第15話 雷竜の角
キラキラと光る道路を、水を跳ね上げながら、あかりは走っていった。学校が終わってすぐ、飛び出してきた。ランドセルを背負ったままで、猛ダッシュで公園に向かっているのだ。
青い空は、午前中の嵐が嘘のように澄んでいて、風もさわやかだった。
雷竜が消えた途端に雨は上がり雲は切れ、呆れるほどあっさりと、気持ちの良いお天気になったのだ。
ミカとユーリは、校庭からあかりに手を振ると、そのまま飛んでいってしまったから、何がどうなったのやらさっぱり分からない。でも、二人が笑っていたから、もう雷竜のことは心配はしなくていいということだけは分かる。
ミカが、追い払ってくれたのだ。
自然と唇に笑みが浮かんでくる。
正直言ってとても怖かったけど、ユーリが自慢していた通り、ミカはすごい魔法使いなんだなと見直したのだった。
雨上がりの町を明るく照らす太陽は、あかりの胸の憂鬱も少し晴らしてくれていた。
「ミカーー! ユーリーー!」
公園に足を踏み入れるなり、叫んでいた。
土はぐちゃぐちゃにぬかるんでいたが、泥跳ねなんか気にせず走っていく。
「あ! あかりちゃん!」
ユーリが手を振ってくれた。とてもにこやかに笑っている。教室で見た、心配そうで不安そうな表情は消えて、いつものように、いやいつもよりも数倍いい顔で笑っていた。髪の毛は半乾きだったが、どこで用意したのか、さっきとは違う乾いたTシャツと短パン姿になっている。
あかりは息を切らして、たずねた。
「ねえ! ねえ! 雷竜逃げちゃったけど、いいの?」
これが聞きたくてたまらなくて、ダッシュして来たのだ。さくらが、一緒に帰ろうと言ってくれたのを、ごめんと断って飛び出してきたのだ。
ミカはどこかとキョロキョロと見回すと、滑り台の斜面から足がにょっきり見えていた。
「ん、まあ封印したいところだったんだけど、あの雨の中で魔法書を出すわけにはいかないからなあ。本は水濡れ厳禁」
滑り台に寝そべっていたミカが、ひょこっと顔を出して言った。こちらも着替えは済んでいた。ピンクの小花柄の開襟シャツは全開で、胸のあたりに包帯を巻いているのが見える。
「っていうかさ。オレの心配してくれないの? 爪で引っかかれて痛いんですけど? 血とか出ちゃったんですけど? オレ、可哀想じゃない?」
そう言えば、雷竜の爪が思いっきり背中に刺さってたなと、あかりは思い出す。すっかり忘れていた気まずさから、ぷいと横を向いてしまう。
「ああ……。うん、えっと、心配してたよ? 大丈夫だった?」
「……なーんか棒読み。あかりちゃん優しく無ーい」
などと言いつつも、ミカはニコニコ笑っていた。
すると、ユーリの肩の上からぷう子がわめきだした。
「んなもん、唾つけとけばすぐ直るわい。それより、ワシの頭を思いっきしシバキよって、腹立つわぁ!」
「噛みつこうとするヤツが悪い」
「やかましぃわ! 姉ちゃん殺そうとしやがって」
「してねえって言っただろうが! ぷう子! お座り!」
ミカがびしっと指さすと、ぷう子は見えない手で殴られたみたいに、べっちゃっと地面に叩きつけられてしまった。
「ぐが! ム、ムカつくんじゃ、おんどれ!」
「ぷう子! 黙れ!」
「ムグググ……」
あかりは、くすくす笑いながらぷう子の頭をなでてやった。
「角を折っただけなんだよね」
「そう、あれでしばらくは力は使えないからね」
「角が生えたら、仕返しするって言ってたよ、大丈夫なの?」
「ぶははは!」
急にミカは吹き出し、ひざをバンバンと叩いていた。
「あいつバカだよな。新しい角が生えた頃には、もうオレはいないって、気が付いてねーでやんの!」
