第19話 嘘つき、ありがとう

 四人を乗せた車は、ゆっくりと進みだした。

 と、フロントガラスの前に、ヒラヒラと真っ黒な羽根が何本も舞い落ちてきた。

 あっと悲鳴をこぼしかけたあかりだったが、運転しているおばあちゃんには、羽根なんて見えていないことをすぐに思い出す。心配をかけないようにと、何も言わずにぐっと拳を握り、身体を緊張に固くした。


 ミカが来た。

 ドキドキと心臓が鳴る。怖くてたまらない。

 でも、あかりは拳をぎゅっと握り、絶対に追い払ってやるんだからと、ごくりと唾を飲んだ。赤ちゃんを守るのだ。自分にしか守れないのだから。

 いくらミカでも、まさか走っている車に乗り込んでくることはないだろう。だから、車から降りたらすぐにお母さんの側にいって、ミカを近づけないようにするのだ。指一本だって触れさせるものかと、決意を固める。


 すると、遥か前方の歩道で、ユーリが一人で立っているのが見えた。

 ひと際大きく、心臓が鼓動を打った。眉がゆがみ唇が震えた。

 ユーリがミカに加担するのは当然だ。彼も別世界からやってきたミカの仲間で、命の光を集めるのが目的なのだから。

 しかし、ユーリはニコニコと笑いながらいつものように手を振っているのだ。そして、大きな声であかりに呼びかけてきた。


『ミカさんは何もしないよ! 大丈夫! 赤ちゃんはきっと無事に生まれるから!』


 車はユーリの前を、あっけなく通り過ぎてゆく。

 彼の言葉に驚き、あかりは大きく窓を開け、後ろに流れてゆくユーリを見送った。

 優しい笑顔だった。あかりを安心させるように、うんうんとうなずきながらずっと手を振っている。

 何もしないって、一体、どういうことなんだろう。赤ちゃんから、命の光を取り出すのを止めたということだろうか。ユーリはどうして、あんなに優しく笑っていたのだろう。大丈夫って何がだろう、とあかりの頭の中は疑問でいっぱいだった。


 不安でたまらなくなって、無事に生まれるという言葉や、ユーリの笑顔にすがってしまいそうになる。信じたくてたまらない。

 でも、自分を油断させておいて、命の光を持って行ってしまうかもしれない、という疑いはまだ消えない。二人が、そこまで卑劣だとは思いたくないのだが。


 恐ろしさは消えず、うるうると目がうるんだかと思うと、ポロリと涙が頬をつたった。

 舞い落ちて来る羽根が数を減らしてゆき、もう落ちてこないのかなと思った時、キラキラと輝く真っ白な羽根が一本、窓からふわりと入り込んできた。それはあかりのひざの上に静かに着地する。

 大きく目を見開いた。

 それは、初めてミカに会った時と同じ、真っ白な羽根。


『泣かせちゃってごめんな。さっきのは嘘だから。赤ちゃんの中に、オレの命の光は入ってないんだ。本当だよ。光を取り出そうったって、初めから無いんだよねぇ。赤ちゃん自身の命の光を取るのは、ルール違反だし、もちろんそんなことはしないよ。だから、赤ちゃんには何もしない。安心していいからな』


 震える指でつまんだ羽根から、ミカの声が聞こえた。いつもの声だった。軽いくせに優しい声だった。

 胸がずきゅんと、音を立てた。

 ミカは何もしないと言ってくれた。赤ちゃんには何もしないと。何よりも聞きたかった言葉だった。あれは嘘だよ、と。


――嘘、だったの……? 本当に、嘘……? そっか、ミカは嘘つきなんだ。信じていいんだよね、嘘つきだって……。


 あかりの身体から、じわじわと力が抜けていった。強張っていた肩が下がり、唇から呼気が漏れてゆく。

 ミカの声は続いた。


『疑うなら、生まれた赤ちゃんを抱っこしてごらん。きっと抱き方がへたくそだって大泣きするから。ブフフッ……。オレの命の光が入っていたらさ、黒助とあかりちゃんみたいに引き合うはずだから、泣いたりしない。でも、絶対必ず百パーセント確実に泣くから! ブハハハハ……』


