第17話 黒猫の黒助
なんだかんだと騒いでいるうちに、三人は学校近くの神社に着いた。
神社の鳥居の前にある三段の石段。昨日、泣きじゃくっていたあかりに、黒助がすり寄ってきて体温を分けてくれた場所だ。
昨日のイヤな気持ちがゾロリゾロリとよみがえってきて、あかりは情けなく肩をすぼめて震えた。
――お母さんは、私のことをどう思っているんだろう。きっと、役に立たない子だって……可愛くないって……
胸がチリチリと痛い。目の奥が熱くなってきたけど、黒助のもふもふの毛皮と可愛らしい鳴き声を思い出して、懸命に息を整えるのだった。
黒助がいたから、家に帰ることができた。おばあちゃんが来てくれたから、家に入ることができた。もし一人きりだったら、どうなっていたんだろう。
これまでも黒助のことは大好きだったけど、今ではとても大事で大切な恩人のようにあかりは思っていた。
神社の中から、にゃうと黒助の鳴き声が聞こえてきた。すると、ポッと温かいものが身体の芯にともるような気がした。
あかりは鳥居をくぐった。途端に、ぐらりと強い目まいを感じた。世界がひっくり返ったかと思った。と、――竪琴の弦のように、無数の糸が平行に並び、どこかの糸がピンと音を立てる。同時にたくさんの光の粒が、ぱっと扇形に飛び出し隣の糸に吸い込まれてゆく――そんな光景が一瞬目の前をかけ抜けていった。
でも、まばたきすると、いつもと何も変わらない神社の風景で、大きなクスノキの向こうに朱色の柱と白い壁の建物が見えている。
今のは何だったのだろう、もしかしてミカの命が飛び散った時の光景なのかなと思うと、不安な胸騒ぎがした。
立ち止まってしまったあかりの横を、ユーリは極普通に歩いていった。ユーリは何ともなかったのかとたずねようとした時、社殿の脇にミカの姿が見えた。
ユーリが手を振って呼びかけると、ミカは思い切り顔をしかめた。なんで来たんだコノヤローと言わんばかりだ。その腕の中には黒い猫がすっぽりと納まっていた。
黒助はあかりに気付いたのか、こちらを見てにゃうと小さな声で鳴いた。あまり元気の無い声だった。
なんだかイヤな空気が漂っている気がする。あかりはミカのもとに走った。
「ちょっと待て!」
ミカの声は厳しかった。その声を聞いた途端、足が地面に張り付いて動かなくなってしまった。指一本、自由にならなず、舌も動かなかった。
そしてユーリもぷう子も、まとめて固まっている。
「……ったく……魔法の真っ最中だってのに……」
ミカは、うつむいて黒助をよしよしとなでた。小声で大丈夫、失敗しないよとつぶやきながら。
耳の後ろをかいてやると、黒助は気持ち良さそうに目を細めて、ゴロゴロと喉を鳴らしてミカを見上げていた。
「黒助、ありがとう……な」
ミカがそう言うと、黒助の口の中から、ポワンと野球ボールくらいの光の玉が出てきた。青白いその光は、今まで見てきたミカの命の光と同じものだった。
――うそ?! 黒助の中に、命の光が隠れてたの?
声も出せず、身動きもできずに、あかりはその光景を見つめていた。黒助から光が出てきたことも、その大きさにも驚いていた。
ミカは光をそっとつかんで胸に押し当てる。反対の手で、黒助を抱いたまま器用に杖を振ると、魔法書がふわりと飛んできて、胸に当てたミカの手に重なった。
あのキュウキュウと甲高い不思議な声で呪文を唱えると、魔法書はミカの命の光と同じ色に輝き始めた。
――ああ、光を自分の身体に戻してるんだ……
カチ、カチと音が聞こえる。きっと魔法書の中で、ミカの寿命を示す時計が巻き戻っていってるんだ、そう思うとあかりはホッとした。
針の音はずいぶんと続いた。前の時と全然違う。黒助から出てきた光は大きかったし、きっとたくさん取り戻せたんだろう。本当に良かった。
ふと黒助を見ると、頭をミカの腕に乗せてクタッと脱力していた。
――黒助……?
