第28話 私は生きている。
宇宙色の球体が蠢きながら、それが落下して、現れた一人の少女が膝を折って打ちひしがれている一部始終までを、少し離れた所で見ていたサディスとヘラ。腕をだらんとぶら下げたまま微動だにしない強敵に唖然としながらも、うねうねと地を這ってやってきた魔力体に気づく。
「おいサディス、身体を治せ。これでは動きにくくてかなわん。」
「え!?何っ!?目ん玉が喋った!?」
ぎょっとして飛び上がるヘラに、瞳孔に深々と風穴をあけられた眼球が不満げにぱちゅん、と魔力の波を跳ねさせた。
「……まったく、派手にやられたものね。」
「どうやら神経系が消滅すると痛みは完全になくなるらしい。話で聞く分には理解していたが、実際に見舞われるとまた違うものだな。」
「そう、よかったわね。ヘラ、悪いけどその子、借りていいかしら?」
「いや、これそもそもあなたの物だし……って言うかカルマなの?何それ?生きてるの?それを生きてるって言っていいの?」
サディスはもう慣れたと華麗に流して、ヘラに渡した元自分の杖を要求する。それに対しては何もないヘラだったが、あまりにも無残なカルマの姿に、自分の持つ生物に対しての価値観がおかしいのか、と困惑した様子でカルマをつつく。サディスが何でもないように振る舞うから余計にだ。
「お前が生きていると思えばそうだし、そうでないならそうでない。」
「えー……なんか理解が追いつかない。」
そんなヘラに、カルマは眼球を魔力帯で覆い、サディスは携えた胸を抱きかかえながら、共に呆れた様子で溜め息を漏らす。
「本当にポンコツだな。」
「まったくの
「私ってずっとこの立ち位置なの?」
どうしてアホの子扱いされているのか、納得できないヘラだったが何も言い返せず肩を落とす。
一行は、まるで何事も無かったかのような和やかな雰囲気に戻った。
しかし、その少し向こうでは死んだように股を土につけてうなだれる少女、また少し離れた後方では多くの犠牲を生んだサディスの一軍、そして一行のすぐ側には、健闘するも見るも無惨にやられた、痛々しい傷と流れ出た血でその戦いの激しさを語るガブルがいる。そしてシルエット城門前には、少女によって屍の山となった兵隊たちの姿もある。
―この世界に、救いはあるのだろうか。
激しい戦いの当事者たち、その中心に立つ男が、最後に自らの使命と戦い敗北した少女の前に立つ。セミの抜け殻の方がまだ凛々しく見えるそれは、もはや死んでいると言われても相違ない状態だった。
「……それで、お前はいつまでそうしているつもりだ?」
無常な言葉に欠片も反応せず、本当に死んでしまったかのようにぴくりとも動かない少女。
しかし、瞳から絶え間なく流れ続ける涙が、まだ彼女は生きているのだと証明している。それを手掛かりに歩み寄ろうとカルマは模索するが、手持ちの手札ではどうにもなりそうにない。
手に入れると踏み込んだものの、その手段は無いにも等しかった。
「さて、どうしたものか……。」
この世界に来てからはことごとく人の限界に苦労させられる。生まれついた環境も、この世界で得た力も、出会った人間達も、そこには際限があり、またどれだけ思考を深めても思った結果が出るとは限らない。別に前の世界でそれがなかったかと言われればそうでもないが、この世界ほどではない。
サムスは、世界を救えと言った。しかしこの世界はどう考えても救えるものでは無い。人は疲弊し、魔物は怯え、争いは絶えず、生にしがみつくものの命の奪い合いがあるだけ、手段は選ばずとも本質はそうだ。もちろん、自分だって例外ではない。
だからこそ、カルマは「救済」の意味を考える。ここは、ただ「弱きを助け強気を挫く」だけでは救えない。ならば自分が成すべきことは何だ?何をもって世界を救う?どうすれば世界は救われる?その問いを、サディスにも、このNST-001にもぶつけた。そして、返ってきた答えはこれだ。サディスは行動を共にし、NSTはこうして打ちひしがれている。
これが、救済なのだろうか。
カルマは今一度、この世界に来てからの己を見つめ直す。
瞼の裏に映る光景に、その意味を問い続ける。
そして、その目に映る景色をもう一度、今この瞬間に戻す。
「……サディス、聞きたいことがある。」
「……何かしら?」
背を向けたまま佇むカルマを、胸騒ぎを押さえつけながら見つめる。
「この世界に、奴隷魔法はあるか?」
その言葉に、身体を僅かに跳ねさせたのはヘラだった。平然とするサディスは、精霊魔法で疲弊した体からなんとか声を捻りだす。
「あるわよ。但し私は、相互の契約に基づいた「主従奴隷契約」しか知らないわ。相手の意志を無視して行う「強制奴隷契約」は教えられない。……なぜって、それを私も知らないからよ。」
「そうか。ならその主従なんたらでいい。教えろ。」
間髪入れずにカルマは要求する。が、サディスはその期待に応えようとする様子はなく、寧ろ視線をヘラの方へ移した。
