7.罪人よ、死を想い、死を踊れ
第33話 「裏切ると後がキツイアルよ」
「妙薬あれこれ……イブラヒム」
あやしい看板の下、胸毛うずまく上半身に白いシャツにはおり腰高のベルトを締め、頭に極彩色のターバンを巻いて悠然とキセルをふかす男が座っている。
浅黒い肌に哲学者のような彫りの深い風貌。片方の目には黒の眼帯。
男の背後は、鍾乳洞を思わせる間口の狭い店だった。毒気の入り混じった薬臭い風が漂い出てくる。
人の気配に気づいたか。男は切れ長の隻眼を開いた。
「まだ生きてたアルね」
柔らかくもつれる嘘っぱちな異国なまり。男は水キセルの煙をぷう、と吹く。目の前の壺から、黄色と黒のまだら模様をした蛇の頭がにょろりとのぞいた。
「勝手に殺すな」
ハダシュはむっつりと言い返す。
薬屋イブラヒムは、白くきれいに並んだ歯を見せつけて応えた。
「残念、そう簡単に死ぬようなタマじゃなかったアルね」
ハダシュは肩をすくめる。軽口に付き合うつもりはない。
「話がある。邪魔するぞ」
親指で店の奥を指差す。
「ツケを払ってくれるアルか」
「俺がいつあんたに借金した」
「ちっ、バレたかアル。借金はないアル」
薬屋は嬉しそうにいつものネタを言って、親指をしゃくった。店の中へ入るよううながす。
「悪いが、入り口にカギをかけさせてもらうぜ」
北側の鎧戸の隙間から差し込む日差しのほかは、明かりひとつない。防腐剤めいた匂いのたちこめる暗闇に、ハダシュは目を細くした。
後ろ手に戸を閉める。
「勝手にするアル」
イブラヒムは気にもしていない。大儀そうに店の奥のロッキングチェアーへと体を移す。足が悪いのだった。だからこそこの男は殺し屋のたぐいを恐れない。
「死んだ殺し屋が今さら何の用アル。ラウール裏切って嬲り殺しにあったと聞いたアルが」
「勝手に殺すなと言ってるだろ。俺は幽霊か」
ハダシュはイブラヒムの正面、転がしてある酒樽に膝を立てて座った。目の前の棚にある小さな香水瓶を何気なく手に取る。
手慰みに揺すると、水の揺れる音がした。
「あー、それ、揮発した煙を吸うと笑い死ぬやつアル」
イブラヒムはあっけらかんと教える。ハダシュはぎょっとして瓶を棚へ戻した。
「ところで」
話を始めるのに長々とした前振りは面倒だ。単刀直入に切り出す。
「聖堂で施し食った連中が次々に死んだって話だけど」
「んふっ」
イブラヒムは浅い笑いをうかべた。何げに身を乗り出す。仕事柄、事件のてんまつに興味があったのだろう。
ハダシュは小さな瓶を取り出した。中身は茶色。栓のコルクが緑色に変色している。
「あんたなら分析できるんじゃないかと思って見せにきた」
「ふむ」
イブラヒムは鼻先を瓶にくっつけ、寄り目で眺めた。くっきりと彫りの深い、杏仁型の眼が鋭くなる。
栓を開けようとする手が、ふと止まった。いぶかしげな目つきで尋ねる。
「ちなみに中身は」
「ゲロだ」
「てめえブッコロス!!」
「冗談だ。鍋に残ってた食い残しだとさ」
ハダシュは、ラトゥースから聞いた話をそのまま伝えた。紫斑、嘔吐物の色。イブラヒムは苦笑いした。
「いつの間にマッポの手先に転職したアル」
「あんたの知見を聞きに来たんであって嫌みを頼んだわけじゃねえんだよ」
店の奥から真っ白い毛並みの猫が悠然と現れた。媚びたように鳴きながらイブラヒムの椅子に身をこすりつけ、尻尾を揺らす。
「よしよし、お腹空いたアルか。ちょっと待つアル。おやつあげるアルよう」
イブラヒムは、ハダシュが持ち込んだ毒の瓶の蓋を平然と開けた。目の前の皿に一滴を垂らす。
猫は平然と皿の中身を舐めた。
「ほうほう、美味しいアルか」
イブラヒムは猫を撫でた。猫は気持ちよさげに身体を伸ばし、喉をごろごろ鳴らす。
「……ふむ、死なないアル」
