雨落

潮田 海

贖罪

 私の母校である、今はすでに廃校になった高校の卒業生はほとんどが地元で、せいぜい道内に就職していた。私自身、そうなると思っていたし、友人たちともそんな話をしていた。

 代り映えのしない、しかし気の知れた友人たちとの日常は今も色褪せず、綺麗な景色を残している。

 高校三年生の六月、梅雨とは言えないが雨の日が続いた一日目。その日までの日常のみが。


 高校生であった私は、私の住んでいる町の、隣町から来ていた女子に恋をしていた。彼女とは高校で出来た友人経由で知り合いになり、通学に使っていたバスが同じで、部活も同じだった。

 私の住んでいる町は高校から遠かったので部活の時など、バスで知り合いが彼女のみの時間があった。そうなれば自然と話すことが多くなり、いつの間にか好きになっていた。

 

 あの雨の日に、私も彼女も別の理由で遅くまで残っていた。帰りのバスが同じだったので会話をしていた。話しが思いのほか盛り上がっていた。私はもっと彼女と一緒に居たかったので稚拙な言い訳を重ねて彼女と同じバス停で降りた。

 バス停近くの、普段からあまり人のいない、雨ということもあり一人もいない公園で、屋根のあるベンチで彼女と話をしようとしたのだ。またも稚拙な言い訳をしておそらく不信に思われながらもその目標は達成したが緊張してしまってうまく話が続かなかった。

 私は何とか会話をしようと努力をしたし、彼女も沈黙は嫌なのか話を振ってくれた。私は二人きりでうれしくて、しかしやっぱり緊張して会話が途切れてしまった。

 すると彼女は何か察したのか黙ってしまった。

 はじめは彼女がなぜ黙ったのか分からなかったが、私は一つ思い当たる。まるでこの状況は告白の場面ではないか、と。

 私は好意を出来るだけ隠しているつもりだったがさすがに露骨だったことが今もだが、何度かあった。

 彼女が私のことをどう思っているのかわからなかったがこの状況が絶好の機会に見えた。


 結果から言えばダメだった。そもそも彼女と知り合う原因となった友人のことが、彼女は好きだと聞いていたのでダメだろうとは予想はついていのだ。しかしその時はやはりショックだったのだろう。雨の中傘も差さずに歩いて帰ったことは覚えているが、告白した後にどんな会話をして、別れたかよく覚えていない。


 次の日は普通に接していたはずだしこの日も彼女と二人で会っていた。どのようにしてその状況としたのかはすでに忘れてしまった。

 彼女と話していると嬉しかった。それだけだった。それだけの感情が良かった。いつの間にか泣いていた。


 高校生にもなってそんなことでと思う。なぜ彼女にここまで固執していたのかは今となってはわからない。ただそんな私をやさしく接してくれた。内心引いていたかもしれないが。

 私は彼女に謝っていた。きっと迷惑だろうと思って泣きながら謝った。

 泣いている私の背中をやさしく擦ってくれて、なぜか彼女が「ごめん」と呟いた。私が勝手に好きになって、振られて、悲しんで、迷惑をかけているのに彼女が謝った。私はどうしようもなく情けなくて、自分が嫌になって、彼女のやさしさから離れたくなくて、どうしようもなく泣いていた。


 結局その日のその後も冷たい雨の中歩いて帰ったこと以外、よく覚えていない。


 きっと私自身の、彼女との関係の転換点の三日目。

 透き通るように晴れ渡っていた土曜日。部活が午前中で終わって帰りのバスには私と彼女と彼女とは別の同じ部活の女子が乗っていた。私はその女子とあまり話はしたことがなかったが、彼女とその女子は幼馴染で、彼女との話の中で何度か出てきていた。

 そこで彼女が久しぶりに晴れているから部活の練習をしようと提案した。私は彼女と一緒なら大歓迎だった。幼馴染の女子も賛成したので一度家に戻ってから近所の公園に集合となった。

 一度家に帰り、昼食にシリアルを軽く食べてから向かった。かなり早かったが幼馴染の女子はすでにいた。彼女はまだいなかった。私は連絡手段を持っていなかったから知らなかったが彼女は少し遅れる、と連絡があったらしい。

 あまり話したことがなく、会話が続かなかったので先に練習を始めることにした。

 始めてから一時間ほどたって、さすがに遅いと幼馴染の女子が携帯を確認するとあと三十分ほどで来るということだった。一回中断したし休憩ということになったのだが会話がなかった。しかし、唐突に私と彼女は付き合っているのか、と質問された。私は振られたと否定した。どうやら最近彼女が私の話ばかりでよく二人で会っていると聞いているらしかった。私は、まだ好きだが彼女は他に好きな人がいるからあきらめると言った。その幼馴染の女子はただ会話が欲しかっただけのようでさほど気にした様子はなかった。ただ、彼女は好きな人に振られているからチャンスはあると言った。

 私は何と返せばいいか思いつかず沈黙した。しばらくたって彼女が公園の入り口に見えたので立ち上がると「彼女、悪くはないけど気を付けた方がいい」とだけ言って彼女に向かって駆けていった。


