第17話 摩天楼を飲みこむ狂気
一番最初に驚いたことは、それを目の当たりにした瞬間に、自分が膝から崩れ落ちてしまった事だ。
自分の得意な結界魔法を、こうも度外視された方法で自ら解除することになるとは夢にも思わなかった。ましてや「四桜」と呼称された魔王の側近、その最も近しい立場にある自分が、自分の得意な分野で自ら負けを認めるような行為に走るなど、夢にも思っていなかった。
溢れ出る魔力、それが色を顕現して脈を打つだけで、その存在の強さは圧倒的に表現される。ただし、それはせいぜい存在を中心に円を描いて広がる程度。我らが魔王でも、その面積が比較にならないだけで形式は一定を保っている。だが目の前のそれは違う、円になるまではいい、問題はそこから更に魔力の束が、まるで大蛇のようにうねりながら天へと立ち昇っている。それも一匹二匹なんて数じゃない。目視では数えきれないほどの数が空を埋め尽くそうと蠢いている。
次元が違う。一目でそうわかった。熟練した魔法使いであればあるほど、その異常さが肌身に感じられるだろう。
次に驚いたのは、これほどの絶望感を見せつけられているのに、身体に一切の恐怖が無い。体がすくんで震えないのだ。
サディスはその理由に気づいてしまった。最早ここまで差がついていれば戦って勝つか負けるかの話ではない。戦えるか、戦えないかだ。無様にやられて敗北するか、そもそも勝負にならず一方的にいたぶられるか、その二者択一だ。最早逃げる事すら叶わない。
だがそれに気づいた途端に、全身におぞましいまでの恐怖が走った。それは即ち、この存在とであったために、私は今から自分の全てを奪われていくのだ、ゆっくりと時間をかけるか、それともあっけなくなくなってしまうか、そのどちらかの選択しか残されていない事だった。
(嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッッ!!)
両腕を抱えても震えは収まらない。ならばせめて立ち上がれ、精一杯の虚勢を張って、魔王の側近としての力と威厳を示せ!
もはや立場は逆転していた。つい先ほどまで狩る側だった女豹は、巨大な龍に睨まれながら震える足がすくまないように足の平に力を込めた。
「……いいわ、それぐらいじゃないと楽しめない!!」
この場においてこの化物と対峙する唯一の方法、それは狂う事。どこまでも自分の悦楽を戦いの中に堕とし、この絶望的な状況を楽しむこと。
持てる全ての力を全身に溢れ出させるサディス。紫色の宇宙に星がちりばめられたようなカルマの魔力とは対照的に、真っ赤な月に黒い稲妻が走る魔力は、サディスの全てを形容していた。
「私の本領は圧倒的な暴力!痛みは身体にも心にも染み渡り、やがて永遠の快楽へと堕落させる狂暴の悦びよ!」
自慢の鎌に己を注ぎ込み、やがて鎌に埋め込まれた魔石が脈を打つように点滅する。
「さぁ…踊りましょう!!【プロミネンス・レイン】!!」
サディスの嬉々とした表情から放たれる赤色の魔力、それが頭上に浮かび上がると複数の巨大な火球を展開する。
まさしく小さな太陽、それがドクンと一つ脈を打った時、飛び出した火柱が真っ直ぐにカルマへ向かっていく。その後に続くように火柱の群れ、カルマは猛進する炎の群れに身を挺するそぶりも見せず、真正面からそれを迎え撃ち、魔力の波へ沈めた。
「ならばこれはどう?【ノーザン・インパクト】!!」
息つく暇もなく、今度はカルマの魔力の湖の上にサディスの赤い月がいくつも浮かび上がる。そしてそれは冷酷なほど真っ青な表情に姿を変えると、無慈悲な巨大な氷山の群れがそそり立ちカルマに迫る。しかしカルマの足元に浮かんだ月から氷山が盛り上がることはなく、変わりに真っ白な水蒸気を足元から立ち昇らせていた。
サディスの度重なる魔法の応酬、しかしカルマはそのどれにも動ぜず、多々その場で魔力を溢れさせて応戦するのみだった。
しかし立ち登った氷山は、確実にカルマの視界を奪っていた。
「【ファントム・シェイド】!!」
無数に増殖するサディスの分身がカルマの周りを包み込む。そして何十体にも増えたサディスの群れが一斉に鎌を構え、脈をうつ魔石をカルマへ向けた。
「【
そして鎌から放たれる無数の熱光線。それは迷うことなくまっすぐにカルマの体へと向かい、容赦なくその体を熱と光で焼き消そうとする。
己の分身すらも犠牲に、上空に飛び避難していたサディス本体は焼け焦げた戦場を目の当たりにして、満足そうに魔力の湖の中心を見下ろした。
(…これを喰らって、ましてや防御魔法すら展開していない相手が無事なはずはないいわ。……終わってみれば案外あっけなかったわね。)
初めに感じた恐怖感はもうすっかりなくなっていた。変わりに、今は強大な敵を打ちのめした達成感に満たされている。
あぁ……やはり戦場はいい。それも強大な敵が現れた戦場は、何よりも私の乾ききった欲望を潤してくれる。自分の魔力を極限にまですり減らして放つ大魔法の数々は、魔法使いとしても戦士としても己の存在価値を高めてくれる。その愉悦に浸る感触を噛み締めていた。
「……なんだ、やはりこんなものか。」
-その瞬間に耳に入った声に、おぞましさを感じたのは言うまでもない。
サディスは土煙に集られた焦土に目を凝らした。魔力の湖は干上がり、既に瓦礫が無数に散らばるのみ、のはずだった。
その中心が、確かにぐらぐらと動いている。
「サムスめ、余計な能力をつけやがって…これでは死ねるものも死ねんだろう。」
そして今、大きくぐらりと揺れた。
「『死ぬほどの痛み』は死ねる気がしてこそ価値があるのであって、死ねないのならただ痛いだけの邪魔な感覚だ。つまり苦痛でしかない。」
意味の分からない発言と共に、その姿を隠していた土煙がはけた。
-もはや、魔物より魔物の姿をしていた。顔の右半分が焦げ落ち、左わき腹は抉れ、腕や脚は維持していながらも真っ赤に焼け爛れ、隆起した筋肉が痛々しく脈を打っている。
その姿に、サディスは一種の概念を崩壊させられ身をすくませた。
「な…何よそれ、おかしいわよ!いくら魔物でも脳を叩けば死ぬわ!体が焼かれれば死ぬわ!血を流し過ぎても腹が抉れても死ぬわ!!なのになんで死んでいないのよ……なぜ立ち上がっているのよ!あなたは!」
恐怖の感情に全てを刈り取られ、もはや理性を失った獣のように喚き散らすサディス。そんな空に浮かぶ彼女を、カルマは地上から嘲笑う様に見上げた。
「絶対的な強さを持つ魔法も、それを巧みに生かした技術も、それらを上手く使いこなすだけの経験も、俺に死を与えるにはあまりに小さすぎるという訳だ。」
ゆらり、その傍目から見れば動くことすら不思議な体を揺らし、サディスの方へ向くカルマ。
「…あぁ、どうして俺が立っているかだったな。それを聞いてどうするのかは知らないが、気になるのなら答えておこう。」
若干憂いだ口調で呟くカルマ。
しかし次に顔を上げ、サディスがここからが本当の始まりなのだと自覚するほどの威圧感を目の当たりにした時の口調は、その憂いの中にも分かるほどに狂喜をほとばしらせていた。
「-世界を、救うためだ。」
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