影に生きるもの

 クシムは、鬱屈しているわけではない。ヤマトから派遣されてきた官吏どもをよく補佐し、文句も言わず働いている。軍事のことには天才的な適性を発揮したが、民政においてもやはりその能力は活きた。

 このところ、地震が多い。それについて、火の神がヤマトに対し怒っているのではないか、先のヒコミコの怒りが地を震わせているのではないか、というような民の声も、上手く収めていた。

 クナの国として治めていた広大な地域はそのまま残ったわけだから、やることは多い。春になれば、ヤマトは大陸に再び使いをするという話だから、その中継点としての準備もある。

 イヅモだけが、完全にクナから切り離された。イヅモの地を治めることに携わっていた、クナから派遣していた者はそのまま送還されてきた。その代わりにヤマトの吏が入っており、今イヅモがどうなっているのか、何も知らされることはなくなった。

 しかし、クシムは知っていた。彼が前任者であるユン老人から引き継ぎ、使っていた情報網、諜報網は、今も人の中に、街路のちょっとした暗がりにすら、生きていた。

 今、イヅモはヤマトの指揮のもと、積極的に民の移住が進められているようだった。オオトを拠点とし、鉄器の生産力を更に高めるつもりらしい。もともと、鉄器の生産はオオトでも盛んであったが、イヅモの地の技術の方が遥かに効率的に、かつ質の高い鉄が造れる。ヤマトとオオトとを繋ぐ山の斜面に、イヅモを真似た巨大な鉄の生産工場が造られようとしているらしい。

 巨大な斜面を利用し、下で焚かれた火が上に広がるにつれ勢いを増し、最も高い場所に造られた炉で、鉄を溶かす。その火を更に強くするため、箇所ごとに建造物があり、人が巨大な木の板を足で踏み、ふいごから空気を絶えず送り込む。いわゆる、たたら製鉄である。この製法が日本に伝来したのは六世紀頃と言われるが、イヅモにおいてはもっと早くから用いられていた可能性が示唆されており、この物語では、ヤマトもその方法を導入したこととする。また、イヅモの砂鉄は純度が高く、硬く、強い鉄ができる。

 こうなってしまった以上、もう、クナにはヤマトをどうすることもできない。クシムは、今日の作業を終え、その報告に、ヤマトの吏の頭の部屋を訪れた。

 この肥った男は、一日何もせず、ただ食ってばかりいる。ひとしきりの報告を終えると、

「わかった、行け」

 と、やはり蝿を追うように言うのである。クシムは、平伏しながら、

 ――肥れ。肥れるだけ。

 と思っていた。吏も、ヤマトも。肥れるだけ肥ればよい。

 火の山が、また地を揺らした。


 セイは、部屋で夕餉ゆうげをとった後、部屋で武具の手入れをしている。剣を磨き、飛刀を一本ずつ並べ、それも磨いた。部屋に焚かれた火が、鉄に映り、セイを照らしている。

「なんだ」

 部屋の外の気配に、声をかけた。クシムである。

「クシムです」

 と、クシムが扉を開き、入ってきた。

「どうした、ヒコミコ」

 と彼は、クシムと二人のときにだけ用いる呼称で声をかけた。クシムが、ヤマトがイヅモの製鉄を輸入しようとしていることを、報告した。

「そうか」

 とだけ、セイは言った。今は使い道のない飛刀を一本、手に取って光にかざした。セイが、持ち込んだ話題にさほどの興味を持たぬため、クシムはその他必要な報告事項を済ませると、退室しようとした。

「ヒコミコ」

 セイが、その背を呼び止め、

「オオトのタクに、渡りをつけておけ」

 と言った。火が、その顔を横から照らし出している。


 暫くすると、タクのもとに、クシムからの使いがやってきた。オオトの製鉄所の建造の状況や、その規模などを知らせてほしいという。

 タクは、知らせても差し支えのない範囲で、それを教えてやった。やはり、まだ、クナとの連絡を切ったわけではないらしい。繋いでどうするのか、タクにも分からぬ。しかし、何かの役に必ず立つ、と理由のない確信があった。

 また、製鉄所のことを聞いて、どうするのか、とも思った。あちらはあちらで、分からぬが何かの役に立つ。と思っているのであろう。一つには、呼び掛けにまだタクが答えてくるのかどうか確かめる意味もあったのであろう。

 戦いに勝ち、タクの方が上位に立ったわけであるから、クナのためにタクが使われる理由などどこにもないし、教えてまずいことまで答えてやる義理はない。まだ自分に連絡がつけられる、ということを知らせてやるだけでよい、と思った。

 また、タクは、吏としてクナに送った自らの部下から、その様子の報告を逐一受けている。今のところ、地震が多い程度で、特に不穏な動きもなく、もともとクナの運営に携わっていた者どもも、問題なく働いているようだ。しかし、何か、ある。タクは、それを見極めようとしていた。それがヤマトに利するものかヤマトを害するものか、タクに利するものかタクを害するものか。

