第16話 ミカの翼の色は

 驚いて声を上げたあかりを、ミカとユーリは同時に振り返った。

 どうしたのと、二人は不思議そうにしているのだが、あかりの方が不思議だった。なぜユーリは平気な顔をしているのだろうかと。

 ミカの翼は、真っ黒なままだったのだ。てっきり、元の白い翼に戻っていると思っていたのにだ。

 前はシミ一つない純白の美しい翼だったが、今は夜の暗闇のような色だった。地面に墜落したせいなのか、傷んだ羽根があちこちに混じってバサバサになっているのがおどろおどろしくて、なんというか、悪魔の翼を連想してしまう。


「ミカ……どうしたの?」

「はい? 何が?」


 あかりに背後を指さされ、何かあるのかと後ろを振り返ってキョロキョロしてしまうミカだった。あかりの驚きの原因には、全く気が付いていない。


「違うよ、翼の色……」

「え、これ? ああ、黒くなっちまったな。あの魔法の影響だ。たまに色変わるけど、そのうち元に戻るよ」

「そうなの?」

「あかりちゃんこそ、どうしたのさ。何をそんなに驚いてんの?」

「だって……黒いから……」


 元に戻るのなら良かったとホッとしつつも、羽が真っ黒に染まるようなあの気持ちの悪い腕の出る魔法は、やっぱり怖いと思った。

 ユーリの肩の上から、ぷう子がまた憎まれ口をたたく。


「悪魔や! やっぱしコイツ悪魔やったんや!」

「はあ?」


 訳が分からんとミカは、ぷう子をバカにするように笑う。


「何の魔法やったんや! 下っぱ悪魔を呼び出しとったんちゃうんかい!」

「なーにが悪魔だ、アホくさ。アレはただの拘束の魔法だぞ? 人によって鎖を出したり、鉄格子を出したり、色々バリエーションがあってだな、オレのはたまたま腕ニョロニョロドバーなだけだ」


 大ざっぱながら説明してくれた。しかし、あかりの眉はゆがんだままだ。拘束の魔法と言われても、こちらとしてはさっぱり理解できないし、どう考えても気味が悪かったのは確かなのだ。

 シャーシャーと威嚇するぷう子を完全無視して、ミカはあかりに言った。


「あかりちゃんも、オレが悪魔だって思った?」

「え? あの……その……分かんない」


 言いにごして、うつむいてしまうあかりだった。

 ミカは肩をすくめて苦笑している。


「オレはオレであって、オレ以外の何者でもないんだが? 黒が悪魔で白が天使なんて誰が決めた? そもそも悪魔や天使をどう定義づけるつもり? ってか、オレ、羽はあるけど普通に人間なんですけど? 翼の色が白か黒かで、オレの何かが変わるのか? それとも、君のオレを見る目が変わっちゃったってこと?」


 クスクス笑っている。わめくぷう子は眼中にないらしく、あかりを見つめて、そこんとこどうなの、と首をかしげている。


「そんなこと言われても、分かんないよ……」


 はじめは、すごく怪しくて変な人だと思った。絶対近づいちゃいけない、ヤバいお仕事の人だと思った。

 お母さんの話を聞いてくれた後は、ちょっと優しいかもと感じた。命の光のことを知った時は可哀想に思ったし、魔法書の中のドラゴンにはとても驚いて、ミカってすごいと感心したものだ。

 呆れたり、頼もしいと思ったり、ミカの印象はくるくると変わる。

 見る目が変ったかと聞かれたら、もう既に何度も変わっているのかもしれない。どう答えればいいのか分からなかった。


「……さっき、雷竜と戦ってた時のミカ、すごく怖い顔してたから……」

「ええぇ? 怖いって……そんなぁ。真面目な顔してただけなんだけどなあ」


 ミカはボリボリと頭をかいた。


「んじゃさ、オレと友達でいたいかどうかで考えてみてよ。翼が黒くなったオレはもう友だちじゃない? まあ、オレたち相性最悪らしいから、期待しないでおくけど」

「……そんなこと、ない。相性、悪くなんかない……と思う」

「良かった。それなら、ずっと友だちだ」


 ニコリと笑う顔はやっぱり優しくて、あかりはつられて一緒に笑った。握手しようよと、手を握られてドキリと心臓がなった。その手は大きくて温かくて、心地よかった。

 ミカのことは全然よく分からないけど、やっぱり悪い人じゃないと思えた。そして、なんで怖いと思っちゃったんだろうと、心の中でごめんねとつぶやく。

 うつむくと、よしよして頭をなでてくれた。ホッとした。ミカに頭をなでてもらうのは、恥ずかしいけど、気持ちがいい。

 ミカは新しいを杖をなでて、それから自分の腕もなでた。まだ痛いのだろうか。

 足元ばかり見ていたが、じっと見つめられているのを感じて、少しくすぐったかった。


「ああ、そう言えば……ねえ、あかりちゃん。初めて会った歩道橋でさ、猫を見てたって言ってたろ? なんでその猫を見てたの、あんな落ちそうなくらい身を乗り出してさ。すげぇ危なかった」


