空っぽの僕、失った君

 荒く息を吐きながら僕は独り、誰も居ない公園の東屋で項垂れていた。

 頭の中は疑問符でいっぱいだ。

 あの、『赤の他人』を見る母の眼は僕は初めて見た。


 意味が解らない。理解したくもない。

 まるで僕が最初から存在しなかったみたいじゃないか。


 そこでふと、携帯電話が手元にあったことを思い出した。普段は他人とのかかわりが面倒で電源を切っていたので存在さえ忘れていたソレ。

 僕だってそれなりに交友関係はあった。空虚ではあったけれど、話し相手くらいは居たはずだ。


 電話をかけて、あの友人にこの不思議な話を聞かせてやろうか。

 きっと大笑いして「お前は騙されているんだよ」と言ってくれるはずだ。


 大体、冷静に考えればおかしな話だ。

 自殺をしようとして飛び降りたら、喫茶店にいて、そこには外国人の女性が居て。家に帰ったら母が僕のことを忘れているなんて――普通だったら在り得ない。

 きっと事のあらまし的にはこんな感じなのだろう。僕なりに推理してみた。


 あの時、僕は自分で飛び降りたと思ったけれど、実際は飛び降りる前にあの外国人の女性に助けられた。それで、あの喫茶店で目を覚ましたわけだ。家に居た母はきっと僕の事を一時的に忘れているだけなのだ。きっとそうだ。


 そうと決まれば、さっそく友人に電話をしなければ。

 母の記憶が戻るまで家に置いてくれないかどうか話もしてみよう。今の僕の持ち物は携帯が一つだけだからだ。

 お金もないから、ホテルになんて泊まれない。


 僕は携帯の電源を入れ、連絡先のアイコンをタップした。


 我が目を疑った。


『登録件数:0』


 そこには無情にも、一件も連絡先が登録されていないことが分かる表示がされていた。


「え、壊れたのか?」


 一度電源を落として、もう一度入れてみる。

 連絡先をタップする。

 登録件数は0のままだ。


 何度も、何度も、その単調な作業を震える手で繰り返した。

 三回くらい繰り返したところで、コレは実は自分の物ではないかもしれない。と思い設定アイコンをタップして、持ち主を見てみた。


 けれど、手に収まっているソレは、間違いなく僕のものだった。

 その証拠に、ネットで保存した画像のデータやらは無事だった。


 おかしい点は尽きないが、とびっきりおかしいものを挙げてみよう。


 友人たちへの連絡先は消えていた。写真アプリのアルバムには、友人と撮ったはずの写真が消えていたし、実際にこの街の風景を写真に撮ったものですら消えていた。あるのは、ネットから落とした画像のみ。


「は、はは……」


 そんなこと、アリエナイ。

 ある訳がない。


 しかし、現実にはそれが起こっている。

 これは悪夢なんだ。

 僕はそう信じて、公園の東屋であおむけになって眠るしかなかった。


―――――


「おい、起きろ」


 聞いたことのあまりない声が、僕の事を呼びかける。

 なぜかそれは僕の意識を一瞬で覚醒させた。

 スッ、と頭に響くような声だったのだ。


「ここ、は」


 目を覚まして驚いた。

 あの和洋折衷の良くわからない喫茶店に戻ってきてしまっていたのだ。

 不可思議にもほどがある。


 僕を呼びかけた声の主は、不機嫌そうな顔で僕の向かいのソファに偉そうに腰かけていた。

 ここにきて、僕はもしかして、という気持ちだったソレを、形として発現させることにした。


「あなたが、僕の母の記憶や、携帯の中の連絡先まで消したんですか!?」

「違う」


 あっさりと、冷静に否定された僕は、頭に血が上る。

 理屈が合わない、お前のせいだ。などと散々言い散らかした。結構失礼なことも言ったと思うが、記憶があいまいだ。


 僕が正気に戻ったのは、言いたいことを全て言い終えて、喉がカラカラになってしまったときだ。


 そんな僕を見て、ピンクの髪の外国人女性は紅茶を一杯、僕に出してきた。

 アイスティーだ。

 飲めと言わんばかりに手をひらひらと振る彼女。なんだか自棄になって、僕は一息に飲み干した。

 ふわりと香る上質な紅茶の匂いも、今の僕の精神状態ではまったく意味をなさない。


「理由は、ただ一つだよ。槙野。お前が、自分で自分を消失させたんだ」

「意味が、わからない」


 小さな声で震えるように息を吐き出すと、やれやれ、と言った様子で彼女は話を続けていく。


「槙野は何か勘違いをしているようだ。いいだろう。説明してやる。

 君が成功した愚か極まりない行為の話し――自殺のことだが、その行為が何を意味しているのか、という話だ。自殺とは読んで字の如く。自らを殺す行為の事を言う。だから自殺した君と関係していた人物や物の記憶から、君と言う存在は消え去ったんだよ」


 いつの間にか彼女は自分の眼の前に用意されていたアイスティーを一口飲み、僕に相槌を求めてきた。

 けれど、彼女の言っている事の意味がわからない。

 自殺をしたから僕の関係していた人間や物の記憶が失われるなんて、そんなこと在り得ない。


「ありえない」

「……そう言い張るのもいいが、現実を見ろ」


 言われ、0件の表示が残る携帯に目をやる。

 自殺をしたから、記憶が消えた。記録が消えた。

 それでも僕のどうして、という感情はぬぐいきれない。いや、到底説明されても納得何ていかないだろう。

 それを見越した彼女は、言葉を重ねる。


「自殺とは、その何れも根本的な理由があり、その本質的には何かの感情から生まれる自然的な欲求の究極の着地点だ。

 普通の自殺をする人間であれば、辛いことから逃げるために自殺をするだろう。これを私の業界では『逃避の為の自殺』という。

 だが、君のは違う。

 君がしたのは、『空虚』故の自殺だ。そこには逃避もへったくれもない。ただの空っぽの行動原理だけだ。だから、死ななかったし、死ねなかった。代わりに君が残してきた記録や記憶はきれいさっぱり消えたわけだ」


 まるで、僕を怒るかのように。


「つまり君の自殺は、君の願望をかなえてくれたわけだろう?」

「そんなこと、あるわけない! 僕はこんなこと、望んじゃいない!」

「嘘だな。

 空っぽの自分が憎くて、何も残せない自分が嫌いだったんだろう?

 でも、今はどうだ?

 周りの人間からの記憶もなく、繋がるための手段もなく、君が君であると証明する者、物は何もない。

 だから、今の君は、君であって君じゃない。

 空っぽだった君、何も残せなかった君は死んだわけだ。


 おめでとう。君は君の思うとおりに死んだんだ。喜べよ」


 その言葉を聞いた瞬間、今までにないくらい、大きな声を出していた。


 ふざけるな。

 全員から忘れられるなんてそんな残酷な仕打ちがあるか。

 空虚で空っぽでも頑張って生きていたんだ。

 それが耐えられなくて死んだんだ。

 死んで、僕の意識は消えるはずだったんだ。

 こんな結末、望んじゃいない!!


 浴びせた言葉を聞いても、彼女は優雅に紅茶を啜るだけだ。

 僕の言葉が切れるまで彼女は僕の言葉に耳を傾けていた。

 数分、叫んだ。

 その後に、彼女は――恐ろしいまでの冷徹な声で、残酷なまでに冷酷な視線を、僕に浴びせる。


「なら、自殺何てすんじゃねぇよ。このバカが。

 自殺した後どうなるかなんて考えないで行動した結果だろう?

 いや、もっと言うなら自分が憎かったから自分を殺したんだ。そんなもの、殺人と同じだ。

 人を殺して、どうして楽になれるなんて思うんだ?

 甘い夢を見るのもいい加減にしろ」


 僕は、あふれ出る涙を抑えきれなかった。


 彼女は付き合いきれん、と言って喫茶店の奥へと消えた。


 ――全部、あの人の言うとおりだ。

 先何て考えているようで考えていなかった。

 自殺をする、という行為をどこか軽んじていた。

 具体的になんて考えずに、空虚だという理由だけつけて、それが許せなくて身を投げた。



―――――



 大声で泣いた。

 腹もいたくなったし、涙など枯れ果てた。

 今、僕は宙を見つめていた。


 これから、どうすればいいのか。


 そんなことばかりを考えていた。


 空っぽの頭が晴れやかになっていたからだろうか。

 影から覗き込んでいたその視線に気付いたのは、きっとそれもあったのだろうと思う。


 見えたのは、髪の長い、小さな女の子。

 無表情の彼女は、僕の向かいにあるソファの陰に半分隠れて、佇んでいた


「……」


 一瞬で、その瞳に吸い込まれた。

 空虚何てレベルじゃない。


 なにも、無い。


 その年の少女ならあるであろう、好奇心や未来への希望や喜びや悲しみや――そういった人間らしい感情何一つ、その瞳から感じることはできなかった。


 例えていうなれば――きわめて喪失に近い、『虚無』と言ったところか。


 数秒、見つめ合う。

 視線は一ミリもずれていない。

 瞬きすらしていない。


 そんな短時間のこと。


 けれど、僕はその瞳をなぜか、『羨ましい』と感じていた。


 その瞳に比べたら、僕の空虚なこの気持ちなんて、児戯に等しい。


 本物の虚無が、空が、そこにあったのだ。


 これが、僕――槙野結城と彼女――天宮桜との出会いだった。




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   序章 空っぽの僕、失った君 / 完

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魔術と君と空の僕 蒼凍 柊一 @Aoiumi

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