「人でなしめ」
「ちょっと時間をくれりゃ成分を調べてやるアル」
「何日かかる」
「明日の夜」
イブラヒムはわずかに紅潮した顔をハダシュへと向けた。
「聖堂の話、たった一つの鍋に混入した量で百人以上がくたばったとなりゃ、相当強い毒のはずだがね。食った奴は何も気づかなかったのかアルね?」
「そりゃそうだろ。気づいてりゃ死ぬまで食ったりしねえよ」
「とすると、アンチモンの可能性もあるアル……」
イブラヒムは、眼の奥にじりじりとゆらめく喜色の光を浮かべた。まるで独り言のようにつぶやく。
「が、聖堂といやあ《竜毒》を疑うのが本筋だと思うアル」
ハダシュは眉をひそめた。《竜薬》。確か、ラトゥースがそんなことを言っていた……
「不老不死の妙薬だと聞いたぞ」
「浜辺に
そこまで聞いて、ハダシュはようやく思い出した。聖堂の回廊に埋め込まれていた大量の化石。
「その顔は思い当たる節があるって顔アル」
イブラヒムはいやらしく笑った。猫が餌の追加を催促して、不満そうに身をよじらせる。
「《竜薬》と《竜毒》は違う。バクラントの本物の《竜方薬》は、不老不死までは行かないものの、どんな傷もたちどころに治す門外不出の秘宝。もし入って来たとしても、それは鉱山持ちの銀ギルドが骨を勝手に採掘して作ったニセモノで、決して本物ではないアルね。むしろ、殺し屋の兄さんがどこで
ハダシュは無意識に頭の傷を指先でまさぐった。傷は乾いたかさぶたに変わっている。
長口舌に飽きた猫が、ぷいと顔をそむけた。これ以上は餌がもらえないと思ったらしい。高くした腰と尻尾を振ってどこかへ消えてゆく。
「そう言えば。ちょっと前に同じことを聞きに来た奴がいるアル」
「聖堂の神官か」
「正体をばらすような人間ではなさそうだったアル」
「分かった」
つまり、同業者だ。
これ以上の情報は引き出せそうになかった。ハダシュは引き上げることにした。欲しい情報はあらかた手に入った。あとは継ぎ合わせていくだけだ。
ポケットに手を突っ込んで、ラトゥースから預かった王国銀貨を一袋、イブラヒムの手に落とす。
「これで酒でもやってくれ」
イブラヒムは上目遣いでハダシュを見やった。
「
「要らねえ」
ためらわず断る。
立ち去ろうとしたハダシュを、イブラヒムは手を伸ばして引き留めた。
「待つアル」
粘っこい笑いに肩をゆらし、何かを握り込ませる。
「役人側に寝返るのはいいけどね。裏切ると後がキツイアルよ」
「勘ぐってんじゃねえよ」
ハダシュはゆっくりと掌を開いた。しわになった茶色い油紙を目にして、きつく眉根を寄せる。
「いらねえと言ったはずだ」
強引に突き返す。
「禁断症状キツイアルよ。後から泣きついても知らないアルよ。受け取っておくアルよ」
「条件を聞こう」
イブラヒムの顔つきが変わった。黒い目に、強欲の光がぎらぎらと宿り始める。
「もし本物の《竜方薬》を手に入れたら、可能な限り融通してくれ。一欠片でも五百万。いや、分量によっちゃ一千万スー出す。絶対だ」
語尾にアルをつけるのを忘れるほどの本気らしい。毒と解毒は一対だ。どんな強力な毒にでも耐えられる薬がもし存在するなら、それは最強の武器になる。
「考えとくよ。助かった」
ハダシュはうるさくつきまとうイブラヒムに礼を言い、苦々しく笑って店を出た。
少し離れた路地に、つややかな青い天鵞絨の帽子を目深に引き下げた姿が待っている。
本人はおそらく息をひそめて隠れているつもりなのだろう。たっぷりと風にそよぐ純白の羽根飾りに、いかにもおろしたてな汚れ一つないドレス。目立つことこの上もない。
ハダシュは、あきれた吐息をついた。
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