 急に話題変えられて、ポカンと見上げた。それにミカの言う通り、本当に危ないことをしてしまった自覚はあったので、途端に恥ずかしくなった。慌てて言い訳をするのだった。


「あ、あれは……黒助が、えっと猫が道路に飛び出していったから。ひかれちゃうって思ってつい……」

「へえ、黒助っていうんだ。あかりちゃんの友だちなんだね。で、黒助は無事に渡れた? 怪我してなかった?」

「うん。きの……こないだも元気なとこ見たし、大丈夫だったよ」


 あかりはつい、昨日と言いかけて止めた。黒助と、昨日のいつどこでどんな風に会ったかを話すのはイヤだったのだ。お母さんとケンカして家を飛び出したことを、ミカとユーリには知られたくなかった。

 前みたいにウンウンと言って聞いてくれるような気もするけど、もしかしたら、あかりちゃんが悪いよ、なんて言われるかもしれない。それがイヤだった。

 自分は言ってはいけないことを、言ってしまったから。お母さんのことも、家のとこも大きらいと言ってしまったから。

 思い出すと胸が苦しくなってしまう。


「ってことは、黒助よりも、あかりちゃんの方が危なっかしいことしてたってことだ」


 ミカはクスクス笑う。あかりが言い直した事は、特に気に留めなかったようだ。

 少し隠し事をしたことにバツが悪い思いがして、あかりはプイと顔をそむける。

 そして、ミカに心配してもらわなくったって、別に危なくなんかなかったんだからと、強がってみせた。


「そっちがかん違いしただけでしよ!」

「まあまあ。それにしても、黒助のおかげで、あかりちゃんと知り合えて友だちになれたってわけだ。感謝ついでにオレも友だちになりたいなあ。紹介してくれる?」

「え? ただの野良猫だよ? 私が飼ってる猫じゃないよ」

「ほら、出会いって偶然のようで必然だったりするでしよ。と言うことは、あかりちゃんとの縁を作ってくれた黒助とも、オレは縁があるってことで、ここはちゃんとあいさつした方がいいかなって」


 ミカはニコニコしているのだが、あかりはなんだそれはと首をかしげていた。


「……何言ってるのか、よく分かんないんだけど……」

「会いに行ってくるって、言ってるんだよ。菓子折り持ってった方がいい? えっと、どこだって?」

「要らないでしょ。多分、神社にいるよ」

「学校の近くの神社のことだな? じゃあ、さっと行ってくるよ。黒助いるかな」

「今から?」

「そうさ、行ってくる!」

「……う、うん」


 ミカは翼を広げてふわりと飛び上がった。


「ユーリ、あかりちゃんと二人で、ここで待ってて。すぐに戻るから」


 そう言うと、サッと飛んでいってしまった。

 変なのとつぶやいて、あかりは小さくなるミカを見送った。どうして急に黒助に興味が湧いたのだろうと、妙な気分だった。

 そして、杖の練習するって言ってたのに、すぐに気が変わるんだからと、心の中で突っ込んでいた。

 

「あかりちゃぁん。アイツ、絶対なんか企んどるでぇ……」


 ぷう子がわざとらしく、低く暗い声で言った。


「そんな、企むって……」

「めっちゃ急いで行ってもうたやん? それって、猫んとこに早よ行きたいっちゅうことやろ? それに、なんで急に猫の話になんねん。普通の会話の流れですぅっちゅうフリして、めちゃめちゃ怪しいやん。なんかやらかす気ぃやで、絶対」


