第8章 我とマルカの

1.


 敵軍到達想定日までに、できる限りの手は打った。

 南方戦線に後詰めを頼む急使を発する一方、チマオ侍従長には西部戦線に戻ると同時に援軍を急遽編成してもらうため急行させた。また、国内巡察中のグートを捜し、彼に手勢を遊軍として指揮させるための使者も発した。

 できたばかりの砦は焼いた。推定される敵の数では、砦の守備兵力など一揉みで揉み潰せてしまうし、むざむざ敵に使わせてやるのも癪である。

 兵糧の減耗を抑えるため、ヒトの住民に避難勧告を出し、近隣の集落や山野に避難させた。もちろん武具の補修や補充を行う職人は除いてであるが。先日の新郎はこの措置に引っかかったのかどうか。調べる暇は、我には無い。

 ヒトの避難が大混乱の末に収束に向かった頃、敵軍の姿が地平線の彼方から沸き始めた。防壁際に立つ井楼から遥かに見透かすと、最初黒かったそれは次第に人馬の形を取り始め、それとともに甲冑や刀槍の陽光に煌めくさまが目に付きはじめた。恐らく我が軍の3倍はいるであろう。

 我は後方に下がらなかった。敵が来るたびに逃げるのは、国全体の士気に関わるのだ。我には捕らえた兵士を馴致し、味方を増やす役目もある。

「来たな……!」

 守将のユーゴスが、我の脇でつぶやいた。防戦の指揮は彼に一任してある。この村の防壁は、この1カ月の工事で高さも厚みも増したのだ。あとはやれるだけのことをやるしかない。

 何事もなければ、うららかな春の日であるはず。だが、まるでそのような気分になれない。

 ふと身近で身じろぎを感じ、我は振り向いた。戦時下とて動きやすいよう、旅装したマルカが緊張した面持ちで、唇を噛みしめていた。

「マルカよ、下がっていよ。もうじき始まる」

「いいえ」と彼女は首を強く横に振った。

「私は陛下のご武運を信じています。陛下を、信じています」

 その瞳に宿る強い光に見とれているうち、我の心は定まった。

 そうだ。勝つのだ。勝って、この者にこんな緊張を強いるのを、もう止めにするのだ。

 我に見つめ返されても動じないマルカを、いつまでも見ていたかった。だが、しゃりりと抜剣の音がして、その時は終りを告げた。

 剣を抜いたユーゴスが振りかぶり、三拍後に振り下ろす。

「射よ!」

 号令一下、無数の矢が敵軍目がけて放たれた!

 一瞬遅れて、敵は当方に対し突進を開始する。矢が敵に突き刺さって起こる絶叫、盾や兜が矢を弾き返す甲高い音、矢の雨を逃れた敵勢の吶喊。たちまちのうちに、ついこの間まで牧歌的ですらあったこの村の周囲は合戦が放つ騒音で満ちた。

 我が軍は善戦していた。敵の槍を払いながら、防壁上の兵が槍を下に突きこむたび、敵兵の絶叫が上がった。弓は間断なく矢を放つぶんぶんという音を奏で、敵勢が密集していることもあって、刺さるかどうかはともかく中らないということがないほどである。

「ご注進! ご注進!」と多方面からの伝令がやってきた。井楼の梯子を駆け上ってきて、息をつく暇もなく我らに向かって告げる。

「東門は善戦中! 敵勢は防壁に取り付くことすらできません!」

「西門は懸命の防戦中! 敵の突撃はなんとか撃退しました!」と別の伝令が叫ぶ。

「なぜだ?」

 伝令を下がらせたユーゴスが呟いた。その鋭い眼は、敵軍の後方をにらんでいるように見受けられる。

「いかがした?」

「はっ!」とユーゴスの代わりにその幕僚が答えた。

「指揮官殿は、敵に攻城兵器が無いことに疑念を抱いておるのです」

 言われて我も、目を凝らす。確かに無い。思えば、先回押し寄せた軍勢も、攻城兵器の類を持ってきていなかった。破城鎚はあったようだが、そんなもので破れる防壁ではない。長めの梯子を掛ければ乗り越えられる高さではあった。だが、あれから高さを積み増してあるのだ。敵に備えがないというのは、どういう――

