15話 Night Bird Flying
かつて、高原都庫は先輩妖狩である静海から、こう聞かされた。
『病院と小学校は頻繁に“湧く”から面倒なのよねー』
新人教育中の何気ない一言だったが、都庫はその言葉を忘れなかった。
そしてその後、いざ管轄地域を決めるという段階になった時、ビビッときた。
三つある範囲の内、一つには病院が。
もう一つには小学校があったのだ。
「じゃあここで」
さり気ない動きで、人差し指を添えた。
言った当の本人はもう忘れているのかも知れないが、忘れずにいて助かった。
これでまんまと一番楽な地域を手に入れたのだ。
そして意気揚々と妖狩を始めた都庫は、後にその地域にそのものズバリ『幽霊屋敷』と呼ばれている廃屋がある事を知るのであった。
世の中そう上手い話はない。
と、そんな話はさておき。
今の彼が居るのは病院である。
病院というのは、特に妖気の集まり安い場所として知られている。
何故か。
最も強い
その二つを
忌む、とは即ち遠ざけるという事。
死獣から皮を剥ぐ皮剥ぎ、死人を埋葬する墓掘り、そして山田浅右衛門達のような死刑執行人といった仕事は、歴史の中で人々から遠ざけられてきた。
これは日本だけに限らず世界中で見られる風潮である。
そして同様に、病に関する物も。
例えば、かつてアフリカのマラウイではハンセン病に
その病が大地すら汚染すると考えられていたからだ。
そして、彼らの亡骸はバオバブの木の幹に開けられた穴に押し込まれた。
マチンガ県リウォンデには今でもその痕跡が残る木が存在する。
まあこれは古い話でかつ極端な例だが、
現代においても病院が隔絶された空間であることは疑いようのない事実である。
殆どが白で構成された非現実的な景観。
充満する、日常では馴染みのない薬品等の臭い。
そこに外から来る人間は、みな病というケガレを抱えてやってくる。
病院は、オカルトを抜きにしても、既に異界的雰囲気を湛えた場所なのだ。
そして病院は、格好の怪談の舞台でもある。
まず単純に、病院は人がよく死ぬ場所である事が原因の一つとしてあるだろう。
医療と科学の世紀に入り、ベッドの上で死ぬ人の数は益々増加している。
そして、先程も言った通り、異界感。
現実から
前回述べた、昼夜の落差もある。
医師らの白衣が幽霊の衣装と通じる物があるのも、案外影響しているかも知れない。
「病院ってさあ、独特な臭いするじゃん?」
「ちょっとそれで思い出したんだけどさ。
なんかもう全然関係無い話していい?」
「は?いきなり何だこいつ」
「いや、俺ん家の便所の芳香剤の話なんだけどさぁ」
「お前マジで何言ってんの?」
「俺ん家の便所に置かれてる芳香剤がさぁ、桃の香りがするヤツなの。
もう俺がちっちゃい頃からずうっと。
だからさぁ、俺、桃味の飴とかガムとか駄目なんだよね。
もう脳が食べ物の臭いと思ってくれないから。
『え、これ便所の臭いするじゃん』ってなるから」
そう言うと、都庫は病院の非常階段の鉄柵を乗り越えた。
「まあ、そういう話」
「何が?」
「じゃあ行くか」
「お前ほんと何なの?」
―
―――
――――――
「くっそ
屋上まで上ってきた二人に風が吹き付け、伏章が文句をこぼす。
「まあでも、中で戦う羽目になるよりはいいんじゃねえの。
ここ病院だしさ」
四階建ての屋上からは夜の灯が煌めく街を見下ろせる。
それも、徐々に消えていく時間だろう。
「23時まで……後4分」
「微妙に暇だな」
「え、じゃあ恋バナでもする?」
「いや、都庫のLINEにワンクリック詐欺のURL送りまくっとくわ」
「おっけ。
じゃあそれ副会長に転送しとくから」
そうこうする間に時は過ぎる。
分針は少しづつ、しかし確実に動き続ける。
そして、23時がやってくる。
「…………来るぞ」
夜の闇が濃くなった。
