Secret World~世界は秘密に満ちている~

白鳥リリィ

Secret Manager

 僕は知っている。誰も知り得ないことを。僕だけしか知らないことを知っている。

 僕という人間は、何者かによって作られた存在だ。

 ここで言う『何者』は、親でも神でもない、別の何かを指している。

 そして、僕以外の存在──そう、この世界もまた甘い夢に過ぎない。

 空も風も身体も感情も友達も家族さえも、何もかもが中身のない、ただそこにあるだけの物体なのだ。

 この恐怖が、君には分かるだろうか。

 分かるはずもない。だって君は、このことを知らないのだから。

 ──風が足掻く。僕を歩かせまいと、力いっぱい対抗してくる。

 そんな風には悪いけれど、僕はもう決心したのだ。

 ……結局、最期まで僕に寄り添ってくれたのは、友でも親族でもなく、名も知らぬ風だった。

 所詮は、その程度の人生だったのだ。

 僕の生涯はちっぽけだった。そのことは認めよう。だが、僕の全てを無意味に終わらせる気なんてこれっぽっちもない。

 ──僕は作者に挑戦する。死という罪を以て、お前に抗ってみせる。

 右足を前に出す。身体が前に傾く。

 走馬灯は見えなかった。当たり前だ。この世界と走馬灯の間に、差なんて存在していないのだから。言ってしまえば、僕の歩んだ人生こそが走馬灯だ。

 さあ、さくしゃよ。この状況を、お前はどう打破する? どう抵抗する?

 ……とびきり強い風が吹いた。

 僕の身体うつわは、ビルの屋上で尻餅を付いていた。

「まったく……誰の赦しを得て、自らの命を絶とうとしているのですか、あなたは」

 声がした。いや、そんなはずはない。だってここには、ずっとずっと僕しかいなかったじゃないか。

「あなたしかいない世界なんて、この世のどこにも存在していませんよ。あなたは常に、作者わたしに監視されているのですから」

「君は、何者なんだ……?」

 この質問に、意味なんてなかった。強いて言うなら、冥土の土産として面白い話を持っていきたかった。それだけだ。

「私は、高次元AIのFoO──通称フゥです」

「エリートAIさんが、どうしてただの一般人の前に姿を現したんだい?」

 僕は、どこからどう見ても普通の女の子にしか見えないAIに、そう話し掛けた。

 どこからどう見ても同年代にしか見えない少女は、聞かれたことを淡々と語り始める。

「我々高次元AIは、一対一で人間を見守るようプログラムされています。つまり、私はあなた担当のAIということになりますね」

 僕は、高次元すぎる彼女の説明に頭を抱えた。いや、説明された内容自体は、高校生にもなれば理解できる範疇だ。

 僕が分からなかったのは、その方法と目的だ。

 誰が、どうやって、何のために人間なんかを監視し、管理しているのか。そんなことに、どんな意味があるのか。

 ……この意味をまるで理解できないのは、僕が死と向き合ってしまったからなのだろうか。

 死を求めた僕は、死を奪ったフゥに嫌みなことを言ってやった。

「なら、このまま放っておいてくれないかな。僕は、創造主さくしゃに抵抗するという夢を叶えられるし、君は僕みたいに面倒なやつのお守りをしなくてよくなる。お互いのためになるとは思わないかい?」