「敵勢、後退!」

 幕僚の叫びに、どっと歓声が上がる。正面の敵はもはや背を見せて逃げを打っていた。内心でほっと溜息を吐く。

「敵の攻城兵器の到着が遅れているのかもしれませんな」

「それならそれでありがたい」

 幕僚たちの声色にも安堵の雰囲気が流れる中、ユーゴスだけは未だ厳粛なままであった。

「どうした? ユーゴスよ」

「は……撤退ではなく、体勢を立て直しているように見受けられます」

 ユーゴスは伝令を呼ぶと、各方面に気を抜かないよう伝えさせようとする。

「なんだ? あれは?」

 突然の幕僚の声が、疑念を孕む。我は正面の敵を見据えた。

 戦列を整えつつある敵勢の真ん中を割って、1人の甲兵が前へと進み出てきた。兜を被らぬその顔は少年のような、青年のような。眼が、いや顔全体が生き生きと輝いているのが我の目を釘付けにした。

 あの眼。

「まさか……!」

 男は勢いよく大剣を抜くと、気合一閃! 大上段に構えて走り出した!

「射よ!」

 ユーゴスが慌てて命令するが、その声すら掻き消すほどの大音声が敵勢から、さらに男の総身から上がった。そして、男の振りかざした大剣の刃先に赤い光が宿り――

「勇者だと?!」

 男の疾走に間に合わぬ矢が、次々と大地に刺さる。その速さすら力に変えて、男は赤き光の大剣を力強く振り下ろした!

 轟音と絶叫が大地と防壁と井楼を揺るがす。北門は揺るぐ暇さえ与えられず、縦に真っ二つに切り裂かれ、叩き潰された。歓喜した敵勢の突貫が始まる。

「く……北門で食い止めよ! 何としてもだ! 行け!」

 ユーゴスが叫び、伝令が衝撃で外れた梯子には目もくれず飛び降りた。だが、市内に籠めてあった兵は倒壊した家屋の瓦礫に阻まれて間に合わず、北門から敵兵は濁流のごとく市内を侵し始めた。その先頭にあの赤き勇者がいて、彼が剣を振るたび、兵が、武具が、建物が両断されて吹き飛んでゆく。王たる我はその光景を、歯軋りすら面に出せず見ていなければならない。だが、ついに"その時"が来た。

「陛下」

「うむ」

「お逃げください」

 ユーゴスは我の前に片膝を突き、面を上げて言った。

「私自ら兵を指揮して奴を押し包み、時を稼ぎます。あわよくば、奴を討ち取ってごらんに入れましょう」

 あわよくば。何気なく使われたその言葉が、現下の劣勢を我の身に沁みさせる。我は努めて平静さを保った声で命じた。

「よかろう……奴を討て、ユーゴス。必ずやあの小僧首を我の前に持ってまいれ」

「御意」

 莞爾と笑ったユーゴスが幕僚たちを率いて、立て直された梯子を滑るように降りていく。コンが何事か叫びかけたが、降り立ったユーゴスはもはや振り返ることも無く、井楼から姿を消した。

「コンよ」

 我は逃げる前に、一つだけせねばならないことがある。

「……はい」

 コンは跪き、流れそうになった涙を堪える態でうなだれた。

「マルカを頼む」

「はい……!」

 それは、かねてよりの手筈であった。我の支配下地域内のとある村に、心利きたるヒトがいる。その者の元に、マルカを落ちのびさせる。

「な、嫌です! 私は陛下のお側に――「さあ、行くよ」

 マルカの絶叫を遮って、コンは軽々とマルカのほっそりとした身を肩に担いだ。

「嫌! 嫌! 離して! 陛下! 陛下!」

「生きよ、マルカ。これは勅命である」

 我は一瞥を与えたのみで、マルカの更なる泣訴を背中で受け続けた。しばらくして、ニカラに命じる。

「行くぞ、ニカラ」

「へい!」

 我はコンが走り消えたのを確認すると、梯子の下に繋いであった愛馬に飛び乗った。そのままひとしきり、戦塵を上げる北門を望む。

(すまぬ、皆の者。すまぬ)

 我は馬首を巡らせるとニカラのみを供にして、市外へ、その遥か先、防衛拠点を目指して馬を駆った。


2.