 失礼な笑い声が聞こえてくる。抱っこが下手に決まっていると、バカにした笑い方だった。

 それから、急に静かな声になった。


『……君はいいお姉ちゃんになるよ。オレから赤ちゃんを守ろうって、あんなに必死なってさ。泣かせてくれるじゃないか。君は本当にいい子だよ』


 あかりはポカンと口を半開きにして、羽根を握り締めていた。

 嘘で良かった。嘘だと、信じられる。本当に嘘で良かった。でも、散々怖がらせて、焦らせたのは何だったのだろう。一体何のために、あんな嘘をついたというのだろう。

 ただのいたずらにしては真に迫っていたし、やりすぎだと思うのだ。


『お母さんに、大好きって言えた?』


 ドキンと心臓が鳴った。

 ああ、そうだったのか。その為だったのか。

 お母さんを嫌いだって言ってしまったから、赤ちゃんのことも邪魔者みたいに言ってしまったから。もうすぐ新しい家族が生まれるっていうのに、あかりと家族はバラバラになってしまいそうだったから。

 だから、ミカはわざと悪者を演じて、あかりに本当の気持ちを素直に言えるようにしてくれたのだ。お母さんの所に戻れるように。仲直りできるように。ちょっと荒療治だったけれど。

 ポロポロと涙が止まらなくなった。


――ミカの大嘘つき。バカ。……嘘つき、ありがとう。


「……天使」


 いや違う。悪魔とか天使とか、そんなんじゃない。ミカはミカだ。自分でそう言っていた。

 自分が勝手に、悪魔だと思ったり天使だと思ったりしていただけで、ミカはいつだってミカのままで、特別な何かなんかじゃなくて、ただ大切な友だちなんだ。

 あかりは、泣きながら笑っていた。


「ミカ……」


 あかりのつぶやきに、おばあちゃんが首を傾げた。


「どうしたの?」

「ううん……なんでもないの。おばあちゃん安全運転でお願いね」

「もちろんよ!」


 あかりたちを乗せた車は、軽快に病院へと向かっていった。

 ミカに、ユーリに、ごめんなさいとありがとうを言おう。次に会ったら、きっと言おう。あかりは白い羽をキュッと胸に抱いた。






 病院に到着して二時間後、あかりはあっという間に三人きょうだいになっていた。そして更に二時間後には、面会時間のぎりぎりだったが、病室で赤ちゃんをニコニコと眺めていた。

 生まれたのは女の子だった。

 妹は、生まれたてなのにびっくりするくらい髪の毛がフサフサで、ほっぺもプクプクだった。小さなベッドに寝されて、何かを掴もうとしているのかちっちゃな手を震わせながら、ホエホエと泣いていた。