「……申し訳ないけど、知ってるだけで使えないのよ。その魔法には「魔方陣」が必要だから。」
その言葉に、場の空気が一点を軸にして振動した。その一点とは、ヘラが自分の胸を抱きしめながらしゃがみこんでいる様だった。
「……何をしている?」
カルマの言葉に、ヘラの体がビクンッ!と飛び跳ねた。
「い、いや、その……。」
「何を怯えている?それよりもヘラ、お前なら奴隷魔法を使えるのだろう?」
「っ……でき……るよ。一応……。」
ヘラは躊躇い気味に頷くが、その形相は青ざめ、手指に不自然な力みもあってぎこちない。ヘラの中で、瞼を閉じれば蘇る映像と現在を重ね、危惧する事態になる警鐘が鳴っていることをカルマは知らない。
もしそれを教えれば、カルマがそうなってしまうのではないかという不安がヘラの中にはある。もしそうなれば誰も止められない。カルマにはサディスを圧倒し、力の差を見せつけられた少女でさえも打ちひしがれてしまうだけの強さがある。そこに奴隷魔法などが加われば、間違いなく世界を支配できるだけの力を持ってしまう。
できれば、カルマにはそれを使ってほしくない。仲間として、恩人として、自分が一生の嫌悪を抱き続けるあんな奴らと同じになんてなって欲しくない。
「なら教えろ。それともこんな時でさえも役に立てないのか?」
「そっ……その言い方はどうかと思う!!」
やたら威圧を高めるカルマに対して、ヘラの不安はさらに膨れ上がる。
「奴隷魔法は、ただそれだけで一人の人間の人生を奪うのよ!!例え知っていてもそうそう使おうと思わないし、そもそもこんな魔法があること自体が間違いなのよ!!誰だって自由に生きて、自由に判断する権利があるの!!それは世界がどうであろうと変わらない、人間が人間であるために必要な権利なのよ!!それを踏みにじろうとするなんて馬鹿げてる!!おこがましいにも程がある!!」
それを吐き出すように爆発させるヘラは必死に叫んだ。かつて自分が受けた仕打ちを、その辛酸な日々を、もう他の誰も知らなくていいように自分は立ち上がったのだ。
「私はそんな人たちを救うために勇者になったの!!それなのに、そんな歴史を繰り返す一端になるなんて、自分が自分じゃなくなったってお断りよ!!」
涙、唾、鼻水、汗。体の至る所から汁という汁を垂れ流しながらも、怯え、触れえあがった体で声を大にして叫び続けるヘラ。
サディスは、それに虚ろな表情をして俯いていた。それが決して他人事ではないからだ。魔王の側近として動く彼女ですら、その一端の原因を作り上げてしまっている節はある。戦争の犠牲者は、生死に関わらず、また老若男女問わず生まれているのだ。それを一軍を統率し大事にしている将が、なんとも思わないはずがない。しかし、それはどうしようもない事なのだ。それこそが戦争なのだから。
だが、背を向けていたカルマがヘラに向かって歩き出した時、サディスのそれとはまったく違うものをしていた。
それを見たヘラが、心の底から恐怖を感じる程度だった。
「……お前は奴隷だったのか?」
「……そうよ、私は元奴隷よ!!もっと言うならば娼婦だったわ!!幻滅した!?こんなちんちくりんで娼婦だなんてふざけてるでしょ!!でもここはそういう世界なの!自由を奪われ、命を弄ばれ、そこにいる意味を決めつけられる!!そうしてできてるの!この世界は!!」
カルマは、たかだか疑問一つで感情的になり過ぎだと感じていた。しかしヘラの言う事が嘘には聞こえない、それこそが全てなのだとも思えた。
だからこそ、この腹の奥からくる蟠りは、この女にぶつけるしかないのだと決められた。
その額を掴んで無理やり抑え込み、寝転がった身体に覆いかぶさるようにしてやると、ヘラの体の震えがより一層強くなり、カルマの心臓にまでそれが伝わってくる。
「お前は馬鹿か?その奴隷という立場に護られていたのはどこのどいつだ?これだけの力を持っている俺でさえ、お前と出会う数時間前まで、主人に死にぞこないの家畜として飼われていたんだ。たかが犬三匹で死にかけていた阿呆が、どの口で自由を語るんだ?その自由が命あってのものだとどうして気付かない?」
真っ直ぐで、冷たく、揺らがない意思を持った黒い瞳。
真っ直ぐで、熱く、炎のように揺れ動く黒い瞳。
その二つは相対し、同じ未来を目指している。しかし辿り着く先は違う。お互いはお互いの瞳を通してその先を見つめ合っていた。
「聞こう、自由とは何だ?その先に俺達が望むものはあるか?否だ。お前が持つべきだと主張した自由、その結果が「ナムナク村」だ。彼らは自由の末に破滅した。
今でも鮮明に思い出せる、二人が救った女は、ただ怯える様にうずくまり唸っていただけだった。あれが絶望なのだ。あの姿こそがこの世界の象徴なのだ。ただ力に屈するしかなかったのではない。刃向かうことに意味を見出せなかったのだ。そして女は二人に救われた後も、礼や苦言の一つも言ってこれなかった。カルマが捨てとけと言ったのは、もう手遅れだったからだ。