 あの日から2週間後。我は奥の院で、魍魎たちに最後の指示を与えていた。

 2日間、ニカラと馬を定期的に休ませる以外は走り続けて飛び込んだ拠点都市タンザにて、我は衝撃の悲報を聞いた。南方戦線のナツァトン将軍が討ち死にしたというのだ。しかも、野戦で激突の末後退する敵を追撃中現れた勇者に、激闘の末斬られたというではないか。

 拠点で防戦の準備をしながらも、我は絶え間なく届く凶報と悲報を聞き続けた。コミュニソーシャを襲った勇者勢は市外を破壊し、逃げそびれた住民を殺戮してここへ向かっている。

 南方戦線は崩壊し、奥の院に向かって進撃しようとしている勇者勢を遅滞戦術で食い止めようとしているが、恐らく無理だろう。

 西部戦線も中央を突破された。チマオ侍従長は行方知れず。軍勢の先頭に立つ勇者の剣風は激烈で、そやつがこじ開けた穴を軍勢が力押しで拡げ、戦線を修復することも、勇者勢の後方を遮断することもできそうにない。

 勇者。勇者。勇者。

 そう、ベイティア王は、3人もの勇者を旅立たせたのだ。それも、我らの予想を超える速さで。

 我は推論する。やはり王国の権門どもは学習したのだ。自らの血を流すことなく魍魎の王を滅ぼし、しかるのちになんの後ろ盾も生来持っていない、ゆえに捻り潰すことも容易い平民の勇者を生み出したのだと。そしてこの手が使えるのは一度きりであろう。ゆえに3人を送り出した。実に万全で、唸るほか無い。

 うつけどもめ。我は突破されて放棄した拠点からまたも逃げながら、勇者たちを嗤った。これほど歴代が不審死を遂げながら、その事実を知ってなお勇者候補として志願してくるのだ。よほどのうつけ揃いに相違ない。

 5日前には各地に撒いた伏兵の1つによって、勇者を1人討ち取ることができた。だが、残余の兵を吸収して進撃してくる勇者2人の率いる軍勢の勢いは止まらない。その最終目的地は、この奥の院。それは勇者勢が、我が支配下のヒト集落に送りつけた檄文で明らかであった。我を滅ぼして、奥の院にある石櫃を破壊し、今度こそこの戦争に終止符を打つそうだ。……それから勇者たちは、どうするつもりなのだろう?

 そして、ヒトの集落は、全てが王国側に寝返った。我の徳の無さを改めて痛感する。いくつかの集落では、勇者勢に抵抗したヒトもいるようだ。有り難いことでもあり、申し訳なくも思う。

 東岸にて海の民対策をとっているはずのグートとも連絡が取れない。

 逆転できる余地は少ないだろう。ゆえに、敗残の兵とともに立てこもるこの本拠も、そう長くはあるまい。

 マルカは、無事であろうか。防衛の――あるいは最後の悪あがきの――手配をしながら、そのことを再々考えるようになった。マルカを預けた者が心変わりしたら。潜伏がばれたら。そう考えるたび、胸が痛む。やはり、連れて来るべきだったのだろうか。

 もはや、あの者にも会えぬな。その想いが我の胸を締め付けた。石櫃を破壊されれば、我は再誕できぬ……たとい勇者を全て斃し、失地を回復したとしても、彼女の意思を無視して我の元を去らしめた事実に変わりはない。いったい、どの面下げて会いに行くのだ? 彼女を預けた村まで遥かに遠く、我がたどり着いた時にはもはや流転し、家族すら持っているかもしれない彼女に。

 また、胸が痛む。

 そういった諸々の思いをこの身から振り捨て、代わりに我は王の正装をまとった。いつもの短剣を佩き、ただニカラのみを従えて、本拠地の外周を鎧う城壁の上や大手門前に整列した魍魎たちの前へと向かう。

