第14話 天使か悪魔か

 あかりは窓枠に手をかけ、鼻から上だけをのぞかせて、暗い空をうかがった。

 風雨は少しばかり弱まったのか、雨にかすみ輪郭もあやふやだった校庭の向こうのマンションが、先ほどより少し見えるようになってきた。それでも、大雨であることには変わりはないが。

 また青白い稲妻が空を走り、ドガンと轟音が響く。

 やはり雷は近づいてきている。怖くてたまらない。

 でももっと怖いのは、気味悪く光る空にミカの姿を見つけてしまったことだ。遠くだしシルエットだったけど、確かにミカだ。羽の生えた人間なんて、彼しかいないのだから。そしてそれは、すぐ近くに雷竜もいるということだ。

 大丈夫なんだろうか。彼の視線は、頭上の黒雲に向かっている。

 ミカは、雷竜を捕らえようと戦っているのだ。手にした白い杖を、黒雲に向かって懸命に振っていた。

 次の瞬間、ミカめがけて閃光が走った。雷撃は彼の直前でそこに盾があるかのようにせき止められ、飛び散って消えた。だが、衝撃を防ぎきれなかったのか、ミカは墜落していった。


「あ! ミカ!」

「だ、大丈夫、持ち直した!」


 隣に立つユーリが、すかさず言った。二人は、グッとこぶしをにぎって見守る。

 ミカは、地面に叩きつけられる直前に態勢を整え、即座に急上昇していた。そして上空に向かってサッと腕を振り上げる。

 杖をブンと振ったかと思うと、弓を引き絞るしぐさをする。すると、何本もの光の矢が飛び出して、黒雲に向かっていった。

 ビシッと高い音が響き、雲が光り、割れた。

 ユーリが叫ぶ。


「雷竜だ!」


 ビカビカと光るものが、ようやく黒雲の中から出てきたのだ。まぶしくて、その姿形は確認できないが、きっとそれが雷竜なのだろう。

 あかりは、ブルブルと震えながら見つめていた。足にしっかりと巻き付いたぷう子もガチガチと歯を鳴らしている。


「もう、か、堪忍してぇなぁ……」


 恐ろしくて外を見ることもできないらしい。しかし、ぷう子に構っている余裕はない。

 雲から出てきた発光体が更に激しく輝く。

 ドガガンと、目を射る閃光が校庭の木に突き刺さった。


『ぐおぉらぁぁ! 何してけつかるねん! うちのオカン返さんかい、われぇ!』


 あかりたち以外には、さっきまでの雷鳴と同じに聞こえただろうが、確かに雷竜の怒声が空いっぱいに響き渡ったのだ。

 そして雷を放ったためか、ビカビカの火花みたいな光は消えて、雷竜の本体、白いドラゴンの姿があらわになっていた。

 ヘビみたいなぷう子とはまったく違う、あの黒いドラゴンと同じ形なのだ。大きさはミカと同じくらいだろうか。


――ヤだ……大きいじゃないの。ぷう子と全然違う……


 へなへなと身体の力が抜けていくのを感じるあかりだった。

 雷竜もまだ子どもだっていうから、てっきりぷう子より少し大きいヘビみたいな感じを想像していたのに、もうすっかりドラゴンの形に成長していた。そんなバカなと、だまされた気分だった。


 ミカが羽ばたき、ぐんぐんと雷竜に向かってゆく。

 ワーウルフの牙でできているという、ミカの杖の先端からグインと光が伸びて、剣に変わっていた。うおおっと雄たけびをあげてミカが切りかかる。雷竜もまた、唸り声をあげて、その牙と爪で応戦していた。

