6 突入

 目を覚ましたら、肩に手を置かれていた。

 栗橋に二、三度叩かれただけで覚醒したようだが、徳島の頭にはまだ少し痺れたような感覚が残っている。


「起きたか。いま本部から連絡があった」


 その言葉で、徳島の目は急激に覚めた。


「確保ですか」

「いや、まだだ。長内圭一と連絡が取れて、昨晩のアリバイが確認できたらしい」

「そうですか。そういえば昨日は金曜日でしたね。彼、週末は呑みに行くって云ってませんでしたっけ?」

「云ってたな、そういえば。いや、確かに自宅近くの呑み屋で証言が取れたそうだ。確実なアリバイだな」


 新宿通り沿いに停めた機捜車のなかである。栗橋が運転席に座り、徳島は助手席で少し眠っていたようだ。

 昨晩、練馬で田辺克之の遺体が発見されてから、十六時間が経過している。いまは午後二時で、徳島たちは四谷のシティホテルの前にいた。


「長内圭一だがな、やはり田辺のことを天使の盾に通報していたらしいぜ。本人の供述が取れたそうだ」

「いつですか?」

「十七日の夜」

「三日前か。それなら、木崎が子供を虐待している親を殺すために、長内が通報した人物をターゲットにしていたというシナリオは成り立ちますね」

「ああ。稲城、町田、そして今度は練馬。いずれも長内が知らせてきた人物が殺されているからな」

「でも、何故長内の通報してきた人物に絞ったんでしょう?」

「まあ普通に考えれば、長内が疑われる可能性があったわけだから、罪をなすりつけようとでもしたかな。もしくは、長内を信用していたか」

「信用?」

「長内が通報した奴は、どいつも極めつきの異常者だ。児童虐待を止めるための殺人と考えれば、やはり殺すだけの価値があるほうがいい。そういう意味で、木崎は長内を信用していたんじゃないかな。長内が見つけてくる奴はハズレがないという意味で」


 徳島は、助手席のシートに深く身を沈めて考えた。

 栗橋の云ってることはわかるが、それだけでは何かが足りない気がしてならない。天使の盾の代表である木崎ならば、児童虐待の疑いがある事例などいくらでも集められるはずだ。それが、何故長内が通報した三人だったのか。


 やはり本人に訊くのが一番かもしれないと、徳島は思った。早ければ、あと数時間以内には本人と会えるかもしれないのだから。


 保坂香織の愛人として捜査線上に浮上したばかりの木崎だったが、田辺克之の遺体が発見された翌日に拘留というのは、いささか早すぎる決断と云えた。しかし、捜査本部がこれほど早い決断に踏み切るのには理由がある。昨晩、田辺の家の近所で訊き込みをしていた班が、隣家に住んでいる老人から目撃証言を得た。その老人は、夕方から夜にかけて田辺家の二十メートルほど先の路上に、見慣れない赤い車が停まっているのを目撃したというのだ。


 田辺家は入り組んだ住宅街にあるが、この家の前に通っている道に車を乗り入れるためには、必ず大通りからコンビニの横を曲がらなくてはならない。捜査本部は、早速コンビニの駐車場に取り付けられた防犯カメラの映像を入手して、今日の午前中に解析し、赤いアルファロメオが映っていることを確認したのだ。その際にナンバーも確認できたため、すぐにその車が、木崎が五年前から所有している愛車だと断定することができた。


 保坂香織と不倫関係にあっただけでなく、田辺殺害にも関係しているとなれば、重要参考人として確保する理由には充分である。これで木崎の掌紋が、宇木田殺害に使用された凶器の金槌から採取されたものと一致すれば、彼が実行犯と見て間違いないだろう。もしかしたら、香織の服から採取された繊維も、彼の自宅やオフィスから同一のものが発見されるかもしれない。


 目の前のシティホテルに、木崎義人がいるという情報を入手してから、すでに四時間が経過している。居場所を教えてくれた天使の盾のスタッフによれば、木崎はこのシティホテルを常宿にしていて、中野区にある自宅のマンションに帰れないときは、必ずここに泊まっているらしい。今回は十七日の夜から予約無しで泊まっていて、フロントに確認したところ、まだチェックアウトはしていないという。


 現在、このホテル以外にも、木崎の自宅マンションと天使の盾オフィスの合計三カ所に捜査員が配置され、捜査本部の指令が出たら、すぐに重要参考人として木崎の身柄を確保する予定となっていた。家宅捜査令状を申請するとのことなので、自宅はともかくオフィスは大騒ぎになるはずである。


