第30話  突入前夜Ⅰ

「サディス様、全ての準備が整いました。」


「ありがとう、他の者達はもう休んでいいわ。」


「かしこまりました。直ちに。」


 部隊の備品庫に保管されていた即席のロッドで衣装を作り直したサディスは、その携えられた豊かな胸を持ち上げる様に腕を組み、立ち構えている。ガブルはそれに一礼すると、配下の部下たちの下へと向かっていく。


 そこに一言の迷いも、ましてや躊躇うそぶりの一つも見せない所が、ガブルの忠臣たる由縁だろう。とはいえこの状況に、部下が何も言ってこないのは大将として不安でもある。


 なにせ、自分たちの仲間を殺戮した本人が、今度は味方として目の前にいるのだから。


 カルマ一行はサディスの軍と合流し、モハテ平原の西南に位置する地点でキャンプを行っていた。現在他の幹部たちとも連絡を取り合っている最中だが、何分こちらは壊滅的な被害を受けてしまっているため、もはや「部隊」と呼べる程度の戦力しか残っていない。それ故に伝令に割ける人材もおらず、「ロードランナー」では一方的な伝達しかできないため情報交換には不向きだ。


 一番の問題は、自分の部隊が壊滅したことで四方向からの挟撃ができなくなってしまった。それをどうするかの話し合いがしたいところだが、サディスの中ではすでに方針が決まっている。それに問題がないかの確認をしている最中、というのが今の状況だ。


 そして、サディスが幹部としての責務を全うしている間、カルマを中心とした三人は暇を持て余していた。


「………。」


 NST-001改めタマは、無表情で正座を貫きながらただ暗闇の草原を見下ろしている。隣でヘラが自分の頬をつついていてもお構いなし。カルマから命令が下されるまで頑なに待機している。


「……凄いね。本当にびくともしない。」


 遊び相手のいないヘラには、なんとなくそれが退屈で愉快だった。それとタマの肌は結構もちもちしていて、指でつつくと跳ね返ってくるほど弾力があり、一体何を食べたらこんなに綺麗な肌になるんだろうと好奇心を刺激する。それと飽きない。


「ねぇカルマ、本当に大丈夫なんだよね?」


「心配ない、俺がお前を敵と見なさない限り襲われることはない。」


「……それ、遠回しに「俺に逆らうとタマに襲わせるぞ」って言ってるよね?」


「仮定の話だ。そうしなければいい。」


「……タマちゃんは私の事、襲わないよね?」


 ヘラが下から覗き込んでタマと目線を合わせようとするが、目線があったところでタマはうんともすんとも言わない。ヘラはそれを「否定」と受け止めて、【破嵐】によって跳ね飛ぶ自分の首を想像する。憂鬱な仲間関係に青ざめながら溜め息を吐いた。


「あら、せっかく最強のロッドを手に入れたって言うのに、随分と弱気なのね?」


 その様子が気に入らないのか、サディスは少し挑発するつもりでヘラの意地っ張りな部分を誘う。が、ヘラは更に溜め息を重ねるのみだった。


「だってさ……ついさっきまで襲われてた相手なんだよ?そうすぐ信頼しろと言われてできると思う?」


 ヘラの不安は最もだった。だがようやく落ち着いた環境の中に入る事ができて、今これは完全に油断しきっている、とサディスには見て取れた。


 才覚はあっても戦いの素質がこれじゃあ先が思いやられると、サディスはまた別の意味で溜め息を吐いた。


「なら、あそこで死にかけたはずなのに、必死で残った者達を統率するガブルに同じことが言えるなら考えてあげてもいいわ。」


「ううっ……。」


 確かに、傷の深さではガブルが一番重傷だっただろう。今はサディスやヘラの回復魔法で傷は癒えているものの、やはりタマに対しての苦手意識は人一倍持つはずだ。それでも一心不乱に部隊の統率に励んでいる。自慢の忠臣を誇るサディスと、それにバツが悪い気持ちになるヘラの差は、まだまだ埋まらないのであろう。


