戦いを知らぬヒメミコ

 引き続き、イヨとコウラの話に触れておきたい。

「クナとは、どんなところなのじゃ」

「さぁ、私は、行ったことがないので、分かりませぬ」

「でも、クナと戦って、やっつけたのであろう」

「クナと戦ったのは、イヅモの地です」

「イヅモとは、あのイヅモか」

 女王の姪として、イヅモが非常に開けた先進地域であることくらいの知識は教育されている。好奇心のまま、イヨはなおも聞いた。

「イヅモとは、どのようなところじゃ」

「このヤマトの地から、西へ、北へ。山あいの地域を突き抜けて北の海まで出、十日から十五日ほどのところにあります。イヅモは海も近く、西と東に、大きな湖があり、低い丘に囲まれた地でした」


 イヅモとは、こんにちで言う出雲大社のある出雲市のことではなく、松江市の東部のことである。無論、出雲市もイヅモの地である。が、都邑とゆうは松江市の東、先に描いた通りの、南北に丘陵がせり出した漏斗ろうとのような地形にあった。マヒロがおうの海を渡り、イヅモの西側に上陸したのが、今、松江城や県庁のあるあたりであろう。そこから松江市を横切って、東の端に、現在「出雲旧国庁跡」として史跡の残るところを攻めたことになる。無論、その史跡はもっと後の時代の国庁であるが、この太古の時代の都邑も、そこにあったこととする。

 また、カイが潜んだ南の丘陵地帯は、これより後代の有力者や豪族の墓が集まっており、今でも岩肌を穿ってそのまま墓にしたような珍しい古墳が保存されていたりする。もちろんこの時代にはなく、王族の墓が、簡単な盛り土とともに並べられているだけであったが。


 イヨは、好奇心が旺盛であった。サナは、同じ歳の頃、明るく快活であったが、そのふしぎな体験の数々によって、知らずと神宿しの雰囲気を備えており、「ざしきわらし」のように人々に親しまれながら、やはり「ざしきわらし」がそうであるように、どこか神聖で、畏れられもした。しかし、イヨにはそのような力も魅力もない。あるのは、旺盛な好奇心と、な女の子の部分のみである。それではいかぬ、とタクが一計を案じたのが、「実りの巫女」としての評判であったのかもしれない。

 コウラは、イヨに、丁寧にイヅモの地のことについて教えてやった。勿論、イヨもクナとの死闘のことを聞き知ってはいたが、彼女は戦いというものをその目で見たことなどなく、遠い国の話のように思っていたから、それほどの興味は示さない。

 それよりも、どのような場所で、どんな生き物がいて、どんな人が暮らしているのかを聞きたがった。娯楽の少ないこの時代のことである。イヨはとても熱心にコウラの話を聞いた。今日は、外は雨であるから、話す時間は多くある。

「よいな、コウラは」

 話の切れ目で、イヨが言った。

「なにがです」

「そのように、我が目であちこちのことを見、我が身であちこちのものに触れられて」

「ヒメミコ」

 イヨは、細く美しい目を瞬かせた。

「私は、そしてヤマトの兵は、命をかけて、それらの地に戦いに出たのです。その地の兵と戦い、互いに傷つきながら、私はその風景を見たのです」

 イヨは、魂を抜かれたような顔で、コウラを見ている。

「イヅモの地では、クナの王とマヒロ様が、その命の全てを懸け、戦われました。我が父オオミも、その弟カイも、その他多くのヤマトの地域から集まった軍も」

 コウラの口調が、だんだん、熱を帯びてくる。

「一歩間違えば、私は今、ここにはいなかったかもしれません。私だけでなく、マヒロ様も、ヤマトのヒメミコも」

 コウラの言うことを理解して、涙を浮かべだしたイヨを、真っ直ぐに見つめた。

「――ヒメミコも」

 雨のせいではない、重い空気が部屋を覆った。イヨの眼からも、雨粒が落ちた。

「すまぬ、コウラ」

「よいのです。今こうして生きている我らは、その足元に、その進んできた道に、そこで戦って血を流した者がいる、ということを忘れてはならぬのです」

「戦いは、怖い」

「私も、怖い」

「コウラも、怖いのか。ならば、なぜ、戦いに行くのじゃ」

 イヨの手を、コウラはそっと握った。

「私の大切なヒメミコを、守らねばならぬからです」

「わたしのために?」

「そうです。ヒメミコがこうして、末長く平穏に日々を送れるよう、私は戦ってきたのです」

「もう、戦いはないのであろう?」

「今のところは。先のことは、分かりません」

「次は、誰と戦うのじゃ」

 イヨが、手を握り返してきた。

「それも、わかりません」

 コウラは苦笑した。

「敵とは、きっと、生まれながらにして存在し合うのではなく、水の流れのように形を変え、通り過ぎたり留まったりするものなのでしょう」

「また、新たな敵が出てくれば、戦うのか」

「それが、私の役目ですから」

 コウラは、優しく微笑んでやった。その笑顔は、多くの死線をくぐってきた者のそれであった。情緒の豊かなイヨは、コウラの優しい微笑みを、どことなく哀しいもののように感じた。


 タクの送った吏は、先に触れたようにクナの本国に入っている。イヅモは、ヤマトの直轄領となり、他の地域のように候を置いて自治することはさせず、交代でヤマトから管理するための吏の団体が送られた。総責任者は、タクとマヒロである。民も多くヤマトに移住させ、その技術を導入したりと、イヅモに関しては積極的に同化政策を取っている。そのため、「国内」の民治の頂点にいるマヒロが総責任者であることは勿論、「国外」政策の頂点にいるタクも、名を連ねる必要があった。後代ほど複雑な政治機構があったわけではないが、二人の話し合いで、そう決めていた。

 マヒロも、いい歳になった。この物語が始まったときにはまだ十四、五歳で、今のコウラよりも若かった。しかし時の経つのは早く、もう三十代の半ばになっている。とすると五つ離れたサナは、もう二十代の後半か。タクはサナと一つしか歳が違わぬから、やはり三十になるかならぬか、という頃か。ついこの間生まれたばかりと思っていたイヨが、もう大人の言葉使いをするようになっているのである。無理もない。

 はじめ、数あるヒメミコのうちの一人の世話役だったマヒロと、敵国から人質のようにして送られてきたタクであったが、彼らは時の流れと共に己の道を定め、そして進み、今、大国クナと、太古からの先進地域イヅモの仕置きについてあれこれ人を使い、指示を下し、ヤマトの安寧に尽くしている。はじまりは、皆、同じ場所から。その歩む道が人を進め、進む先に、また道ができるらしい。

 そういう意味では、クナのセイとクシムも、同じである。セイもクシムも、この世に存在しようとしまいと、世自体にはなんの影響もないような身に生まれたが、ちょっとしたきっかけで、セイはヒコミコがクナで唯一の存在となることをたすけ、クシムは、たまたま彼が聡明であったことと、ヒコミコと同じ名を持っていたことで、クナの頭脳そのものとなった。彼らもまた、一つのきっかけを、自が人生に取り込み、活かし、道にした。その道は閉ざされ、別の道がヤマトによって提示されたわけだが、そのようなとき、人はどうするものなのであろうか。従い、新たな道を己の道として進むのか。閉ざされた先にもまだ道はあると信じ、抗うのか。それは、彼ら自身にも、わからない。しかし、彼らにも注意深く目を向け、描いてゆくうち、見えるものであろう。

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