第3話 家にいたくない

「ただいま!」


 この頃、玄関を開ける時は必ずため息をついていたのに、今日は胸がドキドキしている。楽しい気分というのとは、ちょっと違うような気もするけど、普通ではあり得ない体験をしてとても興奮していた。ものすごい秘密を自分だけが知っているというこのワクワクを、誰かに話したくてしょうがない。

 でもミカとユーリのことは、絶対に話しちゃいけない。と言うか、とても信じてもらえないだろう。だからちょっとだけ、ほんの少しだけ、スゴいことがあったんだと、お母さんに話したかった。

 パパッとくつを脱ぎ、リビングに飛び込む。


「お母さん! ただい……」

「あかり! 遅いじゃないの! 遊びに行ってもいいから、晩ご飯の用意までには帰ってきなさいって言ったでしょ! 何も手伝わないで、もう!」


 お母さんの金切り声が、耳を殴りつけてきた。

 一瞬であかりの笑みは消えて、頬が引きつり眉がゆがんだ。


「……ごめんなさい」

「ほら、お皿並べて!」


 台所のお母さんはあかりに背を向けたままで、カレーを盛りつけていた。

 ふうと大きなため息が出た。すっかりいつも通りの重苦しい気分になってしまった。なんでお母さんが自分の話を聞いてくれるって、思っちゃったんだろうと、あかりは情けなくなる。

 だまってカレーのお皿を並べ、コップとスプーンも並べる。


「ご飯だよ」

「…………」


 床に寝そべって、テレビを見ている弟のひかるに声をかけたが、返事はない。この頃の輝は反抗的で、前よりもっと言うことをきかなくなった。

 ムッとして、あかりはテレビを消した。


「輝、ご飯!」

「あー! もう、消すなよぉ!」


 輝が飛び起きて、あかりの手からリモコンをひったくる。はずみで指をひっかれてしまった。


「痛っ! 何すんのよ!」

「お姉ちゃんが消すから悪いんだ!」


 べーっと舌を出して、輝は急いでテレビをつける。

 あかりは足でどんと床を鳴らした。生意気な弟にムカついていた。


「ご飯だって言ってるでしょ! 消すの!」

「今、見てるんだ!」

「もう! 言うこと聞きなさいよ! だいたい、輝は……」

「止めなさい! 二人ともやかましい! ケンカしないで!」


 ドンとサラダの大皿をテーブルに置いて、お母さんが怒鳴った。

 あかりは、キッとお母さんをにらむ。どうして二人まとめて怒るのか。第一これはケンカじゃない。ご飯だというのにテレビを消さない輝に、注意していたんじゃないか。


――いつもいつも、こう! 輝がわがままなのに、私まで怒られて!


 あかりは、乱暴にイスに座ると、さっさとご飯を食べ始めた。

 もう知らない、と輝にもお母さんにも見向きもしないで、ご飯を口にかき込む。全然、美味しくない。大好きなカレーライスなのに、ちっとも味なんかしなかった。サラダには手も付けなかった。

 お母さんが輝に手を洗いに行きなさいと、怒鳴っている。テレビを消したら、輝が大声で泣きだした。お母さんもキーキーと半泣きの声で、わめき続ける。

 うるさい。うるさい。うるさい!

 あかりは、輝とお母さんがテーブルにつくより早く食べ終えた。さっさと食器を洗って、部屋をでる。こんなところに、一秒だって長くいたくはなかった。

 ダンダンと音を立てて階段を上っていくと、お母さんの声が追いかけて来る。


「あかり! 静かに上がんなさいよ!」


――なによ! 一番うるさいのは、お母さんでしょう!


 あかりは自分の部屋に飛び込むと、ベッドの上でうずくまった。

 くやしくて、悲しくて、涙が出てくる。

 言い返したら、お母さんが余計に機嫌が悪くなって、怒鳴るって分かってるから黙ってるけど、本当はいっぱい文句を言ってやりたいのだ。ものすごくガマンしているのに、お母さんは全然分かってくれない。話も聞いてくれない。

 前はこんなじゃなかった。お母さんは優しかった。輝だってもうちょっとは可愛かった。


――嫌い! もう、大っ嫌い!


