4 聴取
町田児童相談所に到着してすぐ、徳島は児童福祉司の川田に依頼して、児相内の小会議室を借りた。
川田には上條から連絡があったあとに、高遠守を見つけた人物が本人を連れて現れる旨を電話で伝えておいたので、すでに医師と看護師の手配も済んでいるらしい。到着次第、簡単な診察を行うとのことだった。
もちろん、児相に行く前に、徳島は宮部警部補にも報告している。守を見つけて連れてくると云ってるのが、徳島の知り合いと訊いて、宮部は興味を覚えたようだった。
「学生時代の友人か? 職業は何だ。警察関係ではないだろ」
それを訊いて徳島は心のなかで苦笑した。いえ多分犯罪者ですとは、口が裂けても云えない。
「IT関係らしいんですが、いまはどうやらフリーのようです」
「友人なんだよな」
「はい、施設で一緒に育った奴なんですよ」
宮部としては、信用できる人物かどうかを確認したかったようだ。いずれにしろ簡単な聴取を取ることにはなるが、よほど怪しくなければ身辺調査まではやらないはずだ。失踪した子供を見つけ、警察に届け出た一般人として処理できれば、上條も安心するはずである。
急遽、徳島とともに児相に行くことになった栗橋も、徳島の施設時代の友人が高遠守を保護したと訊いて、強い興味を持ったようだった。だいたい警察官というものは、警察学校以前の生活をあまり見せない者が多い。徳島としても、できれば二人きりで上條と会いたかったが、守を保護したいきさつを含め、上條から直接聴取を取らなければならないので相棒の同行は仕方がなかった。
徳島と栗橋が児相に着いてから一時間ほど遅れて、駐車場に大きなアメリカンタイプの黒いバイクが入ってきた。上條のバイクはずいぶん古いモデルらしく、徳島のように詳しくない者にとっては、国産なのかどうかすら判別できない。その大型の車体が児相内の駐車場に入ってきたとき、後ろのシートに子供が座っているのが見えた。あれが、おそらくマンションから失踪した高遠守だろう。ヘルメットだけが不釣り合いに大きく見える。
上條はバイクを駐車場に停めると、女神像が立っている池の横を通って、少年と一緒に児相の建物に入ってきた。受付前で待っていた徳島と栗橋に気づいて、片手を挙げてから近づいてくる。
「久しぶりだな、リョウ」
長身で、痩せているのは昔から変わっていない。肩にかかるぐらいの長髪で癖毛らしくあちこちに跳ねている。しかし徳島は、上條の顔を見て驚いた。一応事前に訊いてはいたが、見事に腫れ上がっている。栗橋があからさまに怪訝な顔をしていた。
徳島は上條に施設時代の呼び名で呼ばれて、何とも云えない懐かしさを感じた。遼平のリョウだから簡単な呼び名だが、これまでそうやって徳島を呼んだのは上條だけである。一方徳島は、上條のことを普通に健吾と呼んでいた。
「ああ、多分十年ぐらいだろ。俺が高校出た直後に会ったきりだ」
「もうそんなになるか。そういえばお前、本庁に行ったんだよな? 捜査一課か?」
「ああ」
「そいつはすげえ。花形だな」
「それより、この子がそうか」
徳島は、上條の横に立っている少年、高遠守を見た。顔に青い痣が見える以外は、そんなに体調も悪そうではない。徳島は、守に話しかけてみた。
「君が高遠守君だね。警察の徳島といいます。いまから医師が簡単な診察をして、そのあとこの施設で君を保護することになると思うけど」
「ええ、わかっています。よろしくお願いします」
予想以上にしっかりとした受け答えを訊いて、徳島は安心した。これなら心のダメージは深刻なものではないかもしれない。
そのとき、川田美恵が現れた。階段から急いで降りてきたらしく息を切らしている。
「守君! ああ、良かった! 本当に無事だったのね」
川田は守の前まで来ると、膝をついて少年の首に腕を回し、彼をしっかりと抱きしめた。
「川田さん、守君を医師のところに連れて行って診察をお願いします。それが終わったら知らせてください」
「はい、はい。わかりました」
川田は、守の手を引いて建物の奥へと連れて行った。
徳島は、宇木田高雄が町田のマンションで殺された事件の直後、町田児相にも連絡を入れて、高遠守への虐待に関して確認を取っている。そのとき川田は、宇木田と高遠守は、児相内でも要注意案件の一つになっていたと語った。実際、川田自身が、守が足の怪我で入院したときに担当となり、宇木田と守の二人にも会っていたそうだ。それ以来、川田はずっとこの守のことを気にかけていたようである。
徳島は、このときふと思い当たった。
これまで完全に見落としていたが、この川田美恵という児童福祉司は、これまでのところ保坂夫妻と宇木田高雄の両方に面識のある、ただ一人の人物ではないのか。児童相談所の職員であるということもあって、無意識のうちに信頼していたが、一応アリバイだけでも確認しておいた方がよさそうに思えた。これに関しては、あとで栗橋とも相談しておかねばならないだろう。