 演説をするための台に上って、一渡り兵たちを見回したあと、我は息を吸い込んだ。

「魍魎たちよ、我が良き臣下たちよ。今日のこの戦いで、我らが歴史の闇に沈むか、闇の縁で踏みとどまるかが決まる」

 一旦言葉を切り、もう一度兵たちを見渡して、我は言葉をつむいだ。

「くどいことは言わぬ。勇者を討て。彼奴らの刃に散っていった仲間のためにも。何より我ら自身のために、その力を、剣を振るえ。

 諸君の力闘に、期待する」

 決死の覚悟に青ざめていた兵達の顔色が、赤く燃える。その口からほとばしり出るのは、勇ましき雄叫びか、あるいは。

 その喧騒の中、我は指揮官に、宝物蔵から出した剣を一振り下賜した。何代か前の王が勇者を斃した時の戦利品だ。その指揮官に防衛戦の全てを任せて、我とニカラは奥の院に下がった。門前に椅子を持ち出して座る。比高の高いこの場所は、本拠の周囲がよく見渡せるのだ。

 そして、敵の大軍の揚げる喚声も。始まった。

「ニカラよ」

「へい」

「何を探しておるのだ?」

 ここ数日、ニカラの挙動が不審であった。時々遠くを透かし見て、何かを探している風情だったのだ。忙しさに紛れて問う暇も無かったが、心が定まった今は不思議な余裕ができていた。大地がわずかに揺れる。門か城壁が圧壊されたのだろう。

「やっぱ、間に合わなかったのかな、と」

「何がだ?」

「いえね、今更だから言いますが――来た!」

 ニカラの声が跳ね上がる。我も彼につられて見透かし、ありえぬものをそこに見た。

 コミュニソーシャで別れたはずの、ここにいてはならないはずの、マルカ。彼女がコンを従えて、角飾りを揺らしながら、丘腹の石段を駆け上がってくるのだ……!

 マルカの声が聞こえる。我を呼ぶ、あの透き通った声が。

「陛下! 陛下!」

 我は知らず立ち上がっていた。軍勢の激突する轟音を遠くに、我の元までたどり着いたマルカとコンが、息を切らせながらも笑っている。

「コンよ」

「は、はい」

「我の命令を、無視できたのか?」

「とんでもない!」とコンは怒り出した。

「あたしは命令を守りました! マルカちゃんを置いて、ニカラとの約束どおりここへ走ってこようとしたんです!」

「ニカラ?」

「すいやせんね、マルカちゃんじゃなくて、コンを待ってたんすよ」

「でも、この子ったら――」

 コンがマルカの頭を撫でて、髪をくしゃくしゃにした。

「ずーっと追いかけてくるんですよ。私の後を。泣きながら」

 コンは息を継ぐと、ゆっくりといった。

「置いてけるわけ、ないじゃないですか」

 為されように膨れて髪を急いで整えるマルカを見つめる。マルカも我を見つめ返してきた。潤みを湛えた瞳には、そこに写る我同様、もはや心の定まった光が溢れていた。

「さ、陛下とマルカちゃんは中へ。いろいろ積もる話もあるでしょうし」

 ニカラが奥の院の建物を指さした。それだけでなく、我とマルカの背中を押して、門内へと押し込む。

「あたしたちに命令してください。ここを守れって。時間を稼いでくれって」

 コンは静かに言い、微笑んでいる。

「――頼む。奴らを中に入れるな。勇者を討ち取れ」

「へい!」「わかりました」

 我とマルカは奥の院の建物へ向かった。閉じられてゆく門の隙間から、2鬼の会話が漏れ聞こえる。

「コン」

「あ?」

「すまねぇな」

「何が?」

「最期の相方が、ユーゴスの旦那じゃなくってよ」

「……いいさ」

 我とマルカは正面の階段を上って奥の院の中へと入り、大きな扉を2人で閉めた。

「マルカよ」

「……はい」

 ひんやりとした空気の室内を石櫃の前まで進みながら、我はマルカに問うた。

「なぜ、ここに来たのだ?」

 マルカは淀みなく答えた。腰に帯びた長剣の柄に手を添えながら。

「陛下とともに生き、死のうと思っていたからです」

「我はそなたに、生きよと命じたはずだ」

「できません。だって――」

 振り返った我に、マルカは言い放った。決然と、あるいは分からず屋を諭すように。

「私は魍魎ではありませんから。むしろご命令どおり、ここまでちゃんと生き延びてたどり着いたんです。褒めてくださいませ」

「だから」と我は怒りを押し殺して口を開いた。

「死ぬなと言っておるのだぞ。なぜ、我とともに死ぬ必要がある?」

「私は」とマルカは頬を赤らめて微笑んだ。

「陛下のことが好きだからです。初めてお会いした時から、ずっと……」

「……ずっと?」

「はい!」とマルカの笑みが、恥じらいと、少しの怖れを含みながら広がる。

「だから私は、みんなに嫌われたんです。私が、私だけが、陛下を救い主ではなく男の人として、見ていたから……」

 好きだから。その言葉に呆然とした我の中で、今までの彼女の言動が色付き、組み上げられていく。それは我の心をも揺り動かし、我の心を締め付けていた真実を剥き出しにした。

