幼女 vs サンタクドウスル

五条ダン

幼女 vs サンタクドウスル

 クリスマスの夜。ユキはベッドに潜り込んで、寝たふりをする。

 多くの子どもたちがそうしたように、来訪者がやってくるのをそわそわと待っていた。

 やがてリン、リン、リン、と愉快な鈴の音が近づいてくる。鈴の音がユキのすぐ頭の上で《リン》と鳴り響いたような気がして、ユキは思わず目を開けた。


「メリークリスマス」


 ベッドのすぐ隣に、誰かが立っている。窓から射し込む月光に照らされて、その姿ははっきりと見えた。

 真っ赤なサンタクロースの衣装。しかし痩せていて、背が高い。黒髪で、顔も若い青年の風貌だった。黒縁のメガネをかけている。

 男はユキの頭上でハンドベルをしきりに振って、リンリンリンと音を鳴らした。


「もしかしてサンタクロース?」


 ユキが目覚めたのに気がつくと、男はベルを鳴らす手を止めて、腰を蝶つがいのように折り曲げる。ユキは顔を覗き込まれてどきりとする。メガネの向こうの、ねっとりとした藍色の瞳と目が合った。


「ざーんねん。あんないけ好かない偽善者野郎とは違います。私の名前はサンタクドウスル。今夜はユキさんにプレゼントを渡しに来ました」


、ロースル……?」


「サンタクドウスルですってば」


 期待していたのと違った来訪者に困惑し、ユキは助けを求めるように寝室のクローゼットの扉に目を向ける。クローゼットにはわずかな隙間が開いている。


「サンタのコスプレをしたお父さんなら来ませんよ。なあにそんな怖い顔をしないで。ユキちゃんにはプレゼントを届けに来ただけなんですから」


 サンタクドウスルはパチっと指先を鳴らす。

 彼の手の上に、黄色・黒色・赤色に輝く光の玉が現れた。


「私が子どもにプレゼントするのは《夢》です。偽善者野郎が喜々として配ってやがる物質的な玩具なんかより、ずっと良いものですよ」


「夢をもらったらユキはどうなるの?」


 純粋な子どもの問いかけであったが、訊かれたサンタクドウスルは度肝を抜かれたように眼を見開いた。


「素晴らしい質問です。《夢》をプレゼントした子どもは、それはもう夢を一生懸命に追いかけて生きるようになります。近頃の子どもには夢がありませんからね。将来の夢はサラリーマンだとか公務員だとか、なんとも嘆かわしい。そんなのは夢でも何でもなくて、大人の洗脳教育の賜物でしかありません。ゆえに正義の使者であるサンタクドウスルが《夢》を授けに参ったのです」


 一旦、息を区切って、サンタクドウスルは真剣な目でユキと視線を合わせる。


「ユキちゃんには、将来なりたいものがありますか?」


「ええとね、お母さんはユキに良い子になってほしいって言ってたの。いっぱいお勉強して、よい学校に入って、よい会社に入って、よい人と結婚をすれば幸せなのよって。でも……」


「なんと憐れな子!! このままでは主体性のない絶望的につまらない人生を送ってしまいます。しかし今なら間に合います。さあこの三つのなかから、お好きな夢をお選びください。今すぐに!」


 サンタクドウスルが両腕を広げると、三色の光球がユキの目の前に飛んできた。


「黄色の光が《デイトレーダー》、黒色の光が《アニメーター》、そして赤色の光が《炎上ブロガー》です。どれも素晴らしい夢ですね」


 ユキはそのうちのひとつ、黄色の光に手を伸ばそうとして、すんでのところで引っ込めた。


「どうかしましたか? こんなチャンスは滅多にないのですよ」


 サンタクドウスルは訝しげに目を細める。


「デイトレーダーってなあに?」


 ユキの質問に、サンタクドウスルは大げさに手を叩いた。


「おっと失礼しました。肝心な説明がまだでしたね。デイトレーダー、えぇデイトレーダーは素晴らしいお仕事です。会社員が十時間も二十時間も汗水たらして働いているなか、デイトレーダーはほんの数時間、パソコンの前で指先を動かすだけ。そうすると株価や為替の動きでザックザックとお金が舞い込んでくるのです。なあにお巡りさんに捕まるような悪いお仕事じゃありません。日本政府だってジュニアNISA政策で子どもが投資を始めることを推奨しています。ユキちゃんも来年にお年玉を貰ったら、証券口座を開設してすぐにデイトレーダーになれますよ」