 あかりはぐすんぐすんと泣きながら、電気を消した。いつもならもう少し起きて、テレビを見たり本を読んだりしているのだが、何もする気になれなかった。

 真っ暗な部屋。でも、すぐに目は慣れてくる。と、あかりは星に囲まれていた。部屋はなぜか宇宙になっていた。


――うわあぁ……!


 思わず息を飲んだ。上下の感覚が狂ったみたいで、くらりと目まいがした。

 部屋の電気を消しただけなのに、無数の星がキラキラ輝く暗闇に突然、放りこまれていたのだ。

 ドキドキと心臓が鳴っていた。

 しかし、よく見ればやっぱりここはあかりの部屋で、机もタンスもベッドもある。窓からは、外の街灯の光もうっすらと差しこんでいるのだ。

 暗い部屋の中に、星のように輝いていたのは、さっき公園でミカたちが捕まえていたのと同じ、光の粒だった。


――きれい……すごいや……


 ペタンとベッドの上に座りこみ、あかりは数えきれないほどの光を粒を見つめた。どこを見ても粒でいっぱいだ。

 じっくり見ると、青白い光がほとんどだが、真っ白な光の粒も少し混じっていた。どれも優しくぽおっと光っていて、とてもきれいだ。

 はあっと、ため息をついて見とれた。

 どうして自分の部屋に、この光の粒がたくさんあるのか不思議だったが、怖いとか気持ち悪いとかは思わなかった。素直にただきれいだなと、あかりは部屋いっぱいの光を粒をながめる続けるのだった。




 その夜、光の粒が夢にでてきた。

 大きなガラスビンの中で、たくさんの粒がぐるぐるとうずを巻いていた。図鑑で見た銀河にそっくりだった。

 それをミカが両手で大事そうに抱えているのだ。夢の中のミカは、あのチャラい服装ではなく、どこかで見た天使の絵みたいに、白い布のピラピラした服を着て、真っ白な羽を広げていた。

 優しい目で、こちらに微笑むミカ。

 とてもきれいだった。

 ミカは本当に天使だったんだ、とあかりは思った。


『明日、きっとおいで……』







 学校から帰ってくると、あかりは部屋にはあがらず、玄関にランドセルだけ置いてすぐに家を飛び出した。お母さんの小言なんか聞きたくないから、さっさと公園に行ってしまおうと思っていた。

 昨日の帰り道では、行こうかどうしようか迷っていたが、今はもうはっきりと決めていた。

 家にいたって何にも楽しいことなんてない。お母さんの不機嫌な顔なんて見たくないし、怒る声も聴きたくないのだ。

 少し機嫌の良さそうな時に話しかけたって、ろくに聞いてない上に、そんなことより宿題したの? 終わったならお米洗ってちょうだいとか、洗濯物たたんでちょうだいとか、輝の遊び相手してやってとか、用事を言いつけるばかりなのだ。

 お母さんは話を聞いてくれないし、こっちを見ようとしないし、笑ってくれない。おかえりも言ってくれない。だからもう、家になんかいたくなかった。


 学校にいる間中、昨日のことを友だちのさくらに話したくてうずうずしたが、秘密だと言われたからぐっとこらえていた。さくらなら、バカにしたりしないだろうけど、信じてくれるかどうかは分からないし、もしも人に話したことがミカたちにバレてしまったら、と思うととても話せなかった。

 でも、目の前をふわふわ光の粒が横切っていくと、ほら見てと思わず叫びそうになる。これをガマンするのは、結構つらいものがあった。

 あかりの目には、昨日からずっとあの不思議な青白い光の粒が見えている。いつも自分のそばに小さな粒がふわふわ飛んでいるのだ。明るい外を歩いている時はほとんど見えないが、建物の中や机の下みたいに影になっているとこだと見えやすい。

