第五章 重ね火

護るもの

 オオトの浦から海に出、陸沿いに進んで南、東、北と方向を変え、そして再び陸沿いに南下すると、あとは東の方角に延々と陸地が続いている。

 その地域は、大小のクニが様々に連合しており、彼らはその総称として「ヒトココ」という呼称を用いていた。この聞き慣れぬ音節で彼らの地域が大陸の影響薄く、独自の文化を保って独立していることを思わせる。どのような字を当てるのか知らぬが、「卑斗呼呼」などという字を当ててみれば、古代の趣たっぷりになるのではなかろうか。

 現在でもそうであるが、この地方は気候も良く、海に対して大きく開けているために、人々の心も非常におおらかである。彼らは西のヤマトの女王と、そのまた西のクナの王が争っていることなど、気にも止めていない様子であった。


 その地域を、リュウキの生前に取り決めていた規定方針に従い、抑えることになった。彼は死んだが、彼がもたらした大陸的な発想は、確実にヤマトの行動原理に根ざしており、それに基づいた行動である。

 クナは四国の南半分を完全に抑えたとはいえ、こんにちのリバーシゲームの白黒のように、北半分を中国地方から挟み込むことで、中央の山岳地帯に住む人々が裏返るのを待っている段階であった。それが成れば、近畿地方一帯を範図としているヤマトの倍以上の領土を持つことになる。

 この時代、生産力こそが国力であった。すなわち、領土を広げれば総生産が上がり、動員できる兵力も増えた。また、大きな連合の傘下に入ることで、他の外敵からの侵攻も受けにくくなるため、領土が広い者ほど有利であり、後年よりも、更にその傾向が強い。


 サナは、ヤマトの楼閣の上の居室にいた。

「任せる。上手くやれ」

 いつもの指示が飛ぶ。サナは滅多に国政や軍事に口出しをしない。それは、彼女の周囲に非常に有能な者が揃っていたためでもあったし、彼らが彼女をいかに頼みとしているのかを知っていたからでもある。それゆえ、自分が少しでも意見を差し挟めば、彼らの折角の知恵と働きが曇る、と思っていた。彼女は少なくとも、彼らにとっての、「精霊の声を聞く女王、陽の巫女」であろうとしていた。

 無論、マヒロやユウリやタクなど、近しい臣は彼女の開けっ広げで、がさつで、ものに頓着せぬほんとうの姿を知っていたが、近しい臣であればあるほど、例えば、民が思うような火を焚き、踊り、呪文を唱え、神がその身に降りれば気を失い、再び起き上がったときにはその人格は消滅している、というようなあり得ない巫女の姿でなく、例えば小鳥と戯れ、あるいは蝿を追い、犬を可愛がり、川で遊び、ふとしたときに振り返り、ぽつりと神の声を伝える彼女こそ、神宿しである。と思っていた。

「クナの動きは、どうじゃ」

 その神宿しが、訊いた。

「今のところ、大きな動きはありません。どうも、クナは、一度戦をしては休み、ということを繰り返すようですので、当分はこちらに向け兵を発することはないかと」

 タクが進み出て、言った。

「何かあれば、お前がクナの動きを封じるのだ」

「はっ」

「頼むぞ、蛇よ」

 いたずらっぽく笑った。その笑顔は娘の頃と寸分も変わらず、タクは思わずはっとした。

「では、儂とタクは、残る。マヒロが指揮を執り、ヒトココを降すということで良いな」

 と軍事の最高責任者であるユウリが、まとめた。

「それと」

 マヒロが言葉を挟み、

「コウラを伴ってゆきます」

 イヨ付きの世話役でありユウリの孫であるコウラに、はじめての実戦を体験させることを付け加えた。

 多少の小競り合いはあっても、オオトやクナとの戦いのような大規模なものにはならず、楽な戦いで終わるはずであったので、初陣にはちょうど良いかもしれない。


 マヒロを筆頭とした船団は、オオトの地を発し、海路十日足らずでヒトココの地に着いた。

 上陸し、軍をまとめ上げる。遠くの空に、ヒトココの人々が「フジ」と呼んで崇めている、見たこともないほどに大きな山が浮かんでいる。その山の頂は春でも白く、稜線は黒々と縁取られ、まさに神の山と呼ぶに相応しい偉容であった。ヤマトの地にあるオヤマはもっと小ぢんまりとしていて、その神は、もっと人々に身近であった。怒りもせず、泣きもせず、ただ隣人のように気さくな存在であったが、このフジの神は、普段はおおらかにひとびとを見下ろしていても、それだけにひとたび怒りを発すれば、大地を揺らして火を噴きそうであった。

 今回上陸したのは歩兵四千を中心に、マヒロの旗下百騎ほどの騎馬であった。

 旗下と言えば、このときマヒロは自らの印である旗を用いるようになっていた。自ら射った鹿の革を貼りあわせた茶色地の真ん中に、サナと同じ黒い一本線が走っている。

 マヒロの脇に立つその旗の下に、コウラもいる。当時甲冑は貴重品であったので、身分の高い者しか用いないものであったが、マヒロは私財を投入し、自らの騎馬隊には全て鎧、兜を身に着けさせており、コウラの分もあつらえてやっていた。