「なんかむずかしそうでやだぁ」


 ベッドから起き上がり、頭をぶんぶんと横に振るユキに、サンタクドウスルはさらにまくし立てる。


「とんでもない。株式投資なんて簡単です。冗談ではなく、猫にだってできるんですから。イギリスのとある実験では、学生やプロのトレーダーを打ち破って、猫が一番投資で稼いだって話です。なあに難しくはない、チャートを見て線がぴょーんと跳ね上がっていたら乗っかるだけですよ。とにかく上がると直感して買ったら大儲け。一夜にして億の資産を築き上げた投資家はたーっくさんいます」


「うーん、線を見るのは好きだよ。お金がいっぱいもらえるのもうれしい。でも……」


「素晴らしい、あなたにはデイトレーダーの適性があります。今なら投資必勝法の情報商材もプレゼントしましょう」


 ユキはクローゼットの方を見て考え込み、静かに首を横に振った。


「でも、おいしい話には近づいたら駄目よ、絶対に裏があるからってお母さんがいつも言ってたの。だからデイトレーダーはやめとく」


 サンタクドウスルはがっくりと肩を落として、黄色の光をふっと消した。



 ユキは今度は、黒色の光を指差して聞く。


「こっちはなあに?」


 それは《アニメーター》の夢が入った光球だった。

 サンタクドウスルは今度はすぐには答えず、しばらく頭を捻ってから名案を思いついたとでも言いたげな明るい顔で口を開いた。


「ユキちゃんはアニメは好きですか。えーっと例えば……プイキュア、好き?」


「うん、だいすき」


 ユキは首がちぎれんばかりに頷いた。


「よしよし、それじゃあお絵描きは好きですか」


「うん。線とか丸とか、お星さまを描くのが好きだよ」


 ユキはどこに隠し持っていたのか、黒マジックを右手に取り出してサンタクドウスルに見せつけた。


「素晴らしい!! あなたにはアニメーターの素質があります。こんな才能の塊を野放しにしておくなんて勿体無い」


 サンタクドウスルは歓喜の声をあげて大げさにバンザイをした。


「アニメーターは、アニメを作るお仕事です。もちろん、ユキちゃんの大好きなプイキュアも、アニメーターの人が制作に携わっています。アニメーターは、人々に夢と希望を与える素晴らしいお仕事です。毎週アニメがあるおかげで明日を生きながらえる人もいる。アニメには、人の命を救う力さえあるのです。お絵描きが好きな人にとっては、アニメーターはまさに天職。大好きなお絵描きをして、たくさんの人たちを幸せにできる。とてもやりがいのある職業です。さあユキさんも黒色の光を手に取ってください。この私、サンタクドウスルがあなたの夢の成就をお約束いたします」


 ユキはしかし、黒色の光からも手を引っ込めた。


「アニメーターさんも、お金をいっぱいもらえるの?」


 サンタクドウスルは一瞬舌打ちをしかけたが、すぐに優しい顔に戻った。


「お金は大きな問題ではないんですよ。好きなことを仕事にできる。やりがいがある。それだけで十分じゃありませんか。贅沢をいっちゃあいけません。クールジャパンを推進していたおエライ人も、クリエイターは無報酬で協力をするようにと呼びかけていたではありませんか。好きなことでお仕事をさせていただけるのだから、お給料のことで文句を言っては神様だって泣きますよ。さあさあ、余計なことを考えていないで。今ならアニメーター養成学校のパンフレットも差し上げます」


「うーん、お絵描きするのは好きだよ。みんなをしあわせにできるお仕事はすてきだとおもう」


「でしょでしょ!」


 しかしここでもユキは、夢の光を退けた。


「でも……、正当な対価を得られない仕事は決して引き受けてはいけない。やりがいを理由に報酬が削られるのであれば、それはおかしなことだって、お父さんがいつも言ってた」


「そんな親がいてたまりますか!!」


 サンタクドウスルは悔しそうに地団駄を踏んだ。



 残りは赤色の光の玉ひとつだけ。

 ユキはクローゼットの方をもう一度ちらりと見て、それから泣きべそをかいているサンタクドウスルに向き直る。


 ユキが手に持っている黒マジックでちょこんと赤い球をつつくと、サンタクドウスルは聞かれる前に説明を始めた。


「赤い玉には《炎上ブロガー》の夢が入っています。案外、ユキちゃんにはこれが一番向いているかもしれませんね。例えば、悪口を言ってお母さんやお父さんに怒られたことはありませんか」


