第十話 Ignition

────side 翔也




煙を無理矢理押し固めたかのような不安定なフォルムの紅い瞳の怪物。

奴は俺に向かってゆっくり接近すると、肥大化した腕を地面に叩きつけて大きく跳躍した。

アスファルトが盛大に砕け、高さが数メートル程ある巨体が宙を舞う光景は、どこまでも現実離れした冗談のようだった。

怪物は間合いに入ると、俺に向かってその巨大な腕を振り下ろす。

単純かつ強力な攻撃。

常人なら回避もままならず即死。


─────しかし、現実離れしているという点では俺達能力者も負けてない。


隣にあった標識を根元から引きちぎり、滞空する怪物へ横薙ぎして叩きつける。

手応えは感じられなかったが、その巨体は吹き飛ばされて建物の壁面へ勢いよく衝突した。

轟音が鳴り、粉砕されたコンクリートやらガラスやらが散らばった。


能力者の体内に多く存在される生体エネルギー、通称“魔力”による身体強化。

魔力の多彩な用途のうちの一つだ。

それに加え、俺の能力による身体強化でもその効果は乗算され、莫大な身体能力を得ることができる。

俺の『平和な日常ではさほど役に立たない特技』。

普通に暮らすには過剰なのだ。

ちなみに、正確には能力者だから魔力が沢山あるのではなく、魔力が沢山あるから能力者なのだ。


「あーあ、もう駄目だなこりゃ」


武器代わりに使った標識は完全にひしゃげていた。

一応魔力で強化は施したはずなのだが、見た目以上にあの怪物は重かったらしい。

使い物にならなくなった標識を投げ捨て、足元に落ちていたガラス片を手に取る。

左手首にその先端を当てて切れ込みを入れると、想像してたより多くの鮮血が流れ出る。


それと同じくして、さっきまで崩れた建物に埋もれていた怪物が姿を現す。


「─────!!」


不気味な紅い瞳を輝かせながら、怪物は咆哮した。

その声は上手く聞き取れなかったが、どこか不安な気持ちを俺に抱かせた。


(どうでもいい)


目の前の怪物は俺達にとって間違いなく害悪だ。

つまり、倒さなければならない存在だ。


つい、口元が歪む。


今の俺にはさっきまで存在していた恐怖はなく、ただ満足感や優越感のようなものが存在していた。




────side 空




2秒後、喉元を刃物で貫かれて死亡。

私が“視た”未来だ。

私は死にたくない。

だから、できる限り抗ってやろうと思う。


「────ッ!」


全力で上体を右に反らし、刃物による一撃を躱(かわ)す。

ヒュッ、という風を切る音が聞こえた。

私から相手の姿は見えないが、攻撃の場所とタイミングさえ分かれば対処はできる。

私はただ危険予知を頼りに相手の攻撃を避け続ける。

しかし、全神経を集中させての受け身の動作というのは思った以上に体力を消耗する。

このままでは状況がどんどん悪化する一方だ。


(こっちから仕掛ける────のは危険かな)


相手の姿が分からないのだ。

攻撃を当てるのは困難だ。

唯一相手の位置が分かるのは、相手が攻撃してきた時だけ。

つまり相手の攻撃を躱しつつ、こちらの攻撃を相手に当てる必要がある。

リスクが高過ぎる。

相手にはこちらの姿はハッキリと見えているのだ。

攻撃を相手に躱された場合、致命的な隙を晒すことになる。

かと言って、相手に背を向けて逃げるのも自殺行為だ。


考えろ。

私ができる最善の行動を。

今の私の手持ちは中に小麦粉の袋が入った通学鞄、そしてポケットにあるカッターナイフと安物のライター。

通学鞄に関してはその重量から邪魔になるという可能性も考えられたのだが、丸腰になるよりはマシと判断して手放さなかった。


相手の姿を視認できずとも確実に当てることができる攻撃。

方法はあるにはあるのだが、相手の攻撃を躱しながら実行に移す必要がある。


────まあ、命が懸かっている状況で他に選択肢などないのだが。


(右肩、突き!)


