第49話 大丈夫。次は逃さないわ。絶対に

「もう時間がありません。手短に申し上げます。よろしいですか」

 シェイルが示した書類ばさみには、とてつもなく分厚い一覧表が綴じられていた。

「明日以降に出港予定の貨物船に対し、これから巡察使権限で臨検を行います。港湾を管理する総督のレグラムが銀ギルドとつながっている以上、出口で捕まえるほかありません」

「まさかそれを全部、しらみつぶしに当たろうってわけ?」

 引っぱたかれた腹いせに、半分八つ当たりも兼ねてラトゥースは言い返す。

「本船は銀ギルドの奴隷船です、行き先はバクラントです。と馬鹿正直に申告してくれれば、こちらも調べる手間が省けてありがたいのですが」

 シェイルは真顔で受け答える。

 今の言い方だと、シェイルはもう怒るのをやめたらしかった。それが、シェイルなりの実直な信頼の寄せ方だ。

 応えねばならなかった。


 小さな縦帆のヨットが近づいてきた。船首にともった探照灯が規則的に点滅する。合図だ。

 ラトゥースは我知らず肩の力を抜き、息を長くついて、信号灯をながめた。曳舟ひきふね道を、ヨットに向かって歩き始める。


「ローエンが書き付けを持ってたと言ってたよね。窮民法だっけ」

「各地方の行政府が労務のあっせんや救貧院の運営を行うよう定める法律です。その募集要項の写しと思われます」

「どの船に乗れとも書いてない?」

「海の仕事がほしい者は、港の大桟橋に集まるよう書いてあるだけですね」

「マグロ漁船的なアレ?」

「北極海のニシン漁船、遠洋タラ漁船、南洋クジラ漁船、その他交易船の船員募集だそうです。われわれ内陸民は新鮮な魚介といえばコイやマスなどしか食べられませんので。塩干しのタラや数の子はすごい美味しいですよね。キャビアもあればお酒が進む進む……」

「今、そんな話してる場合?」

「失礼しました」


 ラトゥースは人差し指の背中をかんだ。眉根を寄せて考え込む。


「レグラム総督、前に会った時は、いわゆる横柄で、短気で、そのくせ気が小さい短絡的な人物だと思ったけど」

「端的に言いますと無能のたぐい」

「うわあ……はっきり言っちゃった……なのに、そんな無能な人物が首謀者だって言うのがしっくりこない」

「銀ギルドのカスマドーレが奴隷商人の黒幕では?」

「……それも引っかかるのよね。何で、わざわざ救貧事業の許可を取らなきゃならないんだろ? ギュスタを脅して神殿の催しをやめさせようとしたぐらいなのに」


 ヨットが着岸する。飛び降りてきた船員がもやい綱を引っぱった。渡し板がかけられる。

 船頭がカンテラのあかりを持って降りてきた。乗るようにうながす。

 ぬれた所属旗が旗竿に貼り付いていた。船尾には魔法円と双翼を意匠した王国軍旗。船首にはエルシリアの星紋章を掲げている。


「ん?」

 ラトゥースはふと、眼を瞬かせた。乗りかけた船の前で立ち止まる。


 臨検に使用するためのヨットである。いくら、なりが小さくとも、軍艦ならば所属旗と船籍を示す旗をそれぞれ目立つ場所に掲げるのがならわしだ。たとえ雨が降ろうが、夜であろうが。


「旗」


 ラトゥースはぼんやりと記憶の糸をたぐった。帽子の下に指を突っ込んで、はすっぱにかく。

「何だっけ。うーん。あれ? 何か……えーと、何だっけかなあ……?」


 あんまりぐしゃぐしゃと髪の毛をかき回したせいで、帽子がまた脱げて水路に落ちそうになった。

「あっ」

 手を伸ばした瞬間。


 もやもやとした疑問が一瞬にして晴れた。

 記憶の焦点が合った。鮮明な像を結ぶ。


 跳ね飛ばされ、闇の底へ舞い落ちてゆく、青い天鵞絨ビロードの帽子。

 その沖合いにひっそりと浮かぶ、不吉なほど巨大な黒い船影。あかりをすべて消し、旗も掲げずに停泊していた────


 ラトゥースは水につかる寸前、帽子をすくい上げた。

「護衛艦だ」

 鋭い声をあげる。

だわ。シェイル、あかり!」


 ラトゥースはシェイルの手から分厚い書類を奪い取った。

「重っ! なにこれ鈍器!? じゃなくて」

 すごい勢いでめくり始める。


「船団。船団。船団。これは一隻。これは二隻。こっちは三隻。護衛船が必要ということは外洋船団か。ええと、ええと」

 ラトゥースは眉間にしわを寄せながら、さらに調べ続けた。龕灯がんどうと鼻先が今にもくっつきそうだ。雨でにじんで読みづらくなった書類に指先を這わせ、一行ずつ確認しながら読み進める。


