第十二話 一端の画家
二日目の個展会場、開場の三十分前、天本は会場内をぶらつきながら物思いにふけっていた。
今日の来場者数を入れて、合計五百人を超えるかどうか、それがギャラリーに常設展示を許される条件だ。天本は竹本の絵ならその条件を達成できる、そう思って個展を開くことを勧めた。
竹本と再会した日に居酒屋で、竹本が
なんとしても竹本を立派な画家にしてやりたい。自分にならそのきっかけづくり、後押しをできるはずだと。本当にその思いだけだった。
聞こえは良いかもしれないが、結局のところ竹本を下に見たことの罪滅ぼしをしたい身勝手な理由だ、天本は自覚していた。
天本が色々と考えを巡らせている間に時間は刻一刻と進み、会場十五分前になっていた。
そろそろ竹本は来るだろうか、そう天本が思っていると――
「天本! おはよう」
「おはようございます。天本さん」
大きな声とたおやかな声、両極端な声を同時に背中から浴びせられた天本は肩をビクっとさせながらも、二人に向き直り――
「おお、来たか二人とも。おはよう」
向き直った天本の両の眼に飛び込んできたのは、ばっちり蝶ネクタイを締めたタキシード姿の竹本だった。
「って、お前なんて格好してるんだよ」
昨日、竹本がプロポーズをするなんて言ってたから、余計におかしさがこみ上げてきたが何とか笑いをこらえ、天本は言った。
「え、どこかおかしいか? これが俺の
キリっとした表情で自信満々に言う竹本に、天本は笑いをこらえるのに必死だったが、二人にバレてはいないようだった。
「やっぱり、おかしいですよね? 普段通りの洋服で良いと言ったんですが……。せっかくの晴れ舞台だからと言って、聞く耳もたなかったんです」
さとみもおかしいと思っていたのか、天本の意見に賛成の様子だった。
「まぁ、言ったら聞かない奴ですもんね。諦めましょう、さとみさん」
そう天本が言い、天本とさとみは共感しあい笑い合った。天本は、こらえていた笑いを存分に吐き出した。
そんな二人を見て、竹本は意味が分からない、と不思議そうな顔をしていた。
「そろそろ会場前のミーティングがあるから、この辺で失礼させてもらうよ。じゃあ、竹本、さとみさん、またあとで」
天本がそう言ってその場を離れようとすると――
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺も……挨拶するんだよな?」
竹本が慌てながら、恐る恐る天本に確認した。
「そうだった! 竹本、よく思い出してくれた! 完全に忘れてしまっていたよ、本当にすまない」
「しっかりしてるイメージだったけど、天本でもこんなことあるんだな」
「俺もそんな完璧じゃない。よし、じゃあ竹本も一緒に来てくれ。さとみさんも竹本の挨拶を覗きに来てやってください」
天本はさとみのことも誘い、天本と竹本は関係者たちで人だかりになってい場所へ、足早に近づいて行った。
「みなさん、おはようございます。えー、二日目も昨日と同様にみなさんで個展を盛り上げていきましょう。そして本日は、この個展に展示されている全ての絵を描いた、画家の竹本克己さんにお越し頂いているので、挨拶をお願いしたいと思います。それでは、竹本さんお願いします」
関係者一同からの盛大な拍手で迎えられた竹本は――
「えっと、竹本です」
と、まずは素っ気なく名乗り、一礼した。
「自分のこんな拙い絵しかない個展を開いていただき感謝してます。……頑張ってそれっぽいことを言ってみましたが、人前で喋るのに慣れてないので、何を言って良いのか正直分かりません」
竹本が正直に言うと、会場が笑い声に包まれた。
「ですので、シンプルに言います……。私の個展のために力を尽くしてくれてありがとうございます! 二日目の今日もよろしくお願いします!」
竹本の切実な思いが通じたのか、天本に紹介された時よりも、大きな拍手を浴びた竹本はまんざらでもない様子だった。それから、何度も腰を折り曲げながら隅の方にいるさとみのところへ移動し、天本に後を託した。
「克己さんらしくて、とても良かったわよ」
さとみが褒めると、今年一番じゃないかと思うくらいの笑顔で――
「ありがとう、さとみ」
と、竹本は言った。すごく感情のこもったそのありがとうに、さとみも竹本と同じくらいの笑顔で返した。
「竹本さんの挨拶でした。ありがとうございます。では、竹本さんも先ほど言っていたように、二日目もみなさん、よろしくお願いします!」
そんな挨拶で天本はミーティングを締めくくると、関係者一同は口々に「よろしくお願います」と言いながら、準備に取り掛かるべくそれぞれの持ち場へ散っていった。
絵画好きの人たちが口コミで広げたのか、昨日よりも来場者の数が多く、午前中だというのに会場は多くの人で賑わっていた。
「午前中でこんなに来場者が多いと、今日はすごいことになりそうだぞ、竹本」
「そうなのか?」
「あんまり驚いてないみたいだな。いや、逆に驚きすぎてるのか」
現実をあまり受け入れられてない竹本と、冷静に状況を受け入れている天本のちぐはぐな会話が続くかと思われたが――
「克己さん、人の話はちゃんと聞いてくださいね」
見かねたさとみがたしなめるように言った。
「さとみにはいつも怒られてばかりだな……」
「起こってるんじゃなくて、叱ってるんです」
そう叱られた竹本は縮こまった。その様子を見ていた天本は、まるで本当に母親が子どもに叱ってるようだな、と笑うしかなかった。
お昼を過ぎ、時刻は十二時を迎えていた。
「腹減ったなぁ」
「今なら、あまり人もいないし、休憩がてら昼飯を食べに行くか? 馴染みの定食屋を紹介するよ」
竹本のぼやきに天本は呆れるでもなく、慣れた様子で返した。
「お、いいじゃん。よし、そこに行こう。さとみも行くよね?」
「ええ、もちろん。克己さんから目を離すと、何するかわからないですし」
心底、心配そうにさとみは言う。
「そんなに子どもじゃないよ!」
一応、反抗してみるがさとみはまったく動じていなかった。
「それじゃあ、行こうか」
天本は二人のやりとりを見慣れ過ぎたせいか、まったくの無反応で言った。
それから、三人は連れ立って会場を出ると、天本の馴染みの定食屋に向かった。
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