「……どういうこと? いないって。ミカ、死んじゃうってこと……?」
「うん。だって角が元通りになるのに、三百年くらいかかるもん。だろ? ぷう子」
なるほど、確かにミカでなくても、ここにいる人間は誰も生きてはいない。三百年後では、仕返ししようにもできるはずもないのだ。
億年単位の寿命があるドラゴン族らしいうっかりだなと、ふふっとあかりは笑った。
「もう、雷竜は向こうの世界に帰っちゃったの?」
「さあ? どっちでもいいけどね。また襲ってきても、多分ぷう子程度の力しか出せないから、チョロいチョロい」
ミカが、背後から雷竜の角を取り出してきて、これ見よがしに振り振りした。そして余裕たっぷりに笑うと、ぷう子がギシャーッと吠えた。
「もう、ミカさんってば……。そのチョロいはずのぷう子に、してやられたんですよ!」
ユーリが、調子に乗らないで下さいと釘をさした。まったくその通りだ。あっさり命の光を壊されてしまったのは誰よ、と突っ込みたくなる。
「……いやあれは、不意打ちだったし。まさかこっちにくるとか、誰も想像してなかったんだし……」
「とにかく、油断大敵です! また集めないといけないんですし!」
「……え、あ、はい……」
ユーリにメッと叱られて、目を逸らすミカだった。
そしてとぼけて口笛を吹き、角を眺めるうちにだんだんと得意げな顔になっていった。
半透明で少し紫がかった、不思議な角だ。ゆるくねじれた筋が入っているが、角自体は真っ直ぐで、ワーウルフの牙でできた杖と、丁度同じくらいの長さだった。
指先でツツッとなぞると、紫の光が半透明の角の内部に灯り、とがった先端に向かってヒュンと登っていった。そして角から飛び出ると、パチンと火花を散らして消えた。
ニーッと、ミカの唇の両端が吊り上がる。
不意にあかりはさっきの剣を振り回していた時の、彼の恐ろしい表情をふと思い出してしまった。背筋がゾクッと震えて、不安になるのはどうしてなんだろう。
ミカは二本の角のうち一本を、やるよと言ってユーリに放った。
「魔力も充分だな。これはなかなかいい『杖』になる。お前、まだ持ってなかったろ? これ、使えよ」
「え? あ、ありがとうこざいますっ……っていうか、いいんですか!?」
受け取ったユーリは、少し困ったような上目遣いでミカを見ていたが、口の端が軽く上がっているし、目もキラキラしていて、とても嬉しそうだった。
「いいさ。お前と相性が合うといいな。オレはこれと合体させてみよう」
ミカはもう一本の角と、折れた杖をホラホラと振って、あかりを側に呼んだ。
戦いの最後、雷竜の角を折った時に、ミカの杖は折れてしまったのだ。
「これ、気にいってたんだけど、親ドラゴンとやりあった時にヒビがはいってたんだよな。それさえなけりゃ折れたりしなかったろうし、雷竜なんかチョチョイとあっという間にやっつけられたのに」
注意されたばかりだというのに、もう調子に乗っている。
「でもまあ、子どもとはいえドラゴンの角二本を手に入れたから、元はとれたな」
「お釣りがくるくらいですね。本当に僕にくれるんですか? 売れば大金が手に入るっていうのに」
「しょうもない魔法使いに使わせるくらいなら、お前にやった方がマシさ」
二人の話から察するに、雷竜の角は魔法アイテムとしては、かなりの高級品のようだ。確かに見た目もきれいだし、手に入れるのも大変だろうから、高値がつくのも納得できる。
ミカは角と折れて短くなった元杖の二本を両手に握った。折れた断面に角の付け根を密着させると、あかりにこれを持ってと合図する。
ちょっと警戒しているのをなんとか隠して、あかりは静かに近づいていく。
「何するの?」