 鋭い金属音が何度も空から降ってくる。

 ハラハラと、あかりはそれを見上げることしかできない。隣のユーリもまんじりともせずに、見つめている。


 ミカが思い切り振り下ろした剣先は、雷竜を切り裂いたと見えたのに、実際には鼻先をかすめただけだった。すぐに距離を取って、牙と爪の攻撃を避ける。

 ミカと雷竜がにらみ合った。

 あかりの心臓はバクバクと鳴りっぱなしで、ミカがんばってと心の中で応援するのだが、雷竜に食べられちゃうんじゃないかと気がきではなかった。


『嘘こけぇ! んなことあるかい! あほんだらぁ!』


 また雷竜が雷みたいな声で怒鳴った。ミカが何か言ったようだが、それは聞こえない。


『しょーもないこと、ゆうとらんと、早よオカンを自由にせんかい!』


 わめく雷竜を見て、ミカはわざとらしいオーバーアクションで肩をすくめている。

 雷竜のセリフから、母ドラゴンが別に助けて欲しがってないことを伝えたのだとあかりは察したが、もちろん雷竜がそれを信じるはずはないだろう。

 そしてまた、バリバリと帯電し始めた。余計に怒らせたのかもしれない。


「ねえ、ユーリ……大丈夫かな……」

「ん……でも、まだ余裕あるように見えるけど……」

「だから、心配というか……」


 アハハとユーリが力なく笑う。すぐ調子に乗ってしまうのは、ミカの悪い癖で、ユーリもいつも振り回されているのだろう。今日は大丈夫だよという声は、自信なさげだった。


「ほんま、あいつすぐ油断しよるもんなあ。ワシも、ちょっと風吹かせたら、あいつのたま取れたでぇ」

「…………」


 あかりとユーリは、そろってギロリとぷう子をにらんだ。

 雷を怖がってしがみついているくせに、減らず口だけは一人前なぷう子だった。


「な、なんやねんな……」


 ぷう子がブツブツ言うと、ドガンともう何度目か分からない落雷があった。

 サッと視線をミカに戻すと、猛然と雷竜に切りかかっていくところだった。雷竜の鋭く長い爪が、ミカの剣を弾き返す。ギンと甲高い音がして、火花が散った。

 どんどんと高度が下がってきて、こっちに近づいてくる。


『グギャー!』


 雷竜の悲鳴が上がった。


「ミカさん!」


 ユーリが、ドンと窓ガラスを叩く。

 光の剣が雷竜の肩口に食い込み、ドラゴンの爪がミカの背中に突き刺さっていたのだ。ウググという雷竜のうめきと共に、ぐるぐると回転し、一人と一匹は落下していく。


「ミカさん! ミカさん!」


 窓を開けて飛び出そうとするユーリを、あかりは慌てて止めた。ここは二階だ、勢いだけで飛び出さないで欲しい。


「ダメ! 危ないよ、ユーリ!」

「でも!」


 ドドンと、もつれ合ったミカと雷竜が校庭に落ちた。

 少し開いた窓から、びびゅうと吹きこんでくる風の音が、誰かの苦し気な悲鳴のようだった。

 先に起き上がったのはミカだ。泥に汚れ、ずぶ濡れになった顔が見える。雷竜を恐ろしい形相でにらみ下ろしていた。あかりはゾクリと震えた。こんな怖い顔をしたミカは、初めて見た。


 抜き取った剣を竜の喉元に押し付けて、また何か言っている。なにかの呪文を唱えているのだろうか、ミカの身体から黒いモヤがわき出してきた。

 それはドロドロとして、薄気味悪くて、まるで数多くの腕のように見えた。やせ細り節くれだった、腐りかけの死人の腕だ。ミカが無数の腕を生やしているようにも見える。しかし、千手観音のような有り難く神々しい姿とは、正反対の邪悪と言ってもいいくらいの禍々しい姿だった。