「我は――」俯き、息を吐き出して、また吸って。

「そなたを好いておった。いや、今でもだ。なればこそ、なればこそ、そなたには生き延びてほしかったのだ」

「良かった……」

 つぶやく彼女の目から、涙が一筋こぼれる。敵兵の声が近づいてきたように聞こえるが、我はそれを振り払った。

「良くない」

「どうしてですか?」

 我は全てを吐き出すように言った。なぜ分かってもらえないのか、といぶかしみながら。

「好いている者が死に行く姿など、なぜ見たい? 奴らに狙われておるのはそなたではない。我なのだぞ? それに……」

「それに、なんですか?」

「我は、そなたの望みをかなえてやれぬ」

 我は己を嗤った。

「我はそなたを抱きしめてやれぬ。そなたがあの祝言の日に夢見ておったようには……できぬのだ……」

 我は恐れた。周知の事実とはいえ、マルカの落胆を見るのが怖かったのだ。だが、マルカは笑みを見せた。

「いいえ、陛下」

 はにかみながら両手を大きく広げて、

「私を、抱きしめてくださいませ。そして陛下と、いえ、あなたと一緒に闘う力を、私に下さい」

 我は彼女の満面の笑みに変わった顔を正視できず、俯いた。目を硬く閉じて――そして、意を決する。我はそっと目を開くと、彼女の背中に両の手を回して彼女を抱きしめた。できるだけ優しく、ほっそりとした彼女の温かい体を、この腕に。

 身体を巡る赤黒い光を彼女は穏やかに受け入れ、魍魎と化した。頭にまだ着けていた角飾りが外れ、石造りの床に落ちて四散する。その音に、外の絶鳴が重なった。

 我は初めて、魍魎を美しいと思った。彼女の面長で端正な面影は損なわれず、ただ、側頭部から生える一対の山羊のごとき角すら優美に感じる。

 いつの間にか、マルカの手も我の背に添えられていた。その温かみに浸りたかった。だがマルカの、小首をかしげて期待するような恥らうような表情を見て、我は思い出した。

 まだ儀式は終わっていなかったのだ。我は再び目を閉じて、同じく目を閉じたマルカにゆっくりと唇を重ねた――

 契りは、長くは続けられなかった。建物の扉に得物が叩き付けられている音がし始めたのだ。まさに無粋な訪いはまもなく暴力そのものに変わり、分厚い石扉は大きな音を立てて崩壊した。その残骸を飛び越えて、2人の甲兵が姿をさらす。

「いたな、魔王!」

 叫んだ兵から順番に石床を踏み鳴らし、堂々たる、しかしうつけそのものの名乗りが始まる。

「極炎の勇者! バクセンラフィ!」

「旭光の勇者! ハルートヤピーマ!」

 鼻で笑いかけて、我は思い直した。最期くらい、付き合ってやるか。

「下郎、推参なり!」

 我は勇者たちをにらみつけると、声高らかに名乗った。

「魔王、レイト・ローザン・ボウツキである! うつけども、よくここまで参った。我が妻とともに相手してつかわす!」

 傍らで勇者たちに敵意を剥き出しにしていたマルカが、目を見張って我を見た。その顔はすぐに獰猛な笑顔へと変わる。

「さあ、参るぞ!」

「はい!」

 我と妻はそれぞれの剣を抜き放ち、勇者たち目がけて突進した。


唯能の魔王と角飾りの少女 終


※最後まで読んでいただき、ありがとうございました。2017年6月1日(木)から、この物語を前史とする『繚華の龍戦師 Ⅰ』を公開します。お楽しみに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

唯能の魔王と角飾りの少女 タオ・タシ @tao_tashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