いや、それは視覚的にそう見えただけだ。
だが確かに、夜の中に一点、より濃い黒が広がっていく。
それは、妖気。
その妖気が空中で凝縮した黒い塊から。
ぬるり、と。
翼が生えた。
脚が生えた。
そして、頭が生えた。
漆黒の
「あれっ?鳥じゃん」
都庫が
魔王・川部敵冥が司るのは人との境にある怪。
つまりここに現れるのも人の姿をした妖怪だと思っていたが。
コウノトリの
恐ろしいことには、その嘴には人間の眼球が咥えられているのである。
さらにその眼は星の光のように
爪は大きく、白く研ぎ澄まされている。
その鋭さはまるで肉を裂く刃物のようである。
コウノトリはバサバサと翼を動かし、屋上の真上で静止していた。
その時、鳥の体表からドス黒い液体が滲み出てきた。
それはじわりと羽根の上に浮かんだかと思うと、体を伝って流れ、
ぼたり、ぼたり。
屋上の上に、黒い水溜りが広がっていく。
そしてコウノトリは、咥えた眼玉を水溜りの中に落とした。
「何だ……?」
水溜りが、盛り上がる。
水面を突き破る腕。
血に塗れ、腐敗した人間の腕。
天を突くように伸ばし、肘を曲げて床に手をつく。
立ち上がるように現れたものは、確かに人間の姿をしていた。
だが、それは生気のない死人。
死人なのだ。
動く
濁った眼、ボロボロの衣服を纏った死者が、這い出してくる。
そして、その死者が腰の辺りまで這い出してきた時。
――べしゃり。
湿った音。
黒い水を抜けて、新たな腕が虚空を掴む。
それが床に手をついたのを皮切りに、水溜りからは次々に腕が突き出してくる。
「おいおいおい……」
数え切れない死者の群れ。
屋上を埋め尽くす勢いで増殖していく。
死者達は、緩慢な動作で都庫達の方を睨むと、
「キィ――――ッ!」
漆黒のコウノトリが、敵意を突きつけるかのように鳴いた。
伏章は刀を構える。
「
言葉と共に、刀身が輝く。
刀から白い気のような物が噴出する。
その気が、輝く白犬の形を作り出す。
「『三ツ
一叫び。
共鳴するように、白犬も吠える。
『アオーン!』
「行け、三ツ牙真神!
あの亡者どもを喰い散らせ!」
白犬はその命を受け、凄まじい勢いで死者達に躍り掛った。
鋭い牙が、死者の腐った首を食い千切る。
さらに白犬の左肩からは一本の刃がすらりと伸びており、それが死者を切り裂く。
神免烏羽玉流。
剣客・
その神免烏羽玉を指す言葉として、小源太が指南書に残して曰く
『烏羽玉流はいぬの剣なり』と。(傍点筆者)
この“いぬ”とは、陰流の“
暗殺剣術的側面の強かった神免烏羽玉流の持つ、敵に気付かれぬ内に先手を打つ、気配を消すという技術を指す“居ぬ”という意味であったらしい。
だがその言葉を見た門外漢はそう受け取らなかったようである。
彼らは文字通り、いぬを犬と解釈したのだ。
『神免烏羽玉流というのは犬の剣を名乗るらしい』
そういう風に言われるようになるのに、時間はかからなかった。
だがそれが逆に、神免烏羽玉に神秘のヴェールを纏わせたのだ。
犬が霊的な力を持つと思われていたことは既に述べた通りである。
そして何より、狸は犬が弱点だと思われていた事が決定打となった。
『松山騒動八百八狸』という物語に小源太と神免烏羽玉が登場し化け狸と対峙したことで、神免烏羽玉の対妖怪の剣という性質は完成されたのだ。
「よし、じゃあ俺も……」
都庫が腰に吊るした
折りたたまれている上下の
左手で弓を持ち、右手を添える。
矢は必要無い。
かつて
矢を射る動きをするだけで、その“圧”が鳥を射抜いたのだ。
これぞ名人の境地、不射之射である。
だが、あいにく都庫はまだその域には達していない。
矢を無しに射ることができないのなら、矢を作ってしまえばいい。
「
妖気が手元で凝縮し、矢のような形に固形化する。
その名も水破。
放たれた水破が、死者の頭を貫いた。
「これまだまだ来るぞ!