 ちなみに、当時の歩兵の武装として一般的なものとしては、武器に剣もしくは矛を用い、左手には青銅もしくは革、あるいは鉄の盾。鎧は大層なものではなく革を重ね分厚くしたものか、大陸の技術が流入している地域やクニの都邑の王の直属部隊などではそれに加えヘルメットのような簡単な兜に、筒袖鎧とうしゅうがいと呼ばれる、鎖帷子のような(正確には鎖ではなく、薄い鉄の板を繋ぎ合わせたもの)軽量なものを用いていた。

 しかし、胴をすっぽり覆うような形状の鎧は、身体の自由が利きづらく、騎馬での戦いには不便であったため、マヒロは筒袖鎧を改良し、胴、肩、腕を別々の部品にし、それぞれが鉄板の組み合わせによって構成され、馬上で身を捻っても身体の運動をさまたげないものを考案し、それを造らせて用いていた。大陸式の甲冑である。


 鈍く輝く先進的な装備を身に付けたコウラは、嬉しそうだった。剣、弓、矛はもちろん、武器を失った際の格闘術までたっぷりとマヒロの指導を受けていたし、まだ歳が若いとはいえ大人同様の体躯に恵まれていたコウラは、兜で隠れている無邪気な笑顔さえなければ、よほど身分の高い強者であると見間違えるほどであった。

「コウラよ、将たる者は戦場で、はしゃぐものではない」

 マヒロは、ゆくゆくは将帥となることが約束されているこの若者をたしなめた。

「はい」

 素直に従うのも、嬉しそうである。

「大きな戦にはならぬ。しかし、気を抜くな」

 と、この神がかり的な武を持つコウラの保護者は言った。


 軍は、その偉容を見せつけるように進軍する。ヒトココの人々がまだ見慣れていない馬なる生き物に跨がり、美々しく統一された甲冑の一団を先頭に、鉄の武器を光らせながら進む先進地域の軍四千に、手向かう者などなかった。

「ヤマトの者である。この地の王に、その将来の繁栄を、約束しに来た」

 と呼ばわりながら進んだ。

 ほとんどのムラを素通りのようにして通過し、兵糧などは財を与えて購った。マヒロは僅かな最低限の量しか求めず、なおかつ求められる以上の財を与えた。


 それには、ヤマトの国力を見せつけ、噂を広めさせて戦意を無くさせることも目的のうちとしていたところもあるが、マヒロにしてみれば、出来るだけ無駄な損失なく、素早くこの事業を片付けてしまいたかったというのが本音である。

 彼は、亡きリュウキから受け継いだ思想として、両者血まみれになりながら戦い、最後まで立っていた方が勝ち、というような戦の仕方がいかに愚かであるかということを知っていたし、最も上手い戦いの仕方とは、戦いをせずして相手を制することである、と思っていた。

 それとは別に、武とは自らを支える唯一のものであり、それこそが、マヒロの誇りでもあった。だから一層、武を磨いたが、マヒロ自身は殺し合いを好まぬ、優しい将帥となり、その人格が完成されていた。


 物語の始まりから、どれほどの時が経ったのであろう。

 少なくとも、マヒロはもう二十代の半ばになっている。サナが余りに歳を取らぬので、マヒロも筆者も、彼らの歳を数えることが馬鹿らしくなってしまっており、あまり頓着しなくなっている。幾つであろうが、マヒロにとって自分は自分であり、彼の中で、唯一のものとして輝く太陽のようなヒメミコサナがあればそれでよかった。


