第10話 名前を付けよう
日曜日の朝。あかりはミカに起こされた。
目覚まし時計を消して、また眠りに落ちそうになっているところで、ミカが「おはよう!」と窓から侵入してきたのだ。心臓が止まるくらい驚いて、いっぺんに目が覚めた。
面白いもの見せてやるから、今から一緒に河川敷に行こうぜと、朝っぱらから非常識なお誘いをしてくるミカを叩き出して、後で行くからと返事したのだった。
本当はすぐにでも一緒に行きたかったが、そうはいかないのだ。出かける前に、やっておかないといけないことがいっぱいある。
朝ごはんのトーストを焼いて、掃除も洗濯もして、お買い物だってしてきた。お昼ごはんには三人分のラーメンを作った。インスタントで具はもやしだけだったけど、これはあかりにできる精一杯だ。
お母さんは朝から、青い顔をしてお腹をさすっていた。またお腹がカチカチになって苦しいんだそうだ。だから、ブツブツいうくらいなら寝ててちょうだいと、あかりはお母さんの代わりに家事をがんばったのだ。
これだけやれば文句はないだろう。ラーメンのどんぶりを洗ってから、ようやくあかりは家を出た。
あかりは、歩きながら首をかしげる。
面白いものって何なのだろう。公園より広くて、人の少ないところがいいから河原に行くと言っていたのだが、ミカは何を見せてくれるというのだろうか。
あかりが河川敷に降りて行くと、予想した通りミカがどこからともなく現れた。
さあこちらへどうぞ、と木陰に案内されると、そこにユーリもいた。
あかりが腰を下ろすと、ミカはおもむろに魔法書を開いた。昨日捕まえた風竜のページだ。
自然と、あかりとユーリの視線がそこに集まる。
よく見えるように、ミカは二人の方に本を差し出してくれた。
「あ!」
「え?!」
あかりとユーリは、同時に声をあげた。
途端に、ミカが自慢げな顔になる。
「脱皮したんだ」
捕まってすぐの時は、長い身体がぐちゃぐちゃにからまっていたが、今は解けている。そして、しわしわになった半透明の皮が、風竜のまわりに落ちていた。色味は淡い水色だったのが、少し濃くなっているようだ。
しかしそれよりも驚いたのは、一回り大きくなった風竜の背に、小さいながら翼が生えていたことだ。しかも、角も少し長くなり、短い手足も生えていたのだ。
「ちょ、ちょっとなんで大きくなってんのよ!」
「いや、だって、生きてるんだから成長もするさ」
「動けなくできないの? もし出て来たら、怖いよ」
「大丈夫さ。一度この魔法書の中に捕らえた奴は、オレに逆らえなくなるから。ま、さすがにこっちのドラゴンの方は油断ならないから、拘束してるけど」
ミカは一枚ページをめくって、黒いドラゴンを見せてくれた。この前見た時と同じポーズのままで、ドラゴンはじっとしていた。
「でも、火を吹いてたよ? まばたきもしたし!」
「その位は許してやれよ。このドラゴン
ミカが指差したドラゴンの足には、確かに頑丈そうな輪っかがついていて、太い鎖で両足がつながっていた。さらに、鎖が長く伸びた先には大きくて重そうな鉄球があるのだ。これは引きずって歩くのも無理なんじゃないかと思うくらいだった。
ミカは、ねっとウインクして、ページを戻した。
風竜は自由に動き回っているわけではないようだが、小さな翼をパタパタやって、舌をチロチロと出してこちらを見ていた。
「で、何をしようっていうんですか?」
ユーリがたずねた。少し不安げな顔をしている。あかりはヤな予感がするなあと思ったのだが、もしかしたら、ユーリも同じなのかもしれない。
ドラゴン
「ちょっとコイツを呼び出して、手なずけてみようかと思ってさ」
アハハっと笑うミカは、やっぱり能天気だと思う。
「やだ! 怖いよ!」
「大丈夫なんですか?」
二人同時に、非難の声をあげる。
