第2話 天使には見えません
なんだか身体がふわふわとする。風が頬をなでてゆき、髪が揺れているのが分かる。あかりは目を閉じていたが、自分の足が地についていないことには気が付いていたし、誰かの腕にかかえられていることも分かっていた。
でも、目を開けて確かめるのが怖くて、寝たふりを続けていた。もしも、今自分がさっきの変な男に抱っこされて、空を飛んでるなんて確認してしまったら、また気を失ってしまうかもしれない。
ぼそぼそ声が聞こえる。風の音で良く聞こえないけど、あの男と少年がしゃべっているみたいだ。
……だからさ、光を追っかけてたら、たまたまこの子を見つけて……
……でも、なんでこの子に集まってくるって分かるんです? ……
……だって元はオレのだから、分かるんだよ、そういうの……
……協力、してくれるといいですけど……
……だな……
――何言ってるの? 何の話よ? ああ、これは夢よ、悪い夢よ!
あかりは、夢なら早く覚めてと祈っていた。
「おはよう。夕方だけど、おはよう! さあ、もう起きろよ。たぬき寝入りしてただけだろう?」
男のふざけた声がした。
あかりはイスに座らされ、頭をポンポンと叩かれている。
ムムムと口をつぐんで、こわごわと目を開ける。やはり、目の前にいるのは変な男と少年だった。
サッと左右に視線を走らせると、そこはよく遊びにくる公園だった。あたりは少し夕焼け色が濃くなってきているが、まだ遊んでいる子どももいるし、犬の散歩をしている大人もいる。誰か助けてくれないかと、そわそわしていた。
すると男はしゃがんで、座っているあかりと目の高さを合わせると、また頭をポンポンしてきた。
「そんなに怖がらなくてもいいから。オレたち、そんなに怪しい人間じゃないぜ?」
――十分、怪しいです。怖いです。……気安く触らないで。
「あ、先に言っておくけど、オレたちのことが見えてるのは君だけだし、今は君のことも誰にも見えてないから、気がねなくしゃべっていいぞ」
男は驚くような内容を、なんとも普通に言ってのけた。何が気がねなくだ。
ぎょっとしたあかりは立ち上がり、男のかげから顔を出して「すみません!」と声をあげた。
子どもを遊ばせている母親らしき人に呼びかけたのだが、気づいてもらえなかった。こちらの方に顔を向けているのに、あかりのことも男も少年も、まったく目に入っていないようなのだ。
翼の生えた人間がいるというのに、全然驚いてないってことは、やっぱり見えていないのだ。声すら聞こえていなのだろう。
あかりは、おろおろじりじりと二人から後ずさってゆく。
「いや、だからそんなに警戒しなくても。ほらほら、オレ、可愛い可愛い天使ちゃんだよぉ」
「……ミカさん、止めて下さい。余計に怖がっちゃうでしょう」
翼をばっさばっさやる男に、少年が注意した。大げさなしぐさで男が肩をすくめると、翼はすうっと背中に吸い込まれていった。
先程ユーリと名乗った少年は、優しげにあかりに微笑む。笑うと、余計にアイドル歌手に似ている。でも、そんな笑顔にだまされてはいけないと、あかりは注意深く二人をにらんでいた。
翼が生えてるなんて、人間じゃない。その連れだって、人間のフリをしているだけかもしれないのだ。
それにさっき、自分を何かに協力させようなどと、この二人は話していた。良からぬこと、そう、誘拐して外国に売り飛ばすよりもっと悪いことを、たくらんでるに違いない。
「ほんと、ごめんね。ミカさんに急に声かけられて怖かったんでしょう。そうだよね、こんな人にいきなり話しかけられたら怖いと思うよ、うん」
「失礼だな、お前。こいつが歩道橋から飛び降りるのかと思って、止めただけだぞ。命の恩人なんだぞ。感謝されこそすれ怖がられるいわれはない。まあ、飛び降りはオレのかん違いだったけどな」
ワハハと笑うこの男は一体何者なんだろうと、あかりは眉をしかめる。
「誰よ……」
「だからさ、オレは秀麗かつ偉大なる聖魔法使いにしてその名も高き大天使ミカエル様だって、言っただろ? ミカでいいぞ」
ミカエル。
聞いたことはある。確かに天使の名前だったと思うし、男の背中には白い羽がある。でも、とても天使とは思えない。めちゃくちゃ怪しい外人のお兄さんである。
――普通は自分で自分のこと、偉大って言ったり、様つけたりとかしないと思う……だいたい、ミカってなによ。男のくせに!