 ひとつのムラで食料を購おうとしたとき、意外にも、武器を手にした男達が躍り出てきた。

「武器を引け。我々はヤマトから、このクニの王に話をしに来た。手向かいせねば財を払い、食物を受け取るだけでここは通過する」

 と呼ばわったが、ムラの父老ふろうは聞かず、二百人ほどの男たちを従え、抗戦の意を示した。彼ら曰く、

「いままで、我らは我らでやってきた。今さら西のヤマトなるクニの庇護を受けずともよいので、この地から立ち去れ」

 ということである。言い分としては分からぬでもないが、それで死んでは元も子もなかろう、と諭すが、聞かない。

 侵略者め、立ち去れ。

 そう父老は言い、矢を放った。

 それは唸りを上げマヒロの方に飛んできたが、山から海に向かってゆく横風にやや流され、マヒロのすぐ脇にいるコウラの方に曲がった。

 その一瞬のことに、コウラは身をすくめた。

 しかし、矢は彼のもとには届かなかった。

 マヒロが、飛来する矢を馬から身を乗り出して掴み取っていたのである。

 発達した腹筋を用いて体勢を戻すと、自らの弓にその矢をつがえた。

 マヒロの長弓を引き切るには短すぎる矢であるが、それでもマヒロは引いた。

 短いとはいえ、飛来したときよりも更に激烈な威力を持ち、矢は父老のもとへと還った。

 その矢は誰を傷付けることもなく、父老の背後に立つ者が持つ矛の先を砕いた。

「武器を、引け」

 こんどは、自らの長く太い矢を番えた。

「次は、外さぬ」

 この温暖な土地の空気が、マヒロに宿った火に包まれた。

「待て」

 と父老は言い、男達に武器を置くよう命じた。

「それでよい。このヤマトの武が、智が、これからはそなたらを守るであろう。ともに、生きよう」

 マヒロは笑い、食料を購って進発した。

 そういことはあったが、都邑に入っても、この争いを好まぬ穏やかな土地の人々は、マヒロらをほとんど抵抗することなく迎え入れ、王との会談が成った。

 王はヤマトの傘下に入ることを承諾し、「候」という呼称で呼ばれること、その名を広く明かすこと、ヤマトから派遣されてくる官吏のもとでヤマトの法を用いること、年に一度は臣従を誓うクニとしてヤマトに使節を送ること、財物の供出のほか積極的な交易に協力すること、他国の情報などは全て吏を通じてヤマトにもたらすことなどに同意した。

 また、上の取り決めに非違があれば直ちにヤマトの法をもって軍を発するが、非違のない限り、未来永劫、ヒトココの地の安寧を約束する。また、外敵の侵入などにより軍を欲する場合は、ヤマトの軍を惜しみなく使用できることを申し渡した。

 これで、血を見ることなくこの海に広く開けた沿岸部の一帯もまた、ヤマトの勢力下になった。

 マヒロは、ヤマトの地へ向け帰還することを命じた。脇に控えるコウラが憮然としていることに気付き、声をかけてやった。

 コウラは、答えない。あれがこの地の人々が崇める神の棲むと言うフジの山だ、行きと帰りではまた見え方が違うものだ、などと取りとめのない話題を持ちかけても、喉の奥で、ええ、と答えるだけである。船に乗り込んでから、重ねてマヒロが尋ねると、ようやく渋々と答えた。

 聞けば、せっかくの鎧も矛も、使う機会がなかった、と言う。彼としては、新しい装備を見にまとい、派手な戦いで活躍することを夢見ていたのかもしれない。マヒロは少し考え、腰に佩いている剣のうちの一本を外し、コウラの足元に放り投げた。コウラはその意味が分からず、剣を見ている。

「その剣で、おれを刺してみろ」

 コウラは、やはりマヒロの言う意味が分からない。

「どうした、コウラ」

「できません」

「なぜだ」

「マヒロ様を刺すなど、できません」

「おれが、お前にとって大事な者であるからか」

「そうです」

「戦うということは、人を殺めるということは、そういうことだ」

 言われて、コウラは考えた。

「俺が初めて戦いに出、人を殺めたのは、今のお前より少し長じてからだった。そのとき、今なお旗色を明らかにせぬ隣国のハラと戦になり、俺は、父を失った。父は、俺にとって大切であったが、戦いの中で敵の矛にかかり、首を落とされ、死んだ。俺はその後、乱入してくるハラの者どもからヒメミコを守るため、弓を、剣を執り、戦った。そのとき俺の殺めた者も、誰かの夫であり、父であったかもしれぬ」

 コウラは、やっとマヒロの言うことが理解できたようである。眼に涙を湛え、それがこぼれぬよう、堪えている。

「また、オオトの地に攻め入ったとき、おれは自ら軍を指揮し、オオトの王の首を刎ねた。そして、そのヒメミコのいる居館に押し入り――」

 マヒロは歩み寄り、放り出した剣を拾い上げ、抜いた。海の青か空の青か、その剣は青い光を放っていた。

「――この剣の持ち主であった、オオトのヒメミコを守る者と、ヒメミコを、刺した」

 コウラは、食い入るように剣を見ている。

「この剣には、オオトのヒメミコの血が染み込んでいる。あれが、おれとヤマトのヒメミコであったなら、どうだ」

 少し、言葉を切った。

「あの日斬ったのは、俺自身であったのだ。その後も、数えきれぬほどの人の血を、この剣に吸わせてきた。それは全て、我がヒメミコが、あの日のオオトのヒメミコのような目に合わぬようにするためだ」

「はい」

「わかるか、コウラ。お前は、ヤマトを守るため、お前のヒメミコのためでなければ、その剣に、血を吸わせてはならぬのだ」

 コウラの眼から、ついに涙がこぼれた。

「お前は、強くなるぞ、きっと」

 優しく言い、剣を納め、腰に戻した。


 途中の浦々で食料や水などを購いながら帰国し、その報告のため、コウラを伴いサナのもとを訪れた。

「マヒロ、ご苦労。どうであった」

「特に問題もなく、ヒトココの候は、ヤマトへの服属を誓いました」

「そうか」

「それと」

 留守を守っていたユウリの方を見た。

「コウラは、ゆくゆくはおれやユウリ様の代わりとなり、このヤマトを守る者になりそうです」

 と言い、微笑わらった。

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