「さて、そろそろいいかしら?……今後についての話がしたいのだけど。」


 手を二回、パンパンと鳴らすサディスにカルマ、ヘラがそれぞれ立ち上がって集まった。すると指示を終えたガブルも、何やら手に一枚の紙を持って一同に集った。


「ガブル、地図を。」


 サディスが目配せをすると、ガブルは静かに頷いて卓上にそ持っていた紙を広げた。


 地図、と言ったように、魔王城を中心として、カルマとヘラが見たこともない区域から、二人が出てきたナムナク村を境界にして点線が引かれ、ここモハテ平原を北西端としてシルエット城までの道のりが描かれている。普通の地図であるが、所々黒く塗りつぶされたような箇所が目立つ。


「これが、魔王城からシルエットまでの地図よ。」


「もっとここら一帯に詳しい地図は無いのか?」


 カルマが尋ねると、サディスは目を瞑って首を横に振り、否定した。


「残念ながら、魔族側には無いわ。ここまで進攻したのは今回が初めてだもの。」


「ほう……なら測量士はいないのか?」


「そく……りょうし?それは何かしら?」


「……いや、いないのならいい。」


 一見とぼけたような反応だが、作戦において大事な地形を把握するための職務がいないなどとは冗談では言いにくい。なら、恐らく本当にいないのだろう。カルマはあくまで「転生者」だ。この世界で最初から生きてきた者達とは考え方が違う。


 似たり寄ったりな部分もあるが、前の世界での考え方が通用しないことに多少の不便さを感じているのは否めない。


「……ねぇ、凄い気になるんだけど……この真っ黒に塗りつぶされている箇所は何?」


 不気味な物を見るようなしかめ面のヘラが、地図の真っ黒な個所を指先でなぞる。


「あぁ、それは「無の領域」です。」


 すると、それにガブルが遺憾なく答えた。


「「無の領域」?」


「ええ。そこには土地も無く、ましてや生物や空気すらない、しかし確かに存在したはずの空間なのです。」


 ガブルの物言いに、カルマの眉間がピクリと反応した。カルマの脳裏には、転生前にしたサムスとの話が浮かんでいた。


「そもそも、人間と魔族が争うようになったのは先代魔王様の時代、つまりほんの30年かそこらなのです。それまでは互いの存在を知りながらも、決して干渉しないように分け隔てられておりました。しかし、最初は民家の壁に浮かんだ小さなシミが、段々部屋一つを飲みこみ始め、やがて家一つを消してしまったかと思えば、いつのまにか村が一つ、国が一つと消えてしまったのです。」


「……えっと、つまりどういう事?」


 ガブルは決して嘘を吐いているようなそぶりも無く、しかしあまりにも奇想天外な事を何のおかしな話でもないといった様子で話すので、意味が理解できず半信半疑なヘラはついてけずに尋ねてしまう。


 それに答えたのは、ガブルの前に腕を差し出して制止したサディスだった。


「そのままの意味よ。そこに踏み入れたものは存在ごと消えてしまう。自分を育ててくれたはずの母親も、愛してくれた父の名も、それに飲みこまれればまるで最初からなかったかのように消え去ってしまう。それが「無の領域」よ。」


「そんな……いくらなんでも無茶苦茶よ!」


「嘘だと思うなら自分で試してみなさい。もっとも、どうなっても知らないけど。」


 ヘラもカルマも、長い間半監禁状態にあったため外の情勢にはあまり詳しくない。しかしサディスとガブルは共に、魔王軍として戦いながら外を渡り歩いてきた時間がある。


「……サディス、あなたは「無の領域」に、行ったことはあるの?」


 わざわざ危険だとわかっていて、それでもそんな物言いをするのはサディスらしくないと、僅かな時間ではあるが仲間と呼べる関係性に至ったヘラには思えた。


「……そこに、私の生まれ故郷があったそうよ。微塵も思い出せないけどね。」


 サディスの表情は影すら揺れなかったが、隣で俯くガブルがそっと瞳を閉じたことで、ヘラはそれ以上の追及をするのはやめようと思えた。自らが偶然指していた、境界線の南側に爪で跡をつける。


