第13話 嵐を呼ぶ雷竜

 月曜は朝から天気が悪かった。

 まるであかりの心模様を写し取ったように、薄暗くて、湿った風が吹いていて、気味の悪い雲が重くのしかかってくるようだった。



 あかりは、昨夜のことを思い出す。

 おばあちゃんの手をきゅっと握って、一緒に家に入った。心臓がバクバク鳴って、どうしていいか分からず、ずっとうつむいていた。

 お母さんが何か言いかけていたが、おばあちゃんは、さあみんなでお弁当食べましょと、何事もなかったかのように言った。

 おばあちゃんは、このままうちに泊まってくれるらしい。もともとお母さんが入院したら来てくれる予定だったけど、前倒ししてくれるというのだ。今夜からは、おばあちゃんになんでも任せてちょうだいと胸を張っていた。

 そして、面白かったドラマの話をしたり、ベランダで育てている野菜の話をしたり、輝の幼稚園の話を聞いたり、とにかくいっぱいしゃべっていた。


 あかりは怒られるんじゃないかと気が気でなくて、とてもおしゃべりなんてできなかった。お母さんを見ることもできずに、黙々とお弁当を食べ続けるだけだった。でも半分も食べられなかった。

 お母さんも話の相づちを打つくらいで、しゃべっていたのは、ほとんどおばあちゃんと輝だった。

 なんだか居心地が悪くて、あかりはお弁当を食べ終わり容器を洗って捨てると、リビングを出たのだった。

 おばあちゃんが「偉いわねぇ、ちゃんと分別してお片付けもできて。あかりは本当にいい子だね。おやすみ、ゆっくり寝なさい」と声をかけてくれた。

 自分ではいい子だなんで思ってなかったから、小さく首を振って階段を登っていった。そして、登りきる少し前に、お母さんの震えるような小さな声が聞こえた。


「ねぇ、あかり……」


 続きを聞くのが怖くて、あかりは聞こえなかったフリで急いで部屋に入り、ドアを閉めてしまった。




 あの時、お母さんはなんて言おうとしてたんだろう。

 今朝あかりが起きた時には、お母さんはまだ寝ていた。具合が悪いみたいで、おばあちゃんがベッドに水を運んでいた。後で病院に行こうねと言っているのが聞こえて、急に心配になり後ろめたさでいっぱいになった。

 テーブルには目玉焼きが置いてあった。冷えていたけど、それはお母さんが焼いたいつもの目玉焼きだった。ケチャップで眉毛と口が描いてあるから、お母さんが作ったんだと分かるのだ。目玉焼きが、にっこりあかりに笑いかけてくる。

 身体が辛いくせに、どうしてこんなの作るんだろうと不思議だった。いつもはあれしろこれしろと命令ばかりしてるんだから、朝ごはんもおばあちゃんに作ってもらえばいいんだ、と。

 胸の中がモヤモヤして息苦しくて、ため息をつきながら学校に向かったのだった。

 空は黒い雲がどんより重く垂れ下がり、今にも雨が振りそうだった。







 一時間目が終わり、あかりは校舎二階の自分の教室の窓から、外を眺めていた。ますますあたりは暗くなり、まるで夕方みたいだった。風もきつくなり、ひんやりと冷たくなってきた。じきに雨が降るのは間違いない。

 これではミカたちがいる公園には行けそうにない。ぷう子とも話したかったのに、ちょっと残念だ。


 昨日、入れ墨されてからのぷう子は、本心はともかく質問に素直に答えるようになった。

 そして分かったことがいくつかある。

 雷竜はやっぱりこの世界に来ている、ということだ。ドラゴン族は世界を行き来する能力に長けているらしいのだ。母ドラゴンを助け出そうとしているのだろう。

 それから、雷竜はぷう子よりも断然、強いらしい。気性も荒くて、なかなか手ごわい相手のようだ。

 ぷう子にミカの命の光を壊せたのは、単に偶然だったらしいが、雷竜なら意図的に奪ったり壊したりできる可能性があるというのだ。とても厄介だ。

 そして最後に母ドラゴンはと言うと、魔法書の中が意外にも居心地がいいらしく、別に助けに来なくても良かったのになんて言って、ぷう子をがっかりさせたていた。


「そりゃそうさ。この中なら、外敵もいないもんな。ちゃんとエサもやってるし。どっちかっていうと、王国騎士団からオレが助けてやったようなもんだ。アイツらだったら、絶対生け捕りなんかしないで殺してたぜ。オレに捕まえてもらえたことに、感謝してもらわないとな」


