第27話  私は生きている?

 真っ暗、とまではいかない、僅かな光だけを頼りにした空間の中で、少女は主から与えられた唯一の武器を握り締めていた。


 突如として起きた大爆発の後、気が付いた時にはここにいた。今必要なのは、ここはどこで、何を殺せばいいのかのそれだけ。与えられた命令だけをこなすことしか頭にない少女には、それで充分だった。


 ただ不気味なのは、今自分が立っているのか座っているのか、目を開いているのか閉じているのか、前を向いているのか後ろを向いているのか、そういった当たり前のことを認知できないのである。つまりは、今自分が何をしているのかもわからず、されているのかもわからないということ。ただ薄暗いじめじめした空間にいるということ以外、認知できないのである。


 打開策も見つからないので、少女はただじっとしていた。何をすべきかわからないのなら何もしなければいい。そういう無機質な思考だった。


 すると、どこからか重々しく気泡の弾ける音がした。そして目の前には、先程焼き尽くした白髪の少年が、首が繋がった状態で現れた。


「待たせた。さぁ、続きをしよう。」


 少年は、とても楽しそうに笑顔を浮かべる。


 その瞳が笑わずとも、それが笑顔だとわかる。


「……疑問、現在位置が特定できず。情報の提供を要求。」


「いい加減そのロボットぶった喋り方をやめたらどうだ?」


「……疑問、私は主により作製されたアンドロイド【NST-001】。プログラムに乗っ取った会話コマンドのため、変更不可能。否定について困惑。」


「なるほど、やっと自分が何者なのかを喋ったか。」


「肯定。しかしこのような質問を過去に受けた例がないため、必然と思われます。」


「ふむ……じゃあ、どれぐらい精巧に作られているのか試してみよう。」


「……危険予測判定。」


「心配するな。俺はここでお前に斬られるだけだ。もっとも……、」


 カルマはゆっくりとその足をNSTに向け、その目前まで近づいた。


「それで、俺が死ぬことはないがな。」


「……脅威度SSに引き上げ。再度削除を実行します。」


 NSTが二刀を握り直したのとほぼ同時に、二人の空間に光が広がってその姿があらわになった。


「【烈風】。」


 発声と共に甲高い金属音を巻き上げながら鋭い刃を装った風が刀にまとわりつく。振り抜かれた二刀は幾重にも残像を描き、カルマの体を容赦なく切り刻む。


 しかしカルマの体から吹き出るのは血ではなく、宇宙色の魔力。カルマは余裕の表情を浮かべながら、自分の体がNSTに刻まれていくのを眺めていた。


 そして再び、首から上が宙を舞う。


「【焦炎】。」


 充分に粉々になったのを確認して、再びその肉塊を業火で灰にする。だがその残骸は土に還らず、代わりにどこからか湧き出た無数の蛇の群れの餌となり、NSTの四肢や胴体目がけて絡みつき、動きを封じた。関節を曲げる程度の余力はあるが、それでもこの地点からの脱出は不可能に近い程度まで追い込まれる。


 完全に拘束され、身動きの取れなくなったNSTは、悟ったように抵抗をやめ、愛刀たちを空間の中に落とした。


「……【自爆プログラム、実行】。」


 そして、仮にこれ以上打開できない状況が生まれた時のための、最期のプロセスを実行するコマンドを唱えた。


「……まずいな。」


 その様子を見ていたカルマが呟いた。蛇たちを向かわせ、上昇するNSTの体温を鎮めようと至る所に巻き付いて冷却する。


 しかし温度の上昇が止まらない。既に少女は意識を失い始めている。


「……仕方ない。体の中へ入るか。」


 カルマは自分の体の一部を取り込んだ蛇を仕向け、NSTの口を無理やりこじ開けて蛇を中へ押し込んだ。


「んごごおおっ!!」


 NSTの苦しそうな嗚咽をものともせず、カルマの魔力がその体を駆け巡っていく。その感触は蛇を通してカルマに伝わる。カルマは感覚を研ぎ澄まし、自爆装置らしきものを探し続ける。


(……これは、紛れもなく人間の肉の感触だ。やはりこれはアンドロイドなどではない。だがだとすればこの不可解な体温上昇は何だ?)


