最終話 奇跡を願う
三人が定食屋から会場に戻ると、時刻は十三時を過ぎていた。
「さっき、受付の者に聞いてきたんだが、午前中で来場者が二百人を超えてるらしい」
天本は、やはりすごいことになりそうだぞ、とワクワクして言った。
「へー」
もはや、理解する気などはなさそうな竹本だった。
それから閉場の十七時まで天本と竹本は一緒に、展示されている絵画の紹介をするため会場内を
そうしていると、絵を購入したいという人も何人か現れ始め、その対応に天本や関係者は追われて、忙しなく動き回っていた。
「これだけ好感触だと、期待通り常設展示をする契約の話もできそうだな……」
天本は顔を
「それは、俺にとっておいしい話と思っていいんだよな?」
理解の遅い竹本だが、そういう話には敏感だった。
「まぁ、そういうことだな。簡単に言うと、うちのギャラリーで専属契約を結んでもらう。そして、竹本はどんどん新しい絵を描く、それをすぐ展示して販売する、そんな感じだな」
「簡単に言われても良く分からないけど、とにかく俺は好きなだけ絵を描いていいってことだよな?」
「要は、そういうことだけど……まぁ、細かい話はさとみさんとするよ」
天本はすべてを説明することは諦め、あとでさとみと契約の話をすることにした。
閉場の十七時を迎え、最後の来場者を見送ると、天本は関係者を集めて締めの挨拶を始めた。
「みなさん二日間、本当にありがとうございました。みなさんのおかげで滞りなく、終わることができました」
まばらな拍手が聞こえ終わると、続けて天本は――
「二日間の累計来場者数は五百二十人でした! ということで新人が開く個展としては、大成功な結果となりました。みなさん、本当にありがとうございました」
今度は、盛大な拍手が会場の中に響いた。
「それでは、この個展の主役である竹本克己さんに、最後の挨拶をお願いしたいと思います。それでは、竹本さんよろしくお願いします」
そう言うと天本は数歩後ろに下がり、右手で自分の立っていたところを指し示しながら、右方にいた竹本を呼び寄せた。促された竹本は若干、表情を
そんな竹本の動作は関係者たちや天本、さとみにまで緊張感が伝わってしまうものだった。
それを知ってか知らずか――
「えーっと、竹本です」
今朝と変わらない第一声で、会場が笑いに包まれ、さっきまで会場中に蔓延していた緊張感が一気に消し飛んだ。
「なんか来場者数がすごいことになったみたいですが正直、自分にはどれくらいすごいことなのか、よくわかりません。ですが、たくさんの人に見てもらえることはすごく嬉しいです。画家冥利に尽きると思います」
初めは、何言ってるんだろうか、みたいな顔をみんなしていた。しかし、竹本は話すのが苦手なんだろう、ということが分かったのか、納得の顔を見せ始めていた。
「それに今日の個展の成果で、専属契約の話も持ち上がり、一端の画家になれたのではないかと思ってます。なので、ここでちょっと宣言します」
唐突な宣言を始めようとしている竹本に誰もが驚いていると――
「伊藤さとみさん!」
「え? あ、はい!」
いきなりの名指しにびっくりしたのか、竹本と同じくらいの声を出したさとみ。
竹本は一呼吸おいて――
「僕と、結婚してください!」
澱みのない、透き通った意志を感じるその声にさとみは――
「はい……よろしくお願いします」
と、瞳を潤ませながら、両手で口元を抑えて、消え入りそうな小さな声で、だがしっかりと返事をした。もちろん涙の笑顔で。
未だ状況を飲み込めずに、仰天していたのは天本だけではなく、関係者たちも同様だった。
一瞬ののち、みな目の前で起きた出来事がようやく、自身の中に浸透したのか、拍手がパチパチと鳴り始めた。その後、拍手は次第に大きくなっていき、鳴りやまないほどの祝福の拍手となって、竹本とさとみに降り注いだ。
「おめでとう!竹本、さとみさん」
天本は竹本から聞いていたはずなのに、他の大多数と同じく驚いていたが、ようやく祝福の言葉をかけることできた。