 と、ミカはなぜかものすごく威張っていた。

 ユーリから聞いた話では、ドラゴンが暴れたせいで彼女が病気になり、それで怒り狂ったミカは、ドラゴン退治に一人で飛び出していったとのことだ。騎士団からドラゴンを守る気なんて、さらさら無かったはずで、ぷう子と同じで偶然の賜物なだけなんじゃないだろうか。


 ともあれ、ぷう子としてはお母さんと離れ離れにされて辛くて、一緒にいたい、助けたいと思ったのだろう。ミカに感謝なんてできるはずもない。

 だが今では、ぷう子も捕まってしまった。皮肉だがそのおかげで、母ドラゴンの側にいられるようになり、その点では満足しているようだった。


――もし、お母さんがどこかに連れていかれちゃったら、私はどうするんだろう……ぷう子みたいに、助けに行けるかなぁ……


 はぁとため息をつく。

 そして、ふと、父ドラゴンはどうしたのだろうと思った。父ドラゴンまで、こっちにやって来たら、大変なことになるじゃないかと思ったのだ。


「あ、あかりちゃぁん……それはな、きいたらあかんことやねん……一番きいたらあかんことやねん……。ワシ、泣いてまうでぇ」


 言ったはしから、ぷう子は泣いてしまった。父ドラゴンがこっちに来ることは絶対にないから、その話は二度としないでくれと、メソメソと泣くのだ。ぷう子は本当に泣き虫だ。

 そして、事情は分からないが、ドラゴンの家庭も色々と複雑なようだった。




「どうしたの?」


 あかりがじっと真っ黒な空ばかり見て、ミカやぷう子たちのことを考えていたら、クラスメイトが声をかけてきた。一番仲の良い、さくらだった。


「なんだか、雨降りそうだなって思って」

「本当だ、もう降りそう。今日の体育、講堂になっちゃうね」

「うん、休み時間も外で遊べないね」


 窓から顔を出して、ブツブツ言っている間に、二人の頬にポツリと雫が落ちてきた。そして次々に窓枠に、丸い雨の染みをつくってゆく。


「わ! 降ってきちゃった!」


 あかりが声をあげたところでチャイムが鳴った。今から二時間目だ。


「じゃあ、次の休み時間はこの前買った本、一緒に読もうよ。すごく面白いよ。あかりも多分好きだと思う」

「うん、ありがとう!」


 自分の席に戻っていくさくらに手を振り、あかりも窓際の自分の席についた。

 と、先生が教室に入ってきた同じタイミングで、ザーッといきなり強い雨が降ってきた。おおっと、クラスがざわつく。あっという間に、土砂降りになっていた。

 風も強く、雨が吹き込んでくる。先生が慌てて窓を閉めると、窓際の生徒たちも急いで閉め始めた。あかりも、近くの窓を閉める。

 その時、チカッと、黒雲の中で稲妻が光った。


「ヤダなあ……雷落ちたりしないかなあ」


 一秒、二秒、三秒……七秒、八秒。

 ッピシッバリバリバリバリ!

 雷鳴がとどろき、悲鳴が上がる。そして、雲はまた光った。

 突然の大雨と雷にざわつく教室の中で、あかりはまさか雷竜じゃないよねと、顔を険しくゆがめていた。


 その後、激しい雨は緩むことなく、三時間目になっても降り続いていた。しかも、雷がひっきりなしにピカピカゴロゴロドッカーンと鳴るものだから、まったく授業にならない。いちいち悲鳴が上がるし、面白がってはしゃぐ男子は、怒られても席につかない。先生も不安げな顔をして外ばかり見ている。


 校内放送が入り、絶対に校庭にでてはいけませんと校長先生が言っていた。一斉に、出るわけないよと、つっこみと笑いが上がり、また先生が怒る。

 この大雨に、みんな少し怖いけどわくわくしている様子だった。

 あかりも雷は苦手だが、今、落ち着かず心臓がドキドキと鳴るのは、雷竜の仕業ではないかと気になっているからなのだ。ミカとユーリはどこで雨宿りしているんだろう、とそれも心配だった。

