第28話 そんな笑顔を見せられたら、後はもう、されるがままにするより他に無かった

 いざ決断するとラトゥースの行動は早かった。シェイルを呼び戻し、あるじとレイスにベイツの治療を託して、夜も明けきらぬうちに何処かへと出立する。


 手枷をはめられたままのハダシュ、ラトゥースを乗せた馬車は、泥を跳ね上げて街を走った。

 港から流れ込んだ朝もやが、石畳をしっとりと乳白色に濡らしている。さながら霧の海に沈む古の廃墟のようだった。

 白い霧に閉じこめられたシャノアの街はひっそりとして人気もなく、石畳に跳ねてうるさいはずの車輪の音を真綿のように含んで響かせない。


「姫、どちらへ」

 同乗するシェイルは、ラトゥースの気まぐれとも取れる行動に怒った様子もみせず淡々と訊ねる。

 ラトゥースはさらりと答えた。

「マイアトール聖堂」


 シェイルの渋い声が車輪の音に紛れて風に飛ばされる。

「先日の事件も解決していないのに、余計な面倒ごとを持ち込むのは筋違いかと存じます」

「大丈夫、形だけよ、形だけ。魂の自由って大事よ」

 ラトゥースは、重い鉄枷に囚われたハダシュの手をちらりと見やった。

 罪人を外に連れ出すだけでも言語道断に等しい行為だというのに、さらに手枷もなく自由に動けるようにするなどもってのほか。これだけは絶対に譲れませぬ! とシェイルが石頭ぶりを存分に発揮したせいである。


「あの後どうなったか、状況を把握しておくためにも、人手は多ければ多いほど助かるってシェイルも言ったじゃない」

「馬鹿馬鹿しい」

 そうは言い捨てたものの、おそらく心底からではないのだろう。

「何度、同じ事を言わせれば気が済むのです、姫」

「ごめんごめん。次から気をつける」

「そのセリフも何十回聞かされたことか!」

「あー、怒んない怒んない」

 紋切り型の愚痴を、ラトゥースは気にも留めず呑気に笑い飛ばす。


 馬車は聖堂前の広場を通り過ぎ、裏へ回った。人目に付かぬよう、ひっそりと車止めに滑り込む。

 ラトゥースの訪問を取り次いだマイアトール聖堂の神官は、ハダシュの手を縛める枷にとまどいを隠さなかった。


「いったい何ごとでしょう」

「この者には懺悔が必要です」


 ラトゥースに任せば長くなりそうな気配を悟ったか、シェイルは説明の手間を綺麗さっぱりはぶいて断じた。神官はシェイルの厳しい顔とハダシュの手枷とを交互に見比べた。理解しがたい様子で首を振る。

「申し訳ありませんが、立て込んでおりまして」

「ダルジィ院長に直接、お伺いをさせてくださいませ」

 すかさずラトゥースが申し出る。神官はためらいながらもうなずいた。

 ラトゥースはちょっと待っているようにと念を押し、腰に鬱金の帯を巻いた黒の神官とともに立ち去った。


 遠くなるその後ろ姿を、ハダシュは所在なく見送る。

 無言のシェイルと二人きりで取り残されるのは、あまりにも居心地が悪かった。

 時が過ぎるにつれ、次第にむっつりと重い空気が流れだす。

 つい、いらいらとため息をついて地面を蹴る。白の砂利が散らばった。


 シェイルがあからさまな敵意の視線を走らせた。

「不穏なことをすれば斬って捨てる」

 声が尖っている。

  腰の剣へ手を置く仕草を見て、ハダシュは鼻で笑った。

「俺が怖いのか」

「戯言をほざくな。罪人の分際で」

 シェイルは冷ややかな侮蔑の眼をハダシュの手へとくれた。


「姫はああいうお方だ。お優しすぎる。つい相手にほだされて立ち直らせることばかり考える。もし」

 低い声だった。

「姫のお気持ちを踏みにじるようなことをすれば、容赦はせぬ」


 シェイルはそれきり押し黙った。

 ハダシュも機嫌を悪くして黙りこくる。

 やがて神官ひとりが戻ってきて、ついてくるようにと言う。


 二人は最悪の雰囲気を保ったまま、聖堂奥の小部屋へと案内された。


 敷物もない、鉤の字に無造作に置かれただけの木の長椅子が二脚。

 木彫りの造花を飾った粗末な机。壁一面を埋め尽くす書棚、古い壁鏡、灯されていないランプ、マイアトールを象徴する太陽の木を描いた額。質素すぎる部屋だった。


「何なのよ二人とも。怖い顔して」

 先に座っていたラトゥースが、苦笑混じりに立ち上がる。

「子供じゃあるまいし。ほら、きちんとご挨拶してくれる?」


 向かいに座っていた老神官が顔を上げた。他の神官と違い、マイアトールの象徴である鬱金の衣に黒の紐帯をしめ、首に赤い聖帯をかけている。


「ダルジィ院長、この者が先程申し上げたハダシュです。なにとぞよろしくお取りはからいくださいますよう」

 紹介されてもハダシュは挨拶すらしなかった。

 むすりとした顔をそのままにそっぽを向く。

 ダルジィ院長は柔和な細い目でハダシュを見やった。口元にきざまれた深い皺が、疲れた笑みを形作っている。


「よかったわね。罪を懺悔させていただけるそうよ」

 ラトゥースは、これ以上ない爽やかな笑顔でハダシュに笑いかけた。

「懺悔!」

 全身に寒気が這い回る。ハダシュは眼をひん剥いてラトゥースを睨み付けた。

「ふざけるな。誰がそんな!」


「やれやれ、血の気が多いのう」

 ダルジィ院長は、ぽんと手を叩いて小坊主を呼んだ。

 丈の短い灰色の法衣を身につけた、髪のそり跡も青い少年僧がすり足で現れ、深々と頭を垂れる。


「ギュスタ神官に懺悔室の準備を伝えなさい」

 言い置いて院長は立ち上がった。手を胸に当て、眼を閉じ、祈り、諭す。

「犯した罪の重さを知り良心の呵責を知れば、魂もまた洗われるでありましょう」

「重ね重ね、ご深慮痛み入ります」

 ラトゥースは、手を握り合わせ、ひざを曲げて会釈する。


 ハダシュは焦って横槍を入れる。

「待てよ、だから何でこの俺が」

「ささ、行きましょ、ハダシュ」

 ふわりとやわらかな金髪をなびかせて、ラトゥースがうながす。

「こら、てめえ、押すんじゃねえ……誰がそんなことするって言った!」

「もう、いいから急いで急いで。良かったわねえ懺悔できて! 身も心も清らかになりましょうねーーーー」

 屈託のない笑顔で急かされ、腕を組まれて引っ張られる。


 そんな笑顔を見せられたら、後はもう、されるがままにするよりほかになかった。

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