第20話 諦めるのはまだ早い

「女の子ってのは、本当に面倒くさい生き物だねえ。……まあオレも、ヴィヴィに面倒くさいヤツだって言われるけどね……」


 ミカはクスクス笑いながら、ひざの上の黒助をなでていた。相変わらず黒助は喉をゴロゴロと鳴らして、気持ちよさそうに目を閉じていた。

 ミカとユーリは、いつもの公園にいた。そしてこれもいつものベンチに、二人並んで腰掛けている。夜の公園はひっそりと静まり返っていた。

 ぷう子はというと、我関せずと植え込みに潜り込んで、さつきの蜜をペロペロと舐めている。

 ユーリは、ミカが妙なことを言い出した時、初めは本気で止めようとしたが、途中からは彼に任せて、わざと突き飛ばされてみたりしていた。彼の意図がなんとなく察せられたからだ。

 そして、今は一緒にクスリと笑っている。


「黒助もあきれちゃってましたよ? とんだ大芝居を打ったもんだって。酷い嘘つきだって」

「いいじゃないか。あかりちゃんにはすごく効いたんだから」


 満足そうに笑って、空を見上げる。

 思惑通りにうまくいって、してやったりといった顔だ。


「嫌いって口で言うのは簡単だけど、本当に嫌いになるのは結構難しいだろ? それにあかりちゃんの嫌いは、好き、なんだし。うじうじしてないで、さっさとごめんなさいとありがとうを、お互いに言い合えばいいのさ」

「で、悪役を買ってでたんですね?」

「まあ、こっちも黒助の件でバツが悪くて、無理やり話題をお母さんと赤ちゃんにすり替えちゃったわけだしね。実際ずるい手管で、手玉に取ったんだから悪者だよ」


 ミカがニヘッと笑うと、ユーリは肩をすくめた。

 あかりの為に、彼はわざと悪ぶって彼女をけしかけた。そのやり方さえも正当化しないところが、ミカらしい優しさだなと、ユーリは目を細めた。

 そして赤ちゃんの中に、ミカの命の光が入っていなくて本当に良かったと思った。赤ちゃんの中には無いのなら、光は他にあるということで、それなら回収できるはずだ。数年分を諦めずにすんだ、とユーリはホッとしたのだった。もしも光が入っていたら、多分ミカにはそれを取り戻せなかっただろうから。


 きっと黒助の中にあった光だって、ものすごく迷って、そして黒助本人がどうぞと言ってくれたから、もういっぱい生きたから返すよと言ってくれたから、覚悟を決めて取り出せたのだと思う。ハトの卵から取り出した時は、失敗して死なせてしまったと酷く落ち込んでいたミカだから、今回は慎重に慎重を重ねたはずだなのだ。

 そして、ありがとうと言って光を受け取ったけど、ずっと悲しそうな顔をしていたのをユーリは見ていたのだ。

 同じことを赤ちゃんや人間にできるかというと、きっとミカには無理だと思うのだ。元々寿命の短いバッタが雑な扱いのせいで死んでも、自分はそれに気づきもせず夢中で光を集めていたっけなとユーリはうつむく。そして、ミカにはあれも辛いことだったのだろうと想像する。自分のために他の命が失われることに、何も感じない人はいないだろう。

 少し目を細めて、ミカを見つめた。


「……ちょっとキザでしたけどね。最後に白い羽根でメッセージ送るなんて、ね」

「うるせぇ。お前が早く種明かしして、安心させてやれって言ったからだろが」

「そりゃそうでしょう。あかりちゃんのあんな悲壮な顔、見てられなかったですもん。仲直りできたなら、早く安心させてあげた方がいいに決まってます」


 ユーリは、ふっと目をそらせた。

 本当はあかりの為だけでなく、ミカへの誤解を早く解きたいという思いもあった。彼が悪魔だと思われるのは、ユーリにとっても不本意なことなのだ。ミカが決して聖人君子でないのは確かだが、絶対に悪人でもないのだ。自分が尊敬するミカを、相手が誰であっても悪人と思われるのはイヤだった。