 ダンダンと雨が叩きつけてくる外ばかりが気になる。

 だから、肩をトントンと叩かれた時は、椅子から飛び上がるくらい驚いた。


「ふえ!」

「ごめん、驚かせちゃったね」


 振り返ると、そこにいたのは、ずぶ濡れのユーリだった。人差し指を口に当てて、しぃっと合図している。学校にくるなんて、どうしたんだろう。

 キョロキョロと教室を見回すと、どうしたのと首をかしげているさくらと目があった。でも、ユーリには気付いてはいないようだ。

 あかりは曖昧に首を振って、なんでもないよと笑ってみせる。

 公園の時のように、あかりの姿は見えなくなってはいない。ユーリだけが姿を隠しているようだ。


「あかりちゃぁーん」


 足元でぷう子が、まん丸い目をぱちくりさせていた。


「……なぁ、怖いわぁ、かなんわぁ。ワシ雷、苦手やねん」


 甘えた声を出しぷるぷる震えて、あかりの足に巻き付いてきた。

 あかりは小声でたずねた。


「ど、どうしたのよ? ミカも来てるの?」


 雨の音が激しい上に、みんな騒いでいるから、幸い聞きとがめられることはなかった。

 おまけにまた、ドッカーンと大きな雷鳴が響き渡り、あかりの声はかき消される。


「ううん、僕とぷう子だけ。ごめんね、びっくりさせて。……もしかしたら気付いてるかもしれないけど、これ雷竜がやってるんだよ……」


 ユーリはふうっと大きなため息をついた。やっぱりかと、あかりも息を吐いた。


「どうするの?」

「ん、今ミカさんが雷竜を捕まえに行ってるんだ。あの黒雲の中にいるはずだって」

「え?! 危ないよ、雷ビッカビカなのに!」

「うん、そうなんけど、捕まえないことには、この嵐も収まりそうにないからって言って、飛んでいっちゃったんだ」

「アイツ、早う何とかしてくれへんかなあ……」


 不安そうに言うぷう子だった。ドラゴンの子どものくせに、泣き虫で怖がりで、どうしようもないなと、あかりは苦笑いする。


「……あれ? 雷竜ってぷう子のお姉さんなんでしょ? だったら、ぷう子が止めてきてよ」

「うひゃ! 無理! あり得へん! ワシ、姉ちゃんとケンカして勝ったことなんかいっぺんもないし! 姉ちゃん、めっちゃ怖いねんで! 無理無理!」

「……だそうだよ。だから僕が連れてきたんだ」


 アハハと、力なくユーリも苦笑いした。

 そしてすぐに真顔になる。少し言いにくそうに口をもごもごしていから、ようやく言った。


「もしも、もしもだけどね。あかりちゃんが僕たちと一緒にいるところを、雷竜に見られてて、人質っていうか危害を加えられたらいけないからって、ミカさんが言ってて……。それで僕、ここに来たんだ」

「え、ええっ? 私? ……私を襲ってくるかもしれないの?」


 ユーリが教室に現れた理由に、あかりは驚いてしまった。まさか自分が狙われるなんて思いもしないことだった。

 雷竜があかりを人質にして、母ドラゴンを返せとミカに迫る、そういう可能性もあるのだと知らされて、おろおろとユーリを見つめる。

 雷がどんどんと近づいてきているのは、まさか……と恐ろしくなってきた。


「いや、もしもの話だよ。多分、そんなことはないから。それに僕、バリアの魔法だけはすごく得意だから。大丈夫、本当だよ」


 怯えるあかりに、ユーリはにっこりと微笑んでうなずく。いつも少し控えめなユーリが、自信をもって言うくらいだから、きっと大丈夫なのだと素直に信じられる。

 こくりとうなずいて、あかりも笑みを見せた。

 それからユーリは、真っ暗な空に視線を移した。ミカのことを心配しているのだろう。眉を寄せて、真剣な顔をしていた。

 と、その時。


 ガガガガガ……ドガン!


 一瞬、空が一面真っ白に光り、ビリビリと空気が震えて耳が痛んだ。

 甲高いいくつもの悲鳴があがり、教室の電気がまたたいたかと思うと、スッと消えてしまった。教室が暗くなり、日が暮れたみたいだった。

 再び悲鳴がわき、もう誰が何をしゃべっているのか分からないくらいの大騒ぎになった。あかりのクラスだけではなく、多分、学校全体が停電してしまったのだろう。隣のクラスの男の先生が、動かずじっとしてなさい、落ち着きなさいと叫んでいるのが聞こえていた。

 思わずしゃがみ込んでしまったあかりの肩を、ユーリが軽く叩いた。


「大丈夫、僕が側にいるからね」


 ユーリの声も強張っていたが、とても頼もしいセリフだった。

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