 うさん臭そうに、ミカの消えた空を見ながらそう言うのだ。

 いやいやと、すぐ横で手を振るのはユーリだ。


「それはぷう子が深読みしてるだけだと思うよ」

「大体なあ! 二人でここで待っててって、ワシ、数に入っとらんやんけ! ムカつく! めっちゃムカつくねん、アイツ!」


 ああ、ぷう子の気に入らないポイントはそこだったのねと、あかりはユーリと見合わせてプッと笑った。

 しかし、ぷう子にミカは怪しいと言われて、あかりも感じていた違和感がますます刺激されて、胸騒ぎがしてきた。

 どうして、ミカが黒助にあいさつしなきゃならないのか。確かに、出会うきっかけになったのは黒助だけど、だからってミカには関係ないと思う。


「私も黒助のとこに行こうかな……」

「そんなら、ワシも行く! あかりちゃぁん、連れてってぇな」


 ミカは黒助に会ってどうするつもりなのか、気になるあかりだった。ぷう子が同調すると、ユーリは少し困った顔をした。


「え、でも、待っててって……」

「ええやん、ヒマやねんし」

「あいさつしに行っただけでしょ? 別に私たちも一緒に行っても構わなかったと思うんだけど」

「せやせや、ホンマにあいさつするだけやったら、ワシらに内緒にせなあかんことやないはずやで。行こ行こ」

「内緒って……そんなんじゃなくて、すぐ戻るから待っててって言っただけだと思うけどなぁ」


 疑い深い目をして、行く気満々になっているぷう子に、ユーリは肩をすくめた。ミカを嫌っているぷう子だから、何でもかんでも怪しいと言つてるだけだとは思うのだが、引き止める理由も大して無く、それじゃ行ってみようか、とあかりにうなずいた。







 神社への道のりを歩く間、ぷう子はミカの悪口三昧で、おしゃべりが止まらなった。調子に乗って、ミカの寿命が尽きれば、名前や入れ墨による支配は解けるはずだから、その時は十世代後の子孫まで仕返しを続けてやると、遠大な計画をぶち上げていた。さすがは長命なドラゴン族だ。


「でも、ぷう子。ミカさんの子孫って言ったって、子どもどころか、まだ結婚もしてないのに」

「んなもん、これから子ども生みよるに決まってるやんけ! つーか、ワシが生むようにしむけたる! 結婚させたる! 仕返しのためや、絶対十世代後までアイツの血筋残させたるねん!」

「……ご、ご苦労なことだね……」

「絶対絶対、子孫繁栄させてずーっと仕返ししたるねん!」


――ええ? 仕返しなのに、子孫を繁栄・・させちゃうの?


 あかりが、変なのと言おうとしていると、ユーリが目配せして小さく首を振った。


「……具体的には、どんな仕返しをするつもり?」

「アイツの子孫が生きとる間、ずっとずっと付きまとったるねん! アイツの悪口吹き込んで、アホォボケェ言い続けたるねん! どっか行けゆわれても、絶対離れへんでぇ。でっへっへへへ」


――そっか、ぷう子の考える仕返しってその程度なんだ……。


 あかりは、ホッとしてクスッと笑った。

 食べてやるとか、病気にしてやるとか、悪運を呼び寄せてやるとか、言い出したら何とか止めなきゃと思ったのだが、これくらいならいいかと思った。

 それに子孫繁栄・・させるということは、まだ存在していないミカの子どもも、そのまた子どもも元気に立派に生きていくように、見守るということなのではないのかと思う。

 風を司るドラゴンであるぷう子が常にそばにいる、というのはこれから生まれるミカ一族にとって、プラスになるのかマイナスになるのか、今後の関係次第だろうが、子孫繁栄させると言ったからには、危害は加えられないのではないだろうか。

 仕返しというより守護のように思える。でもぷう子はそれに気が付いてないようだから、あかりは黙っていることにした。

 ユーリもクスクス笑っているから、きっと同じ感想を持ったのだろう。そして、いつの間にか魔法書を開いて持っていた。


「えっとね、ぷう子。魔法書に今言った仕返しのこと記録しておいたから、決して破らないでね」

「あったりまえじゃ。仕返ししたんねん! 十世代ずーっと、子孫繁栄で……付きまとって悪口を……ん? んん?」


 ぷう子が首をひねり出した。

 やっと、何かに気が付いたようだ。情けない声を絞り出した。


「なんか……なんか、ちゃうような気がしてきた……あかりちゃぁん……ワシ、なんか間違えたかもしれん……」

「もう、記録したからね! 正式な誓いだからね! 子孫繁栄だよ。繁栄! それから悪口だけだからね! 破ったら、魔法書の呪いがかかるからね!」


 勢い良くユーリが言うと、ひゃーとぷう子の悲鳴が上がった。


「お、お前も嫌いじゃぁー!」

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