人間合格
桜人
第1話
恥の多い人生を送ってきた。いや、正確を期するならば、それは恥をさらさないために送ってきた人生だったと言えるだろう。そもそも恥の多い人生とは何だろうか。僕にはそれがどういったものか分からない。僕はただ、恥から逃げ続けていたのだから。
率直に、素直に、ありのままに自分という存在を評価すると、僕は非常に繊細で弱い人間だった。他者から向けられる悪意や害意を僕は非常に恐れていたのだ。いや、それさえも僕の幻想であり、本当のところは――神様が過去現在未来全ての人間全員を俯瞰して、その上で今の僕を見たのならば――僕のこの脆さというものは、ありふれたものでしかないのかもしれない。本当にありふれた、誰もかもが持っていて、その上で乗り越えているだけの脆さなのかもしれない。
要するに僕はセンシティブなのだろう。感情的と言ってもいい。美しいものには感動するし、人の温かさには一緒になって胸を熱くする。悲しい出来事に対しては涙を流すし……そして、自分に害を及ぼそうものにはとことん恐怖する。感情の起伏がただ激しいだけで、この脆さの本質は、そこからきているのだ。
だからこそ、僕は、幼くして自衛本能を働かせた。防衛本能を働かせた。僕を防護する膜を幾重にも用意し、罠を何重にも張り巡らせた。
つまりは、僕は自らを感情の起伏の薄い人間として作り替えたのだ。いや、少し違う。心に抉り込むようにして迫ってくる極めて深い感情を、全て心の入口付近で押しとどめられるようにしてしまったのだ。美しいものに感動する心も、人の温かさに熱くなる胸も、それら全てを捨てる代わりに、僕は恐怖を排除しようとした。
そうしてある日、小学校の低学年だった頃、僕の一番の親友が転校することになった。だが、そこで僕は何も悲しまなかった。「ああ、そっか」と、本当に何の感情もなく、ただ事実のみを受け止めて、僕はその親友に手を振って別れを告げたのだった。
僕は恐怖した。
恐怖を排除したはずなのに、恐怖した。人間の根本的で根源的な、何かとても大事なものを欠落させてしまったような感じがして、僕はとても怖くなった。これが感情を一部ではあるが手放してしまうことなのかと、幼いながらも僕は自分の犯してしまったことについて深く自問することになった。
しかし、僕はこの生き方を止めるには遅すぎたのだ。その頃にはもう、僕という存在は確立しきってしまっていた。
幸いにして、僕は優秀だった。ほとんどの項目でA評価を受けるような子どもで、それ故に、人からの悪意からある程度遠ざかることが出来ていた。つまりは、僕のこの特性が何かしらの不都合をもたらすようなことは、あまりなかった。
そうして、大した悪意も強大な感動も味わうことなく、僕は高校生になった。
「いやいや、それは君が極めて中二チックで厨二チックに解釈した主観的な自分でしかないじゃないか。客観的に見ようぜ。君は知らないかもしれないが、実のところ、私から見ると君は本当に感情的な人間かもしれないぜ? やったね、JKからのお墨付きだ。私は愉快だ」
その高校で、僕は同類を見つけた。名前を阿部真里愛という。
「はっはっは。私は嬉しい。安心したまえ、この現代社会はそんなことで君を排斥したりなんかはしないさ。今は協同体で共同体がモットーな世の中だ。肌の色が違おうと同姓が好きだろうと殺人癖があろうと婦女暴行の前科があろうと世の中は全てを受け入れる準備が出来ている。安心して全てをさらけ出せば良い。何たってこの世界には四次元人もいなければ太陽系第十二番惑星なんてものもない、共産社会からタイムスリップしてきた頭のイカレた女もいないし、ましてや人間のクローンが世界をループさせているなんて真実もない。葛城王朝なんて架空のものだし、神様が見た泡沫の夢は物語の中だけのものだ。この世界には異能の力なんてない。だってここは真っ当な現実なんだから」
「それこそ君の主観に過ぎないだろう」
「あ、バレた? 私は悲しい」
阿部真里愛は元々、自己と他者の区別がつかない存在だった。他者の苦しみが分からないのではなく、他者の苦しみがそのまま直で自分の苦しみへと変換されてしまう、そんな人間だった。
