第16話  サディス・妖艶なる将

 一言で言うなら、その姿は妖艶だ。うっすらと日に焼けた透明感のある肌、特にスリットから垣間見える太ももなどはそれを暴力的に主張してくる。だがそれだけではない。引き締まった腕にドレス型の魔装束に張り付いた胴回りは美しくも鍛え抜かれていて、少し戦闘に長けている人物なら一目で強者だとわかる風貌だ。


 それに…魔力量も、桁違いに多い。つい最近街を出たばかりのひよっこな私では手も足も出ないだろう。


 ロッドをサディスの姿に重ねて構えながら、ヘラは実力の差を痛感していた。


「…へぇ、逃げないのね。」


 サディスは大きな赤い魔法石の埋め込まれたロッドを支えにして、それにもたれがかるようにしながらヘラを見て嘲笑する。


「…仲間が、捕まってるから。」


 しかしその笑みに受け答えする余裕は一切なく、ヘラはその時を待ちながらしたたかに魔力を高めていく。


「仲間…ですって。」


 サディスはヘラの言葉に興味を口元に浮かべたまま、後ろにいるカルマに軽く目線を配った。


 カルマは、どうすることもなく、ただ三角の空間に閉じ込められたまま鼻で笑う。


「面白いだろう。道で拾った。」


「確かに面白い子ね。でもいいの?その檻は魔力を吸い取っていくものよ。魔力が尽きた人間がどうなるか、知ってるわよねぇ?」


「……どうなる?」


「あら?【転生者】さん?それなら教えてあげるわ。…この世界で魔力が尽きた人間は発狂し、自我を無くすのよ。尽きかけたらその前に意識を失うんだけどね。そんなところでじっとしてたらすぐに眠りこけちゃうわよ?」


「なんだ、死ねないのか。」


 内心どうなるかわくわくしていたが、死ねずにただ発狂するだけとわかってカルマは絶望した。死ねないのなら別にどうでもいい。


「…変な人ね。どのみち死ぬわよ?飢えに苦しみながら自分を失くし、その体が動かなくなるまで叫び続けるの!なんて惨め!素敵だわ…。」


「それは楽しみだなぁ!!」


 前世で経験できなかった「餓死」ができると知って、カルマの胸の内は風船のように今か今かと宙に浮くのを待ちわびている。


「…あなたのお仲間、頭のネジがおかしいんじゃない?」


「…ついさっき目に焼き付けたわよ。」


 サディスは自分の頭に指を当ててカルマを馬鹿にするようなそぶりを見せるが、そんなことはもう知っているとヘラは見向きもしない。


「そう…それじゃああの村はそこのイカレ男さんがやったのね?結構大きな魔法だったから、魔導士っぽいあなたがやったのかと思ったんだけど。」


「悪かったわね、期待外れで。」


「そうね…これじゃあ、あっけなく終わっちゃうかもしれないわ。」


「やる前から馬鹿にしないでよッ!!」


 ヘラはサディスの挑発に乗ると、構えたロッドの周りに瞬時に七つの魔方陣を展開する。


「【ファイア・アーチ】ッ!!」


 そして叫び声と共に魔方陣から無数に放たれる炎の矢が一直線にサディスを襲う。サディスはそれを真横に飛んで避けると、ヘラから更に距離を取るようにドーナツ状のクレーターの中へ落ちていく。


「随分古典的な魔法を使うのね。いいわ、面白そう。」


 しかしヘラの狙いは別だ。一直線に放たれた炎の矢たちは容赦なくカルマの閉じ込められている三角檻の結界に襲い掛かる。巻き上げられた土煙が立ち込める、が、結界は破れる気配一つなくカルマを密封している。


