14話 The Bad Touch

 夜の小学校というのは、怖い。

伊達に『夜になったら急に怖い場所三銃士』の一端を担っていないと思う。

なおその三銃士の選出者は私なのでググってもヒットはしない。

因みに、残り二つは夜の遊園地と夜の病院だ。


 ではなぜ夜の小学校が怖いかと言うと、

やはりまず大きいのは、『昼間との落差』だろう。

小学校は普段、大勢の児童や先生で活気づいている場所だ。

それが夜になった途端に静まり返り、闇の中に校舎を横たえている。

知っている姿では無くなってしまっているのだ。

三銃士の残り二人も、活気から静寂への落差、という点では共通している。


 夜は、日々訪れる異界。

夜がもたらす闇の恐怖は遥か古の時代から、人の遺伝子に刻まれてきた。

洋の東西を問わず、人間は人の住む地、村里と比べて山や森を異界と見なした。

自分たちの生きる範囲に線を引き、その外を全て異界視した。

山や森は、空間的な範囲外。

そして夜は、時間的な範囲外だった。


 更に言えば、中学校や高校ではなく小学校というのが大事だ。

小学校の主役は小学生。まだ幼い子供たちだ。

子供は怖い話を好む。

まだ自己を守る術が未発達である子供たちは、恐怖に敏感だからだ。

そして同時に、その豊かな感性と世間への無知は、その恐怖の矛先を幽霊や怪物といった、大人なら戯言たわごとと処理してしまうような物にも向けてしまう。

或いは、そういう物にこそか。

その証拠に、学校の怪談の舞台である“学校”は大抵小学校である。


 さて、和美わび小学校の校舎は月光に照らされ、夜の闇に浮かび上がっていた。

コンクリートの塊は、威圧的に侵入者を見下ろしている。


 この小学校に勤務している静海から、防犯セキュリティに引っかからない侵入ルートを教えて貰い、入り込んだ女子高生二人。

山田浅江と山口トウカは、夜の校庭に並び立った。


「反応は……こちらですね。

 行きましょう」


 水盤で妖気を感知しながら、トウカは浅江を先導する。

トウカは戦闘に備え、既に神子としての力を宿し、獣耳と尾を生やしていた。

時間は後8分で23時。約束の時間となる。

魔王、川部かわべ敵冥てきめいの配下が、待ち受けているだろう。


 体育館の横を抜け、細い道を通っていく。

木々の間を少し進んで校庭の端。

道が開けた所に、それは建っていた。


「これが噂の……」


 突然現れた、和風建築。

コンクリートの校舎とは不釣り合いなそれは、何を隠そう『茶室』であった。


「本当にあるんですね……

 初めて知りました」


 なんでもこの学校ができる前から建っていた物らしい。

責任者達は、学校建設の際、この小さな茶室を排除しない事に決めた。

歴史的建築の保護という観点と、子供が触れる事ができる文化を残すという目的で。

それどころか、長らく手入れされていなかったその設備を修繕し、定期的に整えて再び使用できるようにすらした。

それで結局使われているかと言えば、年に一度だけ茶道の講師を呼び、体験授業を行っているのみで茶道部などは存在しないらしい。


 妖気の反応は、その茶室の中から発せられていた。

浅江は靴を脱いで畳に上がる。


「お邪魔しまーす……」


 トウカも中を伺いながらその後に続く。

一見した所、無人、無妖怪。誰の姿も見えないようだ。

茶室内は余り広くなく、暴れまわるには向いていないだろう。

トウカはスマホで時間を確かめた。


「22時55分」


 約束の時間まで後5分。

本当に敵は来るのだろうか。

トウカは茶室の中を調べて周り、特に不審な点は無い事を確認する。

浅江は周囲を警戒しつつ、茶室のほぼ真ん中に立っている。

56分。57分。58分。59分。

表示された数字は一つずつ数を増し、

茶室、校庭、学校。

空間を満たす夜の静寂の中では、自分の血管を流れる血の音すら聞こえる。

そして時計の数字は59から一つ進み、0になる。


 ゴトリ。

何かが床に落ちる音が響いた。


「っ!」


 反射的に、身構える。

音の方に目をやると、畳の上には独楽こま

押入れの上の天袋てんぶくろが少し開いている。そこから落ちてきたのか。

独楽はそのまま、ころころと、浅江の足元に転がってきた。


「山田さん、気をつけてください……」


 だが独楽は止まらず、そのまま浅江の足元を通り抜ける。

そして、


「可愛いお嬢さんだ」


 凛と澄んだ声。

妖気が集い、人の形を成していく。

すうっと影の中から立ち上がるように、現れたのは女の姿。

女は転がってきた独楽を拾い上げた。


「是非、私の物にしたい」


 そう言って微笑む。

女の手の中で、独楽はギュルギュルとねじれて行く。

そして限界にまで達した時、独楽はそのまま消滅していった。

後には何も残らない。


「独楽ごとり……ですか」


 トウカが妖怪の名を呟く。

独楽ごとり。子供をさらっていく女の妖怪。


「その通り。私の名は独楽ごとり。

 子供を狙う人さらいの怪異。

 君らの相手はこの私だ。お嬢さん方」


 女――独楽ごとりはそう言ってニィと笑った。

その片目は髪に隠れ、その腕には独楽紐が巻きついている。


「さて、では……始めようか」


 独楽ごとりが、動いた。

浅江に向かって走る。


「山田さん!相手の手に注意してください!

 掴まれたりすると、恐らくさっきの独楽のように……!」


 独楽ごとり。嘉永かえい二年に刊行された『敢語奇談集かんごきだんしゅう』に記述がある。

長門国、現在の山口県で、ある男が自分の子供を家の外で独楽で遊ばせていた。

すると近所の子供も集まってきて、独楽を回すのを見物し始めた。

更に少し年上の女も見物にやってきたので、自分は少しぐらい目を離してもいいかと仕事を進めていた(後の本では傘張りとされているが、敢語奇談集では職人仕事としか書かれていない)。