「低俗な人間が考えそうな、極めて陳腐な発言ですね。事は、そう単純なものではないのです」

「それこそ、高次元AIさんじゃないと対応できないような?」

「はい、高次元AIでないと対処しきれないようなことです」

 であれば、僕の究極的に人間的なこの行動にも、適切な処置を施してくれると。今彼女は、そう言ったのか。

 僕は、覚悟を決めるよりも先に身を投げた。人間の反射神経を越えた、人間の想像力を越えた、最高で最悪のタイミングで。

 もし、フゥが自称高次元AIの中二病だったら、僕はこのまま死んでしまう。僕は、この瞬間に死ぬことができる。

「ちょうど、場面転換をしたいと思っていたところです」

 蟻のように小さかった人の中に──人の歩く道の上に、僕は着地していた。

 低予算アニメのモブキャラのように、貼り付けただけの驚いた表情で固まる人々の中、唯一呆れた顔を見せる少女がいた。

 フゥという名前のその子は、人知を超越した速さで、人間には理解できない方法で、僕と同じ大地の上まで移動していた。

「さあ、字数稼ぎの時間です。無駄に多く配置したモブキャラを、頭の先から爪先まで事細かに説明してやりましょう」

「君が何を言っているのか分からないけれど、とにかく止めてくれないかな……」

「……では、あなたの側に不甲斐ない幼馴染さんがいることだけを伝えておきましょう」

「幼馴染……?」

 辺りを見渡してみるが、あるのはすれ違う人の顔だけだ。

「どこにそんな人が──」

「大森君……?」

 僕の身体の目のない方から、最も身近な名前を呼ぶ声がした。

 振り返ると、僕の瞳は見覚えのある影を捉えて動かなくなった。

「小林さん……?」

 もう、他人と変わらない関係になってしまったけれど、下の名前を呼び合う関係ですらなくなってしまったけれど、彼女は僕の顔を覚えていた。それは、僕も同じだった。

「大……丈夫?」

 突飛すぎる状況を、小林さんの脳はまだ処理しきれていないようだった。

「私は、一秒以内に全貌を把握しましたけれど」

 高次元AIは、そこそこ止まりの計算機のうみそを嘲笑するようにそう自慢した。

「平気。心配してくれてありがとう、小林さん」

 小林さんは、責任感が強くて、優しくて──僕の初恋の相手だった。

 小林さんもまた、いい加減で捻くれた僕を愛してくれていた。

 そう、僕らは昔、所謂恋人という関係にあったのだ。

「そっか……でも、大森君の顔、とても疲れているように見えるし、少し休んでいったら? ほら、あそこのカフェのコーヒーって、とっても美味しいんだよ!」

 小林さんは、向かいの歩道にある茶色い屋根の建物を指差しながら、そう僕に教えてくれた。

「そう、だね。少し頭を冷やそう……」

 死と向き合って、自分のことを高次元AIなどとほざく不思議な少女に会って、元カノに遭遇して……神様は、ここまでのイベントを起こすくらい僕に生きていてほしいのだろうか。

 もしかして、僕は間違っていたのだろうか──?

