第5話 新しい友だち
あかりはポツポツと話しだした。
お母さんは、この頃とても身体がつらそうでよくソファで横になっている。お腹はもうスイカどころでないくらい、パンパンになっているから、そりゃ重たいだろうし苦しいと思う。
それに、しょっちゅうお腹が張って、とても痛くて苦しいのだそうだ。張るってどういうことだろうと不思議に思って聞くと、お腹を触らせてくれた。カチカチに固くなっていて、とても驚いた。こういう時は、じっと横になって安静にしておかないといけないのだそうだ。
だから、あかりはお母さんのお手伝いをしている。元気な赤ちゃんが無事に生まれるように、お母さんが元気になるように、お手伝いをしているのだ。
本当は面倒くさいし、友達と遊びたいしテレビも見たいけど、我慢して家事を手伝っているのだ。一生懸命やっているつもりだった。
それでも学校から帰ってくると、あかりを待ちかまえていたように、お母さんはあれやってこれやってと言うばかりで、お帰りなさいさえ言ってくれないのだ。
幼稚園児の弟はいい気なもので、当然お手伝いなんてしない。部屋を散らかし放題にして遊んでばかりで、あかりの仕事は増える一方だ。その上、一ヶ月くらい前からは、しょっちゅうおねしょまでするようになってしまったし、わがままもひどくなった。思い通りにいかないと、そう食べたいおやつが無かっただけで、ひっくり返って泣きわめくのだ。
そうするとお母さんが怒鳴る。弟に怒鳴り、あかりにも怒鳴る。なんで弟の面倒を見てやらないのだと言うのだ。
どうして、そんな事言われないといけないのか分からない。納得がいかない。あかりが口をとがらせて言い返すと、お母さんは更に大声で怒鳴るのだ。
お父さんは三月の終わりから、単身赴任で遠い県に行ってしまった。もうすぐ赤ちゃんが生まれるというのに、お父さんはいないのだ。二週間に一回、週末にしか帰ってこない。
先週、帰って来た時に、お母さんがこの頃怒りっぽいんだと話しても、赤ちゃんがお腹にいる時は、どこのお母さんもこんな風になるもんだ、仕方ないんだからしばらくガマンしてろ、なんて言われた。
そばにいてくれないうえに、分かってくれないし、全然頼りにならない。
いつまで我慢したらいいのか分からないし、どうしても納得がいかなかった。やってられないと思っていた。もう家にいるのがイヤでイヤでたまらなかった。
赤ちゃんが生まれるって聞いた時は、本当にとても嬉しかったのに、今はちっとも楽しくない。赤ちゃんのせいで、めちゃくちゃになったような気さえする。
お母さんは赤ちゃんの話をする時だけ、笑うのだ。
なんだかお母さんは、赤ちゃんだけのお母さんで、自分や弟のお母さんじゃなくなってしまったように思ってしまう。
あかりはとても寂しかった。
ユーリとミカは、あかりの話をずっと静かに聞いてくれた。上手く言えなくて、話が行きつ戻りつして、つっかえながら話していたのに、うんうんと優しくうなずきながら聞いてくれた。
そして、あかりがポトリと涙をこぼすと、ユーリはそっとハンカチを差し出してくれた。なんかキザだなと思いながらも、嬉しくなる。
いっぱい話したら、少しだけ胸の中が軽くなった気がした。
お説教じみたことも言わず、ただ自分の話を聞いてくれた、そのことにとても満足していた。
涙をふいて顔を上げると、さっきまで遊んでいた子どもたちは、もう帰ってしまったようで、あかりたち以外には誰もいなくなっていた。
いつの間にか真っ赤な夕日は建物の下にかくれてしまい、濃い青の空には名残のうすピンク色の雲が浮かんでいるばかりだ。
うす暗くなってきた公園を、あかりはぼんやり見つめた。誰かの忘れ物のボールが、寂しそうに転がっている。
なんだが頭がぼんやりしてくる。
別世界から来たミカがかけた魔法で、今の自分は誰からも見えないのだと思うと、不思議な気分になるのだ。しんと静まり返った誰もいない公園に、誰にも見えない自分がいる。本当に変な感じだ。実は自分こそが別世界からやってきたんじゃないかという気になるし、この公園が別世界のようにも思えてくるのだ。