暫くして、外からごとり、と音がした。

見てみると、子供たちは皆消えてしまって独楽だけが地面に落ちている。

それきり、子供たちは誰一人帰って来なかったという。

男が思い返してみると、途中でやって来た女は全く知らない人物で、その女が子供たちを連れ去ってしまったのではないか、という事であった。


 敢語奇談集でのこの話はただの怪談で、所謂隠し神系の伝承の一種である。

子供がまとめて消えてしまうなど、何処かハーメルンの笛吹きの話にも似ている。

それが後の昭和妖怪ブームの時期に妖怪として拾い直され、『独楽ごとり』という名が与えられたようだ。

独楽ごとりとは、文字通り独楽がごとりと落ちたという事と、子孫取こまごとり、即ち子供たちを連れ去る、という意味を掛けた名前らしい。

そしてその際に、独楽ごとりに手を掴まれるとたちまち何処かに連れて行かれるという設定が付加された。


「さあ、私と共に来るがいい……!」


 独楽ごとりが手を伸ばす。

回るような、踊るような身のこなしである。

それを浅江は千人切せんにんぎりで迎え撃つ。

伸ばされた手、そのものを切り落とそうと刃を振るう。

だが、独楽ごとりはそのまま回って刃を避ける。

更にその場で倒立するように畳に手をつき、回し蹴りを繰り出す。

正に独楽の如き軸回転。

顎の辺りを刈るように放たれた蹴りを、浅江は上体をそらして回避する。

だが、


「……っ!?」


 浅江の視界が、回る。

まるで何かに足を取って投げられたかのように、体勢が崩れる。

足元が、踏みしめていた畳が捻れている。

独楽ごとりはただ畳に手をついただけでなく、畳を掴んでいたのだ。

独楽ごとりに掴まれた物は、捻れるという工程を挟み、その後消失する。

突然捻れてうねった畳に足をすくわれ、浅江は倒れ込む。


 独楽ごとりは手を伸ばす。

咄嗟に左手が前に出たのは、利き手を守ろうとする本能めいた動きだったのか。

浅江の左手を取った独楽ごとりは、転倒する彼女を引き起こした。


「おっと危ないよ、お嬢さん。なんてね」


「くっ……!」


 掴まれた左手から、独楽ごとりを振り払う。

深追いするつもりは無かったのか、独楽ごとりはあっさり距離を取った。

目の前の畳が捻れ切って消えていった。

そして、


「……!!」


 ギュルギュル。

浅江の左手が、指の先から捻れていく。

痛みは無い。違和感すら覚え無い。

ただ、左手から広がった捻れは肩口から腕全体へと及んでいく。

そして、


「っ……」


 浅江の左腕が、消えた。

消滅までしてもやはり痛みなどは無い。

ただ、完全な無感覚。

突然左肩から先が一切『存在しない』という不思議な感覚。

その手前までは今まで通りなのに、そこから向こうが致命的に繋がっていない。


「まずは片腕。

 さあ、君の全てを連れて行こう……!」


 再び掴みかかろうと向かってくる。

そこに、


万狐不易ばんこふえきすがりいと!」


 トウカが札を掲げ、無数の光糸が迫る。

厄介なその攻撃を封じるために、独楽ごとりの腕を狙う。


「捕まるものか!」


 独楽ごとりは、迫る糸の内一本を見切り、掴み取った。

ギュルギュルと回転。その捻れは糸から元の札にまで伝わる。

回る札。そして札から出た無数の糸が、空中で捻れてこんがらがってしまう。


「なっ!?」


 止められない。

独楽ごとりの手が再び浅江に迫る。

慌てて、千人切で迎撃をはかるが、


「ふっ……!」


 カキン。

刀に何かがぶつかった。

僅かな抵抗から一瞬の隙が生まれる。

ぶつかったのは、独楽。

伸ばした左手とは逆の右手で、独楽ごとりが弾き飛ばした物。

一度己の物にしたのなら、再度呼び出すこともできるということ。