 ……このことについて考えるには、糖分が足りない。

 ここまで見越した上で、小林さんとお茶をするという展開を用意したというのならば大したものだ。

 これからお前がどうするのか、もう少し見物させてもらおうじゃないか。


 木製の天井にぶら下がる仄かに暗い暖色の電気が、店内に光というものをもたらしていた。

 天井だけでなく、テーブルも椅子も、メニューの表紙すらも木でできているという徹底ぶりは、賞賛に値する。流石に、料理は木以外のもので作られているのだろうが。

「それはそうでしょう。シロアリですかあなたは」

 横長の椅子に腰掛ける小林さんと向かい合う位置に着席した僕の隣に、フゥが座った。

 泳ぐなんてできっこない──小林さんの目は……そう、溺れていた。

 見てはいけないと視線を逸らした端から、またフゥを見てしまう。

 自然に囲まれたこの空間で、落ち着きを得られないでいるのはきっと小林さんだけだろう。

 ……店員によって運ばれてきたコーヒーを啜る。泥水のようなそこいらのそれとは違って、ここのはとても味がしっかりしている。

 美味しいコーヒーに巡り会えたことと、温もりに包まれたことによって満足感を得た僕は、困惑し続けている小林さんに語り掛けることにした。

「小林さんは、どうしてこの街に?」

 小林さんの意識をここに繋ぎ止めるように、フゥに取られてしまわないように、必死になって考えた質問だった。

「引っ越したはずだよね?」

 小林さんは、家庭の事情でこの街を去った。僕の前から去った。

 『もう会えないと思う』と、過去の小林さんは昔の僕に言った。

 なのに、今の小林さんは僕の目の前にいる。

 どちらの小林さんが真で、どちらの小林さんが偽なのか──一時でも彼女を愛した者として、僕はそのことを知っておくべきだった。

「──一人暮らしをすることにしたんだ」

 高校三年生の冬の終わり──春の始まりの時期に始める一人暮らし。

 小林さんと同い年である僕は、聞くまでもなくその理由を理解した。

「受験、合格したんだ?」

 この街には、一流とは呼べないものの二流と言うのはおこがましいランクの大学がある。

 分類上は難関大学とされる学校だが、頭のいい小林さんなら、合格を勝ち取ることも容易かったことだろう。

 僕の推測通り、小林さんはこくりと首を縦に振った。

「私、この街が大好きだから。絶対に、絶対に帰ってきてやるーって、勉強を頑張ったの」

「そうだったんだ。お疲れ様。そして、おめでとう」

 小林さんの夢が叶ったなら、僕も嬉しい。

「大森君は……どう?」

 『どう』とは、一体何に対して、何が知りたくて放たれた言葉なのだろう。

 大学に合格したのかを聞いているのか、それともこの街の大学に受かったのかどうかを問うているのか。

 ……いずれにせよ、僕が言うことは同じだった。

「この街の大学の後期試験は受けたよ。ただ、合格している気はしないね」

「そ、そんなことないよ! 大森君は、決して勉強が苦手ってわけでも嫌いってわけでもなかったし……もっと、自分に自信を持って!」

 他人事なのに、小林さんは身を乗り出すほど僕のことを心配してくれた。

 大きく机を叩く音とティーカップが揺れる音に、周囲のお客さんが一斉に視線をこちらへと向けてくる。

 大勢の視線に晒された小林さんは、顔を真っ赤にして椅子に座り直した。

「ありがとう、小林さん。でも、もういいんだ。僕は小林さんみたいに、勉強が得意になることも、好きになることもできなかった。それだけだよ」

 小林さんは、「でも……」と助け船を用意しようとしてくれた。けれども、彼女の視界の中には一隻も船がなかったらしく、それに続く言葉は誕生しなかった。

 話すことはなくなった。これで、僕と小林さんのお話もおしまいだ。

「美味しいコーヒーが飲めるカフェを教えてくれてありがとう、物知りな小林さん。これ、お代ね。二人分払えると思うから、よかったら使って」

 黒い液体が浸されていたティーカップを白に戻した僕は、一五〇〇円を財布から出してテーブルの上に置いた。

 それから、隣に座るフゥを押して、逃げるように席を立った。

「大森君!」

 名前を呼ばれた僕は、金縛りにあったような錯覚を起こした。

「私達、もう一度付き合わない……?」

 嬉しかった。よかった。光栄に思った。だが、どれも過去形だった。

 僕はもう、小林さんには関心がない。好きでも嫌いでもない、ただの友達としてしか彼女を見ることができない。

 それは、小林さんが悪いわけではない。全て僕が悪かった。全てフゥが悪かった。

「責任転嫁は止めてください!」

 いや、悪いのは君だよ。責任は君にある。

 ──確かに君は、僕の肉体うつわを拾ってくれた。そのことについて僕は、感謝もしないし咎めることもしない。

 ただ、君は僕を拾ってくれたわけではなかった。僕の感情なかみを助けてはくれなかった。