カルマとて、それに何も思わなかったわけではない。だからこそ、それが非人道的だとわかっていても、一人の少女を救おうとしているのだ。もう二度と、手遅れにならないように。
その意味に気づいたヘラは、カルマに何も言い返せなくなってしまっていた。それをいいことに、カルマは更に言葉を続ける。
「あの時、お前は「なぜ死ななければならなかったのか」と言ったな。ならただ死を待つだけの生に何の意味がある?いいか、「生きる」とは「生み出す」ことだ。だが「死ぬ」には「死ぬ」しかない。「失う」ことは「死ぬ」ことではない。ただ「失った」だけに過ぎないのだ。そして今、そこに「生」を「失った」存在がいる。奴には「生きる」意味が無くなったのだ。だからこそ、与えてやらなければならない。「生きる」意味を与えてやらなければ今ここであいつは「死ぬ」。「生み出す」ことができずに今「死ぬ」。お前は勇者なのだろう?ならば救え、例えどれだけ闇に堕ちても、それで世界が救えるのならそうするのが勇者だろう!?」
それはカルマにとって、他人に見せる初めての激情だった。彼がどうしてここまで死に固執しているのか、その理由は彼だけにしかわからないものである。しかし、だからといって決して命を軽んじているのではない。彼なりの「命の美学」があるからこそ、その終着点である死にこだわり、求めつづけるのだ。
それは一見すれば狂気でしかない。だがそれこそがこの世界を救う鍵になりえるものであると、傍目で見ているだけのサディスでさえ充分に感じられるのであれば、それに直に触れているヘラには容易に伝わる。
ヘラは、少女とはまた別の意味で打ちひしがれていた。ただ魔王を倒せば世界を救えるなどと甘ったれていた自分では、到底及びもしない価値観をカルマは持っていた。それでは話が合わないのも当然だ。自分の考える世界の救済は、彼の何万歩も浅はかだ。
「なんで……あんたは表情一つ変えずにそんな事が言えるのよ。」
「そんなものなくても伝わるだろう。いや、伝わらなければ本物ではない。」
何と知れぬ液でぐちゃぐちゃのヘラの表情が、流れ出てくる涙で更に汚らしくなろうとも、カルマは顔色一つ変えずその先を見据えていた。
「さっさとしろ。こうしている間にも世界は着々と滅んでいる。」
「……わかってる。でも、一つだけ約束して。」
「……なんだ?」
「絶対に、世界救ってよ?」
ヘラは至って真面目だが、カルマにとってそれは余りにふざけた約束だった。
「死んでも救う。でなければ死ねないからな。」
カルマがごく自然にそう断言すると、ヘラはそれだけでもう救われた気になって、涙が止まらなかった。
そしてその涙で塗れた手を打ちひしがれうなだれているNSTに向かって伸ばすと、NSTを中心に円の魔方陣が三重に展開された。
「……術式は組んである。あの子の、体のどこか奴隷の印を刻みたい場所に魔力を流せば、あとはあの子の意思次第で契約される。」
「そうか、楽でいい。」
「言っておくけど、ちゃんと「主従奴隷契約」にしてあるからね!?間違っても「強制奴隷契約」なんて使わせないんだから!!」
「誰もそんな事は聞いていない。」
ヘラの減らず口に蓋をして、カルマは魔方陣の中に足を踏み入れ、少女と向き合う。
少女は変わらず、全てを飲みこんでしまいそうなほどの暗さで世界を見つめながら打ちひしがれている。まさしく、死んでいる状態だった。
「……やはり、美しいのは死ぬ瞬間のみか。」
激闘を繰り広げた少女の影は無く、関節などちぎれば取れてしまいそうなほど人形らしい姿。カルマはそれを、遠回しに醜いと切り捨てた。
そして、その人形の胸元に軽く人差し指を当てる。
「お前がどう生きて、どうすればいいかは、今後すべて俺が決める。お前はただ俺に従い、俺を主として忠誠を誓えばいい。それこそが、この世界を救う術になる。」
返事はない。だがカルマが当てた人差し指に向かって、展開された魔方陣が幾重にも収縮を繰り返していく。
その様子は、一瞬の漏れも無く少女の瞳の中に映る。
「俺と共に、世界を救え。」
言葉が、空の人形の中を反響する。収縮を繰り返した魔方陣が、徐々にその勢いを弱めながら人差し指の点に集まっていく。それは、まるで少女の心臓の鼓動を体現している様に反復し、呼び寄せられていく。
生きる意味、その問いの答えを―
―人形ではなく、人間として求める。
「了解しました、主よ。」
目に宿った光、それは胸元に輝く忠誠の証にも引けを取らない程に輝き、強さを感じさせる。
立ち上がる少女の凛々しい姿に、カルマは救済の始まりを予感して、綻んだ。
「今日からお前は「タマ」だ。
主人の初めての命令に、タマは無表情にこくんと頷いた。
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