ミカたちの世界では、普通にいる生き物なのかもしれないが、あかりにしてみれは、いくら子どものドラゴンだといっても、十分に恐ろしい化け物だ。ユーリだって、心配しているじゃないか。呼び出すとか手なづけるとか、そんなことやめて欲しいと、心底思うのだった。
それから、あえてあまり人のいない河川敷に来たってことは、もしかしたら風竜が暴れるかもと、警戒してるってことじゃないのかと不安なのだった。
「面白いものって、これ? ヤダ、全然面白くない!」
「ええー? 面白いって。あかりちゃんのペットにしなよ。コイツがもっと大きくなったら、背中に乗って空飛んだりでき……」
「い、いらないー! 飛びたくない!」
「そんなこと言わずに可愛がってやってよ」
「可愛くないもん!」
『キュクゥゥ……』
あかりが叫ぶと、魔法書の中からか細い鳴き声が聞こえてきた。
『キキュキュゥ……』
風竜があかりを見つめて、ぱっちりとまん丸い目をウルウルとさせているのだ。えっ、と息を飲んだ瞬間、目から液体がこぼれていた。
ドラゴンが泣くのかどうかなんて、あかりが知るはずもないのだが、風竜は確かに涙っぽいものを流していた。
「あらら、泣かせちゃった。本人の前で可愛くないって言うなんて、あかりちゃんもひどいなぁ」
「ちょ、ちょっと?! そんなぁ!」
嘘でしょと首を振る。
人間の言葉が分かるの? 泣くってことは感情があるの? と驚くことばかりだ。本当に、可愛くないイヤだと言われて泣いているのだろうかと、本の中をのぞき込むと、風竜はこびるような上目づかいであかりを見つめて、ぱちぱちとまばたきをするのだ。うるみきったつぶらな瞳、パタパタと動く小さな羽、そしてちっちゃな指がワキワキと動いていた。
悔しいことに、なんかちょっと可愛いと思ってしまった。
「……な、なによ。私のペットになりたいの?」
『キュキュー!』
「うそ……返事した?」
『キュクゥー!』
風竜は、尻尾を振って嬉しそうな声をあげている。
あかりはポカンと口を開けて、固まってしまった。
「そんじゃまあ、出してみようか」
「ま、ま、ま、待って……」
「本当に大丈夫なんでしょうね?!」
ユーリが念を押しても、ミカはウハハと笑っているばかりだ。
あかりが呆然としているうちに、事が進んでゆく。
ミカは、ペンを取り出すと風竜の絵にさらさらと首輪と鎖を書き足した。そして、開いたページに左手を乗せる。
「さあ! 出てこい、風竜!」
ミカの声に合わせて、魔法書の中からゴウッと風が吹き出した。三人の髪があおられる。ものすごい風に、砂が舞い上がり、小石がバシバシと身体に当たった。
そして、風竜がびゅんと飛び出してきた。
すかさずミカは鎖をつかんで引き戻し、飛び去っていかないように、その首ねっこを押さえ込んだ。
グエッ苦しげに鳴いてから、風竜はあかりに助けを求めるように見上げてくる。
「いいか、おとなしくするんだぞ」
そう言ってから、鎖はしっかり握ったまま、ミカは風竜の首から手を離した。と、風がピタリとやんだ。
風竜は観念したのか逃げようとはせず、そろりと動いて、あかりの足に顔をすりつけきた。
ヒヤリと少し冷たい体温に、あかりは思わず後ずさった。ヘビを触ったことはないけど、こんな感じかもしれない。
頭の先から尻尾の先までが一メートルくらい。形はほとんどヘビだけど、昨日よりも真ん中あたりが太くなっている。そして、羽があって手足もある、へんてこな姿だった。でも、もっと大きくなったら、前のページのドラゴンみたいになるのだろうか。ちょっと信じられない。
気持ち悪いと思う反面、パチパチとまばたきしてキューと鳴きながら見上げてくる風竜は、ニコニコ笑っているように見えて、やっぱりちょっと可愛い。
「な、なんで、私に懐いてくるのよ」
「さあ? コイツ、オレのこと嫌いだっていうし、オレも嫌いだし。なんだか知らないけど、あかりちゃんが気にいったって言うんだよ。だから仲良くしてやって」
