3.可憐なドレスには銃が似合う

第7話 王国巡察使。自治区の内情を調査する任務を帯び、時には強権を以て不正を弾劾する国王直属の調査官。

 窓も、洒落たあかりもない。じりじりと油臭い煙をくゆらせた真っ赤な蝋燭一本だけが灯っている。

 壁の棚には木彫りを施した櫃がいくつかと邪悪な刃物、鞭、道具が転がり、脇のテーブルには飲みかけの酒瓶と中身のこぼれたグラスがあった。部屋の中央には薄汚い布を積み上げたベッド。


 ふいに、突き飛ばされてきた男がベッドに倒れ込んだ。その背中に黒い法衣が投げやられる。鬱金のサッシュが無力に床へと滑り落ちた。

 それは数時間前、酒場でハダシュとすれ違っていた男だった。


「とんでもない背教者ですな。マイアトールの神官ともあろうお方が」


 両手首を背中にねじり取られていては、ベッドにうつ伏せ、弱々しく身じろぎするしかない。まとった荒麻の衣は、受けた暴力の痕跡をまざまざと残して破れ、血をにじませていた。


「驚きました。サヴィスどの、まさか、貴方のような清廉潔白な御仁が、卑しき高利貸しのもとにおいでになろうとは」


 太い声が残酷にせせら笑う。銀の指輪をはめた手が、無理やりねじ向けた神官の顎を形が変わるほど乱暴に鷲掴んだ。

 神官は男と真正面から向き合い、その顔形を認めて驚きの声を上げた。痩せた背中に肩胛骨のかたちが陰惨な影を浮かび上がらせていく。顔をつかまれ、動けなくなって、神官は悲痛に呻いた。


「カスマドーレ……謀ったのか」

「口がすぎますぞ神官どの」


 恐ろしい声とともにぴしゃりと鳴る平手打ちを頬に見舞われ、神官は絶句した。銀の指輪をはめた男は、ことさらに侮蔑の声を投げつける。


「貴方がローエンにご自身を売り、そして私が貴方を買ったのです。今さら逃げることは許しません」

「このような真似をして私が屈するとでもお思いか」


 神官はかたくなに言い張る。男は目を酷薄にほそめ、肩を揺らして含み笑った。


「そんなこと言えたお立場ではないでしょう。もう遅いのです。あの金をどうなさるおつもりですか。貴方が手を着けた、あの金。どうやって穴埋めしようというのです。ご自分がなさったことを胸に手をお当てになって思い出されませ」

「それは」


 神官の声がわずかにうわずる。首にかけたペンタグラムがベッドに転がり落ちた。


「ご心配なさいますな」

 男は懐に手を入れ、勿体を付けた仕草で銀の鍵束を取り出した。じゃらりと鎖が鳴る。

 冷たい笑いが眼の裏奥をかすめた。

「そこにある櫃の鍵です。この鍵を差し上げましょう。足りなければもっと」


 ひたひたと頬に押し当てる。神官は蒼白な顔をなおいっそう背けて、弱々しく強がった。


「断る。あなたの施しだけは受けぬ」

「ほう」


 男は櫃を開け、中の装飾品をざらりとすくいあげると、わざと指の隙間からこぼれ落ちるがままにしてそれを見せつけた。貴石の粒が跳ねて転がり、床にみだれ散る。透き通った音が雨だれのように続いた。


「気位だけは高くあらせられる。さすがは元騎士、といったところですか。はてさて、レグラム総督には何をどのようにお伝えしたものか」


 男はわざとらしい思案のため息をついて見せた。

 神官はそれを聞いてぞくりと身をすくませた。目が恐怖と惑乱に見開かれる。わななく視線が男に向けられた。

「何のことだ」


 男は残忍な確証を得たのか、にやりと一歩進み出た。


「いけませんな、聖職者ともあろうお方が後ろ暗い過去をお持ちとは」

「後ろ暗いことなど何もない。勘ぐるのは止してもらおう」

「いいのです。人間とはそういうもの。何もかも存じ上げておりますよ、神官どの。例えば、貴方が」


 男は声をひくめ、手を扇のかたちに添えてひそひそと耳打ちする。

 神官の顔がみるみるうちに青ざめた。


「でもそれを責めたりはいたしません。あなたはこの街に必要なお方。あなたがいなければ聖堂に集まる貧しいものたちはどうなります。あなたを慕ってやってくる子供たちは。あなたがいなければ皆死んでゆくでしょう。そうでしょう。そうお思いになりませんか。なればこそ」


 心の裏側に忍び込むような声だった。


「眼を瞑るのです」

「何がいいたい」


 神官は顔をゆがめたが、その声はすでに抵抗を無くし、力なくよどんでいた。

 男は棚にあったナイフを取り、やや不器用な手つきで神官の手の縛めを解き放った。神官はねじられた腕が戻る痛みにうめき、ベッドにつんのめった。


「眼を瞑るのです。たとえ何が起ころうとも。そうすれば、今後ともずっと慈善事業を続けていられましょう。今までと同様に、何ごともなかったかのように」


 吸い込まれるような酷薄さが男の声に混じる。

 神官はふいに身体を大きくふるわせた。


「それはできない」

「神官殿。申し上げたはずです。もう遅い、と」


 口調が嘲弄の熱を帯びる。

「あきらめなさいませ。貴方はもう、罪を知ってしまわれた」


 神官は男の宣告に凍りついた。絶望にうちひしがれ、弱々しく首を振る。男はその様子に慇懃な薄笑いをつくってみせた。


「色好い返事をお待ちしておりますよ、サヴィスどの。それでは」


 いつ立ち去ったものか、気が付けば薄暗い部屋に神官はひとり取り残されていた。

 ぎごちなく掌をみつめ、うめいて。ふいに顔を覆う。


「神よ」

 罪深い手の中で自身を追いつめ、他にすがるべき言葉も無くうつむく。

「神よ、私は」


 神官は身体をよじらせ、ベッドを拳で叩いて声にならない叫びをあげた。



 ここにシャノアを評する二つの言葉がある。

 「欲望の街」、「二つの顔」。


 危険きわまりない船旅で鬱憤をため込んだ船員たちが、歓楽街で常軌を逸したらんちき騒ぎを起こしてまわる一方、瀟洒かつ機能的な各領の商館が整然と立ち並ぶ港界隈は、治安のひとつも乱れる様子がない。むろん、その裏には至極まっとうな理由がある。誰も指摘しないだけのことだ。

 それらの中で有力とされるギルドは、銀を商うギルドである。銀ギルドの商人は、シャノアに集中した大陸産物資を、海を隔てた隣国バクラントに産する銀と交易する。今ではその銀が王国の貨幣経済を支えていると言っても過言ではない。

 それゆえシャノアはルイネード侯領にありながら国王より直々に任命される総督および議会を中心とした自治体制を布くことにより、王国の直轄的支配下におかれている。


 現在、シャノア総督の任にあるのはレグラムという官僚だった。

 そのレグラムのもとに、今、二組の客が訪れている。一方は招かれざる客だった。


 開けはなった窓からは、太陽の光を反射して金鱗のようにかがやく紺碧の海が見下ろせる。

 さらに遠くへ目をやると、さまざまな地方独特の模様に染め分けられた帆をたたみ停泊する優美な帆船や、近海沿岸をたどってやってくる底の広い貨物船などが数十隻、沖に碇を降ろして入港を待っているようすが見てとれた。


「で、巡察使どの、本日はどういった御用向きで」


 突然の訪問に、レグラムはせわしない仕草で汗を拭き、すでに空となった鬱金のゴブレットを再度口に運んだ。

 王国巡察使。自治区の内情を調査する任務を帯び、時には強権を以て不正を弾劾する国王直属の調査官とその部下。ある種の人間にとっては疎ましい部類に入る職名だ。


「黒薔薇が表立って活動していると分かっていて、なぜ何の対処もなされていないのか、それをお聞きしたいのですわ」

 ラグラーナ王国巡察使ラトゥース・ド・クレヴォーは、青くきらめく瞳でレグラムを見つめた。


 おっとりと品の良い顔立ち、喉元まである清楚な若草色のドレス姿にレースの手袋をはめ、白いつば広の羽付帽子を膝に置いている。

 さながらサロンへ赴くかのような出で立ちではあったが、腰にはごつごつと巨獣の皮膚のように分厚いガンベルトをぶら下げている。

 その表には、あからさまな威光を垣間見せて憚らぬ王国紋章が刻まれていた。

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