「私は究極の平和主義者だったのよ。いやん」
彼女は身悶えるようにして言った。
「人類が繁栄した理由の一つは共感である、ってどこかで聞いたことない? 相手の痛みが分かるから、人は争いを止められるんだって」
戦争や紛争が絶えないこの世界では鼻で笑われそうな話だったが、しかしどうしてかそれは間違っているとは思えなかった。そうだ、確かこの話は中学の頃に社会の教科担任がしていたものだ。それに昔読んだマンガにも、争いを今すぐにでもなくすことの出来るたった一つの方法として描かれていた気もする。なるほど、阿部真里愛も適当な話として喋っているわけではないのだろう。
彼女は自分の体を抱いて続ける。
「目の前で苦しんでいる人がいたら、不思議なことに私も同じような苦しみを味わっちゃうの。だから私は痛みの元を絶とうとその人を助けようとするんだけど、さて、君は果たして私を正義だと言えるかな?」
目と目が合った。というか阿部真里愛が顔を近づけてきて、嫌が応にも目を合わせざるを得ない。互いの目と目の距離は5センチもなかった。阿部真里愛の瞳は透き通っていて――いや、実際に透き通っているのは瞳ではなく水晶体なのだが――とにかく不思議な魅力があった。
「みんながみんな私のことを偉いだとか優しいだとか褒めそやすけど、本当のところは私だってそんなコトしたくなんかは、ない。私はうっとうしい。で、なんかもう面倒くさくなっちゃって、私は私を捨てた……全世界の人がみんな私と同じような感性だったなら、世界は一歩平和に近づくのかもしれないけどね。私にしかないこんな特性なんて、ただの邪魔」
阿部真里愛は共感性を捨てた。いや、共感性と一緒に感情というものを捨てた。他者への無理解を得るために、残るほとんどの感情という感情を捨てた。そうして出来上がったのは、人間の真似事をするアトムでありドラえもんだった。
彼女は話すたびに今の感情をいちいち口に出して表現する。私は嬉しい、私は悲しい、私は楽しい、私は怒っている……口に出した言葉が本当なのかどうかは阿部真里愛本人しか分からない。しかしそれを問うた時、きっと彼女ならばこう返すのだろう。
「もちろん本当さ。だって私は感情溢れる人間だからな。ヒャッハー、私は私が誇らしい」
だから、阿部真里愛は僕と同類である。自らを作り替えたという意味で。感情を放棄したという意味で。
よって、僕たちはいつも二人であり、いつもいつでもいつだって互いの傷を舐め合った。時には相手を見下すことで自分のちっぽけな意義を見つけ、時には相手を讃美することで自分を慰めた。時には相手を自分の中に取り込んで抜け落ちた感情の代わりにし、時には相手をはねつけることで相手とは違う人間になろうともした。阿部真里愛の傷は砂糖水のようで、蜂蜜のようで、甘かった。でもそれだけではない。当たり前だ。しょっぱくもあれば辛い時だってある。肝のように苦い時も、腐った果実のように酸っぱい時もある。つまりは様々なのだが、僕はそれを忌避しようとは一度も思わなかった。
僕たち半人前は、ドロドロに溶け合って、混ざり合って、一つになって、何とか一人前の皮を被ろうとしていたのだ。
僕は高校時代の多くを阿部真里愛と共に過ごした。僕が高校時代のことを思い出す時、彼女は必ず僕の隣にいた。
その記憶の中でも、何故か不思議と忘れられないものがある。僕と阿部真里愛の関係は、そう長くは続かなかったということだ。ある日、阿部真里愛は唐突に話し始めた。
「私は不思議でたまらない。何故、人は老化するのだ? 私は不可思議でたまらない。何故、それなのに総合的で的確な判断力や抽象的な考えは洗練されていくとあるのだ? 本当にそうだろうか? 私は理解が困難だ」
阿部真里愛は保健体育の教科書を開いて僕に迫った。教科書には、加齢と老化によって、身体面に加え記憶力、柔軟な思考、計算力が衰えていくとある。阿部真里愛の言った部分は、そこに付け加えるようにして数行補足されていたところだ。
「どう考えてみても、私にはこれが大人たちの言い訳のようにしか映らないのだ。私は不満だ。どう考えてみても、人生のピークは今の私たちの年代だろう?」
例えば、ヤツらに子どもが産めるのか?
