第44話 10/30

パカッ……暖かいご飯の上に卵を掛けて食べる。ご飯の香りと卵と醤油の香りが鼻をくすぐる。「ああ美味いなぁ。」だけど、なぜか彼は涙を流している。


齢35になるバンドマンである彼はギターを持って日々ライブをしている。また、彼は戯曲、小説、短歌、絵画、短編映画など様々なジャンルで活躍している多才なる人物である。


男の頭は様々な思考で溢れている。何かが取り付いているのだろうか。彼はいつも何かに追われているという。締め切りではなく、何か物質的なものに。


「俺は前世で罪深きことをした気がする。だからこそ、この才能を使って人々を喜ばせなければならんのだ。俺は多才な人物じゃない。多債な人物だ。」


借金取りのような得体の知れないものに追われている彼は贖罪として創作活動をしているという。


全てを賭け、創作活動を神事のように考えて取り組む。日々、一瞬の音に魂を込めて演奏している。


そんな彼が行き詰まった時に、出会ったのが細君となる鏡華である。


鏡華は、メンヘラのようにともすると思われる彼に、「外に出て気を紛らわそう」と言い車を運転して連れていってくれた。一時的には彼にとって光を見せてくれた存在である。


彼女の実家の養鶏場で親子丼を作ってもらい、食べた。こんなに美味いものがあるのかと久し振りに喜んだ。



暫くは、鏡華の思いを感じ取り、温泉旅行に行ったりしたが、段々と彼を追っている何か不快なものが大きくなっていった。彼はその不快な気分を紛らわす為に多くの酒を飲み、多くの飯を喰らい、多くのタバコを口にした。もう気が狂っていた。正反対の人間になってしまった男は、喧嘩っ早くなってしまった。


「俺は怖いんだよ!だから酒を飲むんだ。飯を食うんだ!逃れられないカルマ!もう気が狂いソーダ!」

多才な人物である彼は、あらゆる快楽に溺れるようになった。


鏡華はそんな彼を支え続けたが、最早心身ともに疲れ果ててしまった。


鏡華との間に間も無く子どもが出来るところであった。


「ごめんね。私はこの子を一生懸命育てるからお暇を下さい。」

鏡華の置き手紙と共に卵が置いてあった。


「卵は全ての動物の根源。そして俺にとっては初恋の始まり。恋を知らなかった俺がやっと人間になれたと思ったのに。」男は涙を流しながら初恋を想起させる味を味わった。


そして「美味かった。ありがとよ。鏡華。」


男は睡眠薬を入れたジントニックを飲み干すと。笑い始めた。

「これで悔いはない。ハハハハハッ……ハハハハハッ!」


笑い声はぷつりと途切れた。









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diary-NoveltheTV 恋住花乃 @Unusually_novel

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