 カルマが感じているは、あまりにも機械的で無機質なそれとは違っていた。それでほぼ確信は得られたが、だとすればこの体温上昇現象に説明がつかない。


 探せ、どこかにあるはずだ。きっとNSTも知らない何かが。カルマはそれを信じ続けてNSTの内臓を駆け巡る。


 そして蛇が腹部に到達した、その時だった。


(……これは!?)


 カルマはその感覚に瞳孔を広げた。それは明らかに、人間のそれではないものが感じられたのだ。


(こいつ……なんだこれは。間違いなく魔力ではあるが、明らかに俺達が持っているそれとは違う。これが発熱の原因で間違いない。だが……。)


 自分が普段使っている魔力やサディスやヘラから受けた回復魔法の感覚とは全く違う、触れればすぐにそれが異形のものだと自覚できる素体。


 カルマの中の知的好奇心が狂ったように歓喜して、もう待ちきれないという様子で垂涎している。


(やはりここで失うのは惜しい。とにかくこれを吸い上げれば収まるか?)


 カルマの蛇が、NSTの熱減退に牙を立てた。牙を伝ってゆっくりと吸い上げるイメージを確立し、再び神経を研ぎすます。


「んぐっ……あ”っ”……がああああああああっっ!!」


 おおよそロボットの物とは思えぬ悲鳴をあげるNST。その体の内では全身の血管を抜き取られるような感覚に苛まれている。徐々に熱は下がり、巻き付いていた蛇たちの力も一層強くなっていく。


「あ”あ”っ……あ”っあ”っあ”っ……あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ”っ”!!!」


 軋む関節、強張る筋肉、全身で感じるその激痛は、普通の人間ならば既に死んでいてもおかしくないほどの量、それでも意識を保ち悲鳴を上げ続けることが、彼女がアンドロイドたる確証だった。


 やがて体の熱はすべて奪われ、体の中から蛇を抜き取られるとNSTはぐったりと巻き付かれた蛇たちにぶら下がった。


「………っ、手こずらされたものだ。」


 静かに息を吐いて整えたカルマが、頭首を蛇に運ばせてNSTの目前に寄った。


「……自爆失敗。再度、対象の排除を……殺害を……。」


 NSTの目に映るのは、目的。ただそれだけだった。再び握られた刀はカルマへと剣先を向けている。


「……一つ、聞こうか。」


 そんなNSTに、カルマは呆れの眼差しを向けて呟いた。


「お前はずっと、その主とやらに命じられて「殺して」来たんだろう。だが、俺にはそれが少々懐疑的だ。なに、その命令に従う事じたいはもはやどうでもいい。それはもう、お前自身の信念になりつつある。だからそれでいい。」


 まるでNSTの行いを肯定しているかのような言葉。そして剣先は迷いを見せたように立ち止まっている。


「……だが、お前はそれで、何を殺せたんだ?」


 代償に、その一言がNSTの胸を貫いた。


「【破嵐】。」


 技名と共に三枚に下ろされるカルマの顔。バラバラになったパーツはびちゃびちゃと音を立てて散らばった。


 しかし擦り落ちた眼球が、ぎろりとNSTを唇を噛み締める姿を捉える。


「お前は何を殺せた?ただ肉を切り裂き、焼き、無に帰しただけで、お前はそれを殺せたのか?悲鳴を上げ、血を撒き散らし、無残に肉塊をばら撒いた存在は、本当に殺せたのか?」


 NSTは立ち上がり、未だ悪あがきのように声を発する眼球を串刺しにした。


「肯定。対象の熱源反応は消失。活動停止も確認。以上の事から「死亡」と判断できます。」


 毅然とした態度でそう言い切るNST。だがカルマはそれを嘲笑う様に別の眼球で見つめる。


「本当にそうか?ならお前が定義する「死」で俺を見てみろ。」


 挑発を続けるカルマに対し、NSTは信念をもってその瞳で見つめた。カルマの存在は、確かに自分の定義する「死」の条件と一致している。熱源反応はなく、また活動している物体もない。あるとすればこの独りでに蠢くこの眼球。ならばこれが最後だと、同じようにその眼球も串刺しにした。


