第9話 ミカと魔法書

 すっかり夜になり、公園の街灯の下でユーリはポツンと立っていた。

 何度も、ミカを探しに行こうかとも思った。だが、行き先など分からないし、入れ違いになるくらいなら、ここで待っていた方がいいだろうと、ぐっと我慢してミカが戻ってくるのを待っているのだ。

 空を見上げてはため息をつく。今日の出来事がショックだったのは、ミカだけではない。彼を手伝う為に、この世界に一緒にやってきたユーリだってショックだったのだ。もしかしたら、ミカ自身よりもミカを心配しているかもしれないくらいなのだ。


 彼の魔法の腕は、全く心配していない。しかし、性格や行動の面で何かと不安で、ユーリは付いてきてしまったのだ。ミカが何かやらかす前に、自分が止める。それが役割だと思っていた。

 それなのに、風竜にしてやられてしまった。ミカの失敗というより、ユーリはフォローできなかった自分の責任を感じてしまうのだ。

 もしもミカの命を集めきれずに、彼が早死にしてしまうなんてこと、ユーリは想像するだけでも恐ろしくてたまらなくなる。ただの先輩後輩という関係だけでない、友情や信頼や憧れという彼への好意が、彼の為に働きたいと思わせるのだ。


 ユーリが、また空を見上げてふうっと大きな息を吐くと、白い翼が羽ばたくのが小さく見えた。

 あっと声をあげ、ブンブンと手を振ってミカを呼んだ。

 ユーリの気も知らないミカは、のんきに口笛を吹きながら降りてきた。


「ミカさん! 心配したじゃないですか。もう! 全然、戻ってこないから!」

「そんなに怒らなくても……。ガキじゃあるまいし」

「だって、ミカさん……元気なかったから……」

「あ、オレ、もう元気満点だぜ? メシも食ってきたし」

「……どこで」

「コンビニ」

「……お金ないのに……」

「等価交換だよ。弁当代として、商売繁盛の魔法かけといたから。ほら、お前の分」


 ミカは、ベルトにくくりつけていたレジ袋をユーリに手渡した。パッケージのままのおにぎりが三つとサンドイッチ、そしてジュースが一本入っていた。

 受とったユーリは、はあっとため息をついている。


「その魔法がちゃんと効いてるならね……」

「あのな、それ、先輩に向かって言う言葉か?」

「だって、ここじゃ効かない魔法もあるじゃないですか」

「気にすんなよ。多分、効いてる、多分。……だって魔法書から呼び出すメシ、飽きちまったからさぁ」

「もう、ダメですよ……今日だけにしといて下さいよ、ね!」

「厳しいなあお前は。こんなことなら、アイスも喰っとけばよかった」


 ミカがニャハハと笑うと、まったくと言いつつユーリもつられて笑ってしまった。

 ユーリがおにぎりを取り出して、どうしようか見つめていると、ミカはヒョイヒョイとすべり台を登っていった。そして、てっぺんの手すりにもたれかかって言う。


「今日はオレの番だし、お前はもう休めよ」


 ミカの番とは、夜の見張り番のことだった。大切な魔法書を盗られないように、二人は交代で眠っているのだ。不審なヤツはいないかなと、目の上に手をかざして、わざとらしく見張りのポーズをしてみせる。そんなことしてるミカが一番不審者っぽいと、ユーリは笑った。


「違いますよ。今日は僕の番ですから、ミカさんこそ休んでくださいよ。風竜を封じるのに、結構魔力使っちゃったから疲れてるでしょう?」

「仮眠もしたから平気さ。……今日のこと、一応ヴィヴィに報告しとこうかと思ってさ。だからお前、さっさと寝ろ」

「……もう、なんで僕がいたらヴィヴィさんと話できないんですか? そんなに、照れなくてもい……」

「やっかましいわ! 照れてねー!」


 ミカはザーッと滑り降りてきて、勢いよく走ってくると、ユーリのリュックを掴んで魔法書を取り出す。


「メシはこん中で食え。サッサと入れ!」


 魔法書の真ん中あたりを開いて、ユーリにつき出す。


「あ、横暴」

「オレは先輩、お前は後輩! 言うこと聞け、ほら!」


 口をムッとゆがめているミカが、ちょっと赤くなっているので、ユーリはクスッと笑う。しかたないなと肩をすくめて、魔法書の開いたページに手を当てた。

 そのページは、木としっくいでできた小部屋の絵が描かれていて、ベットや机や、本棚などもある。二人がいた世界でのユーリの部屋が、そこに描かれているのだ。ページを一枚めくれば、ミカの部屋もある。