「そんな!!まるで効いてないなんて!!」


「…人の心配をしている暇があるなら、自分の心配をしたらどうだ?」


 結界の防御力の前に呆然とするヘラ。しかしサディスは容赦なくその背中を襲う。カルマの指先に気づいたヘラは迫りくる気配を頼りに咄嗟にその場に転がった。


 ヘラの髪先をブォンと空を切る音が掠め、切れた髪先がはらはらと地面に散らばった。


 立ち上がったヘラが振り返ると、サディスが異様な武器を携えている。


「…何それ、どっから出してきたのよ。」


 鎌だ。真っ黒な刀身にギラギラと体を照り付ける刃先。それは今にもヘラの命を刈り取ってしまいそうなほど禍々しいオーラを放っている。


「いいでしょう、これ。私の杖の本来の形。上位の魔法石ともなると、魔力に応じて自分好みの武器に変幻させられるのよ。それなりの素材が必要だけどね。」


 サディスは鎌の柄を立てるとそれにまたがるようにして、命を刈り取る刀身を愛おしそうに舐めあげて見せた。ますます格の違いを見せつけられ臆病風に震えるヘラ、そんな圧倒的な実力差をもって相対する二人の魔法使いの戦いを、カルマは興味深そうにあぐらをかいて見ていた。


(駄目……私じゃこいつに勝てない!武器も、実力も、経験も…あいつに何一つ勝てるところがない!…。)


 必死に勝機を見出そうとするヘラだが、サディスの纏う気迫に圧倒され体がすくんで動けない。


「たかだか炎の矢打って終わりなの?…それじゃあこっちから行きましょうか!!」


 サディスは退屈を払拭するように笑みを浮かべながら、瞬く暇もなく突進してヘラとの間合いを詰める。その勢いそのままに右足で腹部を蹴り上げる。咄嗟に反応したヘラがロッドを構えて相殺しようとするが間に合わず、ヘラの鳩尾にサディスの足がのめり込んでいく。


「かっは……ッ!?」


「どんどん行くわよ!」


 真後ろに吹き飛んだヘラの体をサディスが猛スピードで追撃していく。宙に浮いた体で上手くバランスを保ちながら、サディスの鎌による猛追を必死にロッドでいなしていくヘラ。しかしサディスの速度についていけず、所々一撃をもらってしまう。


 右肩、左腕、左胸、脇腹、容赦なく刈り取られていく血液と、合間に何度も蹴り上げられる腹、脚、腕。すぐに結界に張り付けられ行き場を失った体は無慈悲にサディスの連撃に晒され、徐々に感覚を失くしていく。結界の中まで響く衝撃音が増す度、ヘラの体の傷が一つ二つと増えていき、ゆっくりとロッドを構える腕が下がっていく。


 結界に張り付けられ成すがままにされるヘラ。やがて意識が遠のき、最後に鎌の刃先で首筋に寸止めをもらった時には、もう指先一つ動かせなくなっていた。


「…あら?やり過ぎたかしら?」


 鎌の刃先に顎を引っかけ、朦朧とした意識のヘラは結界づたいに地面へ転がる。その一部始終を余すことなく見ていたカルマは、退屈そうに欠伸を浮かべていた。


「…仲間がやられているのに、随分と余裕なのね。」


 サディスは息一つ乱すことなく、鎌を立ててカルマに呟く。


「ダメ女の汚いパンツを壁越しに見せられてもなぁ。」


「おぞましいまでに鬼畜ね。ゾクゾクするわ。」


 寝そべって動かないヘラをよそに、サディスは自分の結界の中で余裕を見せ続けるカルマに鎌の頂部を向けた。


「随分とのんびりしてるようだけど、次はあなたよ?」


「……どうかな?」


 敵意をむき出しにして挑発するサディス。しかしカルマは目線もくれてやらず頬杖をついて眠たそうにしている。


「……さっきそこのアホにも言ったが、人の心配をしている暇があるなら、自分の心配をしたらどうなんだ?」


「……どういうこと?」


 カルマがそう言ったその時だった。ドーナツ型のクレーター、その窪んでいない中央の部分を全て覆う程の魔方陣が展開され、鼠色の空には無数の魔方陣が辺り一帯を埋め尽くしている。


 サディスがそれに気づいた時、あまりの数の多さに思わず驚嘆した。


「これは……この規模の魔法をこんな短時間で!?それも魔方陣を展開する旧式魔法を!?」


「……遅いわ。」


 わずかに残った意識の中で、ヘラは満足気に頬を緩ませた。


「【罪を濯ぐ導きの光ジャッジメント・サンクチュアリ】!!」


 最後の力を振り絞ったヘラの声が響き、天と地の魔方陣を呼び合わせ無数の光の柱が辺り一帯に降り注ぐ。息つく暇もないほどに響く強烈な連打に、あたかも巨大な閃光が包み込んだかのように埋め尽くされ、降り注いだ光柱は加減なく大地を抉り地鳴りを起こす。