 栗橋が、無線機の通話ボタンを押して長内のことを話していた。最後に待機と付け加えてから、無線機の通話ボタンを離す。ホテルのエントランスホールと裏口に二名ずつ捜査員が配置されているので、本部からの連絡は栗橋が中継して伝えることになっている。栗橋は無線機をダッシュボードに置いてから、徳島に話しかけた。


「そういえば昨晩の相馬、なんだっけ」

「由多加です。相馬由多加」

「ああ、そいつ。あの奥さんの子供だったんだって?」

「前の夫との子供で、三年前に母親が再婚してからも、定期的に会ってたようです。昨晩も、母と妹の優美の三人で、池袋で会食していたみたいですね。今日の午前中に、相馬君からもらったレシートで店の方に連絡したら、すぐに確認できました」

「そうか。しかし悲惨だよな。児童虐待の防止のために働いてるのに、自分の妹が母親の再婚相手に虐待されてたんだろ。彼は、そのことを知っていたのかな?」

「ええ、薄々はわかっていたと、昨晩云ってましたね。何とか実情を確認して、練馬の管轄児相に通報したかったと悔しがっていました」


 徳島は、昨晩会った相馬由多加を思い出した。

 相馬は、警察のワゴン車のなかで、徳島から勧められた紙コップのコーヒーを飲みながら母と妹の不幸な毎日を語った。田辺克之の暴力で自分の母親と妹が苦しんでいたのに自分は何もできなかったと嘆いていた。


 結局あのあと、彼は母親と妹に付き添って練馬署に行くことになった。供述のあとで、母親と妹はしばらく自分のマンションで過ごさせると、相馬が云っていたのを思い出す。それが一番いいだろうと徳島も思った。特に相馬の妹である優美にとっては、練馬の家に戻らないことこそ重要なのだろう。


 突然、低くうなるような音が栗橋の躰から聞こえてきた。携帯電話のバイブレーターが振動している音だ。栗橋はスーツの内ポケットから携帯電話を取り出して、通話ボタンを押した。彼は徳島を見ながら携帯電話を耳にあて、一言二言話してから通話を切った。


「令状が出た。確保だ」


 栗橋はすぐに無線機を取って、捜査員たちに指令を出した。裏口の二人は待機、エントランスホールの二名は徳島たちに合流である。

 徳島と栗橋は素早く車から降りると、歩道からホテルに向かった。回転式のエントランスを通過して、きらびやかなホールに入る。そのまま二人とも歩調を緩めず、まっすぐフロントのカウンターに向かった。

 カウンターの前には二人の捜査員が先に来ていて、ホテルマンと話をしている。一人の捜査員が徳島たちに話しかけてきた。


「五○三号室だそうです。ルームキーを借りました」


 栗橋は、捜査員からカードタイプのルームキーを受け取ると、そのまま無言でエレベーターへと向かう。


「一人はここで待機。残り三人で五階に行く」


 エレベーターホールに一人を残し、栗橋と徳島、あともう一人の捜査員で五階へと上がった。

 五○三号室は、五階でエレベーターを降りてすぐのところにあった。ドアノブには、洒落たデザインのカードが下がっている。「Don't Disturb Please 起こさないでください」と書いてあるのが読めた。


 三人は扉の前に立つと、徳島が扉の横に付いているルームブザーを押した。扉の向こう側でかすかにブザーの音が鳴り響いているようだが、人の気配はしない。徳島はもう一度ブザーを押して、やはり何も反応がないのを確認してから栗橋を見た。

 徳島に一度頷いてから、栗橋はドアを数回ノックする。


「木崎さん、警察です。木崎さんいませんか?」


 再度ノック。何の反応もない。


「駄目だな。開けるぞ」


 栗橋は、カードタイプのルームキーをドアノブのすぐ上にあるスロットに差し込んだ。スロットの脇にあるLEDランプが、赤から緑に変わる。栗橋は、カードキーを引き抜いてからドアノブを回した。

 まず、徳島が部屋に入った。続いて捜査員、栗橋の順で部屋のなかに入る。


「木崎さん、いますか。警察です」


 まず最初に通路。左に浴室への扉。奥にシングルベッドとテレビ、そして。

 木崎義人がいた。

 彼は、天井から下がったロープを首に通し、わずかに左右に揺れながら宙に浮いていた。

 徳島たちは、呆然として首を吊っている木崎義人の前に立ち尽くした。


「まさか、自殺とはな」


 栗橋の言葉だけが、妙に部屋のなかに響いた。

 徳島はその栗橋の言葉を反芻しながら、胸中に疑念のようなものが湧き上がるのを感じていた。


 何かがおかしい。何かが間違っている。徳島は、かすかに揺れている木崎義人の遺体を眺めながら、心のなかでそう呟いていた。

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