第23話 奇妙な好奇心

 うしろで一つにくくった銀の髪。白衣。


「レイス先生」


 思いがけぬ再会にハダシュは、愕然としてつぶやいた。神経質そうな銀縁の眼鏡。ふくらんだ革の黒鞄。それは場末の非合法医師、レイスだった。


「やっぱり、ハダシュ君か。どうしてこんな所に。いや、そんなことより」

 ぼろぼろに破れたシャツの下から滲む血の色に、レイスは眼鏡を押し上げて驚いた。

「ひどい、また血まみれじゃないか。すぐに治療しないと。往診の帰りでよかった。診療所へ戻るぞ。ほら」

「触るな」


 焦って闇から連れ出そうとするレイスの手を、ハダシュは本能的に払いのけた。


「ハダシュ」

「俺に関わるんじゃねえ」


 ハダシュは獰猛にうなり、後退った。


「そんなこと言える状態じゃないだろう」

 レイスは驚いた顔で言いつのった。

「いいから自分の姿を鏡で見てみろ。そんな傷で平然と歩き回っているほうが余程おかしいぐらいの……」


 ハダシュは逃げだそうとして、眼を押し開いた。レイスの背後。暗闇に、男が立っている。

 レイスは不思議そうにハダシュの視線を追い、何の気なしに振り返った。

「誰だ。知り合いか?」

 困惑の面持ちで尋ねる。


 次の瞬間、男はレイスに襲いかかった。

「危ないな」

 思いのほか俊敏な身のこなしでレイスは男の突進をかわす。その隙にハダシュは男へと駆け迫った。拳を叩きつける。


 相手の顔が恐怖にゆがむ。見慣れた表情だった。

 ハダシュは殴り損ねて壁で自爆する愚を控え、男の胸襟をつかんだ。足払いをくらわし、側頭部をぎざぎざの壁に削りつけながら闇に引きずり込む。


 逃れる間も許さない。一瞬で血だるまになってゆく男のベルトから幅広のナイフを奪い取り、喉へ刃を押し付けた。


「俺に何の用だ」

 凍てついた瞳で男を見下ろす。

 相手の喉仏が、ごくりと上下した。擦り下ろされた顔半分から血がだらだらと垂れている。


「何してるんだ、ハダシュ君、喧嘩はやめたまえ……」

 レイスは動揺した声を裏返らせ、あたふたと駆け寄ってくる。


「来るんじゃねえ」

 怒鳴りつけようとした、その瞬間が命取りだった。

 痛烈な蹴りが鳩尾に突き刺さった。


 ハダシュははねとばされ、むせて、よろめいた。

 次いで背中から踵落としが落ちる。そのまま地面に叩きつぶされた。額が割れた。血が噴き出す。

 口の中にも同じ鉄錆の味が広がった。気が遠くなる。

 這いつくばるように体を起こす。膝が震えた。眼の焦点が合わない。


「やめるんだ、おい、君、暴力はいけな……」

 制止しようと男の肩を掴んだレイスは、あっけなく男の拳に振り払われた。

 先ほどの身のこなしとは別人のようだった。鞄の中身を盛大に撒き散らしながら路地の奥へと叩き込まれる。崩れるごみの山がレイスを埋めた。


 どうやら失神したらしい。ごみに埋もれたレイスの身体は、びくりとも動かない。

 ハダシュは逃げるに逃げられず、よろめき、後退った。


 男は腰にぶら下げていた太い棒を持ち出して構えた。


 一面に黒光りのする鋲が打ってある。あれで顔面を殴られでもしたら、頭蓋骨ごと顔の半分をごっそり持って行かれるだろう。


「二目と見られない面にしてやる」

 男が熊のような腕をさすって嘲った。


 ハダシュは唾を吐いた。粗野な仕草で口の端をぬぐう。血と砂の混ざった嫌な味がする。錆び付いているのはどうやら身体だけではなさそうだ。

 死への嘲弄を取り戻さなければならない。


 ハダシュは奇妙な好奇心にかきたてられて尋ねた。

「俺の値段を聞かせてくれ」

「聞いてどうする。命乞いか」

「自分の価値が知りたい」

「ラウールも目端の利かんことだな、こんなヤク中のクズ一匹始末するのによ」


 男は舌なめずりをせんばかりだった。ハダシュは愕然とした。まさか、ラウールが、自分を。

 奥歯をぎりぎりと噛みしめる。男はその表情を見て、そっけない笑いを放った。


「もう、用なしだとよ」

 棒を振りかぶった。

「分かったら死ねや、クズ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る