案外と、日常と切り離された別世界とは身近にあるものかもしれない、なんて思ったりする。
心の中にたまっていたものを、全部ではないけど吐き出して、ちょっとだけ力が抜けたあかりだった。
「じゃあさ、赤ちゃんなんていなくなっちゃえばいいと思う?」
「え?」
鼻をチーンとかんでいたら、ミカがそう言った。
いなくなるって、誰かに連れていかれるってこと? それとも、死んじゃう……そこまで考えて、あかりは夢中で頭を振った。
「そんなこと思ってない! ひどいこと言わないでよ!」
「だよね。あかりちゃんはいい子だ。不平不満はあるけど、お手伝い頑張ってるんだろ? とってもいい子だよ。オレとしては、お母さんとゆっくり話し合うことをお勧めするけど、まあそんな余裕がないから悩んでるんだよな。それなら、ちょっと気晴らしをしてみよう! 君の気持ちが明るくなったら、お母さんを見る目も変わるかもよ?」
「何よ……気晴らしって」
「明日から、毎日ここにおいでよ。待ってるから。そんでさあ、さっきも言ったけど、オレたちに協力してくれよ。一緒にいるだけでいいからさ。面白い魔法も見せてあげるし」
ミカが言った丁度その時、ホタルのようにふわふわと光の粒が目の前を横切っていった。すかさず、ユーリがキャッチして自分のビンに入れる。
その光の粒はすぐに、ビンの中の光の渦巻きに参加してくるくると回った。なんてきれいなんだろう、あかりは思わずうわぁと声を上げてしまった。
クスリと笑ってユーリはビンを持たせてくれた。ちょっと恥ずかしくなってしまう。
「……なんだ。私を利用するだけなんじゃない。気晴らしとか言って」
「でも、本当は楽しそうって思ってるんだろう?」
からかうようなミカの口調が、ちょっと憎らしい。足元の石ころをけり飛ばして、そっぽを向いた。
なんてインチキ臭い人なんだろうと思っていたのに、今はもう警戒心は無くなって普通に話せていた。自分の話を受け入れてくれたのが、嬉しかったのかもしれない。
ミカのお誘いトークはまだ続いている。
「オレたちの世界の話も、もっと教えてあげるよ。きっとあかりちゃんに楽しんでもらえると思うんだけどなぁ」
「じゃあ、今教えてよ。魔法使いのくせに、なんで魔法でバーーッと全部呼び寄せちゃわないの。探し回るなんて、バカみたい」
「そうなんだよな。それができればやってるんだけど。この世界はオレの魔法と相性が悪いみたいでね、どの魔法が使えてどれが使えないか、試してみないと分からない。困ったもんだ」
「そう、大変なんだよ……」
ユーリは、困った困ったと眉をしかめて腕を組んだ。手伝ってくれるよねと目で訴えてくる。
「……じゃあ、いいわよ。手伝ってあげる。一緒にいるだけでいいんでしょう?」
「よし! 良く言った!」
何がそんなに嬉しいのだか、妙にテンションの高いミカだった。
あかりは目をパチクリさせて彼を見上げた。ニカッと笑いかけられると、なんだかこっちもおかしくなってきて、アハハと笑った。
ちょっと変な人だけど、悪いヤツじゃないみたいだし、ユーリはニコニコ笑う顔が優しくて、見ていると安心できる。
もしかして、友だちになれたりするのかなと思うとドキドキした。
強引に、これから毎日この公園に来ることを約束させられてしまったが、全然イヤじゃない。むしろワクワクしてくるのだった。
だから、さっきから気になっていたことも、今のうちにきいておこうと思った。
「なんかスルーしてるみたいだけど……ミカ、羽、生えてる……今は引っ込んでるけど。それ何? 自分で天使とか言っちゃうし」
「ん? ああ、この世界では羽のあるヤツいないんだったな。オレたちとしては、そんなに珍しくはないぞ。ユーリにはないけど」
「本当に天使なの?」
「そうさ。だって、羽生えてるだろ」
羽が生えてるから天使っていうのは、何か違うような気がする。ミカは天使らしい神々しさなんか、欠片も無い。
「ミカさん、そんな風に言うとあかりちゃんが混乱しちゃいますよ。僕、少しこの世界のこと調べたんだけど、天使って神様の使いのことらしいです。特別な素晴らしい存在みたいですよ。だからここの常識に合わせると、ミカさんは絶対に天使じゃないです」