「それで、消え去った土地の穴埋めとして、まだ生きている地の奪い合いが始まったのか。」


 腕を組み眉をひそめた真剣な面向きのカルマが言う。


「はい。発端は人間側ですが……先代勇者が先代魔王に打ち勝ち、それを現魔王様が討ち取った事で、形勢は魔族側に傾き、また魔族と違い、複数の領主がそれぞれに統治していたため戦力が分散した人間は、サディス様含めた「四楼」を中心にことごとく壊滅し、残るは残党と敗残兵のみで構成された「シルエット軍」のみなのです。」


「ほう……だがガブル、「残党」と「敗残兵」は同義じゃないのか?」


 カルマは興味深そうに頷くと同時に、妙な言葉遣いを指摘してみせた。ガブルはごもっとも、と肯定するように頷いて見せたが、その後に発せられた言葉は全く意味が違っていた。


「いえ、「残党」には魔族側を裏切り人間に加担した勢力もおります。魔族は人間を敵としても、人間には魔族も仲間だと訴える者もおりますので。」


「なるほど。つまりシルエットは魔族と人間が共存している訳か。」


「その通りでございます。魔王様は「投降するものは討ち取るな」との令を発してはおりますが、やはり人間に魔族側の生活になれるのは困難らしく……温厚な聖人が、数か月後には発狂して首を吊っているというのは、もはや皆が知った事なのです。」


「ふむ……大方、いつ自分が喰われるとも知れない生活に、精神を病んで発狂したのだろう。」


 カルマはそんな生活をしている自分を想像して、毎日便器に向かって嘔吐する姿を想像した。


「そんな!ではなぜそれの真逆はできているのです!?それができるなら、我らにもその道があるはず!!」


 すると、ガブルが柄にもなく声を荒げて問い詰めてくるので、これにはカルマも驚きを隠せなかった。少なくともガブルは、人間と共存する道を選びたいのだと、それを声を大にして主張して来るものがいるとはカルマにも想像できなかった。それも、先程自分で、魔族社会に人間は生きられないと言っておきながら、まだその可能性を模索している姿には恐れ入った。


 ガブルは忠臣などではなく、義に厚い将なのだと悟ると、カルマは口元を緩めて人差し指を向ける。


「なら、わかりやすく例えてやろう。お前は腹を空かして食事をするドラゴンたちに囲まれて、自分を食う事はないと信じて飯が食えるか?」


「そ、それは……。」


 ガブルは口ごもってしまった。ドラゴンともなれば自分など簡単に丸呑みできる。そんな存在が隣に居て、まともに飯など食えるとは到底思えない。


「食えるのなら大したものだ。……だが例えば、街中にドラゴンに首輪をつけて飼い慣らし、食事を与えていれば安心して自分も食えるだろう?ようは状況だ。自分がいつ死んでもおかしくない場所で、まともに食事が喉を通るものなどそうそういない。しかし自分が護られていれば安心して腹を空かせられる。人間にとって魔族は魔族、生まれてからずっとならばまだしも、今日から死ぬまでそうだとなれば誰だって早く死にたくなる。」


 ガブルはカルマの言に一切の反論が出来ず、ただ握り拳に爪を食い込ませている。


「……やはり、魔族と人間は、分かり合えないのでしょうか。」


「お前たちが人間の奴隷になれるのなら、そうでもないかもな。」


「馬鹿な!!それは共存とは言えません!!」


「確かにな。しかし事実だ。何せ、人間はお前たちと違って、一人で生き抜く力は持ち合わせていないからな。」


 カルマははっきりと、ガブルの理想は無理難題だとしらしめた。誰が悪い訳でもない、ただそれが理想で片付いてしまうほどに人間は弱い生き物なのだと、ガブルは拳だけでは物足りず鋭利な牙も噛み締めた。



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