第8話 ドラゴンと風竜

「ユーリ! しっかり押さえてろよ!」

「はい!」


 あかりが息を切らして彼らの元に到着したのは、丁度ミカが魔法書を開いた時だった。

 そして、地面には半透明の蛇ようなものがいて、二人に取り押さえられていたのだ。ミカは側に落ちていた指揮棒を拾い、魔法書を勢いよくその蛇のようなものに、叩きつけた。


「ギュイィィィィキュァァ!!」


 地面から風が吹き上がる。砂ぼこりがうずを巻き、ミカたちの髪や服がバサバサと強風にあおられていた。

 バタバタと暴れる本を押さえるのを、ユーリと交代すると指揮棒を振るった。


「鎮まれぇ!」


 地面とページの間から閃光が走り、ほんの少し空いていたすき間が消えた。それと同時に風がピタリとやんだ。

 ミカの肩が激しく上下している。

 ふうっと、ユーリが大きく息を吐いた。


「……良かった、封じることができたようですね……」


 しかし、ミカの返事はない。

 ガクリと頭を垂れて、バンっと魔法書をなぐりつけた。


「ミカさん?」

「……ちきしょう……壊された……九割方、ぶっ壊された!」

「え?!」


 ふわりと小さな光の玉が本の中から、浮かび上がってきた。大漁だったのに、さっきまでの目を射るような輝きはもう無かった。なんだか弱々しくさえ見える。

 ユーリは何も言えずに、それをそっと両手で包み込み、いつものガラスビンの中にそっと納めた。


 あかりが恐る恐る近づくと、ユーリが眉をハの字にして顔を上げた。汗をかいた額には髪の毛と砂粒がはり付き、唇をかんでいる。

 肩で息をして、疲れた様子でユーリは立ち上がった。

 なんだかイヤな予感がする。


「何? 何だったの? 今のは」

「ん……僕らの世界にいたドラゴンの一種が、こっちに来ちゃったみたいなんだけど……」


 説明しかけて、ユーリはミカにたずねる。


「壊されたっていうのは……命の光のこと、何ですよね……」

「…………くっ」


 ミカは答えず、また拳を魔法書に叩きつけた。土下座するみたいに、背を丸めて顔を上げようとしない。

 ユーリは軽く首をふって、悲しげにあかりに近寄ってくる。そして小声で言った。


「……せっかく集めた十年分が、パアになったんだよ。風竜が壊したんだ……」

「壊れた……? どういうこと?」

「消えて無くなったんだ」

「うそ……」

「魔法書に封印したから、これ以上邪魔されることはないだろうけど……まさか、僕らを追ってここまで来るなんて……。命の光を壊しちゃうなんて……」


 風竜がなんなのかてんで分からないが、とんでもないことになってしまった。ミカの命の光を壊してしまったなんて、ひどいヤツだとあかりの眉もゆがんだ。


「もう、戻らないの? 本当に十年分無くなっちゃったの?」

「……うん、多分。ミカさんの様子からすると……」

「そんなぁ……」


 重たい空気が流れて、黙り込んでしまった。またガンバって集めようよと簡単に言っていいのか、分からない。

 元々あった命の光がどのくらいで、飛び散ってしまったのが全部で何年分か、あかりは知らないのだが、それでも十年を失うというのはとても大きなダメージだと思うのだ。

 ユーリは魔法書を拾い上げ、ちらりとミカを見ながら砂ぼこりをはらった。彼も何と言えばいいか迷っているようだった。

 うつむくミカの背中が震えているようで、あかりは恐ろしくなってくる。今にもミカが死んでしまうのではないかと、不安になってきたのだ。

 だが、いきなりミカはパッと顔を上げた。すぐに立ち上がり、服についた砂をバンバンとはたいて落すと、ヘラっと笑った。


「いやあ、失敗失敗。まーさか、あそこで風竜が出てくるとはねえ。ってか、ハハハ、オレってば調子に乗りすぎだよなぁ!」


 ワハハとミカは笑い飛ばした。

 オーバーに両手を広げ、肩をすくめておどけてみせるのだが、目が笑ってないから無理してるんだと、すぐに分かってしまう。


「なんだよ、二人ともそんな暗い顔すんなよな。葬式が始まるわけでもなし。ハッハハハ! さあ、また集めるぞ!」

「ま、まあ、そ、そうですね。次ガンバリましょうか」

「う、うん。そだね。次ね」


 アハハとあかりも笑ってみるが、なんだかぎこちない。あんまりにも嘘くさくて、自分でもイヤになるくらいだった。

 ミカが大きなため息をついた。ガクリと肩を落としていた。


「………………ああ、すまんな。やっぱちょっと一人になりたい」

「ミカさん……」