例えば、十八番の語源は女性が最も美しい年齢が十八だからだろう?
例えば、高齢者はここ百年の文明の発達が生んだイレギュラーのようなものだろう?
例えば、例えば、例えば……
ヤツらは、今の社会のガン細胞じゃないのか?
「私は、大人になりたくないのだ。私は憂鬱だ」
一体コイツは何を言っているのだろう? と当時の僕はそんな風に思ったことを覚えている。阿部真里愛はそのようなことを一気にまくし立て、その後は僕が彼女に何を尋ねようとはぐらかすだけであった。
僕たちの関係はその日の出来事を境に徐々に崩れていった。思えばその時だったのだろう。阿部真里愛が悟ったのは。だが、僕は彼女の出した結論に至るまでに、もう少し時間を要することになる。
その後、高校を卒業して、阿部真里愛との関係は完全に裁たれて断たれて絶たれた。彼女が進路をどうしたかなんて知らないし、実際のところどうでも良かった。僕の半身がどこへ消えようと、僕はただ少しの寂寥を感じただけで、それ以外には何もなかった。
僕は大学へ進学した。周りにいたのは何もかもが僕の知らない人間たちで、僕は様々な人間を見た。世界は広いし、人類は多様だった。だが、そこに阿部真里愛のような傷を舐め合える存在はいなかった。
といっても、それは阿部真里愛に近しい存在がいないというだけのことで、僕はそこである女性に出会った。
一言で表そうとするならば、彼女は透明だった。ただ単に色素や影が薄いというわけではない。掴み所がなく、一度目を離せば、果たして彼女は空気に溶けて消えてしまったのではないかと心配になるほど、何ヶ月間も姿を消してしまう。彼女は空気であり、蜃気楼だった。彼女は例え美しいものを見ようと、人の温かさに触れようと、悪意に襲われようと、ただそれを何事もなかったかのように受け流す。透過する。すり抜ける。何物にも染まらないと言えば聞こえは良いが、実のところそれは僕にとって訳が分からないものの塊で、僕はどうにかして彼女を理解しようとした。もしくは、彼女を僕の理解下に置こうとした。分かりやすく言えば、彼女を僕色に染めようとしたのである。
それで彼女はそんな僕に対してどうしたかというと、彼女は、僕に対して微笑を浮かべて、好きにしろと言うだけであった。
「わたしたちは、いつだって誰かの代わりなんですから」
彼女の口癖だった。いや、彼女の台詞で僕が覚えているものといえばこれくらいしかないのだった。何しろ、僕は彼女の名前すら覚えていないのだから。彼女はそれほどまでに透明だった。
結局のところ、僕は彼女を最後まで理解することは適わなかった。
「わたしたちは、いつだって誰かの代わりなんですから。ほら、きっとあなたもわたしの後ろに誰かを見ている。幻影を見ている。あなたは、わたしにその誰かを演じて欲しいんだ」
その時になって初めて、僕は阿部真里愛の存在が僕の中で大きくなっていたことに気づいた。僕は透明な彼女を僕色に染めようとしていたわけではなく、阿部真里愛色に染めようとしていたのだ。かつて傷を舐め合った半身を、僕はどこかで求めていたのだ。
それを最後にして、彼女は僕の前に姿を見せなくなった。
その後、僕は就職して会社勤めをしている。優秀だった僕は生まれてから二十数年を無事優秀なまま過ごし、ある程度名の知れた企業で立派に社会人として働くことが出来ている。
そうして、今になって、僕は阿部真里愛の言葉を真に理解することが出来るようになっていた。彼女は、あの頃にはもうとっくに気づいていたのだ。
僕たちが行った感情の押し殺しは、切り捨ては、いずれは誰もが辿るであろう道筋を、早熟だった僕たちが早回りして、ショートカットしてしまっただけのものだった。誰もが大人になるにつれて自然と失っていくはずの、純粋で情熱的な感情を、僕たちは自分たちの力で手放した。ただそれだけのことで、最初から僕たちに傷なんてなかったのだ。あったのは、自分たちは特別だという思いがつくり出した虚構の優越と、気持ちの悪い馴れ合いだけだった。