 その絵に手を置いた途端に、ユーリは本の中に吸い込まれていったのだった。


「はい、おやすみ!」

『全然、眠くないですけどね。おやすみなさい』


 絵の中で、ひどいなあと、腰に手を当てて苦笑するユーリに、バイバイとミカは手を振って魔法書を閉じた。

 魔法書が、この世界での二人の家にもなっているというわけだった。


 ミカはベンチに腰かける。誰もいなくなった公園は、静まり返っていて、時々目の端を通り過ぎていく車のエンジン音が聞こえるばかりだった。

 空を見上げて十まで数えた。

 再び、魔法書を開く。真っ白なページ。

 リュックからペンを取り出す。

 ミカは、大きく深呼吸して文字を書き始めた。


――ヴィヴィ。元気かい? 身体の具合はどう?


 文字を書くと、ミカは指でトンッと軽くページ叩いた。すると、文字がすうっと紙の中に吸い込まれて消えてしまった。

 真っ白に戻ったページを、ミカはしばらくながめていた。すると、文字が浮かび上がってくる。さっき書いたものとは違う筆跡の、少し長い文章だった。

 ミカの唇がふわりとほころぶ。


――私はいつだって元気だ。薬も良く効いている。先日の試合にも優勝したぞ。私の犬が、だがな。そっちは順調なのか?


 ミカとヴィヴィの文字での会話が始まった。返事に目を通し、指で叩くとまた白いページに戻り、ミカはまた文字を書く。

 遠く離れた別々の世界を、魔法書がつないでいた。直接会うことはできなくても、こうして言葉を伝えあうことができるのだ。


――そりゃ勝つだろうよ。あんな獰猛な闘犬は他にいねーだろ。こっちは、まあ順調だと言えなくもないかもしれなくなくない、かな? とか?

――なんだそれは? 意味が分からんぞ、ミカ。

――まあ、そんな感じで。

――なるほど、要するにまた調子に乗って、大失敗して落ち込んでいると、そういうことだな。

「うぉ! なぜ、いきなりバレる!」


 浮かび上がってくる文字を見て、ミカはうなった。

 まるきり、その通りだ。この失敗のことを言っておこうと思って、ヴィヴィを呼んで会話をはじめたのだが、いざとなると言いにくくてたまらない。男勝りな彼女は怒ると非常に怖いのだ。

 ミカがビクビクしていると、また文字が浮かんできた。


――損失を言え。

「う!」


 彼女の言葉は単刀直入だった。失った命がどのくらいなのかを、たずねている。

 少し少なめに申告しておこうか、別に何も失ってないと言っておこうか、ミカは迷う。しかし嘘がバレたら、もっと怒られるだろうから、ここはやはり正直に言うべきかと、腕をくんでムムムと悩むのだった。


――そうか、すぐに言えないくらい、大きな損失と言うわけか! このマヌケ! ドアホ! バカタレ! おたんこなす! 貴様の頭はお飾りか! 愚か者の代表か! 考えなしの大バカ野郎! お調子者! 死んでも貴様のアホは治らんぞ! このままでは来世は虫けらだ!

「……ああ、なんちゅう罵詈雑言……ひどすぎないか? せめてもう少し、女らしく罵ってくれればいいのに……」


 ミカはグサグサときた胸に手を当てて、ぐったりとうなだれた。

 その間にも、ヴィヴィからの怒りのお言葉が次々に浮かび上がってくる。はははっとかわいた笑いを浮かべながら、ページをトントンと叩いた。

 ヴィヴィの悪言がすっと消える。


――十年。


 自分の書いた文字が、魔法書に吸い込まれてゆくと、ミカは大きくため息をついた。そしてじっと、真っ白なページを見つめた。

 十秒、二十秒。ヴィヴィからの返事はこない。さっきまで、すごい勢いで文字が浮かんできていたのに。

 何がどうしてそうなったと、彼女が怒り狂って質問してくるのを予想していたのに、うんともすんとも言わなくなり、ミカは不安になる。


――風竜がこっちに来てたんだ。やられちまったよ。ほんと、執念深いよな。

――でも封印したし、きっと残りはちゃんと集めて帰るから。

――大丈夫だから。


 ミカは立て続けにメッセージを送るが、返事はない。


――ヴィヴィ? 聞いてる?