ミカは命の光を壊された恨みがあるし、風竜は捕まえられた恨みがあって、お互い嫌っているのだろう。でもだからって、こっちに押し付けてくることはないと思う。
「なんでよ? ミカの魔法で捕まえたんでしょう。ミカには逆らえないんでしょう。ミカが飼い主でいいじゃない。」
「いやまあ、飼い主っていうか、一応オレが主でコイツが下僕っていう関係になるんだけどね。あかりちゃんと友達になれるなら、いうこと聞いてやるなんて、生意気言いやがるからさぁ」
「キュクゥ……キュウ?」
一体、風竜とどんな話し合いをしたのか知らないが、あかりがご指名を受けてしまったらしい。足に顔をすり付けてシッポを振る風竜は、遊ぼうよと甘えている犬みたいだった。
「ミカってドラゴンと話せるんだ……」
「まあね」
へっへっへと笑って得意げな顔するミカは、悪ガキみたいだ。
ユーリは苦笑して、あかりの足元にしゃがんだ。風竜をのぞき込み、よしよしと頭をなでてると、またキューと可愛らしい声が聞こえてくる。
「凶暴なのかと思ったら、意外とそうでもないんですね……」
「まだまだ、子どもだからね。さて、名前を付けよう。そうしたら、お前たちもコイツと会話できるようになるからな」
ミカも風竜の頭に手を伸ばした。すると、シャーっと牙をむいて威嚇してきた。本当にミカのことはキライなようだ。
「……コ、コノヤロめ。いいか、今からお前は名前に支配される! 魂にその名前を刻み、一生オレに絶対服従だっ、いいな! えーっと、んーっと…………よし! お前は『ぷう子』だ! 突風の『ぷう』に、子どもの『こ』!」
自信満々な顔で宣言した。
あかりは、ガクッと体の力が抜けるのを感じた。
「……ぷ、ぷう子?」
何それと、口の中でつぶやいてしまった。突風を吹かせるし、子どものドラゴンだから、ぷう子だなんて……安直というより、はっきりいってダサい。
呆れるあかりをよそに、ミカは悦に入っている様子で、腕を組んで偉そうに命令を下した。
「さあ、ぷう子、しゃべってみろ」
本当にしゃべれるの? とあかりが首をかしげていると、風竜がクワッとミカをにらんだ。
「……じゃかぁしゃあぁ! おんどれ、アホかぁ、ワシは男じゃ! なんでぷう子やねん! おならか?! 今すぐ変えんかい、ボケェ!」
驚いた。
風竜、いや、ぷう子が叫んだ。
ものすごく嫌がっている。それはそうだろう、なんたってぷう子だ。しかも知ってか知らずか、オスにぷう子とは。
それにしても……。
ミカやユーリがナチュラルに日本語を話していたから、ついあかりはそれを当たり前に思ってしまっていた。しかし、風竜が関西なまりでしゃべり出すと、さすがになぜ日本語をしゃべれるんだと、突っ込みたくなった。
多分、初めから言葉が通じていたのも、ミカの魔法のうちなのだろうと、もう予想はついているのだが。
「無理無理無理むぅりぃー。一度口にしたらそれで決定だから。今から、お前はぷう子です!」
「うわあぁぁぁ! んな、アホなぁ! このクソボケあほんだら魔法使いがぁ! なんっちゅうこと、さらしよんねん! なんでぷう子なんや、もっとかっこええ名前思いつかんのかぁ! このどアホォォ!」
ぷう子はポロポロと涙を流しながら、絶叫していた。ドッタンバッタンと、もんどり打っていた。よっぽど、この名前が気に入らないらしい。
その気持ちは分かるよと、苦笑いするあかりだった。
あははと笑っているユーリの目は、少し虚ろだった。呆れを通りこして、疲れているようだった。
怒るポイントは名前ではなく、一生ミカの下僕でいなければならないことはずなのだが、どうやらぷう子はそれに気が付いていないようだ。
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