若き獣

 リュウキが死んだ。あれほど献身的に尽くしていたハクラビが裏切り、それと分からぬよう殺したという。

 ユウリ自身と、大陸で医者をしていたことがあるという奴婢の診立てで、ただの病ではないことに気づいた。ナシメに事細かにリュウキの行動について訊いた中で、リュウキの体調が優れぬことに気づいたナシメに、渡海と大役の疲れが出たのであろう、ハクラビに腰を揉ませたが全く良くならぬ、と苦笑していた、というくだりがあった。

 証拠はないが、ユウリは、それだと確信した。

 ハクラビほどの拳の腕があれば、打たれた本人も気付かぬうちに、体内のある箇所を壊し、ひとつ壊れれば二つ壊れといったような具合で、ゆっくりと、味を噛み締めるように、体の中で何かを暴れさせるようなことができるのではないか、と。

 実際、ハクラビは、

「我が龍に、呑まれただけのこと」

 と疑いを確かめ、必要であれば捕らえるつもりであったユウリに、それを認めるようなことを言い、襲いかかってきたらしい。そのため、やむ無く斬ったという。

 ヤマトに戻ったマヒロとユウリから、サナはそう伝え聞いた。


「リュウキが」

 サナは、呆然としている。

「あれは、良い男だった。腕は立たぬが、頭が良く、なにより優しい男だった」

 思い返すように、遠い目をした。

「末の妹と好き合っておるようであったし、ゆくゆくは」

 リュウキの細い目がくしゃりと潰れるようにして笑う顔や、好んで着用していた大陸式の長い袖を合わせ拝礼する仕草や、細い目を見開いて瞬きもせず作戦を考えている姿などが、さまざまと浮かんだ。

「末の妹は、どうしておる」

「あまりの哀しみに、床に臥せっておられます」

「そうか」

「リュウキの亡骸は、ヤマトと海と両方が見渡せる山の頂の、開けた場所に葬りました」


 穴を掘り、リュウキの遺体を埋めた。金の腕輪、硝子の首飾り、翡翠の耳飾りなど、ヤマトの王家の者並の副葬品を一緒に入れてやった。

 最後に、彼が愛用していた洒落た冠を胸の上に置き、ユウリがハクラビの遺骸に突き立てた剣も、重ねて置いた。そして穴を埋め、盛り土を施した。

 マヒロが、怒りと涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、それを指揮した。


「しかしヒメミコ、おれは分からぬのです。何故ハクラビが、リュウキを殺さねばならなかったのか」

「儂も、その点が分からぬ。何者かの意を受けていたのは間違いないようであったが、決して口を割らなんだ。一体、誰がハクラビにそのようなことを頼み、あれほどよく尽くしていたハクラビが、何故その頼みを受けたのか――」