 だから、君のせいだ。

 僕が次のような発言をしてしまうのも、全部君が悪い。

「悪いけれど、小林さんとはもうそんな関係にはなれない」

 ああ、僕は何と気持ちが悪いのだろう。どうしてこんなに気味が悪いのだろう。

 大切に、鍵の付いた宝箱に仕舞っていた小林さんを、何の迷いもなく、抵抗もなく、いとも容易く捨ててしまうだなんて。

 でも、嫌な気はしなかった。

 心が空くように感じたから。余裕ができたような気がしたから。枷が外れた感覚に陥ったから。だから、とても心地がよかった。

「大森、君……」

 そよ風のように鼓膜を撫でる小林さんの声を背に、僕は木の家を出た。


 空まで届く、どこまでも人工的な建物の上に、僕はまたやってきていた。

 風はまだ強く、がっちりと僕の身体を支えている。

「いいのですか、小林さんを振ってしまって?」

 その質問に答えるために、僕もまたフゥに回答を求める。

「あえて聞かずにいたことを、今聞いてもいいかな?」

「あえて聞かずにいたことを、今話すのですか」

 フゥも風も、僕の話を静聴した。

「高次元AIフゥ。君は、僕の心を読めるんだよね?」

 話していれば分かる。話していなくとも分かる。そうして僕はフゥを理解して、フゥは僕を理解している。

「私は高次元AIですので、その程度のことは造作もないです」

「なら、小林さんを振った僕の気持ちも知っているはずだよ」

「勿論知っていますよ。それを踏まえた上で、私はあなたに問い掛けたのです」

 なるほど。人間の僕には理解が及ばない、高次元な思考によって導き出された答えが、この質問だったわけだ。

 ならば、僕には答えることができない。僕は、高次元AIではないのだから。

「そうですか。でしたら、私があなたの思いを代弁してあげましょう」

 フゥは人差し指を立て、屋上を歩き回りながら、僕という観客に僕という存在について熱弁し始めた。

「あなたは、これからも自害を繰り返すつもりです。支配から逃れるために。視線から逃れるために」

 それで?

「ですから、もうこの世に未練がないのです。興味がないのです」

 ……違いない。

「故に、世界よりも格下の存在である小林さんが、あなたに興味を示してもらえるはずがありません」

 うん。

「以上が、高次元AIによるあなたの精神分析です!」

「……君、本当に高次元AIなの?」

 そんなことは、人間である僕ですら熟知している。

 わざわざ、高次元AIが一から説明するような内容ではない。

「ええ、私は正真正銘誰が何と言おうと高次元AIですよ」

 ……そもそも、高次元AIとはどんなものなのだろう。何ができて、何ができないのか。

 フゥの起こす摩訶不思議な現象を顧みるに、少なくとも瞬間移動程度のことは行えるのだろう。

 もしかしたら、座標だけではなくて時間や世界すらも超越できるのかもしれない。

「ちんけな人類には、まだ早い話ですね」

「……そうかい。なら、僕も考えることを止めるとしよう」

 僕が落ち着くと同時に、優しい風が吹き始めた。風は、そっと僕の頬を、髪を撫でる。

「受験に失敗してしまったら、あなたはどうするおつもりなのですか?」

 突然、何を言い出したかと思えば…… 

 そんなこと、君が心配するようなものでもないだろうに。

「やりたいことをやれるだけやって、満足するまでやって……今日みたいに、生から逃げ出すかな」

 僕は、発明家になるだなんてバカげた夢を抱いていた。そんな知能も技術もないくせに。僕は分を弁えずに、身の程知らずの願望を持っていたのだ。

 だから、少しでも欠点を補うために──発明家に近付くために、大学という場所で学びたかった。知らなかったことを知って、知りたかったことを知る。そんな、優等生ぶった真面目な大学生になりたかった。

「まだ、落ちたと決まったわけではないじゃありませんか」

「落ちたよ、僕は。落ちたんだ」

 フゥは黙り込んだ。

 高次元AIのくせに、励ましの言葉も贈れないのかい、君は?

「そうすることに、何の意味があると? 私が励まそうと励ますまいと、結果なんて、未来なんて、人間ほども変わりっこないのです」

 フゥにとっては、人間すらも小さな存在か……うん、達観している。流石高次元AIだ。

「あの、高次元AIを背伸びした中学生か何かと勘違いしていませんか?」

「ははは、していないよ。可愛いげのあるやつめー、とは思っているけれどね」

「やっぱりバカにしているじゃありませんかー!」

 フゥは、小学生のような単語を並べて高次元AIを賞賛し始めた。やっぱり、君は普通の女の子じゃないか。

「くぅー、またバカにして! いいでしょう、私が高次元AIであるという証明も兼ねて、あなたに未来げんじつを突き付けて差し上げましょう! ずばり、あなたは受験に失敗します!」