危険予知で得た情報を元に、上体を捻ってこれを回避。

そのまま後ろへ下がり、棚の上に置いてある時計を掴む。

次の攻撃は腹部へ横一閃。

その軌道に合わせて魔力で強化した時計を投げ付ける。

すると、ガキン!という甲高い音と共に投げた時計が砕け散った。

しかしあまり効果は無かったのか、さっき予知した攻撃は防げたものの、すぐさま次の攻撃が予知される。

喉笛への突き。

これを相手から距離を置くことで躱すと、立て続けに攻撃が予知される。

またもや喉笛への突き。


(よし、今の私の位置なら!)


横に転がるようにしてこの攻撃を回避。

直後、ガッ!という音と共に壁に穴が空いた。

つまり、今は相手の得物が壁に突き刺さっている状態。

左手に持っていた鞄の取っ手を両手で握り直し、魔力で強化する。

そして武器が刺さっている位置から相手の腕を予測し────


「このッ!」


思いっきり振り下ろす。

すると、ボコッという鈍い音と共に、さっきまで壁に刺さっていたと思われるナイフが宙を舞った。


そう、武器が見えたのだ。


どうやら、相手の体を離れると能力の恩恵を得られなくなるらしい。

飛んだナイフが床を転がる。


これで武器を剥がせた。

つまり、今の相手は丸腰。

追撃するなら今しかない。


「はぁッ!」


鞄を振り下ろした時の勢いに遠心力を上乗せし、横に振るう。

確かな手応えと共に、“見えない何か”が寝室の襖を突き破った。



この隙にスカートのポケットからライターを取り出し、これを点火。

そして、その場でライターの時間を停止させる。

時間凍結。

私の能力によるものだ。

こうして停止した物は私以外の外部からの干渉を受けず、また外部へ干渉することもない。


「よし、これで────ッ!」


次の瞬間、突如危険予知が発動した。


(なっ、復帰が早い…!?)


咄嗟に上体を倒したが、ナイフが左腕を掠めた。


「ッ!」


鋭い痛みが走り、普段見ることのない紅い液体が服を染める。

その量に、若干のパニックに陥りそうになる。


(落ち着け…!)


相手からナイフを剥がして完全に油断していたが、代えのナイフを持っているとは考えもしなかった。


しかし、やりたかった事はできている。


ここまで幾度となく相手の攻撃を回避してきたが、ただ闇雲に避けていたわけではない。

少しずつ、確実に目的地へ。


(この辺りでいいかな)


次の攻撃も位置、タイミング共に把握できている。

5秒後に私の胸、恐らく心臓を狙っての突き。

スカートの中から素早くカッターナイフを取り出し、刃を伸ばす。

危険予知による刃物の刺さり具合によると、恐らく1メートル程後ろへ下がれば余裕を持って回避できるはずだ。


(来る…!)


予知を頼りに、相手の攻撃の直前に後ろへ跳びながら後方に向けて右手に持ったカッターナイフを振るう。


そして、魔力によって強化されたカッターナイフは、ガス栓に繋いであったパイプをいとも容易く切断した。


(やった!)


ここまで上手くいくとは思っていなかったが、位置調整が完璧だったみたいだ。

あとは、ここから一刻でも早く脱出するだけ。


予知した攻撃を横に転がり込むようにして回避し────


「ここッ!」


左手に持った鞄を予知した攻撃地点へ向け、勢い良く振り上げる。

すると何かに当たる手応えと共に、鞄が何かによって引き裂かれた。


────中に入っていた小麦粉の袋と共に。


私の狙い通り、周囲へ大量の白い粉末が舞った。

そして、攻撃も止んだ。

どうやら目潰しには成功したようだ。


(よし…!)


やることは全てやった。

玄関へ駆け込んで靴を回収し、裸足のまま外へ飛び出す。

さっきの事がある。

念には念を、部屋のドアを閉めて時間凍結で完全封鎖する。


そして、全力で駆けた。

この建物の階段が錆びているため足の裏が痛たかったが、生きるためにとにかく必死だったため気にしている余裕はなかった。


「……ッ!」


能力の連続使用による負荷がかかったのか、激しい頭痛がした。

それでも走り続け、十分距離を取ったところで部屋の中にあるライターにかけた時間凍結を解除。



────次の瞬間、さっきまでいた部屋が轟音を立てながら吹き飛んだ。

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