「……これで、あなたは「死ぬ」……。」


「本当にそうか?」


 眼球の傷口が、まるで喋り出したかのように開閉した。


 その直後だった。空間内で立ち昇った蛇が、次々と人の形へと変わっていく。そして色は宇宙色そのまま、顔のくぼみや指先に至るまで、カルマそのままの姿を模した人形が何十も出来上がりNSTを囲む。


「……疑問…疑問疑問、疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問疑問……。」


 異常な光景に包囲され、半ば壊れたように「疑問」を連呼するNST。その音声はノイズを混入させたかのように震え、四肢は冷静さを失い小刻みに振動している。


「俺の声が聞こえるか?俺の足音がわかるか?俺が認識できるか?」


 両手を伸ばし、のろのろと自分に迫ってくる宇宙色の人形。それに殺意も、熱源反応もない。だが確かにそれは動いている。


 NSTわたしに、迫ってきている。


「【破嵐】!!……【烈風】!!……【焦炎】!!」


 持てる全てを持って近づくそれを排除しようとする。だが四肢を切り落としても、細かく刻んでも、焼き尽くしても、それの歩みは止まらない。


 やがてNSTの抵抗も虚しく、手首を掴まれたのを始めとして、瞬く間に体中を掴まれ動けなくなり、動きを封じた人形たちが、ドロドロと溶けて自分にまとわりついてくる。


「ぐっ……あああっ……あああああああああああああっっ!!」


 人形らしくもない少女の慟哭。それは紛れもなく無抵抗に襲われる女の姿だった。


「対策を検索……該当なし!打開策を検討……該当なし!再検索、再検索、再検索、再検索……。」


 それは少女の最後の抵抗、NST-001としての存在証明、そうすることだけが必要で、最良の選択。

 しかしそれは、目の前に現れた男の顔で脆くも崩れる。


「いい加減気づけ、お前は人間だ。ただ傷一つつかず、与えられただけの存在を全うしてきただけで、お前も例外なく意思を持った存在なんだよ。どれだけ殺そうと、どれだけ消そうと、それはお前自身の選択で、同時にお前が生きている瞬間だ。お前が奪った命は、全て「お前が奪った命」としてこの世に生き続ける。決して死ぬことはない。永遠に生の呪縛から解き放たれぬまま在り続ける。お前は何も殺してなどいない。救えてなどいない。皆留まり続けるだけだ。「生きていた」という鎖から、永遠に解き放たれることがないままな。」


 深く、朱い瞳は少女の魂を吸い寄せていく。意味もわからないまま震え続ける自分の体に、誰よりも少女自身が混乱していた。


「もう一度聞こう、俺は死んだか?肉体を失い、熱を失い、ただの魔力の塊となった俺は今、死んでいるか?」


 少女の思考回路は既に焼き切れていた。自分の知る全てではその存在を顕現できない。しかし確かにそれは存在し、今私の事を苦しめている。


 私?私とは何だ?個体名「NST-001」か?違う、「NST-001」は意思を持たない。命令通りに動くだけのただのアンドロイドだ。なら私は何だ?それはどんな存在だ?それは何という名前だ?


 もし、もしこの男の問いに答えてしまえば、私は私でなくなってしまう。なら「私」とは誰だ?「私」とはなんだ?「私」は?「私は―……。」


「……対象の、生存を確認。」


 そう、これは生きている。今自分の目の前にいる存在は紛れもなく生きている。なぜ、何故死なない?頭を落としても、四肢を切り落としても、肉体を刻んでも、焼却しても彼は死ななかった。今もこうして生きている。


 なぜ?なぜ生きている?どうやったら、対象は死ぬ?


 少女の中はもう、どうしたら「殺害できる」のかが理解できなくなっていた。


「……現時点で、主の命令は不可能と断定。命令不遂行により、機能を停止します。」


 深い深い宇宙の中で、少女は全身の力を抜き、その瞳を開いたまま静かに眠りについた。輝きを失ったその瞳は、今も一点を見つめている。


 その様子を、ただ一人が形無き姿で見つめていた。


「まったく……女は総じて手がかかるから面倒だ。」


 愛想のない一言の後、少女の瞳から涙が一筋、頬を伝っていた。

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