 サナは、ユウリとマヒロを交互に見て、

「はじめから、殺すために、側におったのであろう」

 と当然のように言った。

「なんと?」

「ハクラビがリュウキのもとにやってきたのは、リュウキがたまたま見つけたような形であるが、違う。きっと、それを装い、送り込まれて来たのであろう」

「そんな。一体、誰から」

「リュウキが、以前言うておったわい。このようなときは、そうなって誰が得をするのかを考えよ、とな」

 ヤマトに取って無くてはならない作戦立案の中枢であるほか、国家運営の重要な柱ともなっていたリュウキの死で、得をする者。

「クナしかあるまい」

 サナは、無機質な声で、ぽつりと言った。その声や表情からは、いかなる感情も読み取れない。

「あるいは」

 と言葉を継いだため、マヒロとユウリは次の言葉を待ったが、サナは二人の視線に気づき、

「何でもない」

 と目を伏せた。


「手を離すのが、早い」

 遠くクナの地で、セイは、拾い子のような形で連れているクシムに、飛刀の打ち方を教えていた。

「見ていろ」

 セイは、高杯たかつき(この時代食事などに用いられた、足の高い食器)の上に胡桃くるみを一つ置き、三十歩の距離を取った。

 空気が、一瞬止まる。

 気が満ち、セイは飛刀を放った。

 放たれた飛刀は高杯を揺らすことなく、胡桃だけを砕いた。

「その目当てだけを狙うな。目当てを通りすぎ、さらに背後にある点を、線で結べ」

 クシムは、ほとんど口を利かぬ。

 ヒコミコやセイ達が、彼の生まれ育ったムラと家族をも焼いたわけだが、その焼けた跡からは、新たな人格が生まれているようであった。

「今日は、これまで。あとは一人で剣を振っているがよい」

「はい」

 セイは彼のもとを去り、ヒコミコの居室へと向かった。

「クシムの様子は、どうだ」

「特に、変わりなく」

「そうか」

「今日は、飛刀の打ち方を教えておりました」

「その調子でお前のような男がもう一人でき上がれば、俺は息苦しくてたまらぬわ」

 とヒコミコは笑ったが、セイは表情を変えず、

「ヒコミコはいつも勝手をなさるので、私が何人いても足りません」

 とそっぽを向いた。

 ヒコミコは、三十歳を越えているはずである。セイも、もうすぐ三十歳になる。ヒコミコには非常に多くの妻と妾がおり、子も多くあったが、セイは性格のためかまだ妻がなく、したがって子もない。

「ヒコミコ」

 セイは、視線を戻し、ぽつりと言った。

「クシムを、私の子にしてもよいでしょうか」

「構わぬ」

「ヒコミコ」

「なんだ」

「なぜ、あのとき、クシムを助けたのです」

 ヒコミコは、部屋の外に視線をやった。クナの春は、ヤマトの春よりも、やや温暖である。春になり活動が盛んになるどんな花も虫も獣も、ヤマトのものより色彩が濃い。風も、どことなく色が濃いように思う。それが、この気性が激しく、感受性の強い男は、好きだった。

「同じであったからだ」

 セイは言葉の意味が分からず、訝しい顔をした。

「俺と、だ」

「なにがです」

 と、セイはもう会話が面倒になってきたようで、さっさと切り上げたそうだったが、ヒコミコが、ただならぬことを言った。

「俺と、同じ名を持つからだ」

 セイは弾かれたように容儀を正し、平伏した。彼は、聞いてはならぬことを聞いた。

 その名を支配することは、その者の魂を支配することになる。という思想のもと、貴人の名は決して口にせず、ましてや王の名となると、親や兄弟以外は、決して知ることなどありえなかった。

「畏れ多きこと。ヒコミコの御名を、やすやすと口にするものではありませぬ」

 セイは我が主をたしなめた。

「よい。お前は、俺の名を知っておけ。それに、お前が名を知っていようがいまいが、俺の魂は、ここにある」

 と言って胸を叩いた。

「身に余ること」

 二人はしばらく、ヒコミコと同じ名をもつ少年の話をした。

 彼は、幾つなのだろうか。恐らく十歳ほどかと思われる。本人に聞いても、数えていないので分からない。と言う。弓は幼い頃からよく用いていただけあり、上手い。他に、剣を使い、今は飛刀の練習をしている。頭も良いようであり、上手く育てれば、セイの老いた後も、それを継げるであろうと思えた。

 一方、軍師ユンは、なにやら以前より放っていた手の者が敵の軍師を葬ったらしいことを報告してきた。

 大陸の先進的な軍学を極めた彼からすれば、この国のおおらかな、それこそスポーツのような戦いに対して呆れるような気持ちを持っており、同時に自分以外で唯一ではないかと思われる、大陸の軍学を同じように極めたヤマトの軍師を恐れた。

 リュウキそのものではなく、リュウキがヤマトにいることを恐れた。

 力業だけではなく、この優秀な老軍師は、最小限の労力で最大限の効果を得る方法を様々に持っているらしかった。

 先王に取り入り、ヒコミコにそのまま仕え、己の知性の限りを尽くし、そのことにのみ喜びを感じる粘り気の強い老軍師が、セイは苦手であった。

 苦手というより、はっきりと嫌いであった。しかし、彼のもたらす、常に斬新な魔法のような策こそが、クナがここまでの大国として成長をしてきた要因の一つであることは、紛れもない。

