火の神

 これまで散文のようにみじかい話をならべてきたが、ここで少し視点を変えてみたい。

 ヤマトのクニがあるのは、こんにちの我々が本州と呼ぶこのブーメランのように湾曲した島のちょうど真ん中のあたりに存在する、小さな盆地である。

 この時代、意外にも海上交通は非常に発達しており、大陸から様々な文物や風俗が流入しているほか、クニ同士の交易もさかんであった。

 海運が盛んであればあるほどクニの文化的、技術的発展は速く、力を持ち、大きくなる。ヤマトやハラが属する大国オオトのようなクニが、ヤマトがある本州の西の端に連なるやや小さな島、我々の言う九州にあった。


 クナというこのクニは、大陸からわずか海路二十日から三十日という海運のよさから、いちはやく先進的な技術や知識を取り入れ、またたく間に己の存在する島のクニグニをその勢力のうちに取り入れ、ヤマトが存在する、こんにちの地理的用語で言うところ本州西部のあたりにまで傘を広げている。

 その傘が広がった理由としては、クナ自身が膨張政策を取っており、従わぬクニを力でもって屈服させてきたのが半分、あとの半分は並み居る小国がみずからの意思でこの先進的な大国の傘下に入りその庇護を受けようとすることであった。


「魏志倭人伝」の通称で馴染みのある「三國志」のある一節に、われわれの祖先の風俗について、

「浅い、深いに関わらず水によく潜り、漁をする」

「水難を避けるため、身に文身いれずみをしている」

 などの記述があるというが、そういった風体の者はサナの時代では沿岸部の小国などに残っているものの、大きなクニの直接支配を受ける地域では殆ど見られない。


 クナにおいてはむしろ大陸的な、人類にとっての新しい秩序や規範を持っており、明確な租税の制度や組織化された軍、洗練された兵器を持ち、移動や軍事に馬を使役し、諸国を従えていた。

 この馬という現代において馴染み深い動物は、大陸においてはこれより数百年前の秦帝国がまだ王国であった時代、それまで戦車(武装を施した木製のクルマ)を曳くために用いられていたこの動物に直接人間を乗せ、圧倒的な機動性を持たせて、柔軟な作戦行動と戦術の実現を可能にし、強威を誇ることに一役買ったものであったが、この時代のサナたちの暮らす列島においては僅かな量を大陸から輸入しているに過ぎず、本格的に国内での生産と軍事利用がはじまるのにはまだ一世紀以上の時間を要する。

 元来、平地に乏しい我々の島々では大陸のように無数の戦車を連ねた大会戦には向かず、むしろ小回りの効く騎馬の方が適していた。そこにいち早く着目したクナは、大陸的な膨張主義をもこの島々においてはじめて取り入れたクニであり、その実現に馬というものも多大な貢献をしている。

 クナは、政治、軍事の両面において、「国家」の体を成していた。


「ヒコミコ」

 と、やはり男性の貴人を意味する普通名詞で呼ばれるクナの国王オオキミはまだ若く、自身も大いに武器を扱って戦に出て働き、それゆえに国内や勢力下の諸国の信望が厚かった。

 王は、この島々を席巻し尽くすことで、「国家」を成立させるつもりであった。先王の時代にクナの勢力の東側に位置するクニグニを連合させ、オオトやヤマトを攻め、救援に参じたハラの英雄により退けられたことはすでに触れたが、その後今の若き王になってからはやや大人しいとは言え、それがかえって不気味でもあった。


「ヒコミコよ、その時が迫ってきております」

 と王家の政治、軍事を決定付ける神託を告げる役の占い師が、焼いて割れた鹿の骨を眺めながら厳かに言う。

「ユン」

 王は、傍らに控えた大陸生まれの男に声をかけ、

「先王の志を継ぎ、俺はこの島々に覇を唱える。それこそがこの島々に暮らす、全ての生命を最も安んじることである」

 と、規定方針を改めて告げた。

「ごもっとも。先王の偉業が半ばとなっている東の地へ使いを出し、オオトをはじめとした諸国を従えれば、ヒコミコのお志は成ったも同然。更に東の果てのクニまでなびきましょう」

 ユンは賛同した。彼は大陸の魏という国のある武将の軍師として仕えていたが不都合があり、脱走のような形で出奔し、あちこち転々としたのち朝鮮半島を経由しこの列島に渡ってきたらしい。