「それに、もう一つの本当のことも、教えてあげた方がいいと思いますよ。あかりちゃんは聡いから、きっとミカさんの言葉の中にあった真実に気づきますよ? って言うか、今ごろもう気付いてるかもしれないし」

「……うーん。どうやって煙にまこうか……」


 ミカは腕を組んでふんぞり返った。本当のことを言えばいいと言われた端から、ミカは誤魔化すことを画策している。

 ユーリの頬がピクピクと引きつった。


「いや、だから……もう隠さない方がいいですって……」

「お前はいつ気付いたのさ」

「割と最初からですよ。なんかおかしいなって……。ミカさんの命の光と、あかりちゃんが引き寄せ合う理由なんて、一つしかないでしょう?」


 ミカは、あかりに種明かしした時に、黒助と彼女が引き合うと言った。

 ユーリは自分の推測として「もう一つの本当のこと」と口にしたのだが、それを否定するでもなく、内容を確認するでもなく「いつ?」と質問で返えされた。だから推測は確信に変わっていた。

 ユーリは、ミカの顔をじっと見つめた。

 ミカは決して目を合わそうとせずに、つぶやく。


「……ま、もう、いいさ。早く国に帰ろうぜ。黒助が光を返してくれたから、もう十分さ。あんまり巻き込んじゃ、可哀想だし」

「ダメです! まだ十分じゃないですよ!」


 ユーリは、もうっと口をとがらせた。オレだって生きたいと言ったミカの言葉、あれは脅しで言ったことだけど、それでも嘘ではないはずだ。向こうの世界で待っているヴィヴィと一緒に生きるために、命を取り戻そうとこっちの世界までやってきたのだから。

 年老いた黒助を見てから、どうもやる気を失くしてしまったらしいミカとは逆に、ユーリは今まで以上に必死だ。ミカが若死にするなんて、絶対にイヤなのだ。

 しかし、ミカは気の抜けた笑みを浮かべるばかりだ。


「こっちで探し回ってるうちに、ヴィヴィの病気が進行するかもしれない。あいつも長生きできないんだ。だったら、早く帰って少しでも長くそばにいたい。あいつより、ちょっと長生きできるだけの命があれば、オレはそれでいいんだよ」


 ミカにニコリと笑われて、ユーリは言葉を失ってしまった。

 それでは、一緒に生きるためというより、一緒に死ぬために命の光を取り戻したいと言っているようではないか。

 ああ、と息をこぼして、ユーリは小さく首を振った。胸がチリチリと切なくてたまらない。早く帰りたい、ヴィヴィに会いたいという、ミカの気持ちが分からないわけでは無い。でもどうしても、命の光を集めるのを諦めて欲しくないのだ。

 どうにかして、二人が明るい未来を手に入れる方法は無いのだろうかと、諦めずに済む方法は無いのだろうかと、ユーリは胸を痛めるのだった。


「もう、ここにある光は大体集めちまったんだから、帰ってもいいだろう?」

「……あの……黒助から返してもらったのは、何年分あるんですか?」

「だいたい、五年と半年分くらいかな」

「合計すると、八年くらいですね。ぷう子が壊した分は差し引いて」

「だな」


 失った十年がかなり痛いところだと、ユーリは眉をひそめた。これだけでは、満足して帰る訳にはいかない。


「なんや、たったの八年かぁ……。それに、ほんまにあと八年生きられんのん? そんだけで足りるん? ワシの仕返しができるくらいの、子孫繁栄できるんか? でけへんかったら、ワシ困るやんけ!」


 突然、ぷう子が戻ってきて不満そうに言った。口の周りを、さつきの蜜でべとべとにしている。知らんぷりしながら、しっかり話は聞いていたようだ。自分が十年分をふいにしたことは、完全無視だったが。

 ぷう子の心配は、魔法書に正式な誓いとして記されしまった自分の言葉が果たされずに、呪いが跳ね返ってきてしまうことだけだ。はっきり言って、ミカが生きようが死のうがどうでもいいのだが、残りの寿命があまりにも少ないとミカの子孫が増えなくて、自分もあおりを食ってしまうではないかと、それだけを心配している。

