第10話
彼女が出て行った週は、淡々と過ごした。会社を定時に出て、自炊をし、酒を飲んで、10時前後には眠ってしまう。そんな生活だ。独身生活を謳歌するわけでもなく、落ち込んで過ごしたわけでもない。というよりむしろ、落ち込むのを回避するために、丁寧に足元の生活を送っていたのだろう。
帰宅してさっさと酔っ払うのが詰まらないと思ったが、独りで居酒屋やバーに寄る気分にはなれなかった。会社帰りに映画を見たり、習い事を始める気もしなかった。せいぜい本屋をチェックしたり、東急ハンズやロフトで調理用具を眺めたりする程度だ。
水曜に帰宅したとき、妻の下着や服がなくなっていたことに気が付いた。その日の昼間のうちに家に寄ったのだろう。それ以外に妻の気配を感じたことはなかった。
金曜の夜に、妻から電話が掛かってきた。
「家にいるの?」
「そう。一人で食事してるよ」
声のトーンから僕は彼女がまだ仕事中だと推測した。
「相変わらず忙しそうだね」
「今週も激務よ。いつまで体が持つかしら」
冗談を言おうと思ったが、何も思いつかなかった。
「ところで用件は何だろう」
「引越し。今週の日曜午前、つまり明後日ね。引越し会社が私の荷物を引き取りに来る」
「何か準備する必要ある?」
「何もしなくていいわ。私のものには触らないでね」
「分かった。君も来るの?」
「指示を出す必要がある。引越し中はあなたと話す暇はないかもしれない」
「僕は外した方がよさそうだな」
「悪いわね。家賃の半額をあなたの口座に振り込んでおいたわ」
「分かった。今度チェックしておくよ。それにしても、結婚生活も終わってみればあっさりしたもんだったね」
と、思わず口から出てしまった。
「ごめん、その話はまたね。仕事に戻らなきゃ」
「分かった。・・・。じゃあ、また」
「またね。後はLINEかメールで」
電話を切ってから食事を済ませ、皿を食洗機に突っ込んだら、家に居るのが耐えられなくなった。とにかくここから出よう。心が二つに引き裂かれたような気分がした。久しぶりにタバコが吸いたいとすら思う。辞めて5年が経つのだ。今吸ったら美味いも不味いもない。ただ気分が悪くなるだけのはずだ。僕はタバコを頭から振り払い、家の扉に鍵を掛けて、当てもなく最寄駅へ向かった。
深海魚 @yonai1234
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