 あかりが妹の手を指でつんつんとつつくと、キュッと握ってきた。それは思った以上に強い力で、指を掴むと少し泣き方が落ち着いたように思う。


――可愛い……


 胸が甘いときめきで、キュッと締め付けられてしまう。

 輝も、目をキラキラさせて、妹のほっぺをそろそろと触っている。

 二人は目を見合わせてニッ笑ってから、ホエホエ泣く妹の頭を一緒にそうっとなでてやった。


「お姉ちゃんだよ」


 すると輝もハッと顔を輝かせる。


「お、お兄、ちゃんだ……よ」


 緊張しているのか、どもってしまった輝は顔が真っ赤だった。

 おばあちゃんがワハハと笑い、あかりは「何照れてんの、お兄ちゃん・・・・・」とからかった。

 そしてお母さんはにっこり微笑んで、皆を見つめていた。


「さ、ごあいさつも済んだから、そろそろおねんねさせてあげようね」


 おばあちゃんは、慣れた手つきで妹を抱き上げあやし始める。


「本当に早いわねえ……ついこないだ、あかりや輝をこんな風に抱っこしたと思ったのに。二人とも、もうこんなに大きくなって……」


 おばあちゃんが感慨深けに言った時、バッと扉が開き大きな影が転がり込んできた。勢いがつきすぎて、おっとっとと、たたらを踏んだのはお父さんだった。


「パパー!」


 輝がドンと勢いよく飛びついていくと、お父さんはよしよしと頭をなでて、あかりに微笑み、お母さんを見ると目が無くなった。

 額から汗をたらし肩で息をし、頬も赤らんでいる。生まれそうだと連絡を受けて、慌ててやってきたのだ。遠くから電車を何度も乗り継ぎ、急いできたのだ。病院近くの駅からは、全力疾走したのだろう。よおっ、と片手を上げてあいさつするのが精一杯な様子だ。

 お母さんはクスクスと笑った。


「そんなに慌てて来なくてもいいのに」


 お父さんはゼイゼイしながら、頭をかいた。


「たまには、運動、しないと、な」


 おばあちゃんから妹を受け取ると、だらしなく目尻が下がり、おおよちよちと赤ちゃん言葉であやし始めた。

 外はもう暗かったが、病室の中は明るい笑みでいっぱいになった。






 電気を消して暗くなった、あかりの部屋。

 ミカの命の光が、ホワンと二つ三つホタルのように飛んでいる。光が見えるようになって初めての夜は、星空のように無数の光がいたけど、ミカが回収しまったから、今はとても少なくなっている。

 あかりは、ゆらゆらと漂っている光を、ベッドに横になって見上げていた。

 今日はいろんな事があった。嵐から始まって、雷竜が大暴れしたり、黒助がおじいさんになってしまったり、ミカが嘘をついたり……。そして妹が生まれた。

 色々あり過ぎて、ずいぶんと疲れてしまった。光を見つめながら、ぼんやりとミカの事を考えていた。


――ミカ……これからどうするんだろう。私、どうしたらいいんだろう。ミカにお手伝い頼まれたのに、なんにも手伝えてないし……


 むしろ、ミカに助けてもらってばかりのような気がした。

 彼のおかげで、ずっと胸に引っかかっていたことを、お母さんに話すとこもできたし、お母さんの話も聞くことができた。

 今日は、病院でいっぱい話ができたのだ。とても寂しかったこと。辛かったこと。全部話すことができた。そして、お母さんは車の中で言ってくれたように、また何度も「大好きよ」と言ってくれた。お母さんは「ごめんなさい」もいっぱい言ってくれたけど、そんな言葉より「大好きよ」と「ありがとう」の方がずっとずっと嬉しかった。

 それから家に帰って、お父さんともたくさん話した。お父さんも「ごめんな」と何度も言っていた。お母さんにも謝らないとな、とも。そしてやっぱり、「大好き」と「ありがとう」をいっぱい言って、あかりを抱きしめてくれた。

 胸のつかえが取れて、あかりは久しぶりに心から笑うことができたのだ。


 妹を抱っこさせてもらった時は、ミカの予言通り妹は大泣きしてしまった。

 まだ首がふにゃふにゃだから、しっかり支えてあげてね、落としたらダメよ、なんて大人三人から言われたからだと思う。身体に余計な力が入って緊張してしまって、上手に抱っこできなかったのだ。

 あんまり大きな声で泣くものだから、慌ててお母さんに妹を返したのだった。


――ミカの命の光が入ってたら、へたくそな抱っこでも泣かなかったの、かな?


 命の光が入っていれば、あかりと黒助のように引き合うと、ミカは言っていた。確かに初めて会った時から、黒助とはすんなり仲良くなれたっけなあと、あかりは懐かしく思い出す。

 妹に大泣きされたってことは、黒助みたいな不思議な繋がりはないということなのだろう。命の光は、引き寄せ合う性質があるのだから。


――……あれ? 何かおかしくない? どうして、私がミカの命と引き寄せあうのよ……?


 前に、自分の側に大きな光があってその影響だと説明されたけど、やっぱりどこかおかしい。ミカと黒助が引き合うというのなら分かるのだが……。

 あかりはガバリと起き上がった。

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