魔法書の輝きが薄れ、ゆっくりと元に戻っていった。ミカは本を小脇にはさむと、黒助の頭をまた優しく撫でてやった。
「……あかりちゃん、もう来ていいよ」
ミカの声はあまり元気がなかった。何年分かは分からないけど、命を取り戻したわりに、あまり嬉しそうには見えなかった。
動けるようになったあかりは、ミカの所にかけ寄っていった。
「ねえ、黒助の中に命の光が隠れてるって知ってたの?」
「……実は、さっき分かったんだ。ほら、杖であかりちゃんの頭をツンってした時……。君の近くにある大きな光の正体を、この角が教えてくれた」
「さすがは、雷竜の角ですね! スゴイや。でも、それならそうとなんで言ってくれなったんですか?」
「絶対、失敗したくなかったし、多分こうなるんじゃないかって思ったからさ……だから、公園で待ってろって言ったのに」
困った顔ような悲しそうな顔をして、ミカは黒助をなおも優しくなでていた。
黒助の様子がおかしい。ぐったりとして元気がないのだ。よく見ようと顔を近づけたあかりは、思わず息を飲んだ。
黒助のツヤツヤしていた黒い毛皮がボサボサになり、キラキラしていた目がどんよりとしていて、頭のてっぺんだけでなく口の周りも白い毛に変わっていた。
いっぺんに、年をとってしまったようなのだ。憐れにも変わり果てた姿だった。
あかりは訳が分からず、叫ぶように声をあげた。
「く、黒助……? ミ、ミカ、どうなってるの? ねえ! ミカがやったの?!」
「ごめんね……あかりちゃん」
ミカはあかりの方は見ず、黒助をなで続けるばかりだった。どうして、違うよと言ってくれないのかと、あかりは首を振った。
ミカの手が気持ちいいのか、黒助は目を閉じてゴロゴロ喉を鳴らしている。
「あ……そうか、そうだったんだ……。すみません、ミカさん」
ユーリは何かを察したようで、頭を下げるのだが、あかりにはちっとも分からない。
「何なのよ、教えてよ! 黒助を元に戻してよ! こんなのひどいよ、ミカ!」
先日、バッタの中に隠れていた光を取り出したように、黒助からミカの命の光を取り出したのだということは分かる。しかし、なぜ急に年老いてしまったのかが分からないのだ。
ミカもユーリも、何だか言いにくそうにしている。
すると、ぷう子がハハーンと声を上げた。
「もしかして、命の光が世界を飛び越えた時に、時間も飛び越えてたんとちゃうか? せやろ? あん時よりも過去に飛んだ光が、この猫が生まれる時に、一緒に入り込んでしもうてたんや!」
名推理やろ、と自慢げにぷう子は言う。
「過去に?」
「せや。だってな、この猫とっくに二十才超えとるやん。飼い猫やったらまだしも、普通のら猫はそんなに長生きでけへんやろ?」
「二十才以上? 嘘! なんでぷう子に黒助の年が分かるのよ!」
「嘘とちゃうで。ワシ、生きもんの年、見ただけで分かるねん。このクソ魔法使いのおっさんは二十四、こっちの金魚のフンは十五や。あかりちゃんはピッチピチの十二才。な、全部当たりやろ?」
ユーリがうなずくのを見て、あかりは眉をゆがめた。
「ちなみにワシは千五百……まあ、それはええか。とにかく、その猫はホンマの寿命以上に生きててん。事故にもあわんと病気もせんと、若い姿のままで今まで生きてこれたんは、コイツの
「そんなところ……」
ミカがつぶやくと、黒助はゆっくりと彼を見上げてにゃうと鳴いた。弱々しくてか細い声だった。
あかりの胸が激しく鳴っている。そんなこと、信じたくなかった。でもさっき一瞬見えた不思議な竪琴の幻を思い出すと、確かにミカの命は過去から現在そして未来にかけて飛び散ったように思える。
それにミカもうなずいていた。
「じゃ……じゃあ、これから黒助はどうなるの?」
「そりゃぁ、もうすぐ死ぬやろ。元々とっくに死んどったはずの猫やもん」
ぷう子はあっけらかんと言う。あかりのショックなどお構いなしだった。
「あのまま、猫ん中に
あかりの目に涙が溜まってきた。
ミカには命の光を取り戻してもらいたい、でも黒助が死んでしまうのはイヤだった。どうしたらいいのと、頭を振る。しかし、もう既に命の光はミカの中に戻ったあとで、どうしようもないのだ。
ミカが大きくため息をついた。
「ずるい考えだけどさ……あかりちゃんは、何も知らない方がいいと思ったんだ。でも、もう見られちゃったね…………。黒助、抱っこしてやってよ」
お別れをしてやってと、ミカは黒助を抱いてあかりに近づいてくる。その悲し気な顔は、本当にもう黒助の寿命が残りわずかだと教えている。
ミカの腕の中から、黒助があかりを見ていた。切なげな目を向けられて、胸が苦しくてたまらなくなる。
「……やだ……やめてよ。そんなこと言わないでよ! 黒助を元に戻してよ……」
イヤイヤと首をふって後退る。涙がぽろぽろとこぼれていた。
「……無茶言うたらあかんわ。この猫は、他人の命が入ってたおかげで長生きしてただけなんやし。まあ、誰のせいでもないんやけどな。あかりちゃん、コイツの対応は間違ってへんと思うで。猫も大人しぃに命の光渡しよったし、ちゃんと納得してんのとちゃうか?」
いつものぷう子は、舌足らずな声であかりちゃぁんと甘えてくるくせに、いやにクールだった。ミカに敵対心を持っていたはずなのに、なんだか肩を持っているように見えてしまう。
しかしぷう子は、誰かの味方をしようとか言うのではなく、ただ、冷静に状況を解説してくれているだけなのだろう。だがそうと分かっていても、今のあかりは動揺が激しすぎて受け入れるのが難しかった。
「あかりちゃんの言う元に戻すっちゅうのんは、コイツの命を差し出すっちゅうことなんやで? ええのん? …………っちゅうか、子孫繁栄でけへんようになったら、ワシ困るわ。魔法書に呪われるやん!」
「でも、でもでも! 黒助は……黒助は大事な大事な友だちなの。大好きな友だちなの! とっても優しいの! 黒助が死んじゃうなんて、やだー!」
ミカに、黒助に命を分けてやって、なんてとても言えない。それでもなんとかならないのかと駄々をこねてしまう。悲しくて辛くて、もう息も苦しい。
「昨日だって、私が泣いてたら慰めてくれた。私、悪くないのにお母さんは怒ってばっかで! もう嫌になっちゃって、泣いて、飛び出して! もうやだよぉ……家にいたくないよぉ。私一人ぼっちなんだ! ずっと一人ぼっちなんだ! 黒助……黒助が慰めてくれたの……一緒に帰ろうって」
目が熱くてたまらない。黒助がもうすぐ死んでしまうから悲しいのか、お母さんとケンカしてしまったから苦しいのか、もうどっちなのか分からない。それとも両方なのだろうか。
ミカは悲しそうに笑いながら、あかりにたずねる。
「そうだね。黒助は優しいね。でも、どうして一人ぼっちだって思うのさ。お母さんは、ちゃんと君を待っていてくれただろう? 君を心配していただろう?」
「だって! お母さん、私の話聞いてくれない! 私の方を見てくれない! 怒ってばっかり! 赤ちゃん、赤ちゃんって言って、もう私のお母さんじゃなくなっちゃったんだ! きらい! 大きらい! お母さんなんか嫌い! 赤ちゃんなんか……」
わんわんと声を上げて泣きだしてしまった。
ミカの眉がピクンと吊り上がった。急に厳しい顔つきになっていたが、すっかり興奮してしまったあかりはまったく気づかなかった。
「お母さんは、私のこと嫌いなんだ! お母さん! お母さん!」
しゃがみ込んで、しゃくりあげ、もう後は言葉にならなかった。
隣に一緒にしゃがんて、ユーリが背中をなでてくれたが、あかりはぶるぶると身体をゆすって拒絶した。
真っ青な顔で怒鳴りつけてくるお母さんの顔が、頭から離れない。どうしてこうなったの、とそればかりがグルグルと回る。
「なるほど。そっか、あかりちゃんお母さんのこと嫌いなんだ……」
ミカの声はとても低くて、なんだか地の底から聞こえてくるようだった。
黒い羽が一本抜け落ちて、ひんやりした風と一緒に、あかりの足元にすっと滑り込むように落ちてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます