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平成11年4月予定 劇団ボイド第9回公演
セラフィムの翼
登場人物
タダ 久保田晃明(くぼたこうめい)
ナオコ 松旗美里(まつはたみさと)
イクミ 脇坂智子(わきさかともこ)
ナイトウ 平大志(たいらたいし)
セラ老人 宮本研助(みやもとけんすけ)
セラフィム(セラ老人及び昏倒時のナイトウの声)
木村ゆかり(きむらゆかり)
コロス他 数名
作・演出 小此木譲(おこのぎゆずる)
制作・舞台監督 児島一成(こじまかずなり) 他
舞台装置について
オーケストラピット中央と両端に、24型テレビモニターを3台、天端を舞台と面一に設置する。中央のテレビの台座には、舞台から客席に降りられるように階段を設ける。さらに客席ほぼ中央の列にテレビを2台、オーケストラピットのテレビと画面が重ならぬよう互い違いに設置し、舞台上にも役者が向かい合って腰掛けられるよう座面と背もたれを作ったテレビを2台、オーケストラピットの中央のテレビをはさみ込んでソファーのごとく配置する。
ホリゾントの手前には、上半分を窓に模した腰壁を切出しで作り、雑踏、喫茶店、並びに居間との違いを、引幕の覆い方、及び小物によって表現する。
第1幕 雑踏
薄い引幕を透過した照明がオレンジ色から濃紺に変わると、ぽつりぽつりとランダムに点る白色灯が街の模様を描き出す。やがて車の走行音と人々が思い思いに話す会話が聞こえ、引幕越しにその影を落とし始める。
街に夜が来たのだ。
セラフィム 君は生きている。ただ、自分の存在を現在にとどめたに過ぎない。
幕が上がる。
路上を行き交う人々をハンディビデオカメラで追う、頭に銀色のヘアバンドをつけた怪しげな老人が浮浪者のように道端に座っている。セラ老人である。
しばらくすると下手から、何か考えごとをするかのようにうつむいて歩くナオコが現れる。歳のころ20代後半で、小綺麗な格好をしているがどこか地味である。
セラ老人はナオコをカメラで追うと急に立ち上がる。
セラ老人 ちょいと待たれよ、お嬢さん。
通行人はすべて動きを止め、ナオコとセラ老人のみがスポットライトに照らされる。
テレビモニターにはナオコの顔が映る。
ナオコ 私、ですか?
セラ老人 あなたにしかスポットが当たってないから分かるであろう。もちろんあ
なたのことじゃ。(ナオコにカメラを向ける)
ナオコ 何?
セラ老人 上から82、62、83。どうやら幼児体型を気にしているようじゃの。
ナオコ 当たってる! さては高名な占いの先生?⋯⋯って変なスカウトや勧誘
はお断りします。
セラ老人 冗談じゃよ。本当のことを言ってもあまり信じてもらえぬのでな。お嬢
さん、わしの正体を知って驚くでないぞ。
セラ老人が上着についているひもを引っ張ると背中に翼が現れる。そしてヘアバンドに手をかけゆっくりはずすと、頭上にヘアバンドが浮いてしまう。
ナオコ キューティクルが動いた!
セラ老人 驚くところが違うじゃろ! 頭上の輪に背中の翼、これでも何だか分か
らぬか?
ナオコ ⋯⋯エンゼルマーク? どっちかというと私、ピーナツよりキャラメル
味が好き。
セラ老人 わしはおもちゃの缶詰などプレゼントせんわ。どこからどう見ても天使
じゃろ!
ナオコ 天使のくせにチョコボールを知ってるなんて。⋯⋯やっぱり怪しい。し
かも時々口パクと音がズレるし。
セラ老人 演出上仕方がないのじゃ。天使が普通の人々に憑依している設定じゃか
らの。できることならわしだってこんな年寄りの声は演りたくないのじ
ゃ。本当はもっと可愛い声なのよ(木村、地声で)。分かってもらえる
かのう?(ナオコ呆れている)無駄に時間が過ぎているようなので先に
進めるぞ。いいかげん止まっているみんなも疲れてきてるじゃろ。お嬢
さん、何をそんなに思い詰めているんじゃ?
ナオコ 思い詰めてるだなんて。⋯⋯ただ人を捜しているだけです。
セラ老人 人を捜しているだけ? そんなあんたにラッキーチャンス! あんた、
神様になりませんか?
ナオコの動きが止まる。
モニターの画面が消える。
通行人、何ごともなかったように動き出す。
(暗転)
第2幕 喫茶店
中央のテーブルに向かい合い、1組のカップルが和やかに会話を楽しんでいる。
男性の名はナイトウ。20歳前後の学生で、ジーパンにシャツを入れている格好がどこかあか抜けない。
女性の名はイクミ。ナイトウと同じ歳ごろだが、上品でシックな出で立ち。
下手側のテーブルには新聞を読んでいるスーツ姿の会社員。
下手からウエイトレスが現れ、会社員のテーブルにコーヒーを置き去っていく。
上手側のテーブルからナイトウとイクミの様子を盗み見る男がいる。30歳くらいだと思われるが、大胆に原色を使ったサイケ調の服装が妙に目立っている。タダである。以後、タダの台詞が入るごとに、他の出演者の動きと音楽はストップする。
ナイトウ ⋯⋯でどうする? 次の休み。
イクミ えー、ナイトウ君は?
ナイトウ 品川の水族館なんてどう?
イクミ えっ、やだ。(慌てて笑顔を作り)こないだ行ったの。ごめんね、わが
まま言って。
ナイトウ 別にいいんだけどさ、誰と行ったの?
イクミ (動揺を隠せず)友達。
ナイトウ ⋯⋯。
タダ なるほど。彼は彼女の数いる男友達のひとりに過ぎないんだ。しかも彼
自身そのことを分かっている。いいね。友達と聞かされた時のやるせな
い表情。男のやせ我慢イキに見えるね。よっ、カサブランカ・ダンディ
ー!(ナイトウ、さり気なく客席にアピール)でも本当の切なさに彼は
気づいていない。彼女が自分の気持ちに距離をとって、好き嫌いをわが
ままと言ったことだ。何でも言い合える仲になりたいのに、彼女はいま
だ心を開いてくれない。
ナイトウ イクミの好きなとこでいいよ。
イクミ ⋯⋯海がいいな。
ナイトウ 寒くない? 何も遊べないよ。
イクミ そうかなあ。
タダ 諦めるはずがないだろうな。
イクミ ねっ、千葉の九十九里は?
ナイトウ (ムッとして)海じゃん。
イクミ 違うの。テニスコートがあるところに行きたいの。
ナイトウ テニス?
イクミ やっぱ運動しないとね。私最近デブだからさ。
ナイトウ 本当に?
イクミ 嫌ならいいよ。私別にどこだっていいし。ナイトウ君が好きなところで
いいって言ったんじゃん。海なら連れてってくれる人いるしね。
タダ 彼女いまのは効いたよ。言い換えれば私のこと好きなの隠喩バージョ
ン。メタファー利かせたその態度、悪女だね。(イクミ、客席にアピー
ル)
ナイトウ テニス、やろうか。
イクミ 本当? 決まりね。ナイトウ君のために痩せちゃおうかな。
ナイトウ 俺は別に充分だけど。
イクミ そんなことないよ。
ナイトウ イクミより太ってる子、たくさんいるよ。
イクミ 絶対そんなことないよ。
タダ むかつくな、この女。内面的にも外面的にも褒められることをいちいち
否定する子がいるが、それは相手の価値観を否定することだろ。自分が
綺麗か汚いかなんて、他人の価値観に基づくものなんだから自分で決め
ることじゃない。言うなれば、あなたの美意識より私の美意識の方が上
よって馬鹿にされているようなものだ。決して遠慮や照れで言ってるん
じゃないぞ。彼氏、君は馬鹿にされている。言いたいことをズバッと言
うべきだ。これ以上その女を調子に乗せてはいけない。いけっ、彼氏、
男の優しさ見せてやれ!
ナイトウ ⋯⋯本当に、俺のため?
イクミ うん。だってナイトウ君の前で、私ずっと綺麗でいたいもの。
ナイトウ いまだって充分綺麗だよ。
イクミ ううん。ナイトウ君にはもっと綺麗な子が似合うんだもん。私いまより
ずっと、ナイトウ君に好きになって欲しいの。
ナイトウ これ以上好きになれないよ。
イクミ ばか。(いちゃつく2人。以後、タダの台詞が入っても止まらない)
タダ 話が違うぞ! こら、そこの男。何が(真似をする)これ以上好きにな
れないよ。ふざけるな。お前はここでビシッと言ってやらなきゃいけな
いんだよ。僕の話を聞いているのか? 君たちは汚い。本当はすべて分
かっていながら僕をからかっているんだろ。君たちの本当は一体どこに
あるんだ? そうだ描けば分かるじゃないか。僕は君たちの本当を暴か
なければならない。(2人に近づく)ちょっと話を聞いていただけます
か?
ナイトウ 何?
イクミ 変な人だよ。
ナイトウ 危なそうじゃん。
タダ 危ない奴と見えるのなら危ない奴なのでしょう。変な人と見えるのなら
変な人なのでしょう。僕は画家のタダというものです。(怪訝そうな2
人)ま、お近づきのしるしに、これ、つまらないものですが。
タダがポケットから取り出した薄汚れたミニカーを、イクミ、何となく受け取ってしまう。
ナイトウ それは、何?
タダ あなた方の目には、おそらくゴミと映っているこの物体は、僕が街で見
かけた、心に残るくだらないものです。
ナイトウ ふざけるな!
タダ まあ聞いて下さい。駅前通りにおもちゃ屋さんがあったでしょ。その店
の前でですね、子供が駄々をこねて道端に座り込んでいたんですよ。何
か母親に買って欲しいものがあるのでしょう。ショーウィンドーの前を
離れません。泣くなりわめくなり色々試してはみたのですが、結局母親
が強引に連れていってしまいました。幼いころのああいう思いって、大
きくなっても結構残るものでして、かく言う僕も、ついこの間、ラジコ
ンとゲイラカイトを買ってしまいました。
しばしの間。
イクミ それで、あの、これと何の関係が⋯⋯、
タダ 分かりませんか? それはむくれた子供が腹立ち紛れに投げ捨てたもの
ですよ。
さらなる間。
タダ あの時の子供の無念な気持ちがですね、このゴミの中に詰まっているん
ですよ。何よりも見逃してはいけないことは、子供自身がおもちゃを欲
しがったのにもかかわらず、おもちゃに対し憎しみを持ったことだ。確
かにそのミニカーはあの子の欲しがっていたおもちゃと違う。でもね、
僕は思ったんです。人は愛することを拒まれると、その対象でさえ壊し
てしまう。
ナイトウ 考え過ぎだよ。まあ人はそんなものかもしれない。でもさ、社会に順応
していくためには、時には我慢が必要だと覚えていくの。大体まだ子供
だったんでしょ?
タダ 我慢、とは何なの?
ナイトウ そういった欲望とかを発散しないで抑えることだよ。
タダ どうやって抑えるの?
ナイトウ ⋯⋯だからさ、いま欲しいけど、今度にしようかとかもっと別なもので
代用するとか。何て言うかな、気持ちを、ほら、すり換えたり延期した
りしてさ。
タダ その時思う気持ちと、次に思う気持ちが同じとは限らないじゃないか。
ナイトウ 違ったってその時はやり過ごせるだろ!
タダ それではせっかく産まれた気持ちが可哀想だ。
ナイトウ うるさいな! いいんだよそれで。大体何なんだお前は。いきなりどう
でもいいこと話しかけてきて。用がないならもう俺たちに近づくな!
タダ (悲鳴を上げる)⋯⋯すまない悪かった。少し興奮してしまった。お願
いだ、僕を拒絶しないでくれ。僕が壊れてしまうよ。
ナイトウ 気持ち悪いんだよ。
イクミ ナイトウ君。もうちょっとだけ聞いてあげようよ。何だか悩んでるみた
いだし。
タダ ああ苦しい。喋りたいー。
ナイトウ こういう奴はつけ上がるだけだぜ。
イクミ 話すだけ話せば楽になると思うの。ね、ナイトウ君。
ナイトウ ⋯⋯だから、このゴミがどうしたんだ。
タダ 価値があるものなんです。
ナイトウ 俺にはないよ。
タダ あなたは冷たい人だ。
ナイトウ、激怒して立ち上がる。それを必死に止めるイクミ。
タダ ゴミにも冷たければ僕にも冷たい。
ナイトウ 1発だけでいい。殴らせてくれ。
イクミ お願いやめて! 追い出されちゃうよ。
自制できるぎりぎりまで荒れるナイトウ。
上手からきょろきょろしながらナオコが現れる。タダを見つけて足を止める。その後ろからセラ老人、上手の袖からカメラのファインダー越しに様子を窺う。
ナオコ あなた!
タダ おー、マイハニー。ナオコプリーズ。(手招きをする)
とまどうナイトウとイクミ。ナオコ駆け寄る。
ナオコ 突然いなくならないで下さい。捜したんですよ。
タダ いいモデルが見つかったんだよ。
イクミ モデル?
ナイトウ そういえば画家って言ってたな。
ナオコ もしかしてこの、小生意気そうな女と甲斐性なさそうな男のこと?
イクミ 小生意気そうですって?
イクミとナオコ、ガンのつけ合い。
ナイトウ まあまあ落ち着けよ。
イクミ いまの言葉取り消していただけますか?
ナオコ あら、その勝ち気な顔。私が言ったこともあながち間違いではなさそう
ね。
イクミ 何ですって?
掴みかかりそうなイクミ。
ナイトウ必死に止める。
イクミ 放しなさいよ。この甲斐性なし!
ナイトウ イクミもそう思っていたのか?(床に崩れ落ちる)
タダ (イクミとナオコの間に入り)ぜひ君たちの絵を描かせてくれ。(ポケ
ットからメモを出しイクミに渡す)その気になったらここに連絡して欲
しい。君たちは本当は分かっているはずだ。誰かから価値を貰わなけれ
ば意味がなくなることを。だから自分に意味を持たせようと、愛する前
に愛されようとしている。君たちはまだ恋人同士ではないんだろ? 互
いに愛する気持ちを拒まれることを怖れているように見える。愛された
い期待だけが2人をつなぎ止めているんだ。本当は分かっているはず
だ。我慢なんてできない。あの子供のように、愛しても愛されなきゃ相
手を壊してしまう。あまりに傲慢なほどに、自分の価値だけが、自分の
意味だけが欲しいんだ。絵というものは不思議なものでね。(イクミを
指で四角く囲む)こうやって目の前の空間を切り取るだけで、いままで
見えなかったものが見えてくる。ほんの少し優しくなって、価値や意味
をつけてあげるんだ。僕は君たちの優しさを描きたい。連絡、待ってい
るよ。
上手へ去っていくタダとナオコ。
セラ老人 あやつ、どこかで会ったような?
タダを追って上手に去る。
取り残されたナイトウとイクミは呆然としている。
ナイトウ ⋯⋯たぶん俺たち馬鹿にされたんだよな。
イクミ (愛嬌よく)私、モデルやるわよ。⋯⋯(表情が一変)あの女にひと言
言わなくっちゃね。
下手のテーブルの会社員、ナイトウに近づく。
会社員 あの、ちょっとすいません。
イクミ また変な人?
会社員 いえいえ。そのミニカーを見せていただきたいのですが。
ナイトウ えっ、これ? 別にいいですよ。っていうか、何だったらあげますよ。
会社員 本当ですか?(ナイトウの手からひったくるように)あー、やっぱりそ
うだ!
ナイトウ どうしたんですか?
会社員 昭和37年製の幻といわれる車種ですよ! しかもレアカラー! あり
がとうございます。あなたたちのことは一生忘れません!
上手にスキップで去る会社員。
再び呆然としているイクミとナイトウ。
(暗転)
第3幕 居間
中央のテーブルの上にはポットや紅茶の入ったカップが置いてあり、向かい合って座っているタダとナオコは穏やかに談笑している。
ここはタダとナオコの家である。部屋にはゴミのような家庭電化製品や原形の分からない物体がオブジェのように飾られている。
ナオコ あの2人、昔の私たちに似てたわね。
タダ そうかい? 昔の僕はあんな風に君の気を引こうとしてたのか?
ナオコ 一生懸命だったわ。誕生日に花を贈ってきたり、クリスマスイブに高い
レストランを予約してたり。いま思うと馬鹿みたい。私が本当にして欲
しいことなんか考えもしないで、ましてやあなた自身がそれ を望んで
るわけでもないのに。
タダ 確かにそれは愚かだな。君の言い方だと記憶をなくしたいまの方がいい
みたいに聞こえるよ。
ナオコ 記憶は戻って欲しいのよ。でもいまのあなたは、何て言うんだろ? 気
持ちが分かりやすくて素直に好きになれるのよ。ただ違うのは私だけを
愛してくれていないこと。
タダ すまないと思ってるよ。君がそばにいてくれているのに、僕は君に愛さ
れる自分が分からない。なくしたのは記憶だけじゃなくて、自分自身が
どういう人間なのかもなくしてしまった。人によって僕の印象が違うよ
うに、人の数だけ僕もたくさんいて、どれが本当の自分なのか見当もつ
かない。ただ僕にできることは、その時思った気持ちをそのまま表現す
ること。そうすることでしか僕は自分が生きていることを確かめられな
いんだよ。
ナオコ 私にも思ったことを素直に言う癖がついたおかげで、あの子には言い過
ぎちゃったわね。
タダ その時思った気持ちを表現しないと、せっかく産まれた気持ちが可哀想
なんだ。
ナオコ そのせいで、私ひどい女だと思われてるわ。
タダ 悪意はないんだ。悪く受け止めるのなら、本人にも少なからずそういっ
た意識があるのだろう。何にせよ、君が思ったことも真実だし、あの子
が受け止めたことも真実なんだよ。
ナオコ 真実ってひとつだけかと思ってたけど。
タダ そのことで少し思い出したことがあるんだ。⋯⋯ぽわんぽわんぽわ
ん⋯⋯。
タダが指を鳴らすと、下手から子供がクレヨンで描いたようなお面をかぶった体操服姿の小学生が5人、それぞれ椅子を片手に現れる。そしてタダの後ろに1列に並び椅子に腰掛ける。
タダ 僕の思い出ブラザーズです。空想上のことなので一応分かりやすくして
みました。
ナオコ ずいぶんデッサンが狂ってるわね。
タダ 子供のころを強調したい演出上の理由らしいよ。まあリアルな顔だと余
計気持ち悪いだろうけど。
思い出 (全員で)僕たち子供です!
ナオコ 充分気持ち悪いわよ。
タダ あれは幼いころの伝言ゲーム。たまたま気にかけてた子が後ろの席で、
伝える言葉は「先生はみんなが好きです」。
タダ、後ろを振り向くと顔をしかめる。後ろの女の子の顔がえらく不細工に描いてある。
タダ 意識が高じて形容動詞だけを選んでしまい、ゲームを忘れて早口で囁い
た。
ナオコ 好きですって?
タダ 何か抵抗があるけど。⋯⋯好きです。
思い出 好きです。(順に最後尾まで繰り返す。最後の子供はエコーのようにフ
ェイドアウトさせる)
タダ もちろん彼女は返事なんてくれないで、次の生徒に同じ言葉を続ける。
僕の本当の言葉はゲームでは間違いで、気持ちをなくしたまま最後尾ま
でこだました。
ナオコ なくした気持ちはどこにいったの?
タダ どこにも行きやしないさ。何年経ったいまでも僕の周りに浮いている。
成仏できない魂のように。あるいは誕生を待つ胎児のようにね。
ナオコ 自分が考える本当は、場合によっては本当ではないってことね。
タダ そうだよ。考えてみれば当たり前のことなのに、その当たり前の中にな
くしたものが僕たちにはいっぱいあるんだ。こうした思い出も含めて、
誰かに伝わらなかった言葉や気持ちはずっと僕の周りで再び誰かに届け
られる瞬間を待っている。僕が絵を描くのもそんな理由からかもしれな
いね。絵を描けばなくした気持ちが誰かに届けられるような気がするん
だ。本当の自分を見つけられる気がする。⋯⋯下がって良し。
思い出ブラザーズ、下手に行進するように消えていく。
去り際に不細工な女の子、タダに投げキッス。
タダ (身震いしながら)なぜだろう、せっかくの思い出が汚されたような気
がする。
ナオコ 私を思い出す時はもっと綺麗に描くのよ。
タダ 分かった。美術スタッフに言っておくよ。
ナオコ そういえばあなた、私今日、天使に会ったわよ。
タダ とてもじゃないけど思い出したかのように言う話題じゃないな。
ナオコ だって見るからに怪しそうな人だったから。あなたが記憶をなくしたの
も天使を見たって言い出してからだし、ついでに教えておこうかと思っ
たの。
タダ どんな人だったの?
ナオコ お年寄りだったわ。頭に輪っかがついていて、あと背中にも翼がついて
たわよ。
タダ 僕が見た天使にも輪っかと翼があったけど、たぶんにせ者だよ。あの時
出会った天使は中学生くらいの女の子だった。
ナオコ そうよね。宗教関係の人じゃないかしら。神様にならないかなんてわけ
の分からないこと言ってたし。
タダ 神様?(考え込みながら紅茶を飲み干す)
ナオコ (カップとポットをお盆に乗せながら立ち上がり)先に休むわね。あな
たも無理しないでよ。
ナオコ上手に去っていく。
歩いて上手の袖まで見送るタダ。
ナオコ あの子たち、来るといいわね。おやすみなさい。
タダ きっと来るよ。おやすみ。
下手からセラ老人、音も立てずに現れタダが座っていた椅子に腰掛ける。
タダ 神様か。あの時の天使も同じことを言っていた。
タダ、セラ老人に気づき足を止め、不審な表情を浮かべ何度か目をこする。しばらくして目の前のものが幻覚だと自分に言い聞かせるためか無理に笑顔を作り歩き出す。
タダ、笑顔のままセラ老人の膝の上に腰掛ける。
タダ (実在の人間だと分かり表情が強ばる)ここは僕の家ですよ。
セラ老人 とりあえずどいてくれんかのう。
タダ (そのままの姿勢で)あなた何者ですか? 場合によっては警察を呼ば
なければなりません。
セラ老人 おまえに会うのはこれで2度目じゃ。思い出せんか?
タダ なにぶん記憶喪失なもので。
セラ老人 ヒントだそうか?
タダ ご自由に。
セラ老人、タダの目の前に両手を出し、指で10と4を交互に作り何度も繰り返す。
セラ老人 分からぬか? ほれ。
タダ 14万円出せ?
セラ老人 違う。
タダ 動くな。動くと撃つぞ?
セラ老人 違う。
タダ 何じゃこりゃあとブッチャーの突き?(ここのやり取りはアドリブで変
えても結構です。よいボケが思いつかなかったもので)
セラ老人 会場が分かりづらい答えはやめんか。ほれ、テンとシで天使じゃろ。あ
のころはわしも子供の体だったから思い出せんのかもしれんが。
タダ ああ、あの時の天使さんですか。(ほっとした顔で)おどかさないで下
さいよ。どうも久しぶりです。(そのままの姿勢で頭を下げる)
セラ老人 (苦痛に顔を歪ませながら)分かったならどいてくれんか?
タダ (慌ててセラ老人から離れ)すいません。気が動転してしまって。
セラ老人 まあよい。久しぶりだな。いま何をしているのじゃ?
タダ 絵を描いてます。あの時せっかく神様になるよう勧めていただいたのに
結局神様になれなかったので、いまは絵を描くことで色々なものに価値
や意味を与えているのです。
セラ老人 神様になったつもりでか?
タダ ええ。記憶のなくなった僕にできることといったらそれぐらいしか思い
つかなかったのです。天使さんは何をしに来られたんですか?
セラ老人 わしか? わしは相変わらず神様のスカウトじゃよ。
タダ そういえば僕の妻が天使さんらしき人に神様にならないかと言われた
と。
セラ老人 聞いてるなら話が早いな。そうおまえの妻をスカウトしに来たの じ
ゃ。
タダ 神様になれなかった僕ですが、ひとつ質問していいですか?
セラ老人 いいぞ。
タダ 神様になったらいままで通り妻は僕のそばにいられるのですか?
セラ老人 それは無理じゃな。人間界には降りてこられん。
タダ 僕はひとりになるってことで?
セラ老人 その通りじゃ。物分かりがよくて結構、近いうちに正式にお伺いする
ぞ。
タダ せっかくですがお断りします。妻も了承した話でもないので。
セラ老人 そう言われてもな。おまえの妻の魂はもうなくなりかけているんじゃ
よ。
タダ 魂がなくなる? なくなったらどうなるんですか?
セラ老人 自動的に神様になる。おまえが何をしてもこれだけは変わらずな。
タダ それじゃあ僕はなぜ神様にならなかったのですか?
セラ老人 だから魂がなくならなかったのじゃよ。確かにわしがおまえに会った時
はなくなりかけていた。ただなくなる寸前におまえの魂は回復したのじ
ゃ。
タダ それはどういう理由でですか? それが分かれば妻は神様にならなくて
済むんですね?
セラ老人 もちろんそうじゃよ。でもその方法は、
タダ その方法は?
セラ老人 知ってるけど教えなーい。
タダ いいじゃないですか。教えてくれても。
セラ老人 教えたらわしは天使の資格を失い、消滅してしまうからのう。もっとも
教えたところで、いまのおまえにできるかどうか。
タダ 天使さん。
セラ老人 何じゃ?
タダ 消滅しちゃいましょうよ!
セラ老人 嫌じゃよ。ただでさえ次の体を探さなければならぬのに。ひとつヒント
を言うと思い出すことじゃ。おまえが魂を失いかけた時、周りで何が起
こったか。
タダ ワンモアヒント!
セラ老人 ここまでじゃ。近々お伺いするぞ。最後に、
タダ ⋯⋯。
セラ老人 おまえのやっていることは神様のやっていることとは違うぞ。⋯⋯それ
ではアパラパー!
セラ老人、下手から去る。
タダはゆっくりひざまずき、絶望したかのように両手を顔の前に掲げる。
タダ (深刻な表情のまま指で10と4を作りながら)なるほどねー。
(暗転)
第4幕 居間
呼び鈴が鳴る。
照明が点り、上手からイクミがさっそうと現れる。
部屋は前幕のまま中央にテーブルをはさんで椅子が2つ。
タダ (笑顔で迎える)よく来てくれたね。ひとりなの?
イクミ いいえ。もうすぐ彼も来るはずなんですけど。
タダ まあ座って。お茶でも入れるから少し待っててね。
タダ上手から出ていく。
イクミ、上手側の椅子に座り部屋の様子を見渡す。
ナイトウ 失礼します。
ナイトウ、ぜいぜいと息を荒くして現れる。両手で巨大なスーツケースを引きずりながら。
ナイトウ おいてかないでよ。あまりの重さにさっき信号渡りきれなくて車に轢か
れそうになったよ。
イクミ 男の人だからそのくらい平気かと思った。
ナイトウ 一体何が入ってるの?
イクミ 全部服よ。
ナイトウ いくらなんでも多過ぎない?
イクミ だってモデルなんて初めてだし、綺麗に描いて欲しいじゃない。どんな
服がいいか決められなくって。ひょっとしてナイトウ君怒ってる?
ナイトウ 怒っちゃいないけどさ。
イクミ 本当? 私ナイトウ君の優しいところ好きよ。
ナイトウ そうかな。(嬉しそうににやけている)
上手からタダとナオコが現れる。ナオコはお盆にお茶を乗せている。
ナオコ あら、いらっしゃい。すごい荷物ね。まさか夜逃げの途中とか。
イクミ (不機嫌そうに立ち上がる)おじゃましてます。どんなイメージで描い
ていただけるのか分からなかったもので、衣装をたくさん持ってきたん
ですけど。
ナオコ たぶん何着ても変わらないわよ。
イクミ それって褒めていただけたのかしら。
ナイトウ そうだよ。イクミは何を着ても似合うから。
ナオコ そう受け取ってもらっても構わないわよ。
ナオコの微笑みにイクミは作り笑顔で返す。
変な緊張感にあたふたしているナイトウ。
タダ 積極的で嬉しいよ。でも僕が描きたいのは君の内面だから、申し訳ない
けどそのままの格好で描かせてもらってもいいかな?
イクミ もちろんいいですよ。いちいち着替えるのも何だか面倒だし。
ナイトウ 持って帰るの俺だしね。(大きくため息をつく)
イクミ ごめんねナイトウ君。(上目遣いで)
ナイトウ 平気平気。体鍛えようと思ってたから丁度いいや。よく見たら運動器具
に見えてきたよ。上腕二頭筋を鍛えたいあなたに、新製品のアブスーツ
ケースをどうぞ! 何てね。
誰も見ていないのに気づき、再びため息をつくナイトウ。
タダ さっそくアトリエの方に行かないか? 話をしながらイメージを固めよ
う。
イクミ 分かりました。何だか楽しみです。
タダとイクミ、下手から出ていく。
ナオコ (上手側の椅子に座って)あなたもお座りになって。お茶でもどうぞ。
ナイトウ はあ。(肩を落としながら下手側の椅子に座る)
ナオコ ごめんなさいね。私も悪気があってこういう言い方してるわけじゃない
のよ。
ナイトウ こちらこそすいません。なにぶんちょっと勝ち気なところがありまし
て。
ナオコ お互い様ね。私も勝ち気だから。
ナイトウ ええ。
ナオコ はい?
ナイトウ いえ、そういうつもりで言ったわけじゃなくって、何て言いますか、あ
の、
ナオコ (笑いながら)いいのよ。私は思ってることを思ったまま口にするよう
にしてるの。だからあなたも遠慮なく言って下さらない?
ナイトウ えらい勝ち気ですね。
ナオコ そう、あの子を見てると昔の自分を見てるようだわ。うちの人も昔はあ
なたみたいだった。
ナイトウ 俺は、どちらかと言えば普通な方で、タダさんは失礼ですが変わってい
る方に入るような気がしますけど。
ナオコ 昔は違ったの。私のことが本当に好きで、私の気を引こうと何でもして
いたわ。私がミュージカルが観たいって言ったら、興味がないくせにチ
ケット取ってわざわざそのミュージカルの勉強までして、私、そんなに
興味はなかったんだけどね。バレンタインデーに義理チョコあげたら馬
鹿みたいに喜んでたな。
ナイトウ でも奥さんも好きだったんじゃないんですか?
ナオコ それがそうでもなかったのよ。私のこと気を使ってくれるのは嬉しかっ
たけど、逆に私に対して何を思っているのかが伝わらなかったから、こ
の人を好きだなとは思えなかったの。
ナイトウ 頭の痛い話ですね。
ナオコ あなたはあの子のどこが好きなの?
ナイトウ どこって、⋯⋯全部かな。一緒にいてくれるだけで嬉しいって言うか、
まあ正直言うとよく分からないんですよ。俺、高校の時の部活が男だけ
で、
ナオコ 男らしくていいんじゃない。
ナイトウ 茶道部だったんですけどね。
ナオコ 何で?
ナイトウ 男らしく道を極めたかったんですけど運動するのはかったるくて。
ナオコ 何て後ろ向きな。⋯⋯女の子もいたんじゃないの?
ナイトウ 入ったら先輩3年生だけで、1学期でいなくなっちゃったんですよ。結
局俺と友達3人だけで女っ気ないまま3年が過ぎてしまい、むなしかっ
たですよ毎日。男3人で畳に正座して、黙ってお茶を飲むんです。なか
なかよいお手前で、何て言いながら。お互い顔を見合わせるとたまに涙
目の奴がいるんですよね。女の子と和気あいあいに楽しく高校生活を過
ごす予定が⋯⋯、
ナオコ 辞めればよかったのに。
ナイトウ それが俺たちが辞めたら廃部になるって顧問に泣きつかれまして辞める
に辞められなくなり、気がついたら女子から気持ち悪いって言われる始
末。たぶんそれがトラウマになったんでしょうね。大学入ってイクミと
知り合ったら普通に相手してくれて、それだけで嬉しくなっちゃって、
⋯⋯ひと目惚れしちゃったんですよ。だから好きなところって聞かれる
と、何でも許せちゃうって言うか、やっぱり全部好きって答えるしかな
いんです。
ナオコ 自分が愛されたいから誰かを愛する。
ナイトウ そう言われたら元も子もないですけどね。
ナオコ 否定してるわけじゃないの。あなたは間違っていないわよ。昔の私は愛
されることが当たり前だと思ってた。それが本当の自分を相手が見てく
れてなくっても、誰かが自分を見てくれるのは当たり前のことだった。
でもね、いまは違うの。愛することは簡単だけど、愛されることは難し
いって。私もたぶん愛されるために、いまあの人を愛してる。
ナイトウ 結婚してるのにまるで愛されていないみたいな言い方ですね。
ナオコ あの人は私を愛していないわ。ただ目に映っているだけ。
ナイトウ だって昔は愛されていたんでしょ?
ナオコ ⋯⋯あの人は、そう5年くらい前から突然画家になるって言い出した
の。それまではごく普通の会社員で、真面目に仕事をして休みになると
私を誘って色んなところに連れてってくれたわ。もちろん私がどこ行き
たいあそこに行きたいってわがまま言ったんだけどね。それがある日、
いまでも口癖のように言うけど、僕は天使を見たって言い出して。それ
までの記憶をなくして会社も辞めて家に閉じこもり、決して完成される
ことのない絵を、来る日も来る日も描き続けている。まるで私に興味が
なくなったように気を引く素振りも見せなくなった。たくさんの病院を
廻ったけど原因が分からなくって、世間の人や両親までも気が狂ったと
決めつけたけど私はそう思わなかった。変わってからのあの人は、気持
ちが可哀想だって言って自分が思ったことを何でも口にし始めた。いま
まで私は気を使われているだけだったから、あの人の内面なんて分から
なかったし分かろうとも思わなかったのに、あの人が自分の心を素直に
口に出すようになって初めてあの人のことが分かるようになった。そう
したら急に好きになって結婚したの。でもねあの人は結婚の意味も知ら
ずにただ一緒にいるだけ。自分が愛されることが分からなくなっている
のよ。
ナイトウ 何て言ったらいいか。⋯⋯決して完成されることのない絵って何です
か?
ナオコ もうすぐ分かるわ。5、
ナイトウ 5?
ナオコ 4、
ナイトウ 4?
ナオコ 3、
ナイトウ 3?
ナオコ 2、
ナイトウ 2?
ナオコ 1。
ナイトウ 1?
イクミ キャー!
イクミ血相を変えて出てくる。
ナイトウ (イクミの肩を抱きながら)どうしたの? 何かされたの?
ナオコ 何もしなかったのよ。
タダ、哀しげな顔で現れる。
イクミ こっちに来ないで! 気違い!
タダ どうしたんだ? まだ何も見えてこないんだ。もっと君を描かせてく
れ。
ナイトウ 変なことしたんじゃないだろうな。
ナオコ だから何もしなかったのよ。その子に聞いてご覧なさい。⋯⋯あなた、
私が話しておくから向こうに行ってて。
タダ 僕は見たいんだよ。君たちの目に映る僕の姿を。
ナオコ、タダを連れ出し下手から去る。
ナイトウ 何かされたのか?
イクミ 違うの。最初は普通に世間話をしてて、しばらくしてから絵を描き始め
ようという話になったの。そうしたらあの人イーゼルに何も貼られてな
い木の枠だけのキャンバスを置いて、何も言わずずっと私を見てるの
よ。
ナイトウ 何もせず?
イクミ そう、手を動かそうともしなかったわ。だんだん怖くなって私⋯⋯、
ナオコ、部屋に戻ってくる。
ナオコ 黙っててごめんなさい。絵を描くっていうのは、あの人の妄想なのよ。
ナイトウ 妄想って、
ナオコ さっき私が言ったでしょ。決して完成することがないって。あの人は心
の中で絵を描いているつもりになっているだけ。
ナイトウ 騙していたのか?
ナオコ そうね。あの人は言ったわ。絵を描き続ければ本当の自分を思い出すか
もしれないって。だから私はあの人の妄想に賭けてるの。あの人に思い
出して欲しいのよ。私を愛したことを。
ナイトウ おかしいよ、あんたたち。
ナオコ その子も言ったじゃない。気違いだって。
ナイトウ、ナオコをにらみつけ、イクミを抱きかかえたまま上手から去る。
ナオコ 何とでも言えばいいわ。あの人を取り戻すことができるのなら⋯⋯。
(暗転)
第5幕 喫茶店
中央のテーブルをはさんで上手側にナイトウ、下手側にイクミが座っている。
周りには学生やらサラリーマンやら5人ほど客がいる。
イクミは具合悪そうにうつむいている。
心配そうなナイトウ。
ナイトウ 大丈夫?
イクミ ナイトウ君。
ナイトウ 何? 具合が悪いの?
イクミ 私の服、どうしたの?
ナイトウ 服って? あっ、あのスーツケース!
イクミ まさか⋯⋯、
ナイトウ ごめん。忘れてきた⋯⋯。
イクミ (顔を上げて)いますぐ取ってきてよ。
ナイトウ 行きづらいな。明日じゃ駄目?
イクミ ナイトウ君、私のこと好きなの?
ナイトウ 何でそうなるかなあ。
イクミ 当たり前じゃない。私、もうあんなところに行きたくないわ。
ナイトウ 俺だって行きたくないよ。そうだ、宅急便で送ってもらうとか⋯⋯。
イクミ 使えない人ね。
ナイトウ 使えないって、そういう言い方することないだろ。
イクミ 他の男の子なら取ってきてくれるもの。
ナイトウ 何だよ。イクミ、俺のこと何だと思ってるの?
イクミ 分からないわ。もう好きじゃないかもしれない。
ナイトウ 自分の都合だけじゃん。
イクミ 私のこと好きなら取ってきてよ。
ナイトウ そんなの違うだろ。あの女の人と一緒だよ。自分の都合だけで人を利用
するなんて。
イクミ 一緒にしないでよ。
ナイトウ 一緒だよ。イクミは俺のことなんか全然考えてないんだ。
イクミ (開き直って)そうよ。私、あんたのことなんか好きじゃないわ。あん
ただけじゃない、私が好きなのは私だけ。もういいわよ。私が取りにい
くから。
イクミ、席を立ち足早に下手から去る。
ナイトウ (慌てて立ち上がり)待てよ。そんなこと言わないでくれよ。俺は一体
何なんだよ。イクミ!
下手からセラ老人、ビデオカメラを構えながら現れる。
すべてのモニターにナイトウの顔が映る。
セラ老人 何が見える?
ナイトウ イクミ、行かないでくれ。俺を好きでいてくれよ。
セラ老人 何が見える?
ナイトウ イクミ、君が好きな俺はどこにいるんだよ。
セラ老人 何が見える?
ナイトウ 俺が見えないよ。
セラ老人 何が見える?
ナイトウ 俺が見えない。
ナイトウ、急に意識を失いその場に倒れ込む。
モニターの画面が消える。
セラ老人、カメラを下げナイトウを見下ろす。
セラ老人 もう自分を探さなくていい。これからはわしの翼になりその目に世界を
映し続けるのじゃ。
周りの客が一斉に立ち上がる。全員、手にビデオカメラを持っている。
無表情で彼らはナイトウを囲む。
セラフィム 君は生きている。ただ、自分の存在を現在にとどめたに過ぎない。
2、3度ナイトウの周りを廻ったセラ老人と客は、無表情のまま散り散りに去っていく。
しばらくすると夢遊病者のようにナイトウが立ち上がり、ゆっくりと下手から姿を消す。その手にはビデオカメラが持たされている。
(暗転)
セラフィムの翼 川辺 夕 @kawabe_yuu
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