 ユキはしばらく記憶を探ったのち、頷いた。


「アニメで『殺し合えー!』って言ってたのが面白くて、真似をしていたらね、そんな汚い言葉を使っちゃいけませんって怒られたの」


「ははん。やっぱり出ました道徳信仰。世の中にはキレイな言葉と汚い言葉があるというね。そんなのリンゴに愛してるって言おうが殺し合えーって言おうが結果は変わりませんよ。大切なのは、その言葉が人の心に刺さるかどうか。炎上ブロガーになれば、他者を見下したり罵ったりするような言葉を使っても、なんとお金が稼げるのです。ネットの世界ではPV数がすべて。善悪は関係ない。読者の感情を揺さぶりさえすれば、記事は燃えてPVが伸びる。魂の叫びを思う存分ぶちまけてお金になるって素晴らしいとは感じませんか? 炎上ブロガーになってユキちゃんも思いっきり殺し合えーって叫びましょうよ」


「うーん、たしかにたのしそー」


「やっとわかってくれましたか! 今ならブラックハットSEO虎の巻をプレゼントしますよ」


 ユキはしかし、その最後の赤い光も退けた。


「幼稚園の先生がね、たとえどんな理由があっても、誰かを傷つけるために言葉を使っては駄目だって。もし間違えて言っちゃったら、ごめんなさいしないと駄目って言ってたの」


 すべての光が消え、部屋には窓から射し込む月明かりだけが残った。



 サンタクドウスルは顔を真っ赤にしてピョンピョン飛び跳ねる。


「ええい忌々しい! あなたはお母さんが言ったとかお父さんが言ったとか先生が言ったとか他人の主張を鵜呑みにするだけで、まるで主体性がない。ちょっとは自分の頭で考えたらどうなんですか? そんなだからその歳で夢も持てない悲しい子どもになるんです」


 苛立ちと怒気を含んだサンタクドウスルの声に、ユキは怖気づかずに返答する。


「ううん、ユキにはちゃんと夢があるもん」


「言ってご覧なさい。その夢とやらを。私が笑って差し上げますよ」


 ユキは、ふぅーっと大きく深呼吸をして、やがて大きな声で宣告する。


「わたしの夢は、魔法少女になること!」


 それを聞いたサンタクドウスルは口から息を吹き出して、腹を抱えてゲラゲラと大笑いした。


「あひゃひゃひゃは、面白い。最高傑作だよお嬢ちゃん。それは夢でも何でもない。小さな子どもの妄想だ。ざーんねん。ユキちゃんの夢はぜーったいに叶いませーん」


 ユキはベッドから飛び出して、頬を膨らませて訴える。


「ほんとだもん。簡単な魔法なら使えるもん」


「ひーっひっひっひ、笑いが止まらねぇ。面白い。それなら魔法とやらをやってみてくれるかなー。プイキュアのステッキで変身でもするのかなーあ?」


「もー、おこったもん!」


 ユキはさっきから手に持っていた黒マジックのキャップを外す。

 それから床にかがみ込み、サンタクドウスルを囲むようにして、寸分の狂いもない正円と、それから一切の歪みのない正確な直線と、完璧な内角を保った五芒星を床に描いた。


「おや、こ、これは……まままさかとは思いますが……」


 サンタクドウスルが気づいたときにはもう遅い。

 ユキはすでに、淀みのない歌うような声で、呪文の詠唱を終えていた。それはごく限られたエクソシストしか知らないとされる、悪魔祓いの呪文だった。


「おのれええええ現代社会の闇いいいい!!!!」


 サンタクドウスルは断末魔をあげて、魔方陣の放つ光のなかに吸い込まれて消えていった。


 やがてしばらくして、クローゼットの扉が静かに開く。クローゼットのなかから、魔女装束の老婆が出てきた。


「どうだった、おばあちゃん」


 嬉しそうに言って、駆け寄るユキ。

 魔女装束の老婆は、孫娘を優しく抱きとめた。


「ええ。未熟なところもありましたが、よく頑張りましたね。魔女になる夢に一歩前進、といったところでしょうか」


 大好きな祖母の胸のなかで、ユキがえへへと顔をほころばせた。



(了)

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