 だから、斬らずにいる。それにセイは、彼がもたらした大陸式の新たな国家論の信奉者であり、ヒコミコこそが天下唯一の王たる資質を持つ、と信じて疑わなかった。その自らの支柱の一つとなる考えをもたらしたあの息の臭い老人を、そういった面では尊敬していた。

 先王の時代から、彼はヤマトを含めた他国に様々な工作を仕掛けており、今も、ヤマトの中にいるなにがしという者と頻繁に連絡を取り、策謀を巡らせているらしい。セイから見てその姿は不気味である。


「クシム」

 ヒコミコのもとを離れ、クシムのもとに戻ったセイは、に言った。

「ヒコミコの、お許しを頂いた。今日より、お前は私の息子だ」

「はい」

「今日から、私のことは父と呼ぶように」

「はい」

「私が老いたり、死んだりすれば、お前がヒコミコを守るのだ」

「父上」

「なんだ」

「聞いてもよろしいですか」

 セイは、聞こうとする表情を作って見せてやった。

「ヒコミコが老いたり死んだりすれば、どうすればよいのです」

「阿呆。滅多なことを言うものではない」

「はい」

「息子よ」

 セイは、珍しく笑っていた。

「話すのは、面倒か」


 人が育っているのは、ヤマトにおいても同じである。

 イヨに付けられたユウリの孫コウラは、ユウリやマヒロなど歴戦の英雄の教育を一身に受け、まだ年若ながら早くも武と智の才を発揮しており、長じればヤマトの柱石となることは間違いない。

 春の日差しが照り付ける中、コウラが棒を持ち、それを矛に見立て、マヒロに撃ちかかってゆく。

 最近、コウラは二日に一度、オオトから山を走って越えて来て、マヒロのもとで稽古を付けてもらっている。

 コウラから繰り出される棒には意外な速さと威力があるが、無論マヒロの敵ではなく、マヒロが手に無造作に持った棒に、あっさり弾かれる。

「焦るな。焦って突き出してはならん。腰を落とせ」

 マヒロの静かな声がコウラに落ちる。

「気をめろ。満ちるまで、待て」

 マヒロはこれまで、構えを取ることなくコウラに打たせ、それを弾いてばかりであったが、この日はじめてコウラに対し、構えを取った。

 大地が、落ちてゆくような感覚にコウラは囚われた。マヒロの眼が、いつもの穏やかな光から、くらく、深い色に変わってゆく。

 あぁ、これは、怒りだ。とコウラは思った。

 呑み込まれる、と思った。

 次の瞬間、何かが、上から下に頬を掠めた。

 そして、風が遅れてやって来た。

 コウラの頬が、切れていた。

 そして、手に握っていた棒が、短くなっている。

 マヒロが振り下ろした棒は、コウラの頬の薄皮の一枚を切り、手に握った棒に触れるとそれを斬り落としていた。

 コウラは、小便を漏らした。

「今日はこれまで。服を替えろ」

「はい」

「ところで、お前、オオトにおるのだから、タクに稽古をつけてもらったらよいものを」

「タク様に?」

「そうだ、タクは、俺と変わらぬほど強い。今はどうか知らぬが、昔はそうだった」

 この数年はタクが武器を執ったり稽古をしているところを見たことがない。恐らく、タクに武術の心得があるのを知る者も減っているのではないか。

 このコウラは、本人も気付かぬうちにユウリが送り込んだ、ていの良い間者でもあった。

 タクが武器を使えるにも関わらず、マヒロのもとで稽古をせよと言い付け、二日に一度遠ざけるというのは、依然怪しげな行動をしているのかもしれなかった。マヒロは少し眉を曇らせたが、コウラに笑いかけ、

「また、明後日。オオトの様子も、また知らせてくれ」

 と言って送り出した。

 コウラは元気よく返事をすると、また山への道に向かって、駆けて行った。

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