「名前に、その無意味で過剰な修飾するの、止めて下さい……変人と思われるだけですよ」
ユーリ少年はあきれ顔で肩をすくめる。
まったくその通り、すでにあかりは自称天使の男を、絶対に変人だと思っていた。そしてその変人はウハハと笑うと、公園のすみにある茂みの方へと口笛を吹きながらふらふらと歩いていった。
それをユーリは笑って見送り、またあかりに微笑みかける。
その顔は、とても人好きのする優しい笑顔なものだから、つんけんと警戒している自分の方が、彼にひどいことをしているようで、申し訳ない気分になってしまうのだった。
「ささ、座って。僕らのこと、話すから」
別に聞きたくないです、そう言うつもりだったのに、ユーリに人なつっこく笑いかけられると、あかりは断れなくなってしまった。
もしこれで帰ってしまったら、自分はずっと誰からも見えないままになるのかと心配だったし、この不思議な人たちが何者なのか気になっているのも確かだった。
あかりはおっかなびっくり、不自然に間をあけてユーリの隣に座った。
ユーリの話は、とんでもなかった。何から質問して良いか分からないくらい、理解できないことだらけだった。
彼によると、二人は別世界からきた魔法使いなのだそうだ。ミカはユーリが通っている魔法学校を卒業した先輩で、彼らの国ではとても有名で偉い魔法使いらしい。あまり偉い人のようには見えないけど、本当はすごい人なんだよ、とユーリは自慢げだ。色々な魔法が使えて、知識も豊富で、誰よりも強いのだと言っていた。
「別世界があるなんて! 魔法なんて信じられない!」
「じゃあ、ミカさんに翼があることや、空を飛んだことや、姿が見えなくなったことは、どう説明すれば納得するの?」
信じがたい話に首を振るあかりに、ユーリは笑いながらたずねた。
夢と思うには、あまりにも現実感が強すぎる。あかりは、はあとため息をついた。
「この世界には存在しないけど、魔法というものが普通に存在する世界っていうのがあって、僕らはそこから来たんだ」
ユーリが言うには、世界とは一つではなく、無数にあるのだそうだ。
あかりの住むこの世界と、ミカやユーリのいた世界以外にも、数えきれないくらいあるらしい。
世界とは糸のようなものだとユーリは言った。一つの世界が一本の糸のように、真っ直ぐに過去から未来へと伸びていて、隣の糸とからまらないようにピンと張っているんだそうだ。はしっこがどうなってるかなんて、誰にも分からない。そんな糸が何本も何本も無数に並んでいるんだそうだ。
そして時々、どこかの糸が何かの加減で震える時がある。すると、隣の糸に触れてしまい震えが伝わったりする。
震えが伝わることで、一瞬世界と世界が混じり合い、本来知るはずのない別世界を垣間見ることがあるんだそうだ。
はっきりいって、意味が分からない。
首をひねっていると、ユーリは例えばと言って、伝説上の生き物の話をしてくれた。この世界には実在しない巨人や竜や人魚などの伝説は、どうして生まれたのかといえば、彼らがいる世界とこの世界が触れ合った結果なのだ、と言うのだ。
モンスターとは、もちろん人間の想像力から生まれたものもあるが、別世界と接触した時に、彼らを目撃してしまった人間がそれを後世に伝えきたものなのだと。
「ミカさんはね、この震えを起こして、世界を飛び越えられる魔法使いなんだ。こんなことできる人、ミカさん以外に絶対いないと思うな! ミカさんの魔法で、僕らはここにやってきたんだ」
ユーリは、自分のことでもないのに鼻高々に話す。
ちょっぴり頬を赤くしたりして、この人ってばミカが大好きなんだなあと、あかりはクスリと笑った。
巨人や竜や人魚、伝説かおとぎ話の中だけの生き物と思っていたものが、実際にいる世界があるなんて、本当に不思議な話だった。
あかりはユーリの話に引きこまれて、ワクワクしていたのだが、目のはしでうろちょろしているミカが、だんだんと気になってきてしまった。
「あの人、さっきから何やってるの?」