 何も言ってくれないのなら、悪口をいっぱい言われる方がマシだ。

 だんだんと弱気になってくる。ミカは頭をガリガリとかきむしった。もう会えなくなる予感に、胸がつかえて苦しかった。

 命の光を集めきれずに、ここで死んでしまうような気がするのだ。

 ヴィヴィに会えないまま、死んでしまうような気がするのだ。


――ごめん。やっぱり、帰れないかもしれない。

――ドアホ。何を言っている、貴様らしくもない。絶対、取り戻して帰ってこい。


 やっと返事が返ってきて、ミカはホッと息を吐く。

 ヴィヴィに叱ってもらった方が元気になれる。


――善処します、と言っとくよ。

――必ず、生きて帰ると言え。


 ヴィヴィの文字が震えている。

 ミカの眉がゆがんだ。


――もしかして、今、泣いてる?

――まさか。爆笑中。

――オレも。

「ちきしょう……」


 唇をかんだ。笑えるはずもない。

 風竜に壊された十年分の寿命は、決して取り戻せるものではないのだから。ヴィヴィも絶対笑ってなんかいないのだ。

 それでもミカは軽口を続けた。


――憎まれっ子世にはばかるって言うだろ? オレは百まで生きる予定だったから、こんくらい失くなって丁度いいんじゃないかな?


 返事はなかった。

 ミカは、ヴィヴィの顔を思い浮かべて、白いページをそっとなでる。


「君より一日だけ長生きできたら、それでいいんだけどな……」


 彼女に触れたのは、いつだったかなと思う。もう何ヶ月も会ってない。

 ヴィヴィの病気が悪化してからは、家に入れてもらえなくなってしまったし、もう会いに来るなと言われてしまったのだ。足を引きずるようになった自分を、見られたくないのだそうだ。


――ミカ、涙が止まらない。


 ヴィヴィのメッセージにドキリと心臓が鳴り、ミカの指が震える。ヴィヴィのすすり泣きが聞こえたような気がして、慌ててミミズがのたくったような字でメッセージを送る。


――ご冗談を。

――もちろん冗談だ。

――それでいい。

――クソバカ野郎。

――バカは生まれつき。


 強がりを言い合ってばかりだった。多分、二人ともバカなんだとミカは引きつったような笑みを浮かべた。

 少し間が空いて、またヴィヴィのメッセージが届く。


――バカに、いい事を教えてやる。最近、雷竜の姿が見えなくなった。ミカ、気をつけろ。

「雷竜まで……」


 ああと吐息して、空を見上げる。ややこしいことになったと、ベンチの背にドッともたれかかった。

 おそらく、雷竜もこっちに来ているのだろう。ただ命の光を集めるだけでなく、雷竜に邪魔されないように、気を配らなければならなくなってしまった。


――ありがとうヴィヴィ。気をつけるよ。もうお休み。体に気をつけて。

――こっちは朝だ、これから少し仕事する。貴様が寝ろ。

――警部殿は忙しそうだな。たまには休めよ、ってか、もう仕事なんか辞めちまえばいいのに。

――余計なお世話だ。頭脳労働ならいくらでもできる。次に辞めろなんて言ったら、牢屋にぶち込むぞ。この、すり師め。

――おおーいヴィヴィ、職権乱用だぞ。そんで、頼むから『元』をつけてくれ。


 ミカは肩をすくめて苦笑する。

 警官だと知らずに、ヴィヴィの財布をすろうとして捕まったのが彼女との出会いだった。ずい分昔のことで、もう足は洗ったのだ。


――君と話して、元気が出てきたよ。ごめんな、帰れないかもなんて言って。絶対ちゃんと帰るから、会いに行ってもいい?

――来ても、鍵かけてるから入れないぞ。

――合鍵、まだ持ってますけど?

――返せ。

――いやだ。




――ミカ、やっぱり会いたい。

――うん、会いに行く。

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