シルエット攻防戦
第29話【幕間】水面に映る花びら
ある日、世界に「無」が生まれた。
それはただの気に留める事もない小さな点のような存在だったが、時が流れるにつれて膨らみ始め、やがて少しづつ日常を飲みこみ始めた。
部屋一つから家一つ、街一つから国一つを飲みこんでいったそれに、ありとあらゆる生が立ち向かうも虚しく、消えていった。
それを「死」と受け止めた者たちは怯え、「無」から逃れるべくそれぞれの居場所を奪い合った。
人、金、土地……やがて命の奪い合いに達したそれは、急速にお互いの秩序を脅かし始めた。生き残った者達は、ただ迫りくる「死」に怯える日々をもがいた。
ある者は立ち上がり、ある者は縋り、ある者は諦め、ある者は狂った。それは時間をかけてそれぞれの居場所を作り上げ……。
世界は、魔王と勇者によって分断された。あらゆる生が共存する世界と、己たちの築き上げた歴史の中で生きる世界、二人は同じ目的を持ちながらも、互いに道を分かち合ってしまった……。
そして、世界の殆どが「無」に飲みこまれた現在―。
夕刻、シルエット城最上階、王の間。入り込んできた西日に自らの体を透かす一人の淑女、その身は清く、佇まいは滴を弾く百合の花びらに勝るも劣らず。
ただ滅びゆくだけの世界を憂い揺らぐ瞳で見つめるのは、地平の先に広がる果ての果て。シルエット女王・シャルルは儚げに窓枠に指先をなぞらせた。
「……どうかなさりましたか?えらい寂しそうな目ぇ、しはってますけど。」
明るい花色を見立てた花火をあしらった着物の袖を翻しながら、王女の見据える先を心配するかのように、持ち物の扇子を広げゆったりと落ち着きのある声を嗅ぐわせる女が、別の窓縁から暮れる影を眺めている。
「仕方ない。力なき生の傘になるのは大変。アリシュアはもっと気を使うべき。」
その様子を、建物の柱の陰で見ていた黒いライダースーツの影が、かちゃりと腰に携えた二丁の銃のシリンダーを鳴らす。
「そないゆうてもなぁ、ネルはん?ここ来た時からずーっとこないな調子やさかい、流石に見飽きましたわぁ。」
アリシュアと呼ばれた着物の女は退屈そうに袖を遊ばせ、夕焼けにちらちらと光る粉を振りまいて遊び始める。
その粉を、たまたま通りがかった烏が浴びると、烏は突然軌道を変えゆらゆらと揺れ出し、そのままの勢いで壁に激突して、うめき声のような断末魔を上げて死んでいった。アリシュアはその烏の儚さに微笑んでみる。
「アリシュア、その粉は危険。住民にかかれば悟られる。不用心、禁止を推奨する。」
ネルと呼ばれたライダースーツの女は、足元に転がる兜を踵で踏みつけながら退屈そうに転がす。その兜にはまだ人の顔が残されていて、それは今でも叫んでいるような表情をして夢を見ている。
「ほんなら、お姫さんに試していただきます?」
アリシュアが窓縁から身を下ろし、歩いた跡に桜の花びらを残していくかのような足取りでシャルルの傍に寄り、その口元に指先を伸ばした。
しかし、それは何者かに手首を掴まれ遮られてしまう。
「やめんか。お前はここまでの計を無に還すつもりか?」
女にしてはあまりにも太く低い、その頑丈そうな声と手は間違いなく男性の物だった。
「あぁん、ヴォルドはんそないな怖い顔せんでおくれやす……。ウチかて悪気があったわけやないんやし。」
「そのメス特有の甘えた目をしてもダメだ。これは我々の今後に関わる。」
アリシュアは掴んだ手の持ち主であるヴォルドという男に、悪戯好きな子犬の弱そうな仕草を真似てみせるが、生憎それはよりヴォルドの眉間のシワを寄せる原因になってしまう。
「まぁ、せっかく協力して差し上げましたんに、おあずけなんていけずやわぁ……。」
伸ばした指先を諦めながらも、もどかしく下手に指を絡めて腰をゆらすアリシュアだったが、その些細な誘惑でさえヴォルドの屈強さで固められた鎧を貫くことはできなかった。
「魔王様に、この企みが露見する訳にはいかん。」
変わりに、ヴォルドがシャルルの顎に指を当て、それをくいと持ち上げる。成すがまま、シャルルは「んっ…///」とだけ甘い声を漏らす。
「我らが、この国の新たな王となるまでは。」
自らにシャルルを抱き寄せるヴォルドは、既に滅んだ地の方角を強く睨みつけると、その清らかな身に纏われた純白なドレスを引きちぎる。
そのさまに、二弁の桜の花びらは身体の奥底を高ぶらせながら目を閉じ、耳を澄ましていた。
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