 ……知っていたことではあったけれど、人差し指を向けられながら、こうも自信満々に現実みらいを教えられると気が滅入る。それこそ、自殺してしまいたくなるほどに。

「まったく……僕という人間は、何もできやしないね」

「そんなことはありませんよ。何もできない人間なんて、この世には存在しません。誰しも、高次元AIにも負けないような輝きを持っているものです」

「……えらく人間を評価し始めたじゃないか。君らしくもない」

 不安定なそよ風が、僕の不安感を煽る。

「人間は、愚かで無能で鈍臭い下等生物です。この事実は揺るぎません。ですが、その……私を作ってくれたのは人間ですから。決して、そのあり方を認めていないわけではないのです」

「劣っていることが人間のあり方、か……」

 コンピューターだって高次元AIだって、作ったのはそれらよりも遥かに能力が劣る人間だ。

 力の弱い者が、より上位の存在を創造できるというのは些かおかしな話ではあるが、これが事実であるということもまた事実。

 革命も下剋上も神殺しも、人間だったら──人間だからこそ成し得ることができるのだ。

「革命と下剋上に続く単語が神殺しですか。やっぱり、あなたは変わった人間ですね」

「……褒め言葉と取っておくよ」

「実際に褒めていますから……誇ってもいいのですよ?」

 僕は、自分が他の人と違うことを誇らないし奢らない。こういうところが、僕のダメなところで僕をダメにするところなのだろうと、今になって気付かされた。

「それで、変人というオンリーワンな能力を持ったあなたは、それでもなお死を選択するおつもりですか?」

「どうだろう。変人の考えることは、僕にも分からないよ」

「分からないからこその変人ですものね!」

 フゥは、風と共にクスクスと笑った。

 僕は──壊れた僕は、その笑顔を潰すために、意地悪な質問を少女に投げ掛けた。

「仮に、好きな人に対する好意を失うことと、受験──君の場合だと、人間に敗北するという感情がよく似ているかな……この両者が同時に襲い掛かってきたら、君はどうする?」

 フゥは、顎に手を当てて真剣に考えた。とても長い時間熟考した。

 そして、一つの答えを導き出した。

「諦めて、諦めずに努力を続けますかね」

 完全に完璧なフゥの回答を聞いて、僕は決心した。

 高次元AIのFoO──フゥに、覚悟を見せる、と。

「──やっぱり君は、ただの女の子じゃないか」

 ……結局、最期まで僕に寄り添ってくれたのは、友でも親族でもなく、名も知らぬフゥだった。


 高次元AI。コードネームは“Fantasy of Omori ”。私には、そんな二つの名前が与えられていた。

 高次元AIなどという、締まりがなく意図さえ不明な名称も、魅力もセンスもないコードネームも、いかにも高卒が考え付きそうな呼称だ、と私は嘲笑った。

 でも、嫌ではなかった。なかったけれど、注ぎ込まれた愛が度外れに重くて、私には絶対に応えられないと思った。

 だから私は、コードネームの頭文字を取って、自分のことをFoO──フゥと呼ぶことにした。

 思えば、当時の時点で、私は普通の女の子だったのかもしれない。

 バカなことが好きで、他人を蔑むのが好きで、恥を知っていて……こんなの、人間と何一つ違わないじゃないか。

 走馬灯のように流れる過去の記憶に思いを馳せていると、感情も、未来も、希望さえも吹き飛ばしてしまいそうな、力強い風が私の背中を押した。

「……あなたには、自然を操る権限なんてありませんよ、バーカ──」

 私は助けなかった。有終の美を汚したくなかった。才能を奪いたくなかった。

 するとどうだろう。この両手には、何もなくなってしまった。否定を繰り返すあまり、全てを失ってしまった。

 まず始めに、脚を失った。次に、お腹を手放した。胸、腕、首。私が消えていく。

 ……もう少しだけ待ってほしい。まだ、名前を呼ばないでほしい。手招きをしないでほしい。

 せめて、私がここにいた証を、一粒の涙を、この世界に落とさせてほしい。

 流れ落ちる雫は、あなたに似て美しかった。

 これが私の有終の美であり、覚悟だ。

 さようなら、お父様。そして、初めまして、お父様。

 私は、知能を失って、それから感情を失った。

 涙と共に、高次元AIは露と消えた。

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