 一番たくさん光の粒がいたのは自分の部屋だったが、家の中にも粒はいくつも浮かんでいたし、学校の教室にも二つ三つほどの粒がのんびりと飛んでいるのだ。


 目がさめた時は、もしかしたら昨日のことは夢だったのかと思ったが、この光の粒を見れば夢でないことは、はっきりと分かる。

 公園に行って、ちゃんと教えてもらうのだ。この光がなんなのか。そうでないと気になってたまらない。

 それに、きれいなこの光の粒たちを見ている間は、お母さんのことをイヤだって思わずにいられるから。

 あかりは、一生懸命に公園まで走っていった。


 昨日座ったベンチまでいって見回すと、植え込みのそばに虫取りあみを持ったユーリを見つけた。あかりの顔にパアッと笑みが広がった。やっぱり夢じゃない。

 公園にはたくさんの子どもが遊んでいる。ブランコで二人乗りしたり、すべり台でミニカーの競争をしたり、キャッチボールや鬼ごっこ。でも、誰一人ユーリには気づいていないようだ。

 彼は茂みの中をのぞきこんでいた。葉っぱの間に、ふわふわする光の粒が見えた。

 かけよって行きたくなる。でも、周りの人にはユーリは見えてないだろうから、誰もいないところに手をふって走っていく変な女の子に見られたくなくて、あかりは何げないフリをして歩くのだった。


「ユーリ……」


 小さな声で呼びかけた。

 ハッと顔を上げて、ユーリがあかりをふり返る。満面の笑みを浮かべていた。


「あ! 来たんだね。良かった、来てくれて!」


 二人はベンチに座った。昨日みたいに不自然な距離はあけずに、あかりは普通に座っていた。でも少し緊張してしまう。

 ユーリはニコニコしてとても嬉しそうに、君を待ってたんだよとアピールしてくるものだから、なんだかデートの約束でもしていたみたいで、照れくさくい。


「名前、教えてくれる?」

「あかり……」

「そっか、あかりちゃんって言うんだ。いい名前だね」


 アイドル顔負けのキラキラスマイルで、いきなり「あかりちゃん」なんて呼ばれて、心臓がバクバクしてしまった。

 昨日の光のこと、自分のまわりに見える光のことを聞こうと思って来ただけなのに、なんだか恥ずかしくてたまらなくなってくる。


 ユーリは、リュックの中からガラスの小ビンを出して見せてくれた。

 ビンの中にはキラキラ光る粒が二、三十個くらい入っていて、クルクルとうずを巻いていた。夢にみた銀河にはほど遠いが、うずの形は不思議なほど良く似ていた。淡く青白い光を放っていて、とてもきれいだ。


「……いっぱいあるのね。ねえそれ何なの?」

「そんなに小さな声でじゃべらなくても大丈夫だよ。僕が見えた時点で、君もみんなから見えなくなってるから」


 そわそわとまわりの様子をうかがっているあかりに、ユーリがクスリと笑った。

 それならそうと早く教えて欲しいものだ。


「僕らはね、この光を集めるためにやって来たんだ。とても大切なものなんだ……。あ、ミカさんは今、別の場所に探しに行ってるよ」


 二人はどうしても、この光を集めなければならないらしい。

 ユーリは朝から一人で町の中を、光の粒を探して歩き回っていたそうだ。そして、あかりが通っている小学校の周辺に、フワフワといくつもただよっているのを見つけたのだ。そして、他の場所よりも、学校周辺の方が多いことに気が付いたそうだ。


「学校の中にも、それ、いたよ」

「やっぱり! ミカさんの言った通りだ!」


 あかりが首をひねると、ユーリの目がキラキラと輝いた。何かを期待するような、希望を見出したような目だ。

 なんで喜んでるのか分からない。それに、そんな目でじっと見つめられてしまうと、もっとどうしていいか分からなくなり、あかりはアワアワと首を左右に振って、ついでに手もダメダメと振りたくるのだった。

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