第5話 兄と、風呂


「こっちがいい」

 男の人は家から出ると、僕たちを案内し始めた。

「まってまって」

 三菜斗は男の人の横に並んで歩く。僕はその数歩後ろをついていく。

「お兄さん、名前は?」

「野原ヒトト」

「ひとと?」

「本名?」

「さあ」

「まぁいいや。ヒトトさんね」

 二人の背中から聞こえてくる声に、僕は「ヒトト……」とつぶやいた。すると、当のヒトトさんがこちらを振り向いて、「気を付けて歩いてね」と言った。

「ここ、不法投棄物ばっかりだから、どこかが突然崩れ始めるかも」

「まじで」

「歩けるようにはしたつもりだけど」

 確かに、ゴミの山は通路らしき地面をよけて積み上げられいる。

 ヒトトさんは自分の作った家から30メートルくらい離れたあたりを指定した。

「この辺ならいいよ」

「やったー」

「ちょうど、露天風呂作ろうとしていたから」

「露天風呂!?」

「そう」

 ヒトトさんは、廃材の山からすでに選び出していたような物を指さした。

 そこには、ビニールシートやら鉄骨やらが並んでいる。

「どうやって作るの?」

 自分が作れるかどうかを試されていたことなど忘れて、三菜斗兄は首を傾げた。

「まずは、枠を作る」

「枠?」

「風呂の枠」

 ヒトトさんは鉄のパイプをつなぎ合わせると言っているようだった。

「へー」

 三菜斗兄は感心した素振りですでに鉄パイプを一つ持ち上げている。

 僕も一瞬持ち上げようとして、思ったよりも重かったので、二人の作業を眺めることにした。

「枠を作って、土台の上に固定する」

「地面に直接座ると痛いから、ベニヤを敷く」

「その上からビニールをかける」

「水を入れてふたをして、温まるのを待つ」

「え?」

「太陽熱で温める」

 それだけ? とぽかんとした顔で言った三菜斗兄に、ヒトトさんはうなずいた。

「今の気温なら何とかなる」

「あぁ、なるほど……」

 梅雨が過ぎようとする時期、日差しは十分強くなっている。

「簡単だな」

「ふろの湯を沸かすくらい、誰にだってできる」

「だとよ、十善」

 ヒトトさんの言葉に三菜斗兄が胸を張る。僕はため息をついた。

「自分でできるんじゃなかったの? 三菜斗兄」

「出来る出来る、次からは」

「それじゃあ、水を貯めるか」

 家から長いホースを引っ張ってきたヒトトさんは、即席のビニールシート風呂に水を貯め始める。

「ホースの中にたまってた水だけでも結構あったかいな」

「え、ほんと?」

 ヒトトさんのホースの先に手をかざして、三菜斗兄は「あつっ」と大げさに驚く。

 じわじわとたまり始める水をしばらく眺めていたけど、このまま立っていたら水より先に僕たちの方がゆだってしまいそうだった。

「あー、うちくる?」

 ヒトトさんが、そろそろ正中しそうな太陽を見上げていった。

「行きます!」

 三菜斗兄が即答した。



「君たち、学校は?」

 家の方に向かって歩きながら、ヒトトさんが聞いてきた。

「今日は休みです」

 祝日で、僕と三菜斗兄以外は出払っている。

「あ、そうなんだ」

 世の中の暦に無頓着そうな返事をして、ヒトトさんは家の戸を開けた。

「おじゃましまーす」

「おじゃまします……」

 家の中は、外から見るよりもずいぶん広く見えた。細く開けた窓の隙間から涼しい風が入ってくる。

 外からの光だけで十分明るい室内には、テントの中にいるような気持ちにさせるものがたくさん置いてあった。

 折り畳みの椅子、机。寝袋が乗ったコット。太陽光充電中のランタン。カセットボンベにつながった小さなコンロ。ブリキのコップと、そこに刺さった歯ブラシ。

 端末は見えなかったけど、小さなスピーカーから音楽が流れているから、どこかに存在はしているのだろう。

 きょろきょろと見回す僕たち二人に、ヒトトさんはコットを指さした。

「客用の椅子とかないから」

 そういいながら、麦茶っぽいものを差し出してくれる。

 色のあせたプラスチックのスープカップに、お茶が入っている。

 いろいろと動いてのどが渇いていた三菜斗兄は一息で飲み干してお代わりをもらっている。僕はゆっくりと、上澄みをすするように口をうるおす。

 ヒトトさん自身はブリキのコップでお茶を飲みつつ、古ぼけた椅子に座った。

「あの風呂、どれくらいで入れるようになるんですか?」

 三菜斗兄が聞いた。

 ヒトトさんは少し悩みつつ、「夜」と言った。

「え、夜?」

「風呂は夜に入るもんだろう? それに今日の天気だと、日が出てる間はかなり熱くなると思う」

「えー、俺入りたい」

「夜に来れば」

「いいの」

「どうぞ」

「あの」

 二人ののんびりとしたペースの会話についていけずに、僕は口をはさんだ。

「ここは、ヒトトさんの家なんですか?」

 これは、僕がずっと聞きたいことだった。

「そうだよ」

「この土地自体がそうなんですか?」

「うん、この辺は俺の土地だよ」

「持ち物制限に引っかからないんですか?」

 僕が確認したいのは、結局そのことだ。どうやってこんなに大きな土地の、いろいろなものがおかれた場所を一人で持っていられるのだろう。それとも、実はほかにも人がいるのか。

「俺の持ち物は、467個」

「え?」

「この土地と、服とか、そういうもの」

「家は?」

「家は数に入らない」

「何でですか?」

「この世に無いものを利用しているから」

 ヒトトさんの言葉に背筋がぞっと寒くなる。

「お化け?」

 僕と同じことを、三菜斗兄も思ったらしい。素直に口に出した。

 僕と三菜斗兄の表情に、ヒトトさんがにやりと笑った。

「この家、本当はないものだから……」

 冷たそうな表情をされると、からかわれているはずだと思っていてもちょっと怖くなる。

「なんてね、簡単なことだ。

 ここは、不法投棄のゴミが集まった土地で、ゴミはそもそも所有物にカウントしないから、だからゴミから作った家も、所有物としてはカウントされないんだ」


(頭のいい人ね)


 母のつぶやきが頭の中をよぎった。

 確かに、すごい人なのかもしれない。

 でも僕はそれ以上に、不思議だった。


「何でそんなことを考えて、苦労して、この家を作ったんですか?」


 持ち物が467個なら、まだまだ所有制限には余裕がある。それなのに何で、この人はこんなことをしているのだろうか。

 僕の質問には答え慣れているように、ヒトトさんは言った。


「ただの実験だよ」

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1000分の10の冒険 @11necchi3

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