 そのどす黒い腕たちが、一斉に雷竜に襲いかかってゆく。そして、逃げようとする雷竜を捕まえ押さえつけていくのだ。

 いつの間にか、ぷう子はあかりの肩に乗って外を見ていた。


「あ、あ、あかん、姉ちゃん……こ、殺されてまう……」


 ポロポロと泣き出していた。

 まさか殺しはしないだろうと、思いながらも、あかりも怖くてたまらなくなっていた。

 ミカの目がつり上がり、風にあおられ逆立った髪が角のように見えて、まるで鬼のようだったから。それに、気味の悪いモヤをまとったミカの翼は、真っ黒に変わっていたから。


「悪魔や! やっぱし、悪魔なんやー!」


 ぷう子が泣き叫ぶ。

 あかりはブルブルと頭を振った。ミカが悪魔な訳がない、そんなはず無いと、懸命に頭を振った。

 しかしミカは、雷竜が動けなくなると、喉に押し付けていた剣をブンと振り上げ、ニヤリと笑うのだ。とても怖い顔で笑うのだ。牙が光ったように見えたのだ。


「や、止めて、ミカー!」


 あかりが叫ぶと同時に、ミカの剣が振り下ろされていた。

 ドンと突き刺さり、ビカッと閃光が走る。

 あかりは思わず顔を手で覆った。ミカが雷竜を殺すところなんて見たくなかった。


「ひゃー!」


 ぷう子が悲鳴を上げて飛び出していった。さっきユーリが開けかけた窓の隙間からスルリ抜け出し、雷竜のもとへと飛んで行くのを、あかりは指の間から震えながら見ていた。


「姉ちゃーん! イヤや、死んだらイヤやー!」

「ぷう子!」


 ガラッと窓を大きく開け、ユーリも飛び出してしまった。空を飛べないユーリは、魔法で勢いを殺しながら着地し、それからぬかるんだ校庭を走っていった。

 あかりはどうすることもできすに、おろおろと見つめるばかりだ。

 雨は急に小降りになり、少しあたりが明るくなったような気がする。

 でも校庭の真ん中だけは、暗闇が淀んでいるようだった。まだ黒ぐろとした気味の悪い無数の腕を出し続けているミカと、その腕にがんじがらめになっている雷竜がいる。ミカの剣が、垂直に雷竜の頭あたりに刺さっていた。


――こ、殺した……の?


 バックンバックンと心臓が鳴る。どうして殺すの、親ドラゴンは魔法書に封印したくせにどうして、とあかりは頭を振った。

 ぷう子は奇声をあげながら、ミカに突進していく。

 が、ぶつかる前に、ミカの拳がベシンとぷう子を地面に叩きつけていた。そこへユーリが到着し、大丈夫ですかと叫んでいる。

 ミカが立ち上がる。するとゆるゆるとモヤがミカの中に吸い込まれていった。


 途端に、雷竜がビコンっと勢いよく頭をあげた。そして全ての腕に解放された瞬間、猛スピードで飛び上がり、上空の雲の中に姿を消してしまった。


――あ、あれ……?


 一瞬の出来事だった。思わずあっけにとられて、何が起きたのかと首をひねったのだが、どうやら雷竜は生きていたらしかった。

 あかりがホッと息をつくと、ビカッと雲が光り、その雷竜の声が降ってきた。


『このくされ魔法使いがぁ! 絶対仕返ししたるっ! この恨み忘れへんからなぁ! 次の角生えてきたら、お前の羽、引っこ抜いたるぅ! 覚えとけよ、アホォ!』


 アホォアホォというののしりが、どんどんと小さくなってゆく。ああ、こういうのを負け犬の遠吠えって言うのか、初めて聞いたなぁ、などとあかりは妙に感心してしまった。

 そして雷竜のわめく声が消えると、強い風が雲を運び始めた。


――か、帰った……のかな?


 嘘のように、どんどんと雲が薄れてゆき雨も止んだ。


――角がどうとか、言ってたっけ……


 恨みってなんだろうと思っていると、ミカが棒のようなものを二本拾い上げ、ユーリに何か言っている。

 ちょっと自慢げに笑っている顔は、いつものミカだった。


――そっか、竜の角を折ったんだ。さっきの剣で……


 ああ、良かったと、笑みが浮かんだ。ミカは、はじめから角を狙っていて、殺そうとしていたのではなかったのだ。

 と、あかりの背後がパッと明るくなった。教室の電気がついていた。

 わあ、と安堵の声が学校中に響く。

 あかりは、こっちを見ているミカとユーリに小さく手を振って、自分の席に戻っていった。

 丁度その時、雲のすき間から薄日が差し、ミカたちを照らした。濡れた黒い翼が、キラリと光った。

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