 

「は? 何の話だ?」

「ぷう子はミカさんの子孫繁栄を約束したんです。だからね、沢山命の光を取り戻して、子孫作って下さいっ! 長生きして下さいっ!」

「いや、だから何の話なんだ? ぷう子が困るって言うんだったら、勝手に困ってろって感じなんだが?」


 ミカにはさっぱり話が見えない。なんのこっちゃと首をかしげている。


「じゃあかあしゃぁ! おんどれはグダグダゆうとらんと、めいっぱい命の光取り戻したらええんじゃ! シャキッと気合入れんかい! そんで、さっさと子ども作れ! 今すぐ、作れ!」


 怒鳴るぷう子に便乗して、ユーリもまくしたてるように言う。まだ回収できるはずの光を、むざむざ諦めて欲しくは無かった。


「そうですよ! 自分勝手に諦めないでください! ヴィヴィさんだって、絶対怒りますよ! ぷう子も困るし、僕の気持ちだって考えて下さい! ミカさん一人の問題じゃないんです! いいですか、ミカさんがあきらめたって、僕は絶対にあきらめませんからね!」

「……そ、そりゃあ、頼もしいな。でも、オレは無理やりはイヤなんだよなあ。んで、なんなの? 仕返しとか、子どもとかって?」


 ユーリの勢いに押されてしまうミカだった。

 彼がいつも心配してくれているのは、重々承知していたから、その気持ちを踏みにじるわけにはいかないな、とちょっとだけ反省する。

 だが、ぷう子に子孫繁栄を迫られる意味だけはどうにも分からない。子ども作れという言葉に、思わずヴィヴィの顔が浮かんで、少し照れてしまう。

 ゴフンと咳をして、シャーシャーと威嚇しているぷう子をつまみあげた。そして、何を企んでるんだと、うさん臭そうににらみつけた。


「おかんを魔法書に閉じ込めやがって! ワシに入れ墨ほりやがって! おんどれに仕返ししたるんじゃい!」

「だーかーらー! その仕返しが、子ども作れに繋がる意味が分からねぇって言ってんだろが!」

「ヴィヴィっちゅうんが、おんどれのつがいの相手か! 相手がおんのやったら、さっさと子ども作れ!」

「つ、番って言うな! 動物じゃねえぞ! ボケェ!」

「つべこべ言うとらんと、さっさと命の光集めてこんかい、ワレェ!」


 会話が全くかみ合わない二人だった。

 ケッと悪態をついてミカがしっぽを掴むと、ぷう子が噛みつこうとしてくる。構うことなくブルンブルンと振り回すと、ぷう子はきゅーと悲鳴を上げてあっという間に気絶してしまった。弱いくせに良く吠えるぷう子だった。

 訳が分からない、こいつイカレたのか、などとブツブツ言いながら、ミカはぷう子を魔法書の中に再び封印した。

 ユーリはふうとため息をついて、ミカに言う。


「ぷう子のことはともかく……ミカさん、諦めないでくださいよ。お願いだから、もっと生きるって言って下さいよ。方法はあるはずです。あかりちゃんに話してみてください」

「ん……まあ、死にたいわけじゃないんだけどな……。ていうかユーリ、そんなさぁ、出荷される仲間を見送る子豚みたいな顔すんなよ」

「誰が子豚ですか!」


 なぜここで茶化すのだと、思わずバンとベンチを叩くと、ミカはアハハと笑って立ち上がった。


「確かに諦めるには、まだ早いな」


 ミカの背に、白い翼が広がった。まだ傷んだ羽が所々に残っているが、街灯の光を受けてキラリと光る様は、とても美しかった。


「そうだな……。光が過去に飛んだように、未来にも飛んだなら、それを待ち構えるって手もあるよな。待ってれば、あかりちゃんのところにやってくるかもしれないし……」

「そう! それですよ!」

「……ちょっと、話して来るわ」


 ミカは黒助をそっとユーリに手渡し、替わりに魔法書を受け取った。


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