 依然として、クナの誰が自分に連絡を付けてきているのか、分からない。あちこちの人や物の流れの中に、それは巧みに隠されていた。今のところ、タクはそれを突き止めようという気もない。冷たい光の目で、連絡を運んでくる者どもと話をするだけであった。

「父様、いまの者は?」

 イヨが、部屋に入ってきた。そのとき、入れ違いに退出してゆく連絡役の者と、たまたま鉢合わせになったらしい。

「なんでもない。役目の者が、色々な報告に来ていたのだ」

「そう」

「イヨ、どうしたのだ」

「今日は、コウラがヤマトに行っているから、退屈なのです」

「それで訪ねてきたのか。そういえば、このところ、お互いにゆっくり話もできていなかったな」

「お忙しそうだから、また今度にします」

「いや、構わぬ。入りなさい」

 イヨは、嬉しそうにタクの前に、ちょこんと座った。こういうところは、まだ多分に娘らしさがある。

「春になれば、また大陸に使いをするのですね」

「そうだ。もう、その準備を始めている」

「わたしも、一度行ってみたい」

「馬鹿を言え。春に行って、帰ってくれば、もう夏だ。それに船に何かあったらどうする」

「わかっています。言ってみただけです。船に乗る、などと言えば、コウラがどんな顔をするか」

 その顔を想像したのか、クスクスと笑った。

「イヨ」

 イヨは、返事のかわりに可愛い顔を少し傾げた。

「お前は、女王になりたいか」

「まさか。女王は、ヤマトのヒメミコでしょう」

 変なことを訊くものだ、とイヨは笑った。

「そうか。では、女王にならなければならなくなれば、どうする」

「難しいことを、仰るのですね」

 イヨは、あれこれ思考を働かせているらしい。ぱっと顔を上げると、

「コウラの妻になって、コウラに王になってもらいます」

 タクは、苦笑した。

「コウラに、代わってもらうのか。では、コウラすらもおらぬとき、どうする」

 イヨは、汚れのない笑顔で、断言した。

「ヒメミコも、コウラもいなくて、わたしだけの国?そんな国、あっても仕方がありません」

 タクは、少し眼を伏せた。再びその眼を上げ、

「そうか」

 と微笑んだ。

「大陸の国の人も、イヅモも、クナも、みんな、そうだと思います。一人っきりでなんて、生きていけない」

「そうだな。国だけがあっても、仕方がない」

「父様は、変なことを言うのですね」

「済まぬ。このところ忙しくてな。お前の顔を見ると、ついこのような取りとめもない話をしたくなった」

 タクは、話題を変えた。

「コウラとは、上手くやっているのか」

「ええ、とても」

「コウラの、妻になりたいか」

「はい」

 とイヨは、やはり汚れのない笑顔を見せた。姫がその世話役と結ばれるというのは、どうやらよくあることらしい。まだ政略的な婚儀などの意味合いの薄い時代だから、単に求め合う者同士で結ばれてもよい。サナの、マオカ、トミ以外の妹たちは、ヤマトがまだ小国であったころ、その質として例外的に他国に嫁いでいったりもしたが、彼女らは今どうしているのであろうか。病で死んだり、そのクニの王の妾になっていたりしており、生きているものはヤマトがその地域を併吞するとき、「回収」してもよかったのだが、既に子を成し、その地での人生がある者ばかりであったから、あえて回収する必要もないので、そのまま、いるということを確認するに留めてある。

 戦国時代などであれば、間違いなく回収は行われていたであろうが、なにぶんおおらかなこの時代のこと、ヤマトにはサナが絶対の女王として君臨しており、その妹として既に死んだがマオカ、トミがおり、サナを除くそれぞれに子があるのみで良かった。それに、サナの三代前の、大陸の文献に「卑弥呼」として記録されているヒメミコの次の王がそのお付きであったサナの祖父であったように、この時代の王権は、必ず血族による世襲でなくてはならない、ということはなかったということもある。

 だが、ヤマトの地で暮らすイヨには、女王になる可能性が十分にある。当の本人は、そのことを全く意識もせぬし、考えたこともないようであるが。なにも、タクはサナを排し、イヨを王位に就けようなどと思っているわけではないし、そのためにあれこれ日陰に日向に策を敷いているわけではない。

 重ねて言うが、タク自身にも、今となっては己の大願が、どうすれば叶うのか分からなくなっている。しかし、彼の大願は、変わらず今もある。

 それについては、筆者が今タクに問うたところで、お茶を濁して終わるに決まっているから、物語の進行に委ねるしかない。

 間違いなく言えるのは、ヤマトの統一によって、影が少なくなり、クシムやタクのような、影で生きてこその人間にとっては、ひどくやりづらくなっているということである。

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