 勿論はじめは言葉もままならなかったがクナの先王がいち早くその慧眼けいがんに気付いて取り立て、ユンを通して大陸の軍事や政治を取り入れた。


 ユンは先王に天気の読み方や軍の動かし方、民治の方法を大いに教えたが、あるとき、

「ヒコミコよ、『覇王』という言葉をご存知か」

 と太古からの気風を残した、この穏やかな農耕狩猟民族に新たな価値観を植え付けることを始めた。

「この天下あめのしたをことごとく切り従え、ヒコミコこそがこの天下でたった一人の王となる。そのための道筋が覇道。それをなす者が覇王。そうなってこそ、はじめて民は一つになるのです」

「ユンよ、民を一つにすることに何か大いなる益があるのか」

「いいえ。もともと、我々は一つであったのです。それが時の流れとともに富める者、餓える者が現れ、そして従える者と従う者とに分かれました。それをあるべき姿に戻すことこそが従える者の責務なのです。そして彼らの外に絶対の一人として座する者こそが、王なのです」

 このとき、先王は稲妻に打たれたような衝撃を覚えた。

 それでは、まるで真昼の天に一つ輝き、全地をあまねく照らす神と同じではないか、と。


 こんにちの我々でも西洋的な考えや行動に憧憬の念を持つように、先王はこの時代の先進国である大陸の価値観に触れ、それを己が実現するのだということを思ったとき、太股がこそばゆくなるような快感を覚えた。

 このユンの一言がために「豊かなクニ」でしかなかったクナはこの列島に前例のない膨張主義を取り、僅かな期間で列島の三分の一を手中に収めることになった。


 クナは、地震が多い。クナの地より少し南に神が宿ると言われる大きな火山があり、その火山活動のためにひっきりなしに地震があり、何年あるいは何十年に一回噴火をする代わりに、その体積した火山灰が農耕に適した水捌けのよい土地を育んだ。

 クナの先王は、まず南下し、その土地に暮らす民が「ヒ」と自称しているクニを攻めた。

「ヒ」とは、言わずもがな「火」である。ごく近年まで「肥の国(肥前、肥後)」としてその名称は残ることになるが、この当時その地に住んでいた者が神の山を崇めそう自称したことがはじまりである。


 ヒのクニの素朴な民はクナの圧倒的な軍事力になす術もなく、村が焼かれ田が踏まれるのを呆然と眺める暇もなく逃げ惑った。

 女は犯され子供は殺され、瞬く間に都邑とゆうまで灰塵に帰し、王の首は刎ねられ一族もことごとく平地に掘られた大きな穴にいきうめにされた。王の一族の女は連れ去られ、帰国の途中でさんざん慰みものにされたあげく首を切られうち捨てられた。


 そうしたのち、都邑のあったところにクナの民を住まわせ新たなムラを建て、新設された「ヒ」のムラを治める者を置いた。

 クナの地のある島をひとしきりそのようにして平らげた後、次はみじかい海峡を挟んだ最も大きな島へとその手を伸ばすこととした。


 先王は非常に聡明であった。それまでの、力で相手を蹂躙して屈服させるという方法を十分に見せつけた後、

「これより我らに従うクニは、王の一族は勿論、民一人、草木一本とて損なうことなく、我らがその安寧を保つであろう」

 と宣言した。この時点で先王はすでにユンの教えを深く理解し、己の論理としてその思考を発展させ、行動していた。

 無論、大船団と大陸式の武装兵を後ろに従え恫喝しながらである。


 多くのクニがその傘下に入ることを宣言し、あるクニはおびただしい財物を、あるクニは千人の奴隷を、あるクニは王の妻と娘を供物として差し出し、誓いを立てた。そしてクニグニがまとまるや否や、更に東のオオトとヤマトを、軍をもって恫喝すべく運ぶが、失敗する。そして折り悪しく病を発し、そのまま息を引き取ってしまう。

 後に就いたのがその子である今の王である。

 先王の命令で数々の戦場に立ち鬼神のような働きをしてきたため、人々に「火の神がやどっていなさる」と評される今の王の代になることで、クナの天下への野望は、先王の失敗を跳ね返し、更に現実へ向かって回転してゆくことが約束された。


 それが、「その時が迫っている」という神託を受けた。

「俺には、火の神が宿っている」

 まじないのように呟くと、占いのために焚かれた炎を睨み付けた。

 占いのための館の外には既に臣下の者共が平伏して控えており、王の言葉を待っていた。

「時は、至れり」

 王は言う。

「先王の偉業、我らが大望は早晩、我らの目の前に現れることであろう」

 よく透る声は、そこに並み居る者共のひとりひとりに染み込んで行くようだった。それをひととおり睨め回し、

「我が身に宿る火の神が、中原ちゅうげんを焼く日が来た」

 と言って剣を抜いた。

 背後に燃え盛る占いの炎を反射して、あたかも王の剣が燃えているかのように輝いた。どよめきは歓声に変わり、皆がその炎の熱に浮かされたように口々に王を称えた。

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