はじめは茂みの中をうろうろしていたミカだったが、次は木に登ったり、滑り台から飛び降りたり、いきなりを広場を走ったり、とにかく落ち着きがないのだ。
気味悪げに尋ねると、ユーリはアハハと笑って頭を掻いた。
「そうだね、見えないと分からないよね」
というユーリのセリフも意味が分からないよ、とあかりは首をひねるのだった。
ユーリは手を振りミカを呼んだ。
「何?」
「やっぱり変人と思われてます」
「っんだと!」
かけ戻ってきたミカは、ほらっとガラスの小ビンを、あかりの目の前に突き出してきた。
「な、なによ」
「何が見える?」
「……ビン」
「その中だって」
「何もない、よ?」
ニッとミカは笑って、あかりのおでこに人差し指を当てた。
パチンッと静電気みたいな音がして、ちょっと痛みが走った。
何するのと身を引くと、ミカも驚いて目を丸くしていたが、すぐにまたヘラっと笑って、あかりのおでこにサラサラっと何か文字のようなものを書いた。
「もう一回見て」
「あ!」
小ビンの中に、いくつもの小さな光る粒が入っていた。さっきまでは何も入っていなかったはずのに、キラキラ光る粒がビンの中でゆっくりとうずを巻いているのだ。
「見えるようになったみたいだな」
「何?! それ!」
「知りたい?」
「……う、うん、ちょっと」
ミカはニヤニヤしなから、ユーリが持っていたリュックの中にビンをさっと突っ込んでしまった。もう見せてあげないよと、その目がいたずらっぽく笑っている。
ああ意地悪と思いつつ、あかりはもっと見せてとは言えなかった。
「これをさ、集めてたんだ」
「ねえ、今の何?」
「気になる?」
何度も聞くな、と少しイラついた。
ミカがもったいぶった調子で、どうしようっかなあなんて、いいながら隣に座って足を組むもんだから、なお腹が立つ。
口をとがらせていたら、ユーリがあかりの肩を叩いて、ほらっとブランコを指さした。そこに、ホタルみたいな光が一つ、ふわふわと飛んでいたのだ。
「とってくるね」
そう言って、ユーリはかけていった。そして虫でも捕まえるみたいに、そうっと近づき、両手でふわりとつつみこんで、その光を捕まえてしまった。
「オレたちね、別の世界から来たんだ。その話は聞いただろう?」
「うん」
「信じる?」
「……あんまり信じたくはないけど……」
「仕方ないから、信じてやろうって? ハハハ、まあそうだよな。変な光も見えるようになっちゃったし、ね」
「あんたが、そうしたんでしょ!」
「そう、その通り。オレがしたの。魔法で。良かった、魔法使いだって信じてくれてるんだ」
ユーリが捕まえた光をビンにつめて戻ってくると、ミカは立ち上がった。ちらりと公園の時計を見てから、ユーリの肩に腕を回してふふんと笑う。
「オレたちはが魔法使いだってこと、まずはそれを信じてもらわないとね」
「……信じたらどうなるのよ」
「面白いことがある。ほら君の周りに集まってきた」
いつの間にかあかりの周りに二つ三つ、小さな光の粒がふわふわと漂っていたのだ。ユーリが手を伸ばしてひょいひょいと捕まえ、それをビンに入れていった。
「よし、これでプラス三日……」
「な、何よ、これ?!」
「明日もここにおいで。そうしたら教えてあげるから。それじゃ、またな」
言うなりミカは翼を広げ、二人はふわりと舞い上がった。
バイバイするつもりらしい。
「ちょ、ちょっと!」
「あ、心配しなくても、君の姿はオレらが消えたらちゃんと見えるようになるから」
そうじゃなくて、話を中途半端にしたままで、どっかに行くの止めて欲しいのだ。
しかし、あかりの頭より少し上くらいまで浮かび上がったミカは、バイバイと手を振る。
「早く帰らないと、君が
そう言うと、ミカとユーリは急上昇して、あっという間に空高く点のようになって、そして消えてしまった。
――
歩道橋の上で、お母さんの怒りんぼ、と文句をぶつくさ言っていたのを聞かれていたのかと、恥ずかしくなるあかりだった。
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