 蟻一匹生き残る事すら許さない壮大な一撃、満身創痍で転がるヘラはただ一点だけを見つめていた。


 やがて、巻き上げられた土煙の中に人影が浮かぶ。


「……そん…な…。」


 土煙が落ち着き、出てきたのは傷一つなく余裕の表情を浮かべて立てた鎌にまたがるサディスだった。


「なかなかいい腕をしてるわ。もしこれが炎と雷の混合魔法じゃなく、純粋な光魔法だったら危なかったわね。」


 サディスは僅かに裾が焼け縮んだドレスを払いながら笑みを浮かべる。しかしその足元には無数の岩の瓦礫の後、恐らく土魔法で自らを覆い、それを壁にして凌いでいたのだろう。


「どう……やって…」


「どうやって、って言われても、単純に【ウォール・クリエイト】で全体を覆ってその中にいただけよ。とは言っても一撃で全部粉々にされちゃうから何回も何回も作り直したけどね。それでこの瓦礫の量ってわけ。安心しなさい、これが私じゃなくて他の幹部だったら間違いなく死んでたわ。ただ私があなたより熟練した魔法使いであることと、そこの坊やが桁外れの魔力を持ってたことが災いしたわね。」


 コツコツとヒールの音をたてながら、絶え絶えの荒い呼吸で辛うじて意識を保つヘラに、サディスは容赦なく鎌の切っ先を突き立てる。


「私の魔力だけじゃここまでできなかったわ。恨むならあなたのお仲間を恨みなさい。」


 突き立てられた鎌の先端とサディスの言葉、普通なら恐怖でたまらないはずの瞬間だが、不思議と後悔は浮かばなかった。その行為に、むしろ安心すら覚える。


(あぁ……私、もう死ぬんだ。)


 悟り、納得できたその瞬間に、ヘラは朦朧とする意識にやられ目を閉じた。


「……なぁ。」


 その時だった。二人から隔たれた壁の向こうで呟いた。


「終わったみたいになってるが、一つ確認したいことがある。」


「…なに?今いい所なのに。」


 興ざめなカルマのお茶濁しに嫌悪感を募らせるサディス。しかしカルマの表情は、目の前で仲間が死にそうになっているのにも関わらず、まるで新しい遊びを思いついた子供のように嬉々としていた。


「さっき、魔力が尽きたら発狂して飢えて死ぬと言っていたな。」


「……ええ、あなたがまだそうならないのが不思議なぐらいよ?」


 それがどうかした?というそぶりで、サディスはカルマに目を向けた。


「それと、お前さっき魔力を吸収する量を調節したな?ヘラの攻撃を受けている時に格段に脱力感が増した。最初から吸えるだけ吸ってしまえばいいものを、どうしてわざわざ調節などしたんだ?……そこで生まれた疑問がこれだ。」


 カルマはそう言って、ゆっくりと膝に手を当てながら立ち上がり、結界の中で少しずつ集中力を高めていく。やがてカルマの足元に集まった魔力が渦を巻き、微弱な風を起こしていく。


 そして、今までのんびりとしていたカルマの表情が突然、獲物を見つけた獅子のように鋭く、かつ狂喜的な輝きを覗かせる。


 サディスの背筋を、冷たい感触が一撫でした。


「もしお前が吸いきれないほどの魔力を送り込んだら、お前は一体どうなるんだろうなァ!!」


「ッ!?……【バック・アウト】ッ!!」


 サディスが咄嗟に叫んだ刹那、辺り一帯に禍々しくも神々しい魔力の波が溢れ、意思を持った生き物のように蠢きだす。そしてそれはカルマの周りを覆いつくすと、急速に膨張して弾け、周りの瓦礫を巻き上げた。


 サディスの体に叩きつけられるように吹き荒れる爆風、それはカルマの全身から逃げ出すように大地の力を巻き上げていく。


「さぁ、始めるぞ!命のやり取りコロシアイを!!」


 カルマは嬉々として、天空や大地も震え上がる己の神髄を解き放つ。

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