 ユーリにもあかりにも目を合わせず、ミカは羽をバサリと広げると、空高く飛んで行ってしまった。あっという間に見えなくなる。

 一体、どこに行くんだろうと、あかりは見送った。


「ミカ……大丈夫かな」

「大丈夫だよ、きっと……。落ち着いたらちゃんと戻ってきてくれるよ。ミカさんは大人だし、強い人だから……」


 ユーリは力なく笑う。

 本当にそうだろうか。あかりはミカの強がりも、ユーリの彼への信頼も、頼りなく見えて不安だった。


「公園に戻ろうか」

「うん……」


 河原からの帰り道は、二人とも無言だった。お互いに気まずくて、何も話せない。

 時々、あかりに近よってくる小さな光の粒を、ユーリはヒョイとつまんでビンにいれてゆく。風竜に壊されてしまった分になんて、とても届かないし、なぐさめ程度にもならない。それでも、集めるのをやめる訳にはいかなかった。

 それにしても、さっきの風竜はどうなったのだろう。封じたってことは、消えたんじゃなくて、きっとあの本の中に閉じ込めたってことよねと、あかりは腕を組んで考える。もしかして、魔法書を開いたら出てきたゃったりするのだろうか。


「ねえ……風竜ってなに? また出てきたりしない?」

「それは大丈夫だよ」


 歩きながらユーリは、魔法書をパラパラっとめくる。そしてあかりに見せてくれたページには、ヘビの絵があった。薄い水色の細長いヘビで、ひもみたいにグチャグチャにからまっていた。

 風竜は魔法書に吸い込まれて、絵になってしまったらしい。


「これが風竜?」

「そうだよ。ぱっと見、普通のヘビみたいに見えるけど、頭のところをよく見て」


 あかりは、アッと声をあげた。よく見ると、ヘビの頭にちょこんと小さな角が二つ突き出ているのだ。ちょうど耳みたいな感じだった。黒くて丸い目が、じっとこっちを見ているような感じがする。


「名前のとおりで、風をあやつれるし空も飛べるんだ。コイツはまだほんの子どもだから、さっきの突風くらいしか起こせなかったけど、もっと成長すると、翼が生えてきて、台風なみの風を吹かせることができるようになるらしいよ」

「そ、そうなんだ……。んと、コイツが子どもだったってことは、不幸中の幸いってやつ?」

「まあね」


 ユーリは苦笑して、それから二人はまた黙って歩いていった。




「もっと大きな光がみつかるといいけど……」


 公園の入り口まで戻ってきて、あかりがつぶやいた。自分のそばに、大きな光がきっとあるとミカは言っていたのに、近よってくるのはちっちゃな粒ばかりだ。

 早く見つけて、ミカを元気にしてあげたかった。


「……バッタ……」


 ユーリが何かを思い出したようにつぶやいた。


「なに?」

「さっきのバッタみたいに、他の生き物の中に隠れてるんだよ。きっと」

「隠れてるんじゃあ、見えないね。どうやったら、光があるかどうか見分けられるのかなあ。ユーリは分かるんでしょう?」


 ユーリは首をふり、いつものベンチに腰かけた。


「さっき見つけられたのは、たまたま。ミカさんなら、分かるかもしれないけど」

「そっか……」

「でも、やっぱりあかりちゃんがいてくれた方が、見つけやすいと思うんだ。だから、協力してくれるよね?」

「うん、もちろん。あんながっかりしたミカなんて、ミカらしくないもん。いっぱい集めて元気になってもらわないとね」

「ありがとう」


 うれしそうににっこり微笑んだ。

 あかりは照れくさくなってうつむいてしまった。手伝う気満々で今日は来たのだし、風竜や落ち込むミカを見てしまっては、断ろうなんて思えるはずもなかった。


「ミカさん、口には出さないけど、本当は早く帰りたいんだよ。ヴィヴィさんが心配だから……」

「ヴィヴィ?」

「あ……。えっと、僕が話したって言わないでくれる?」

「うん」

「ミカさんの彼女なんだけど……病気なんだ」


 ユーリは魔法書をペラペラとめくり、イラストの書かれたページを開くとあかりに見せてくれた。そこには、真っ黒なドラゴンの絵があった。

 首が長く角が生え、大きなコウモリみたいな翼があって、鋭い爪と牙をもった、ちょっと恐竜みたいな真っ黒なドラゴンだった。


「コイツがね、僕らの国で大暴れしたんだ。町は壊されるし焼かれるして、大変なことになってさ。おまけにコイツの吐く息は、人間にとって毒になるんだ。あっという間に大勢の人が病気になって、ヴィヴィさんもその一人で……。ミカさん、めちゃくちゃ怒ったんだよね」