 彼女が来たので三人で練習をしていたのだが二時間ほどで先に幼馴染は帰ってしまった。彼女と二人になってしばらくして雨が降ってきた。雨宿りのために屋根のあるベンチに移動したがまったく止む気配はなく、むしろだんだん強くなっていた。彼女と二人っきりは嬉しくもあったが気まずさもある。会話もなく、ただ無言で雨が止むのを待っていた。

 そんな空気のなか、彼女は無言で私の背中を擦ってきた。そんなことでも私は嬉しかった。ぽつぽつと会話も始めた。しかし、どんな会話をしたかは覚えていない。むしろこの後の話こそ覚えていたくない。思い出したくない。

 どんな話の流れだったかも覚えていないが、彼女は、彼女の好きな人に中学生の時に告白されていた、という話だった。私は初耳だったし、それならなぜ彼女は告白して振られたというのかわからなかった。

 どうやらその時に一度振ったらしかった。彼女には当時付き合っていた人がいたらしい。しかしそのあとの話は衝撃だった。思い出したくもない。むしろもう覚えていない。あの話は夢だった。起きたら忘れてしまう夢だった。

 私はだんだんここから離れたくなっていた。彼女と一緒にいるだけでよかった、嬉しかったのに、私の心は荒れていた。よくわからない感情がうずまいて、私は泣いていた。なにもかもがおかしかった。


 私と彼女はキスをしていた。なぜそうなったかはわからない。ただ、子供のように泣きながら、めちゃくちゃに言葉を発して、同情されて、謝られながらキスをした。軽く触れただけのキスだったが彼女は上目遣いで「舌は入れなくていいの?」と聞いてきた。私はむさぼるようにキスをした。ひどい罪悪感と困惑と嬉しさで、わけのわからない感情のはけ口にした。

 子供のように彼女を求めた。私は酷く子供だった。自分の感情もコントロールできない、理解できない子供だった。



 次の日は一日中何もしなかった。あの後なにがあって、どうやって帰ったのかは覚えていない。しかしこの日はずっと前の日のことで悩んでいた。私はほんとに彼女のことが好きなのかわからなくなっていた。ただ彼女がやさしいから、それに頼って、彼女に依存しているだけではないかと。ただ私は彼女に甘えたいだけではないかと。


 次の日は普通の登校日だった。この日からは記憶がかなり朧気で、本当に覚えていることが少ない。

 その日彼女は休んだ。

 しかし、おかげで彼女の好きな人とゆっくり話す時間ができた。

 中学の時告白したことを聞いたが事実だった。事実だったし、かなりごたごたしたしていた。人間関係も含めて。

 かなり信じられない話だった。なにか作られた話のようだった。

 どのタイミングでこの話をしたかわからないが、帰りにバス停で待ってる時、同じクラスの女子から「彼女が中学生の時二股してたって本当?」と聞かれた。私は知らないと答えた。


 次の日、私と彼女は二人きりで会っていたはずだ。最初の公園で。

 私は聞いた話を彼女に話した。彼女は否定はしなかった。彼女自身、そのころはどうすることがよかったのかわからず、結果あのようなことになったと言っていた。確かに彼女の好きな人の行動も考えると納得した。

 しかし、私の中にはまだ、よくわからない感情は渦巻いたままだった。頭の中に渦潮ができたように思考がまとまらなかった。

 またいつの間にか泣いていた気がする。やっぱり彼女はやさしく背中を擦ってくれて、私はキスを求めた。彼女のぬくもりが欲しかった。離れたくなかった。雨が降っていて、冷たかった。


 次の日を最後に彼女とは会っていない。

 最後の日、やっぱり二人で会っていた。彼女と離れたくない気持ちと、もう彼女とは決別する意志を持って会っていた。

 私はこれ以上彼女と会っているとダメになると思ったからだ。今ではその程度で、と思うが当時は若く、脆かった。

 彼女にもう会わないと言った。どうしてと聞いてきたが私は無言だった。離れたくない気持ちも、もちろんあったがそれ以上に離れなければいけないと思った。これ以上は依存できなかった。できないと思った。「大丈夫?」と聞かれたが大丈夫とだけ答えた。絶対大丈夫じゃないでしょと怒られた。私は泣いていた。




 次の日から快晴が続いた。私は学校に行けなかった。

 しばらくして父親の転勤で関東に引っ越した。その後は高校中退で苦労したし、今も苦労している。それでも私は彼女に依存せずに生きている。

 しばらくは心が苦しかったが今はそんなこともない。むしろ開放された気分だった。


 私は今思い出の公園にいる。何十年ぶりに北海道に戻ってきていた。昔より開発が進んで家がびっちり立ち並び、子供たちが元気に遊んでいた。

 彼女との思い出はもう二度と思い出さないだろう。思い出す資格もない。

 もう忘れるべき出来事だ。夢だった。若く、幼い、不安定な時期に見た夢。

 あの日から私は晴れが好きだ。彼女との思い出はほとんどが雨で、晴れの時は彼女の幼馴染の女子との思い出になっているから。

 

 そこに吹く風は少し塩の味がした。

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雨落 潮田 海 @umiumi_S

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