「それは知ってる。でも、いいじゃないか、見た目は天使なんだし」
「翼があるだけでしょ。鳥人間でいいんじゃないですか?」
「なぁんだ、鳥人間なんだ。妖怪っぽいなって思ってたのよね」
なるほどと、あかりは調子よくポンと手を叩く。
「お前たち、ひどいな……」
ミカは口を尖らせながらも、たいして怒っている様子もなく、へへへと笑っている。そして、とにかく毎日絶対ここに来いと、くり返すのだった。
ハイハイとうなずいて、あかりは立ち上がった。もう帰らないと本格的にお母さんにしかられてしまう。
するとミカも立ち上がった。
「送ってやるよ」
不意にあかりを抱っこして、ミカは翼を広げる。抵抗する間もなく、あかりは空高く連れていかれていた。
心臓が止まるかと思った。あっと言う間に、足元の公園がどんどん小さくなり、ユーリも点になっているのだ。
「ぎゃあぁぁ!」
「耳元で叫ぶなって……」
「いっやあぁぁ! ダメぇ! 怖いぃぃ! ぶゎかミカァー!」
「…………ちょっと、黙ろうか」
風が髪を舞い上げている。積み木みたいに小さくなったビルやマンションを見ると、クラクラとしてくる。高いところが苦手なんだと、たった今気が付いたあかりだった。
そして、離せ降ろせと騒いでいる数分のうちに、あかりは家の前についていた。
ハアハアと肩で荒い息をして、ミカをにらみ上げた。足がふらついている。
「も、もう送らなくていいから、ね!」
「そう? 歩くよりずっと早いのに」
「いいの!」
プイとミカに背を向けた。こんな恐ろしい送り方は、二度としてもらいなくない。
よしよしとミカが頭をなでてくる。あったかくて大きな手に触れられると、怖いやらムカつくやらで興奮していたのが、不思議と落ち着いてきた。ほぉっと大きく息を吐くと、胸の中が安心感でいっぱいになる。が、ずっとなでなでされているのが、急に恥ずかしくなって、あかりはブンブンと首を振った。
「待ってるよ。土曜は学校休みだろ? 朝から来てもいいんだぞ?」
「……じゃ、明日。……多分ね」
「絶対だろ」
「…………」
多分と、言い濁しはしたが、あかりはもう明日も行く気になっている。と言っても、ミカが言うように朝から出かけるなんてできっこないのだが。
今週はお父さんが帰ってこない週だし、土曜の午前中くらい家にいてお手伝いしておかないと、お母さんの機嫌が悪くなるに決まっているのだ。昨日も今日も、何もしてないから。
洗濯物を干したりたたんだり、掃除機をかけたり、お昼ごはんの用意を手伝だったりしていたら、きっと午前中はつぶれてしまう。でも、いっぱい働いておけば、きっと午後からはミカたちのところに行けるはずだ。弟の遊び相手までは、知ったことじゃなかった。
ちらりとふり返ると、ミカが笑って手を振っている。
照れくさくて、バイバイも言わずに逃げるように家の中に入ったけど、これってやっぱり、新しい友だちができたのかなと、あかりはフフッと頬をゆるませた。
*
布団にもぐり込んで天井を見上げると、やっぱり宇宙のようだった。部屋いっぱいに光の粒が浮かんでいて、あかりはそれをうっとりと眺めた。
これはみんな、ミカの命なんだ。
寿命が短くなっちゃうって、どんな気持ちなんだろう。あと少ししか残ってないと言っていたけれど、それはどのくらい? もし自分がもうすぐ死ぬって分かったら、それはとても怖いことなんじゃないだろうか。
――ミカは平気なの?
ヘラヘラ笑って、宝探しをしようなんて言ってたけど、本当は怖くて怖くて仕方ないんじゃないかなと思う。
家では暗い顔して口を尖らせているのに、学校では友だちと笑い合っている自分と、どこか似ているような気がした。
自分の部屋にいるこの光の粒たちを、全部ミカの中に還したら、あの時計はどのくらい巻き戻るんだろう。いっぱい巻き戻ればいいのに。
ミカがちゃんと自分の寿命を全部取り戻せますように、とあかりは祈った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます