第18話  カルマの救済

 難しい言葉の選択を迫られている。ここで何かを言ってしまえば、その先はその通りに動き始めるだろう。


 彼はなす術も無く私の攻撃を受けていたのではなく、ただ私を試して嘲笑っていただけだった。

 -そして、次は自分が嘲笑われる番だ。


 そうではなく、私の本気がどんなものなのかを見たくて、それが予想以上で今は虚勢を張っているだけだ。

 -しかし、私の手の内はほぼすべて曝け出した。対して彼はまだ何かを隠している。


 ならば、彼は今ととてつもなく消耗している。この瞬間が最後のチャンス、これでとどめを刺す。

 -顔面半分を吹き飛ばし、脇腹を抉って出血量も酷いのに立ち上がる奴のどこに、とどめになるであろう一撃を当てればいいのか。


 サディスが勝利する筋書きは、もう全て失われていた。死を告げる瞳・百式ワンハンドレッド・レーザー・アイはサディスの持つ攻撃魔法の中で、最も効率的に火力を集中させた一撃、それをまともに喰らって形が残る相手など数えるほどしかおらず、ましてや立ち上がるなど現魔王でもどうかという攻撃力だ。


 ただサディスの中にも気がかりな事はあった。先程の応酬の中で、彼はただの一度も、私にダメージを与える一撃を打ってきていない事だ。


 どっちなのか、ということだ。単に攻撃できる手段を持っていないのか、あるいは出し惜しみをしているだけなのか。


「考え事は終わったか?」


 見上げられるサディス、しかし気分はまるで見下ろしている気になれない。これだけボロボロにされても顔色一つ変えないその余裕に―


「なら、いくぞ。」


 目の前に圧迫感、しかしそれに気づいたのは自分の体が遙か後ろに跳ね飛んだ頃だった。


(ッ!!?)


 思考を全てかき消す刹那、先程の一撃の余波がまだ残っているうちに、カルマの正拳がサディスの目前まで迫っている。


 しかしこれは反応できる、僅かに目で終えたのが幸いし、カルマの正拳はサディスの左頬を掠める程度にしかならなかった。


 その直後である、サディスの右頬に衝撃、顎を揺らし視界をぐらつかせるほどの強烈な一撃がねじ込まれる。だがカルマの体は正拳突きと共に右に反れている。とても逆方向からカウンターを打てるような位置ではない。


(一体どうなってるの!?どうしてこんな方向から攻撃が……)


 しかし考える間もなく、直後に右脇、右腕、右わき腹への打撃、そして左腕を掴まれなす術も無く放り投げられる。


「……ぐぁっ!?」


「啼いてる暇はないぞ女ァ!!」


 投げられた勢いそのままに、背後に立ち昇った蛇の宇宙に叩きつけられ、そのまま身体を拘束される。失いかけた意識をようやく取り戻すと、既に目前まで迫ったカルマが渾身の正拳突きでサディスの鳩尾を抉る。


「があぁっ!!」


 ミシミシミシッ…と鈍い音を立ててめり込んでいくカルマの拳。


「ッ……【ファイア・ブレス】!!」


 身体を押しつぶされそうな圧迫感の中、サディスは潰れそうな肺から息を絞り出し、詠唱した呪文どおりに口から火炎を吐き出してカルマをけん制しようとする。カルマもこれ以上の体へのダメージを避けようとそのブレスを後ろに飛んで回避する。


 ボロボロと綻んでいく顔右半分、カルマはその剥がれたクズを手の平に救うと、あまり機嫌の良くない表情をして見つめた。


「ふむ……あまり遊ぶのはよくないか。」


 カルマが離れたことにより拘束を解かれたサディス。しかし拘束されていた方がよっぽどマシなぐらい、脚は震え、立っているのがやっとだというようにダメージを負っている。


「……一つ、この戦いの中で分かった事がある。魔法は、恐らく魔力を消費して、己の想像する姿に変化させる手段の総称なのだ、と。つまりは、発動者のイメージ次第でどうとでもなるわけだ。違うか?」


 外見の損傷では酷い方のカルマが試すような笑みでサディスに問いかける。


「……厳密には違うわ。それはあくまで手段よ。魔法の事を知りたいのなら後でその娘に聞くといいわ。今の私にはあまり余裕が無いの。」


「ほう……、お前の方が詳しそうだが、そういう訳にはいかないか。敵に塩を送るのは怖いか?」


「塩一つ枯らせば消えてくれるならいくらでもそうするわ。そうじゃないでしょ?なら私がしなくてもいいと言っているの。」


「……なるほど、賢明だ。」


 カルマはそう頷くと、足元に湖を展開して、そこから二匹の宇宙を模した蛇を立ち昇らせる。


「気持ち悪い色をしている割には毒が無い利口な下僕だ。なかなか使い勝手がいい。」


 サディスは戦慄していた。膨大な魔力量を誇るあの蛇を、あの男は平気な顔をして生み出してくる。魔法は消化するより維持する方が魔力の消費は大きい。自分や小娘が魔法は威力こそすさまじい物の、使い方を間違えなければそれなりの消費で済む。だがあの男のあれはそうじゃない。頭が悪い上に高威力だ。もはや力の差は決定的だ。


「……まだよ!まだ終わりじゃないわ!!」


 だが、それでもまだ終わる訳にはいかない。サディスは両腕を広げ、地中に向かって全ての魔力を注ぎ込む。それはサディスの最終奥義にして最大魔法、そして何より頭の悪い攻撃手段。


「これが「四楼・摩天楼」の全力よ!!お前の蛇なんて恐るるに足らないわ!」


 サディスの歪んだ笑みと共に、地中から続々と這い出てくる物体。盛り上がったつちから見せたその姿は腕、肉が朽ち果て所々骨が見え隠れする、いわば人間の屍だった。やがてそれが数百、数千と場に立ち並んだ時、この場は生ける屍が彷徨う古戦場と化していた。


「【共食いの宴|《ネクロマンシア・カーニバル》】!!さぁ行きなさい凡愚ども!あの男を蹴散らせ!!」


 サディスの号令と共に、白目を剥いたまま真っ直ぐに向かっていく死体たち。


 だがカルマは動じる様子一つなく、むしろその大衆を見つめて何かを考えている。


 そして今、自分でも思いついたことに反吐が出そうなほど狂喜する。


「そうか!!それがお前の「信じるもの」か!!いいだろう、ならばそんなものが何の役にも立たないことをこの俺が教えてやる!!」


 カルマはそう叫ぶと両腕に自分の魔力を集中させた。二匹の蛇がカルマに近づく死体に応戦するが、どれだけ体を砕いても復活してくる相手と数の多さに圧倒され、なす術も無く押さえつけられ霧散してしまう。


「無駄よ!これで滅ばなかった国などないわ!お前はここで終わりよ冒険者!!」


 蛇を圧倒したことに嬉々として叫ぶサディス。しかしカルマは動じることなく、ただ両腕に魔力を集中する。


「……ハアァッッ!!」


 そして、両腕を包み込んだ魔力を死体たちに向かって放射状に放つ。延々と広がり死体たちを貫くカルマの邪悪な衝撃波。死体たちの動きが止まり、戦場に怪しい空気が立ち込める。


「……何?そいつらには何をしても無駄よ?どんな攻撃を受けたってすぐに再生する…。」


【ギイイイヤァアアアアアアアアアアアアアッ!!】

【ウガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】

【ピグェエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!】


 その直後だった。死体たちが一斉に頭を押さえて泣き叫び、あろうことか痛みに悶える様にその場に転がるものまで現れ始めたのだ。


「なに?何よこれ……一体何がどうなっているの!?」


 謎の現象に恐怖したじろぐサディス。そんな主の姿をぎょろり、と見つめる死体が一人、また一人……。


「な……何よお前たち?」


 そしてゆっくりと、サディスに向かって歩き始める。


 カルマの左頬が、大きく歪んだ。


「なぜ……なんでこっちに来るの?違うわ、敵はあっちよ!どうして…いや、来ないで…来るな!来るなぁっ!!」


 目の前で何が起こっているのかもわからずにただただ怯えるサディス。だが無慈悲にも死体たちは我先にと、サディスの腕を掴み、脚を掴み、動きを封じていく。


「や…やめっ、誰か…誰か助けて!!いや!いやあああああああああああっっ!!」


 やがて死体たちはサディスの体を完全に抑え込み、押しのける様にサディスの体を求めて貪り合う地獄絵図。サディスは死体の群れの中に完全に埋もれ、その嬌声はどこにも響かないまま地面に埋もれていく。


「ははははははっ!!美しい…実に美しい姿だ!皆が死から解放された喜びを糧に、主に尽くそうとする姿はまさに絶景だ!素晴らしい!素晴らしいぞ!そして主はあたかもそれを裏切られたかのように泣き叫び、下僕の忠誠心の前に悶絶している!あぁ素晴らしい!こんな光景は前の世界では見られなかった!これが、これが死を求めたものの末路!その永遠の罰だ!その罪を償う姿は実に美しい!はははっ、ハハハハハハハハハハハハハッッ!!!」


 カルマの心臓は高鳴っていた。自分の楽園が今まさに目の前にある光景だと、ひどく興奮していた。悪趣味だと言われ誰にも理解されてこなかった考えが、今まさに正しい事なのだと証明されている結果が目の前で執り行われている。


 理想が叶った瞬間の興奮を、一体誰が抑えられようか。


 カルマは、この世界に来て初めての充実感を噛み締めていた。しばらくそれを眺め、朽ち果てた体の山から時折伸ばされる綺麗な肌に恍惚しながら、その忠誠が止むのを待って柄を握っていた。


 -かれこれ、三十分は続いただろうか。


「……ぅう……あ……。」


 死体たちに抱かれ、四肢にまとわりつかれたまま呆然とするサディス。そこにはもう先程まで誇り高く戦っていた姿はない。ただの消耗しきった木偶人形だった。


 カルマはその喉元に剣先を当て、サディスの瞳をじっと見つめる。


 サディスの瞳は、酷く暗くて深かった。全身から血の気が失せた今でも、喉元に当てられた剣先に体が震えている。


「……ふん。」


 カルマは、剣先を落として背を向けると、そのままヘラの下へと歩こうとする。


「……なぜ、殺さないの?」


 満身創痍の中、サディスはカルマの背に問いかけた。それにカルマは、相も変わらず無頓着に吐き捨てる。


「死に怯えた輩など、殺す価値はない。」


 その言葉に、全身から震えが消え去り、死体たちも土に還っていく。


 ヘラの隣に座り込んで腕を組んで眠るそぶりをしたカルマ。その場に残されたのは自身の力の全てを持って力尽きた少女と、己の全力を持って敗北し安らかに眠る魔女、そして激しい戦いを物語る瓦礫と抉れた地形のみだった。

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