ちまちま潰しててもキリないな」
着弾した水破から妖気の波のような物が反響していく。
都庫はそれによってエコーロケーションのように周囲の情報を取得できる。
黒い液体から這い出ようとする死者の数は衰えることなく、
まだまだ後続がその腕を伸ばしているのが分かった。
「あの鳥を狙うぞ!」
「了……解ッ!」
近寄ってきた死者を刀で切り伏せながら、伏章が答える。
「
都庫が次の一矢をつがえる。
水破と対になる、もう一本の退魔の矢、兵破。
山鳥の赤褐色の羽根が矧がれたその矢には、水破のような特殊な能力は無い。
その代わり、兵破は水破よりも高純度の退魔の念を纏っているため、破壊力の面では遥かに優れている。
狙いをつけ、弓を引き絞る。
死者の群れの間、黒鳥へと至る筋道を。
だが、怪鳥は放たれた兵破をするりと回避する。
「クソッ、避けんな……ッ!」
『グルル……!』
死者達の頭を踏みつけ、三ツ牙真神が飛びかかる。
だがそれも、怪鳥は低空飛行するようにそれを避けると、
死者や妖狩達の脚の間を縫うように飛び抜けていく。
その向かう先は、屋上の扉。
「やっべ……!」
コウノトリは耳障りな甲高い鳴き声を上げながら、
ガラス部分を突き破り、中へと侵入する。
「急げ!追うぞ都庫!」
「結局中かよ!」
慌てて鳥を追いかける妖狩二人。
そしてその後ろから、緩慢な動作で追いすがる死者の群れ。
肩を掴まれそうになり、伏章はその腐った腕を切断する。
都庫も、死者の足に矢を打ち込んで動きを止める。
一体一体の力は大したことがない。
問題は、数だ。
更に……
「前からもかよ!」
鳥が飛んだ跡、ぼたぼたと落ちた液体溜まりからも、死者が這い出てくる。
ああ、ああと地獄で苛まれる
「鳥の癖に跡を濁しやがって……!」
屋上から降りる階段の上。
上を通過する二人の足首に掴みかかる、死者の腕。
それらを避け、時には蹴り飛ばしながら、伏章は都庫に尋ねた。
「あの鳥、何の妖怪だと思う……!?」
前を行く鳥は、階段を抜け、竹光座病院の廊下へと出ようとしている。
その墨のように黒い体からドロドロとした液体を滴らせながら。
「俺、多分だけど分かったわ」
霊魂と“鳥”は、なにか切っても切れない関係にあるようだ。
古代エジプトでは、死者の
チベットでは鳥葬といって、死した人間の亡骸をハゲワシなどの鳥類に食われるままにするという葬送方式が存在するが、これは鳥が死者の霊魂を天国へと送り届けてくれるという考えに基いている。
日本の例で言えば、大和武尊が死後大きな白鳥となって飛び去ったいう伝承だろう。
他にも
死者の気が凝り固まって鳥の形を成す怪、といえば。
『
元々は中国の古書『
死者の気が変じて生まるる怪鳥であり、黒い
だがこの陰摩羅鬼は、人間の声に似た鳴き声を発し、
時には人を叱ったり呼んだりして驚かす事はあるものの、比較的害のない妖怪だ。
こいつは、この黒いコウノトリは陰摩羅鬼では無い。
「大ヒントは、眼玉」
墓場に漂う陰気が積もり、生まれる怪鳥。
そして中国に伝わる妖怪。
ここまでは陰摩羅鬼と同じ。
だが、決定的に違う所がある。
それは、人間の眼玉を食らうという。
それは、時に人に化けて人を騙し襲うという。
人の光を奪う
死者の怨念で形作られた漆黒の鴻鳥。
その名も、
「あいつは多分、
陰摩羅鬼よりも遥かに危険な、地獄園の鳥。
その体から滴る“
アヤカシ・トランキライズ 源 神酒 @UnDerlZmms
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