「こちらの方も、刑事さん?」上條が徳島に訊いてきた。
徳島が答えるよりも早く、栗橋が一歩前に出て上條に挨拶をした。胸から警察手帳を出している。
「栗橋です。一応お見せしておいた方がいいでしょう。これも決まりでして。確認してください」
「はあ」
上條が警察手帳を一瞥したのを確認してから、栗橋は話を続けた。
「ここの会議室を一つ借りてましてね。よろしければ、そこで高遠守君を保護したいきさつについてお聞かせいただきたいんですが、よろしいですか?」
栗橋の柔らかい物腰に、上條は笑みを浮かべていた。
「もちろんですよ。リョウ……徳島君とも久しぶりですからね」
上條が喋りにくそうに答えた。顔の腫れが邪魔をして、どうやらまだうまく口が動かないらしい。どう見たって殴られた傷だよ、と徳島は思う。帰りの車のなかで栗橋に何と云われるかを想像すると、いまからたまらなく気が重かった。
「では、守君が熱を出して話ができなかったので、失踪している子だとは気づかなかった、ということですよね」
栗橋とかいう刑事が、少しきつい口調で質問してきた。
「そうですね」
「しかし、一応通報だけでもしていただいた方がよかったですね。もしかしたら親御さんが捜索願いを出しているかも、とは思わなかったんですか?」
「そうは思いましたが、一緒に守君を看護していた僕の彼女が、彼の躰の傷を見て、ちょっと様子を見た方がいいって云いましてね。僕も傷を見たんですが、ありゃあ酷い。あんなのを見たら、すぐに親に返すのはどうなんだろうと誰でも思うはずですよ。それでずいぶん悩んだんですが、今朝のテレビで失踪している子供だということに気づきまして」
「それで、昔の友達である徳島に連絡したと?」
「ええ、警察の人間に相談すれば、何かいい方法が見つかるかと。まさかこの件を担当している刑事だったとは思いませんでしたが」
「なるほど。少年の右手に血のようなものがついていたというのは本当ですか?」
「ええ、ほとんど雨で流されてしまったようですが。ちょっと残っていたのも、僕の彼女がきれいにしちゃったみたいで」
栗橋は、まったく困ったものだという感じで、目をつぶって首を振っていた。先ほどから何度も、あきれたという仕草を繰り返している。
この栗橋という刑事は、ちょいと厄介だなと上條は思った。詰問調になっているのは、上條から犯罪者の匂いのようなものを感じ取っているからだろう。
「ところで、上條さんのお顔、どうされたんですか? ずいぶん腫れ上がっているようですが」
さて、ここからが本番である。まさかヤクザに袋叩きにされましたとは云えない。
「ああ、これね。僕は、町田駅の近くにあるボクシングジムに通っているんですよ。もちろん趣味ですが、こないだの日曜日にスパーリングをしましてね。ちょっと熱が入っちゃいましてこの様です」
「ボクシングねえ。上條さんはプロじゃないんですよね? スポーツでそこまで酷く腫れ上がるってのも問題ありですな。それなら被害届が出せそうだ」
最後の部分は、おそらく冗談だろう。
「いやあ、そこまでは。僕が下手なだけでして」
ボクシングジムに入会しているのは、実は本当のことである。運動不足を気にして三年ほど前に入会したが、面倒臭くなってからは一ヶ月に一度行けばいいほうだ。もっとまじめにやってれば、タイチとももう少しはまともにやり合えたかもしれない。
栗橋は、あまり突っ込み過ぎてもメリットが無さそうだと思ったらしく、一応納得した素振りを見せて引き下がった。
そのとき扉をノックする音が聞こえた。上條が扉の方を見ると、先ほど守を連れて行った川田と呼ばれていた女性が、室内に入ってきたところだった。
「守君の診察が終わりました」
「どうでした?」
徳島が川田に尋ねた。
「数日安静が必要ですが、それ以外は至って健康とのことです」
「よかった」
「これから、話をされますか? 医師が立ち会いますが」
「ええ、できればお願いしたいですね」
「では病室の方へどうぞ」
そこで上條の聴取は終わりとなった。徳島と栗橋に礼を云われ、また何かあれば連絡を取りたいからと、住所と電話番号を訊かれた。
最後に、帰る前に守に会っていくかと徳島に訊かれたが、上條は断った。ここに来る前に別れは済ませておいたし、また今度面会に来ればいいだけである。
上條は徳島に、今度飲みにでも行こうと誘いの言葉だけをかけて、児童相談所をあとにした。
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