えた。
「それで、それの何が悪い?」
だが、喉の奥から洩れる声が消えうせた時、その身の毛が逆立った。
「ただ生きながらえることがそんなに醜いか?死が迫れば受け入れるのが美徳か?馬鹿馬鹿しい。それなら生まれた瞬間に舌を噛みちぎってしまえばいい。わざわざ空腹に悶えながら飯を漁る事も、傷む傷口を抑えながら歩くこともしないで済む。それでも誰もそうしないのは生きているからだ。生きることは苦しむことだ、もがき、あがき、うめき、悩み、やがて狂いながらもしがみつく、それが生だ。その果てにある開放こそが死であり、そう在るべき姿だ。生にしがみつけない人間が死ねるはずもない。それはただの通過点でしかない。死ぬには、それ相応の苦しみが必要だ。」
今、先代勇者はその全てをもってカルマを圧倒している。しかしどれだけ剣を突き立てようとも、喉元を圧迫する危機感が拭い去れない。これだけ自分が優位な立場にいるのに、まるで安心感が無い。油断すれば、いつでも消し去られてしまう。そんな圧迫感が先代勇者の感覚にあった。
その正体を、今は五感で感じ取っている。
「俺達は苦しみたいのだ。その先にあるものが欲しくてたまらないのだ。答えのないそれにひたすら答えを求め、あれこれ勘違いをしながら一つを真理として辿り着く。それに意味はない。それに理由などない。そもそもありはしないのだから。だがそこにたどり着けたことに異様な幸福感を憶え、やがて本当に求めたものにたどり着く。俺達は愚かだ。そして貪欲だ。もう空だと言うのに鍋を奪い合ってまで汁をすすろうとする。しかしそれは愚かではない。それが生きるという事だ。」
「なんだそりゃあ、言ってる事がわけわかんねぇぞ。」
「そうだろうな。俺にもわからん。だがそういうことだ。俺達はまだ、諦めたくないだけだ。どうせ世界が終わるなら、せめて新しい世界を作ってみたい。その先にまた新たな生と死があるのなら、それを求めずにはいられない。もう既に諦めた者もいる。だが彼らを巻き添えにしてでも、俺達は辿り着きたいのだ。「終わり」の先にある「始まり」に。だから世界を救うなどという馬鹿げた考えを持ち、それを諦められないでいる。本当に愚かだ。愚かで美しい。」
カルマは再び笑いを堪えだす。先代勇者の言っていることは正しい。世界は救えない。だがそれでも世界を救わずにはいられない。救いたくて仕方がないのだ。その先に何かが待っているのを知っているから。それを見ずに死ぬというのか、それが本当に望んだ死なのか?きっと違う。それでは死んでも死にきれない。
「……お前は、相当頭が湧いてるな。」
「そうだろうとも。だからこそサムスは俺を「世界を救うまで死ねない」体にしたのだろう。俺は自分の望んだものを見誤ったまま、危うく死ぬところだった。」
それでもよかったのだがな、とカルマは言葉にはせずに心の中に留めた。今更辿り着いた所でどうにもならないが、たどり着けたことに感謝の念は絶えなかった。無駄に間延びした命にさえ意味はあった。ならばその先にも、きっと何かがあるはず。
呆然とした先代勇者は、狂気的に輝くカルマの瞳をただ見つめていた。自分には到底見えない世界の中にこれは居る。それが、決して人々の望む結果を裏切るとは到底思えなかった。そんな意味不明な考えに、少なからず凄味を感じてしまった自分が居る。
世界を救う覚悟が足りないのはまさしく自分の方だったと、散々に打ちのめした今になって自覚した。
「俺はまだ死ねん。世界を救わなければならない。……寄越せ、その力が必要だ。今の俺に足りないのは力だ。力が欲しい。世界を救う力が。」
この男は、今後どれだけの力の差を見せつけられても、それがどれだけ詮無き事であっても諦めないのだろう。もはや世界を救うという欲に囚われている。それはもう大儀などではない。純粋な狂気だ。例え誰が止めてもこの男は世界を救う。そのために生まれてきたのだと、先代勇者は悟った。
「……はっ、馬鹿じゃねぇのか。」
笑わずにはいられない。そう、馬鹿だ。どんな理屈があろうと関係ない。世界を救えればそれでいいのだ、この男は。
「見上げた覚悟だ。いいぜ、俺の力をくれてやる。ただし使い方は教えねぇ。自分で勝手に使って勝手に覚えろ。」
先代勇者が向けた背は敗北を語っていた。あわよくば取って代わろうとしたその存在は、自分程度では到底御しきれない狂気で渦巻いていた。
だがそれが、きっと世界を救ってくれる。そう思えてくるほど、自分も狂気に当てられてしまったらしい。
「頼んだぞ救世者。それと……バカ息子を頼む。」
切り離されていた腕がのたうち回って勇者の大剣を握った時、徐々に世界が色を取り戻し始めた中で、消えていく大男の重き荷を背負ったたくましい背中が、うっすらと小刻みに震えていた。
「……それは聞けるかどうかわからんな。」
埃っぽい角部屋の隅で、まるで何事も無かったかのように繋がっている手が握りしめている水晶の剣に、カルマは嫌味のように呟いたのだった。
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