だから、阿部真里愛は大人を拒絶した。大人を、いずれ自分がなるはずだった大人を、もう既に足を踏み入れた段階にあった大人を、きっとどこかで見下していた同級生が、これから自然な段階を経てなっていくだろう大人を。
ふと阿部真里愛の存在を思い出し、阿部真里愛の言葉を思い起こすたびに、僕は胸に何かを感じる。これがきっと恥というものなのだろうと、僕は思った。
だが、例え僕が阿部真里愛の真意を悟ったところで、別に僕と彼女の過去が変わるわけでもない。答えは得た。しかし、それだけだ。史実に誤りがあろうと、新しい解釈が生まれようと、僕たちの生活に何ら変化は起きないように、えてして答えは何ももたらさないことの方が多い。今更答えを得ようと、僕は一人の大人としての人生を全うするだけだった。働いて、貯金をして、阿部真里愛の言うところのガン細胞となり、そして今際の際に「恥の多い人生だった」と回顧して懐古して、僕という物語は儚くも幕を閉じるのだ。それだけで僕は満足しただろう。こんな僕でもそれくらいは思うはずだった。
だが、不思議なことに、不可思議なことに、まるで人生というこの物語に作り手がいるかのような不自然さで、僕のストーリーはまだ終わらないのだった。
具体的に言えば、
「……あの、お久しぶりです。私のこと、分かりますか?」
「は? いえ、どちらさまです」
「う~ん、意外とショックだ……こう言えばどうです? 『ヒャッハー、その白状は薄情というものだぜ、我が半身よ。私は悲しい』」
ずっと心のどこかで期待し、焦がれ、そして若干諦めかけていた、本当の本当に久しぶりの、阿部真里愛との再会だった。
「私は大人になってしまったんです、いやん」
年齢的にも完全に大人となった阿部真里愛は身悶えるようにして言った。その奇怪で奇妙で奇天烈な姿は間違いなく彼女のもので、僕は彼女を懐かしく思った。
「いやーっはっはっは。前に話したことなかったっけ? マンガでさ、青春を謳歌する高校生を見つめていた先生が尋ねられるの。『羨ましいですか?』って。そしたらその先生はなんて返したと思う?『馬鹿を言うな。若さは何もお前たちの専売特許なわけじゃない』だって……ねえ、私たちは、果たしてその若さを謳歌できていたのかな?」
――若さが誰にでも平等に与えられるものなら、私たちもそれを平等に受け取っていたのかな?
阿部真里愛の台詞は、僕の辿り着いた答えが正しいということを裏づけるに足るものだった。つまりは、彼女はあの頃の僕たちを人工的な大人だと認めたということになる。
僕と阿部真里愛の目が合う。高校時代と同じだ。阿部真里愛が異常なほど近づいてきて、有無を言わさずに、強制的に僕と目を合わせるのだ。
阿部真里愛の瞳は少し灰色にくすんでいるように感じた。僕はそのことに時の流れを思わずにはいられなかったが、彼女の瞳は鋭い切れ味を誇る鈍色のナイフのようで、僕はしばしの間それに見とれていた。
阿部真里愛の瞳を細かに覗き込みながら、僕は彼女と過ごした高校時代のことを思い出していた。今の僕と彼女がどういった関係であろうと、過去の記憶は変わらない事実として永遠に僕の記憶の中にある。五年だったか十二年だったか、とにかくそれくらいの時間が経つと、人間の体の細胞は全て新しい細胞に入れ替わってしまうらしい。つまりは人間の記憶を司る海馬でさえ、その細胞は入れ替わっているということになる。ならばどうして僕は阿部真里愛のことをこうも鮮明に覚えているのかと、僕は不思議でたまらなかった。
だが、とにもかくにも、ただただ純粋に、僕は阿部真里愛との再会を喜んでいるようだった。彼女との物語の再開は、僕の心の膜を震わせる程度には重く、そして大きなものだった。
何故か――確か僕は、阿部真里愛に伝えたいことがあったのだった。
僕は口を開く。吐息が彼女の頬に当たるのが分かった。
「なあ、確か三年のクラスに文芸部の男子がいただろ? ほら、自分は特別になりたいんだって公言していた奴」
彼の名前はもう覚えていない。所詮は一年間クラスを共にしただけの存在だ、仕方がないと言えば仕方がなかった。やはり、海馬も細胞の入れ替わりでいくつかの記憶は失ってしまうものらしい。