 ようやく、とあるページで手を止めた。


「ルイネード船籍、外洋交易船エウロラ号。港湾商人組合所属。ほら、ここ。見て」

 シェイルは、指で差した書面に目を落とした。


「ニール経由、南大陸アンサール行き。明朝出立予定。石炭、木材、貂毛皮セーブル、ワイン、香水を積み、黒羅紗らしゃ、灯油、ガラス、金細工、乳香、没薬、サンゴ、宝石、香辛料を買い付ける予定。随艦二隻および糧食補給艦一隻……これが何か?」

「よく見て、最後まで」

 ラトゥースは苛立った声と一緒に身体を揺すった。


「なお、船団護衛として、許可を得てルイネード船籍の退役を払い下げ、随行させるものとする」


 シェイルはそこでいったん言葉を切った。目をあげる。

「護衛にしてはやや過剰ですが……」

「私掠船に使うにしたって、国王陛下の許可がない以上、単なる海賊行為でしかないでしょ。いったい、どこの船を襲わせるつもりなんだか」

 ラトゥースは目を底光らせた。


「とすると、さっき見た戦艦が五等フリゲート……ううん?」


 記憶の中にある映像を、もう一度再生してみる。

 あかりを落とし、帆を巻き取り、全体像を悟られないようにした巨体。夜の海にぼんやりと浮かび上がった三本マストの形と、高く迫り上がった後甲板。


「……あれは絶対に五等フリゲートなんてものじゃない。最低でも三等戦列艦よ。間違いない」


 ラトゥースはシェイルを見上げた。シェイルは驚きの顔でまじまじとラトゥースを見返す。

「戦列艦。まさか七四門戦列艦が、港に? そんなことはありえません。軍艦の出入港許可を出せるのは総督のレグラムだけです」


「出したのよ、きっと。私たちがレグラムのところへ行ったあの日に。書類上だけは五等フリゲートに見せかけた別の戦艦を、交易艦隊のとしてまぎれ込ませるためにね。嵐にあって、あっさり沈んだことにしてしまえば瀬取りの行き先なんて誰にも分からない」


 シェイルが、ラトゥースのおそるべき考えを引き取る。

「いや、しかし、戦列艦を横流しする、などという大それたたくらみを、たかだか奴隷商人ごときに仕組めるとは思いません……」


「横流しの行き先が問題よ。戦列艦の代金を支払うのは、いったい誰? まさか《竜の骨》の採掘権と引き換えに、ってことはないわよね?」


 時に狡猾な笑みさえ浮かべながら、ラトゥースは彼方の海を振り返った。

 やにわにすべてが動き始める。


 与えられた時間の猶予は、夜明けまで。


 こちらは小さなヨットがたったの一隻。

 相手は艦載砲をそなえた軍艦で、大きさも速さも数十倍だ。夜が開けて出航されてしまったらもう、後を追うすべはない。

 そうなれば、もう二度と。

 敵の尻尾をつかむことはできなくなる。


 ラトゥースはシェイルに書類を突っ返した。厳しい表情で命じる。


「エウロラ号の船員を捜して。片っぱしから身柄を拘束するのよ。暴行でも公務執行妨害でも何でもいいわ。なるべく、こっちの真意がばれないように、その辺の酔っ払いと一緒に保護するとかでいい。とにかく、出航準備を遅らせるしかない」

「はっ」

「私は、港の様子を見張るわ。エウロラ号の係留された桟橋で落ち合いましょ」


 言うやいなや。

 ラトゥースは渡り板を駆け降りた。シェイルが顔色を変える。


「あっ、姫! 単独行動だけはなりませんとあれほど申し上げたのに。何度言えば」


 伸ばされた手をひょいと身軽に避ける。ラトゥースは渡り板を強く踏み込んだ。反動を利用して、高く飛ぶ。板が上下に揺れた。振り落とされそうになったシェイルは、思わず手すりをつかむ。

「姫!」

「ちょっと見てくるだけよ」


 ラトゥースはガンベルトをたたき、笑って見せた。古めかしい傷だらけのホルスターに、弾を込め直した銃。

 身をひるがえす。

「大丈夫。次は逃さないわ。絶対に」


 笑みの唇が、きっと真一文字に引きむすばれる。ラトゥースは雨の中へと走り込んでいった。


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