 ドラゴンの毒に冒された人は、次々に倒れていったそうだ。中には命を失った人もいる。症状はまちまちで、高熱が出たり、吐き気におそわれたり、全身に発疹ができたりただれたり。生き残った人は今も苦しんでいる。

 ヴィヴィという人は命はとりとめたが、手足がだんだんとマヒしてゆく症状に悩まされているらしい。

 ふうと大きく息を吐いて、ユーリは憎々し気に絵のドラゴンを指ではじいた。

 本をのぞきこんでいたあかりは、ギョッとして身を引いた。ドラゴンの目がギロリと動いたような気がしたのだ。絵なのに、あの時計のように一瞬動いたようなのだ。

 パチパチとまばたきして、もう一度見ると、やっぱり絵は絵で、ドラゴンはじっとしている。


「だからって、たった一人でドラゴンに向かってくなんて、無茶やり過ぎなんだよ……」

「一人で?」

「うん、ひどい話だろ。王国騎士団がドラゴン退治にいくって言ってるのに、その前に飛び出したんだ。バカだよね……」

「……でも、これがそのドラゴンなんでしょ? ミカ、魔法書に封印しちゃったんだ……すご……」

「そう、かろうじて、だけどね」


 ユーリはまた、絵のドラゴンをペシンと指で弾く。

 風竜を封じたように、恐ろしいドラゴンをここに閉じ込めてしまうなんて、ミカって本当は強いんだと、あかりは改めて思った。


「でも、すごく大変だったんだよ。これを封じる時に、ミカさんの命が抜き取られて、散り散りに飛ばされたんだしね。で、風竜はコイツの子どもなんだよ。親の復讐をしようと、僕らを追って来たんだろうな」

「ってことは、このドラゴンが諸悪の根源なのね……」


 あかりは顔をぐぐっと近づけて、いーっと歯をむいた。

 すると、突然ドラゴンがゴウッとほえた。なんと赤い火を吐き出して、あかりをにらんだのだ。


「ひゃ?!」


 驚いたあかりはベンチから飛び上がり、ズザザッと四、五メートルほど後ずさって逃げ、そのまま尻もちをついてしまった。


「ハハハ、大丈夫だよ。本当に火をふいてるわけじゃないから」

「だ、だってぇ! 動いたー!」

「うんうん、そだね、動いたね。でも、せいぜいこの程度だよ。ここから出ることはできないしね」


 あわてふためくあかりに対して、クスクス笑いながら、余裕をかますユーリだった。そんなこと分かるのわけないでしょと、あかりは口をとがらせる。


「ユーリって意地悪なんだ!」

「えぇ? そんなことないよぉ」


 そばまでやってきて、ユーリは手を差し出す。にっこり笑って、お嬢様お手をどうぞといった感じだ。

 そんなキザなことするくらいなら、顔を近づけたら危ないよ、くらい先に言って欲しいものだ。


「ごめんごめん。このドラゴンと風竜も、力を封じられて魔法書から出られなくなってるけど、死んでるわけじゃないから、少しは動けるんだよ」

「そういうの、先に言うべき!」


 まったくもうと、腕をくんであかりはまたベンチに腰かけた。

 あたりは夕焼け色に染まっている。

 今日は驚くことがいっぱいあった。楽しいことも怖いことも不安なことも、いっぱいあった。その中で、はっきりと心に決めたことが一つある。ミカの命の光を絶対に全部集めあげるってことだ。

 ミカに同情したこともあるが、それ以上に、協力して欲しい、と言われたことが、あかりはとても嬉しかったのだ。必要だと思われている認められている、そう感じられたから。自分はここにいていいんだと。


 公園で遊んでいた子が、長い影を引きずって帰ってゆく。あかりもそろそろ帰らなければならない。名残惜しいけど、時間だった。

 立ち上がり、ユーリに手を振った。


「また明日も来るね」


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