「ありがとう、天本。本当に全てお前のおかげだよ。あの時出会えてなかったら、今の俺はなかった……」
「天本さん、ありがとうございます。克己さんの言う通り、天本さんがもたらしてくれた奇跡だと思ってます。本当にありがとうございます」
二人は、感謝してもしきれない、そんな勢いで天本に感謝した。
「そんなことはない。たまたま俺が誰よりも早く、竹本の絵の魅力に気づいただけ、それだけのことだ。遅かれ早かれ竹本は画家になれていたよ……」
謙遜しつつも、こんなに嬉しいことはないと天本は思った。竹本を画家にしたい、という身勝手な願いまでかなえることができたのだから。しかし、手放しでは喜べないそんな感情も感じている天本だった。
図らずも多くの人たちからの祝福を受けた竹本とさとみ。しかし、二人ともたくさんの人に注目されることを得意としていないのか、嬉しさはあるだろうが疲れが見えたので、天本は――
「竹本さんのサプライズプロポーズで、個展終了の挨拶がうやむやになってしまいましたが、本日は本当にありがとうございました」
と、急ぎ足で改めて締めくくり直し、関係者たちを解散させた。
残ったのは天本、竹本そしてさとみの三人。さっきまでの騒がしさが嘘のように、会場内は静けさに包まれていた。そんな静寂を破ったのは意外にもさとみだった。
「克己さん、そろそろ帰りましょう。今日は疲れたでしょう? 天本さんも疲れてるだろうから、ね」
早く帰りたいというよりは、どこか天本に気を使ってるような、そんな印象を受けた天本は――
「自分は全然、大丈夫ですよ。それより、竹本とさとみさんの方がお疲れでしょう。それに、二人の幸せなムードを壊したくないですし、自分のことは気にせず……」
言い切る前に竹本が――
「そうだな、よし。じゃあ、帰ろうさとみ」
いともあっさりと言った。いつもの竹本らしいと言えば、そうなのだが今日のそれには違う意味がありそうだった。
少し一人になりたい、天本のそんな気持ちを竹本は
「それじゃあ、今後の契約の話は後日ということで……、今日は帰らせてもらいますね。天本さん、何から何まで本当にありがとうございました。今後も克己さんのことを、何卒よろしくお願いします」
「はい。後日、連絡させてもらいます。こちらこそこれからもよろしくお願いします。気を付けて」
と、言ってる間に竹本はもう会場を出ようとしていた。
「それじゃあ、またな天本。今日はありがとう」
振り返りながら竹本は言うと、さとみの右手を握りしめ引っ張った。引っ張られると思っていなかったさとみは足もたつかせたが、竹本はそんなことは気にもせず会場を後にした。
天本は個展会場で一人になると会場内を回り、展示された竹本の絵画を一通り見て回った。
「俺も画家になりたかったな……」
天本は自分の声に驚いた。まさか、声に出ているとは思いもよらなかったからだ。
漏れ出してしまうほどに、夢を叶えたかった想いが天本にはあった。しかし、実力の無さを実感して諦めていた。はずなのに、その想いを身勝手に竹本に重ねた。
そんな自分を軽蔑すらし始めてきた天本は、もう帰ろう、と会場を出て最寄りの駅へと歩を進めた。
駅に向かい歩いていると、梅雨はまだまだ終わらないとばかりに、肌をじわりと湿らせてくる。それでも、夜風が吹くと少しは心地よかった。
最寄りの駅に着いた天本はいつものように改札を抜け、ホームへと降りた。すると、ちょうど電車が到着したのですぐに乗り込んだ。
天本が到着し降りた駅は一つ前の駅だった。今度は自身に何か奇跡が起きるのではないか、そんな期待をしていたのかもしれない。
天本はこれからも一つ前の駅で降りる。
起こるかもしれない奇跡を信じて。
一つ前の駅で降りる、ただそんなことを繰り返していく。
一つ前の駅で降りたら 青木田浩 @aokida-kou
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