「そうそう、ピッタリ合わせて持っててくれよ。今からくっつけるから」
あかりがズレないようにぐっと二本を握ると、ミカは楽しそうに呪文を唱え始める。すると、ホワっと角と杖が光り始めた。熱の無い光だった。
「ミ、ミカ!?」
「大丈夫、じっとしてて」
ミカが接合部に手をかざした。
角と杖は淡い光に包まれて、パチンバチンと火花が散った。そして、断面同士が赤く輝いて溶けあうのだった。
わあっと、あかりが感嘆の声をあげた時には、もう光は消えてゆくところだった。そして、ミカはそっと手を下した。
「できた。オレの新しい杖だ。前の杖の力も引き継いでるし、言うことなしだな」
どうぞと差し出すと、ミカはニンマリ笑って杖を手に取る。右手でグッと握り、反対の手のひらを軽く叩いて、感触を確かめているようだった。何度か振り回し、握り心地なんかも確認していた。
よしっと、小さな声で満足げにつぶやくと、ちょっと考え込むしぐさをしてから、新しい杖の先をすっとあかりに向けた。
「ちょっとお試し……」
ニマっと笑って、杖の先端をあかりの額にちょこんと当てた。
と、バチンッビリビリと音がした。
「いっ! いひゃいぃぃ!」
「うおおぉ! ご、ごめん!」
杖の先が触れた途端、あかりはおでこに衝撃を感じた。思いっきりのデコピンを連打されたかと思った。バチバチと電気が走ったようだ。
謝るミカも、反射的に杖を持っていた右手を引っ込め、ブンブンと振っている。心なしか顔が青くなっていて、とても驚いているようだった。
ユーリが慌てて近寄ってきた。肩にぷう子も乗っている。黙れの命令が切れたようで、金切り声を上げた。
「おんどれ、あかりちゃんに何さらしとんねん! どつくど! 新しい杖をいきなり人に向けんなや! 姉ちゃんの角やぞ、雷ビリビリくるに決まっとるやろが!」
まったくだ。いきなり何をするんだ、とミカをにらむあかりの目は、涙目になっていた。そのくらい痛かったのだ。静電気なんかより、もっと痛かったのだ。
しかしぷう子にののしられても、ミカはぼう然として、右腕をさすっているばかりだ。
ユーリが心配げに、二人をのぞき込む。
「大丈夫? 火花散りましたよ?! ミカさん、今のなんなんですか?」
「……んー……なんだろう?」
「ちょっと! とぼけないでよ、ミカがやったんでしょ?! すっごく痛かったんだから! もう!」
少し赤くなってるけど傷は無いよと、ユーリが言ってなでてくれたので、あかりはしかたなしに怒鳴るのは止めて、ぶうっとふくれるだけにしておいた。
「……い、いや、ホントごめん。わざとじゃないんだ。まだ杖が馴染んでないのかな……」
ミカも心配そうに、あかりの顔を見つめるのだが、杖を持った手はまだブルブルと震えていた。ミカの方も相当痛かったようだ。
ユーリが腰に手を当てて、質問を繰り返した。
「何をしようとしてたんですか?」
「いや、まあ……ただの相性占いみたいなもんで……」
頭をかきながら答えるミカは、デへへと笑って誤魔化そうとしているようだ。
もちろんあかりがそんなことで納得するはずがない。何が相性占いだと、むくれるばかりだ。
「じゃあ、最悪ってことね!」
「……まあ、そうかも……ね。ちょっと一人で杖ならしでもしてこようかな……」
「そうした方がよさそうですね」
ユーリに苦笑されて、ミカは恨めし気にため息をついた。そして、さっと翼を出した。本当に今から一人で練習しに行く気らしい。
だが、その背にバッと広がるその翼の色に、あかりは息を飲んだ。
「え?!」
それは、思いもしない光景だった。
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