普段ならともかく、片手で振るわれる千人切なら、軌道を少し逸らすことができる。


「貰った!」


 上体を屈め、刃を避けてダッキングのような姿勢で掴みかかる。

浅江は咄嗟に小さく跳ぶ。

その跳躍に、妖気を噴出してブースト。

前方宙返りのような形で独楽ごとりを跳び越える。


「はっ……!」


 振り向きざま斬りつける。

独楽ごとりはその場で再び倒立する。

前転で避けるつもりか。しかし千人切の到達の方が速い。

だが浅江の刃は、何かにめり込んで止められた。


「何……!?」


 一度“連れて行かれた”畳。

それを再び手の平から呼び出す。

逆立ちの体勢でそれを行うことで、縦向きに現れた畳の上で倒立する形になる。


「くそっ……!」


 浅江は妖気を噴出し、畳の中程で一度止まった千人切を無理矢理振り切る。

だがその間に独楽ごとりは畳から飛び降りると、浅江の背後に着地。

右足を掴んで引き倒した。


「ぐっ!」


 ギュルギュル。

今度は右足が指先から捻れ始める。

それは瞬く間に太腿ふとももの辺りにまで昇り、右脚全体が回転を始める。

だが、浅江は敢えて無理矢理立ち上がると、その回転する右脚一本で立った。

回転に従って刃が振り回される。

まるで独楽のように。


「おっと、手厳しいな」


 独楽ごとりは追撃を諦め、再び距離を取った。

同時に、捻れの収まった浅江の右脚が消滅し、浅江は倒れ込む。

転がるように、こちらも距離を取る。


 片足が消失し、最早立ち上がることは難しい。

だがなんとか、背をふすまに押し付けて立ち上がった浅江は、千人切を片手で構える。


「まだ闘志が消えないか。

 気の強い娘もいいものだな。

 そういった相手を物にするのもまた一興」


 独楽ごとりはじりじりと距離を測る。

背水ならぬ背襖で辛うじて立つ浅江は精一杯の警戒を向ける。

だが、次の攻撃を防ぐことができるだろうか。


「縋の糸っ!」


 独楽ごとりの背後から、トウカが伸ばした糸が迫る。

しかし、


「そう焦るな、攻めが甘いぞ!」


 独楽ごとりはその中の一本を的確に掴む。

糸はよじれ、ギュルギュルと回転しながら絡まっていく。

独楽ごとりはそれを、ぐいっと引っ張った。


「なっ……!」


 トウカは体勢を崩され、前のめりに倒れる。

それを捕まえるように手を伸ばし、独楽ごとりは右腕を掴む。


「取った!」


「くっ……」


 トウカは、敢えて回転に身を任せる。

体が腕を中心に180度回転し、トウカは独楽ごとりの顔を蹴りつける。


「ぐうっ!」


 蹴られた独楽ごとりは、仰け反り、倒れる。


「クソッ……!」


 トウカの右腕が消えた。


「ふふ……

 見かけによらず、じゃじゃ馬なんだな」


 独楽ごとりは頭をさすりながら立ち上がる。

トウカは残された片手でもって、這うようにして後ずさる。

だがその背中はすぐに狭い茶室の壁にぶつかった。

ずりずりと、逃れるように、少しずつ横に体を引きずっていく。

勿論そんな動きで遠くに逃げられる筈もない。


 そこに、独楽ごとりはゆっくりと歩み寄ってくる。


「しかし、四肢を奪われればどんな暴れ馬でも走れまい。

 何、痛くはしないさ……私のかどわかしは紳士的でね」


 そう言って近づいてくる独楽ごとり。

一歩。二歩。三歩。

不意にトウカが口を開いた。


「…………そこだ……!」


 目前に迫る独楽ごとりに向けて、残された左手を突き出す。

その手に握っているのはスマートフォン。

そしてその画面に映るのは、YouTube。


「何だ……?」


 いぶかしむ独楽ごとり。

トウカは、再生ボタンを押した。


 敢語奇談集は、怪談など話を一つ紹介した後に、著者である永良院えいりょういん土塊どかいによる補足的な説明が入り、次の話に続く構成となっている。

敢語奇談集での独楽ごとりの話は既に述べた部分で全てであるが、その説明で永良院土塊は『このような人さらいが嫌う物がある』と、撃退方法を示している。

それは特定の動物の鳴き声である。

不審者対策としては現代でも通用する感のあるその動物とは、


『ワン!ワン!』


「ひいっ!?い、犬!?」


 響き渡ったその鳴き声に、独楽ごとりが身をすくませる。

犬は人間の最も古い友人とも言われる、人と最も長く共に生きてきた動物である。

そこには人間の狩りを助け、時には忠犬として連れ添った歴史がある。

そのため犬は、日本の伝承においても大狒々おおひひ退治の早太郎はやたろうや、アイヌ民話でシトナイのお供をしたトケなど、魔を追い払う霊獣としての側面を持っている。

日本では昔、オイヌサマという言葉が狼も指していたことも、三峯みつみね神社などとの繋がりから犬の霊性を強める一因となっているだろう。

永良院土塊は恐らく、犬の持つ霊獣としての側面と、単純に番犬としての役割を引っ掛けてそう記したのだろう。


 トウカがYouTubeから探して流した犬の鳴き声。

一瞬怯んだ独楽ごとりに出来た隙は、決して小さいものではなかった。


「今っ!」


 トウカが叫ぶ。


「縋の糸!」


 その声に反応し、独楽ごとりの足元に光の法陣が現れる。


「何っ!?」


 畳の下から、無数の糸が炸裂するように飛び出す。

犬声の霊力によって硬直した独楽ごとりは、回避する事ができない。

糸の殆どはその両腕に巻き付き、拘束する。

残りは四方八方に飛び散っていった。


「貴方が現れたのは23時丁度。

 対して私達はその5分前からここに来ていたんです。

 畳一枚の下に札を仕込んでおくぐらいの事ならできますよ」


 貴方が畳を消し始めた時は少し焦りましたがね、と苦笑する。

そしてトウカは、相棒に呼びかけた。


「山田さん!」


 背後から、刀を構えた少女が突っ込んでくる。

片足では最早走れない。

だから千人切の妖気放出の力で、空中を弾丸のように、文字通り『飛んでくる』。


「しまっ……!」


「はぁっ!」


 これで決まった。

千人切の切っ先は、間違いなく独楽ごとりの心臓目掛けて進んでいく。

浅江もトウカも、その刃の到達を確信した。

だが、


「まだだ……!」


 ギリギリで、その体が動いた。

拘束されていない脚を、突っ込んでくる浅江に勢い良く蹴り出した。

迎撃のトラースキック。

顎に突き刺さる。

そこに独楽ごとりは追い打ちをかける。


 拘束されていても、手の平は動かせる。

独楽ごとりは右手で己の親指を握った。

それはつまり、親指を『掴んだ』という事だ。


 右手が捻れて回転する。

その変化により、右腕を拘束していた糸は抜け外れてしまう。

自由になった右手で、振り向きざま浅江の右腕を捕らえ、投げ飛ばした。


「ぐうっ…………!」


 襖に叩きつけられ、倒れ伏す。

浅江の右腕は捻れて消えていく。これで両腕が失われた事になる。

千人切は投げ飛ばされた際に手から抜け落ち、部屋の隅に滑って行ってしまった。

それに例え今ここにあっても、最早持つこともできない。


「今のは、危なかった」


 独楽ごとりは、消え行く直前の右手で、左手を拘束する糸を握った。

縋の糸は捻れて消滅。

自由になった左手を右肩に添えて、再び右腕も現出させる。


「もしその犬の声が録音ではなく本物の鳴き声だったなら……

 私はもう少し長く動けなかっただろう。

 紙一重、脚が間に合わなければ私は負けていた」


 腕を戻し万全な状態となった独楽ごとりは、改めてトウカの元に歩み寄る。

その際にチラリと背後を見やるが、浅江は倒れたまま動かない。

両腕と片足を失ったのだから、そう易々と起き上がることはできないだろう。

今のトウカには、この妖女から身を守る術は無い。

万事休すか。


「だがこれで、終わりだ」


 その時、トウカの視界を強い光が襲った。



―――

――――――



 トウカは横たわっていた。

さっきまでは、壁にもたれてはいても倒れてはいなかった筈だ。

いや、それどころか、


「ここは……?」


 見上げる空は灰色の雲に覆われている。

先程までは室内、かつ外も夜だった。

大地は光の糸で覆われ――或いは、大地そのものが光の糸で織り込まれている。

トウカはその上に横たわっていた。


 独楽ごとりとの戦いはどうなったのだろう。

一体自分はどうなって、ここは何処なのだろう。


『人よ』


 その時、声が響いた。

世界の全てが一度に発したかのような声。

それがトウカに向かって語りかけてきている。


「いかにも、私は人ですよ。

 貴方は?」


『我、塵点劫じんてんごうの時に在りて不滅の霊。

 御饌津神みけつのかみ相交あいまじわりし外法天の女神』


「はあ、なんだかよく分かりませんねぇ」


『汝の命運、今尽きなんとするか。

 されど我は汝の心魂しんこんの有り様に惹かれ、その定めを救う者。

 我が依代よりしろ。我が神子よ。

 横難横死おうなんおうしの未来を変えたくば……』


 その声に応ずるように、無限に広がる光の糸がトウカの下で明滅する。

だが、


「ちょっと待ってください」


 トウカは右手を制するように天に掲げた。


「これってあれですか?

 俗に言うパワーアップイベントですか?」


 光の明滅は急速に収まっていく。


「だとしたら、少しきすぎですよ。

 戦いはまだ終わってないんです。

 貴方の力を借りるのは、また今度でもいいでしょう」


 トウカはそう言ってニヤリと笑った。


「だから、さっさと現実に戻してください。

 これで機を失ったらどうしてくれるんですか。

 私“達”の、最後の一発を」


 両腕を地面につき、体を起こす。


「叩き込んでやりますよ」



―――

――――――



「はっ……!」


 戻ってきた。

幸い、時間は一秒たりとも進んでいないらしい。


「だがこれで、終わりだ」


 独楽ごとりが、最後に見たのと同じ動きで、こちらへ向かってくる。

今だ。

トウカは左手の人差し指を、クイと動かした。


 短く鋭い風切り音。

物体が迫る気配に、独楽ごとりが振り返る。

そして、その瞳は捉えた。

背後から飛来する、千人切の切っ先を。


 ドスッ。


 千人切が、独楽ごとりの腹を貫いていた。

女が口から吐いた赤い血が、トウカの顔にもかかる。

ガクリと膝をつく独楽ごとり。


「山田さんは千人切をただ手放した訳じゃない。

 私の糸の方に放り投げてくれたんです」


 あの時、独楽ごとりの足元から四方に散った縋の糸。

その内の一本、何にも結ばれていなかった糸の方へ、浅江は千人切を投げた。

トウカは密かに、その糸を刀に結ぶ。

そして今、それを勢い良く引き戻したのだ。

刀はその勢いのままに、独楽ごとりの背を貫いた。


 だが独楽ごとりは、最後の力を振り絞るようにその手をトウカに伸ばす。

その手の危険性を嫌というほど思い知ったトウカは、肩を強張こわばらせて身構える。


 その中、独楽ごとりは臓物を貫かれた痛みに顔をしかめながら、


「ふっ……綺麗な顔を汚してしまったな」


 トウカの頬に付いた血をぬぐった。

その身体が黒いもやに溶けて、薄れていく。

そしてトウカの顔の上の血もまた、靄と化して消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る