その男は特別になりたかったのだそうだ。自分を特別だと思っている奴とは違う、本物の特別に。確か彼はそのために小説を書いていたのだったろうか。記憶は定かではないが、まあ、そんな奴だった。
「ああ、いたいた。いつも一人で本を読んでいたよね。で、それがどうしたの?」
阿部真里愛が記憶を探るようにしながら答える。やはり僕と同様に彼の名前は出てきそうになかった。
「いいや、何でもない。君が態度を変えたあの日に言った言葉が君の答えなら、これが、君の答えに対する僕の答えだ」
僕の言葉を聞いて、阿部真里愛は目を丸くした。どちらともなく、互いが相手から顔を離す。数秒間が経ってから、ようやく彼女は穏やかな笑みを見せた。
「そっか……私の半身は、私とは違う答えを得たんだね」
「独立の時だ。僕も、君も」
「多分、どっちの答えも正しいし、どっちの答えも間違っているんだと思う。不思議だね、事実なんて手が届く程すぐ近くにあってたった一つなのに、答えはいつも一つじゃない」
彼女が見せた微笑みは、高校時代にはまるで見たことのないものだった。
そうして、僕と阿部真里愛は別れた。彼女との再会と物語の再開はどちらも束の間の出来事で、人生という長い旅においては砂粒みたいなものだった。時間にしてみれば、おそらく十分にも満たないものだったろう。もしかしたらそれきりで、もう僕は阿部真里愛とは二度と会えないのかもしれない。
だが、しかし、彼女との再会は僕にとって大いに意義のあるものだった。何故なら、僕は今こんなにも救われた気分でいる。まるで心の膜なんか存在しないように、僕は幸福に包まれ、そして浸っていたのだった。
――傍から見れば、僕たちもアイツと同じようなものだったんじゃないか? 自分たちで勝手に決めつけて、勝手に自分たちの世界に入り込んでいる……そんな痛いヤツらに、僕たちは思われていたんじゃないか?――
高校時代の会話が蘇る。『いやいや、それは君が極めて中二チックで厨二チックに解釈した主観的な自分でしかないじゃないか。客観的に見ようぜ』『それこそ君の主観に過ぎないだろう』……僕たちは散々主観だの客観だのを論じていながら、その実、肝心な自分たちの姿さえ客観的に捉えられていなかったのかもしれない。
つまりは、阿部真里愛の意見に反するようにして、僕はあの頃の僕たちを、疑似的な大人にさえなれていないただの痛い子どもでしかなかったと、そう捉えたのだった。
さて、もうそろそろ物語を閉めて締める頃合いだろう。阿部真里愛が言ったように、真実は一つでも、その解釈は―一人一人の答えは―無数に分裂する。要するに僕と彼女の答えとでどちらが正しいのかを言い争うなど全く意味のないことで、重要なのはそれぞれが辿り着いた答えを、しっかりと心の内で軸とすることだ。
結局、僕は恥の多い人生を送ってきたのだ。正確に言うならば恥をさらさないために送ってきた人生で、恥から逃げ続けていた人生でもあった。だが、僕は最後に答えを得た。それは人生における最大級の恥を認めてしまうことであり、やはり僕は恥の多い人生を送ってきたのだった。
その後、特に阿部真里愛とは何もない。僕たちにとっては、あの十分にも満たない時間で答えを確認し合えたこと、それだけで充分で、十分だった。かつての半身は、あの再会を通して完全に僕とは袂を分かったのである。僕と阿部真里愛は、独立して、決別した。そう、もう僕は一人の人間であり、大人なのだった。
だから、幕を下ろす時、物語を閉じる時、人生を終わらせる時に、僕はかつての半身を思い、想い、念い、懐い、憶って言おう。残すべき、遺すべき言葉だ。かつての半身が、いつか声高々に話していたのを真似るようにして、僕は叫んだのだった。
「『ヒャッハー、我は偉大なり! 僕は僕が誇らしい』」
人間合格 桜人 @sakurairakusa
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